第12話 遭遇 その4

 昼食を終えた四人は、それで解散……とはならず、今もなお行動を共にしていた。

 午後のショッピングモールの一角、テナントの外に配置されているベンチに腰を下ろした大樹たいじゅの隣には――秀一しゅういちの姿があった。


――何なんだろうな、この状況は。


 秀一の整った顔には、何とも言い難い微妙な表情が浮かんでいた。

 きっと自分の顔にも似たような表情が浮かんでいるのだろうと思った。

 男同士の相席は色気もへったくれもなかったし、どちらもひと言も発しなかった。

 時おり傍を通る女性たちの視線が向けられる。もちろん大樹ではなく秀一の方に。

 

「せっかくの休日なのに、何が悲しくて男ふたりで座ってなきゃならないんだか」


「それは俺のセリフだ」


 お互いにじろりと横目で睨み合い、ほぼ同時にため息を吐いた。

 大樹の同行者である綾乃あやの

 秀一の同行者である姉の秀美ひでみ

 見目麗しく華やかなふたりの姿は、男ふたりの傍にはなかった。


くすのきが羨ましいよ」


 周囲の注目をサラリと受け流しながら秀一がつぶやいた言葉に、大樹は眉を顰めた。


「そうか?」


「そうさ。『水着を選んで』なんて綾乃さんに言われるの、ほんと羨ましい」


 素直過ぎる欲望に唖然とさせられ、横目で様子を窺うと――秀一は真顔だった。

 シリアスな声だが内容はかなり酷い。見た目との落差が激しすぎる。

 学校有数のカリスマイケメンの言葉とは思えなかった。


「お前だって……池上いけがみ、お前何しに来てんの?」


 自分で言葉にしてみるまで、大樹は池上姉弟がここに来ている理由を知らなかった。

 考えてもみなかったし、別に興味もなかったから聞こうともしなかった。

 今だって、ただ何となく話の流れから尋ねてみただけだった。


「今さらか。僕は……荷物持ち兼男除けだよ」


「男除け?」


 返事はなかった。

 秀一が微かに目を動かした先では――綾乃と秀美が店員と一緒になってはしゃいでいる。

 遠目に見る分には年の離れた友人あるいは姉妹に見えなくもない。

 似てはいないが若く美しく雰囲気のあるコンビであることは間違いない。

 彼女たちが何をしているかと言うと、最近流行のコスメを試しているらしかった。

 化粧品を買う流れになった際、『話を聞いておくべきではないか?』と大樹は考えた。

 綾乃が興味を抱いているものを知っておいて損はないと思ったからだ。

 秀一もまた同じことを企んだらしかったが……男ふたりはガールズトークで華やぐ化粧品売り場の空気に耐えきれず、結局こうして店の外で待機している。

『男ふたりで隣同士に座って……』などと愚痴っていたが、半分以上は自業自得だった。


――水着売り場より居心地が悪いの、何なんだ……


 店内にはほとんど男性の姿は見当たらない。

 いたとしても大抵は傍に女性が寄り添っている。

 カップルか、夫婦か、あるいはもっと親密な関係か。

 綾乃たちに秋波を送る余裕がありそうな連中は存在しない。


「ああ、秀美さん美人だもんな」


「綾乃さんもな」


 言われてみれば『そうかもしれない』と思った。

 女性陣が居座っている場所が場所だけに今は安心だが、綾乃ひとりでショッピングモールをウロチョロしていたら、絶対下心丸出しの男が近づいてくるに違いない。

 わざわざ想像力を働かせるほどのこともなかった。

 彼女は何も言わなかったが、大樹に男除けの役割を期待していたのかもしれない。


――つってもなぁ。


 自分が男除けに役立っているかと問われれば、これはあまり自信が持てない大樹だった。

 横に突っ立って綾乃たちに優しげな視線を送っている秀一ならば、なるほど魔除けとしての効果は絶大だろうと思わされる。


「……女の買い物が長いって本当だったんだな」


 声に苦みが混じった。

 何かにつけて秀一と自分を比較することに嫌気がさして。

 ひとり相撲じみた劣等感にとらわれないよう話題を変える自分がみっともなかった。

 深く考えることもなく唇の端から零れたひと言に、秀一が目を丸くする。

『何を今さら』と雄弁に物語っていたし、『ああ、綾乃さんと買い物とか来たことなかったのか』なんて見透かされているようでイラっとした。


「僕は何も言ってないよ」


「俺の方こそ何も言ってないが」


 短い言葉の応酬の裏で、見えない火花がチリチリと散った。

『綾乃に告白する』と大樹に告げた隣の男は、宣言どおり綾乃に告白し、そして散った。

 その衝撃的な情報をもたらしたのは、秀一の姉である秀美だった。

 弟にフレンドリーファイアをかました彼女は今、綾乃と一緒に店員の話を聞いている。

 秀一の視線の先で笑う姉は、弟の気なんて知ったことかと言わんばかりにマイペース。

 ……同じ男として同情する部分がなくもなかったりする。絶対に口にはしないが。


「楠さ」


 ぼんやりと人の流れを眺めていた秀一が、ポツリとひと言。

 無視してやろうかと思わなくもなかったが……それでは器が小さすぎる。

 これまであまり他人に対して抱いたことがなかった対抗心が、この男に対してだけは発揮される。

『こいつにだけは負けたくない』と意地を張りたくなる。

 だから、聞く。


「なんだよ?」


「綾乃さんに告白しないの?」


 うんざりするほど投げかけられた、変わり映えのない言葉。

 答えは決まっている。


「だから俺たちはそういう関係じゃないって」


「僕がフラれたって姉さんがバラしたとき、露骨にホッとしてたみたいだけど」


「……ッ」


 秀一の言うとおりだった。

 あの時、確かに大樹は安堵に包まれた。

 ここ数日頭を悩ましていた問題が、思いもよらないところから解決したから。

 しかも、齎された答えは大樹にとってとてもとても都合のいいものだったから。


「僕が言うのも変だけど……個人的には、綾乃さんに告白したほうがいいと思う」


「そんでお前みたいに自爆しろってのか?」


「一応アドバイスのつもりだよ」


「アドバイス?」


 問い返すと、秀一は僅かに首を縦に振った。

 整った顔にムッとした表情を浮かべながら。


「ああ。たまたま僕が最初だったってだけで、綾乃さんに思いを寄せる男子なんてそこら中にいる。楠が彼女との関係を曖昧なままにしておくと、予想外の相手に掻っ攫われるんじゃないかって」


 そんな展開は望ましくない。

 秀一はそう続けた。

 冗談かと思って顔をチラ見してみれば、予想以上に目つきが鋭いまま。

 つまり、先ほどの言葉は間違いなく真剣であったのだ。

 この男は――本気で大樹と綾乃の関係を心配している。


「それは……」


「好きなんだろ?」


「好きだよ」


 あっさりと口から肯定の言葉が出たことに、大樹自身が驚きを隠せなかった。

 相手がすでに綾乃に告白している秀一であったから、対抗意識が働いたのかもしれない。

 同じ男として、堂々と告白して堂々とフラれ、フラれてなお諦めないガッツの持ち主に対して敬意を表したかったのかもしれない。

 ガッツがあるどころか、同じ女性に思いを寄せるライバル(仮)である大樹の背中を押すことができる精神性に感嘆させられたのかもしれない。

 秀一が相手だからこそ……外見や性格で後れを取っている自覚があっても、せめて見栄を張りたかった。


「だったら……」


「いや、わかってるんだけど。一度タイミングを逃すと、なかなか難しくて」


「ああ、わかる気がする。僕も告白しようって決意するまでに、かなり時間かかったし」


「そうなのか?」


 意外な気がした。

 わざわざ自分に筋を通しに来るほどの奇特な男なら、即断即決即実行なイメージがあった。

 眉を片方だけ跳ね上げて見せると、心外だと言わんばかりにため息をつかれた。


「そりゃそうだよ。初めて誰かを好きになったって言っただろ。そもそも綾乃さんに抱いている感情が恋だって自覚するところからスタートしたんだから」


 男同士であっても恥ずかしくなるようなことを事も無げに語る秀一の態度は清々しく、そして言葉の裏に隠された本音を解さないほど大樹は鈍感でもなかった。

 同年代の男同士で、こんな明け透けな会話をするのは初めてだった。

 それも、よりによって恋敵(KO済み)が相手ときた。

 つくづく世の中はわけがわからない。

 わからないが……わかることもある。

 結果的にフラれたとはいえ、秀一は大樹の一歩先に自らの意思で踏み込んだということ。


「尊敬するわ」


「思いっきり尊敬してくれ。だから……」


「でもなぁ、告白しようと思ったら、いきなり『私、グラビアアイドルにスカウトされたから』って言われたんだぜ。あの時はすっかり頭茹ってたし、思いっきり混乱しちまってたし、なんかそのままズルズルと……はぁ」


 言い募る秀一の言葉を遮った。

 大樹の口から漏れたのは、インフルエンザで寝込んでいた日からずっと胸の奥にしまい込んでいた愚痴だった。

 その愚痴は、綾乃がトンデモナイ宣言をかましてくれたおかげで行き場を失った想いのなれの果てでもあった。


「……そっちはそっちで大変そうだ」


「大変だよ」


「ま、そうやって足踏みしてくれていたら、僕の方にもチャンスがあるってことで。それはそれでいいわけだけど」


「訂正。やっぱお前は敵だ」


「僕は最初からそのつもりだ」


「あっそ」


「そうさ」


 刺々しい会話の割りには、大樹と秀一の間に走る緊張は大きくなかった。

『変な感じだ』と大樹は思ったが、秀一の方も似たような心境らしい。

 顔を見ればわかる。

 変な顔をしている。

 きっと自分も同じ顔をしている。

 友情とは言い難いが敵対でもない。

 奇妙な関係が構築されつつあることを自覚せざるを得ない。


「何やってんの、アンタたち」


 往来で顔を見合わせていた男ふたりの横っ面を叩く声には、多分に甘味が混じっていた。

 ほとんど条件反射の勢いで背筋が伸びて……つまり見栄を張ってしまう。

 唐突な声は、それほど強烈に大樹たちの心を揺さぶってくれる。

 声の主は――もちろん綾乃だった。

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