第10話 遭遇 その2
「みんな、何を頼むか決めた?」
「姉さん、早すぎるって」
「……」
四人はショッピングモール内に出店しているイタリアンレストランの奥まった席に腰を落ち着けていた。
肩肘張った高級店ではなく、全国チェーンの普通な店舗だ。
騒がせたお詫びにしても、メニューにアホみたいな値段が並んでいたらゾッとしていただろうが、この店は高校生の大樹たちでも支払える程度の金額で楽しめる。
店内を見回してみれば、ほかの客は家族連れが多い。
ごくありふれた日曜日の光景だった。
このテーブル以外は。
とんとん
奇妙な仕草に秀一の姉――
本人曰く大学二年生。現役合格しているらしいので、大樹たちよりふたつ年上になる。
――これで二十歳ってマジかよ……
声には出さなかったが、年齢の読みにくい女性だと思った。
もっと年上に見えるが、『では何歳か?』と問われると答えられない。
見た目からしてゴージャスであり、貫禄が漂っており、仕草の端々に風格を感じた。
「綾乃ちゃん、何してるの?」
「えっと、カロリー計算ですけど」
顔を上げた綾乃が答えると『真面目ねぇ』と秀美が驚く。
引き下がるのかと思いきや、さらに身を乗り出して言葉を重ねてくる。
視覚から感じる雰囲気と、相反する軽やかな口ぶりのミスマッチが激しい。
「ね、綾乃ちゃんって何が好きなの?」
「……好きなものとか、特にありません」
「じゃあ嫌いなものは?」
「……それも別に」
明らか過ぎるほどに綾乃の口が重い。
女ふたりの会話は大樹の目から見てもあまり弾んでいない。
秀美はとっかかりを掴めておらず、秀一は興味深げに耳をそばだてている。
「私、食べ物の好き嫌いとかないので……バランスよく栄養が取れて、カロリーオーバーしなければ何でもって感じで。その、面白くなくてすいません」
「ううん、驚いたけど謝ってもらうことじゃないかな。ね、秀一」
「そうだね。何でも食べられるっていいことだと思うよ」
「そうかな? 大樹はどう思う?」
いきなり話を振られて、三人の視線が大樹に集中する。
綾乃は好き嫌いがないのではない。
総じて食事に対する関心が薄いのだ。
初めて聞いたときは大樹も驚かされた。
『味気なさすぎないか?』と口にしてしまった時に彼女が浮かべた顔は、いまだに忘れられない苦い思い出だった。
「……悪いことじゃないと思うけど、その時々で食べたいものとかはあるだろ?」
「まぁ……それは、あるけど」
「例えば、今は何を食べたい気分なんだ?」
「……ティラミス」
「デザートな。カロリー摂り過ぎになるから、食事は控えめにしろよ?」
「……うん、そうね。そうする」
大樹の言葉に素直に頷いた綾乃は秀美に視線を送る。
秀美がウェイトレスを呼んで、それぞれに注文を頼む。
「はぁ……綾乃ちゃん、意識高いのねぇ」
「意識って……別にそんなことないと思います。普通です」
「綾乃さんは意識高いって言うよりも真面目かな。姉さんも見習った方がいいよ」
「うわ、弟ウザ」
ゴージャスな顔を顰めて笑う秀美。
『器用な人だな』と呆れながらも、綾乃の様子が気になって仕方ない。
中学時代の綾乃は控えめに言ってコミュニケーション能力が高いとは言えなかった。
家族を除けば大樹ぐらいしかまともに話せる相手はおらず、本人もかなり気にしていた。
しかし――彼女は高校入学と同時期に芸能界デビューを果たし、劇的な成長を見せた。
変わった部分は多岐に渡るが……対人能力を克服したのは大きな変化と言えるだろう。
『なんとか教室に溶け込めるようになった』とは本人の弁だが、これは正確に現状を表わしてはいない。『
本人の認識以上に各種のステータスは高まっており、かえって浮き気味なくらい。
その状況を『溶け込める』と自称できるレベルに落とし込んでいるのだから、能力的には相当なものと言ってもいいはずだ。
今だって、秀一だけでなく初対面の秀美とも普通に会話が成立している。
いや――それどころの騒ぎではない。
――このふたり、仲いいよな。
綾乃と秀一の距離が想像以上に近い。
物理的な意味ではなく、心理的な意味で。
ここまで綾乃に接近できた男子を、大樹は他に知らない。
秀一から『綾乃に告白する』と告げられて『好きにすればいい』と答えた。
あれ以来、綾乃は学校に顔を出さなかったので、告白の成否どころか実際に告白が行われたのかすら不明である。
でも――
――告白を拒否られてたら、この距離感はないだろ……
男女交際の経験がない大樹から見ても、ふたりの雰囲気は悪くない。
あまつさえ、綾乃は秀一に名前を呼ぶことを許している。少なくとも咎めてはいない。
眼前の光景が指し示す答えは、ひとつしかない……ように見える。
「そのスタイルを維持するためには、やっぱ物凄い秘訣とかあったりするの? 顔もメチャクチャ可愛いし」
「秘訣って言うか……バランスよく栄養を取って、睡眠時間を確保して。ジムに通って運動もしてますし、あとは家でも色々……」
煩悶する大樹を余所に、秀美と美容トークを繰り広げる綾乃。
どこか固さを残していた表情も、いつの間にか随分とリラックスしている。
――楽しそうだな。
秀一の様子を窺うと、顔に苦笑を張り付けていた。
大樹と目が合うと、その涼やかな目じりが緩んだ。
女ふたりの会話についていけないけれど、迂闊に声をかけられない。
本音を共有できてしまって何とも言えない気持ちになってしまった。
「ね、綾乃ちゃん、エステとか興味ある?」
「あります」
男の耳には慣れない単語に、綾乃は食い気味に即答した。
美貌を売りにする職業だけに、そっち方面に貪欲な態度を見せるのも納得できる。
普段なかなか手を出せない分野に対する興味は、大樹が想像しているよりも大きいらしい。
「じゃあ、今度一緒にこことか言ってみる? 私、会員に入ってるけど結構良いよ」
「え、どこですか?」
「はい、これ」
「……」
スマートフォンを見せられた綾乃が石化した。
わなわなと震える指先と唇。興奮が抜け落ちた顔。
「会員制……」
「綾乃ちゃん?」
「す、すみません、ちょっと頭冷やしてきます」
スッと席を立った綾乃は、止める間もなく姿を消した。
入れ違いに運ばれてきた料理を前に、秀美が首をかしげている。
「どうしちゃったの、綾乃ちゃん?」
「……」
「……」
大樹と秀一は互いに顔を見合わせ、瞬時に綾乃が離席した理由をお互いが理解していることを理解した。
同じ屋根の下に暮らしていても、弟とは異なり秀美には理解できないことも理解した。
ふたりの何が違うのか大樹には区別がつかなかったが、問題はそこではない。
このまま秀美に何も知らせないか否か、それが肝要だ。
タイムリミットは綾乃が戻ってくるまで。
――難しいな。
ふたりの会話に出てきた単語を並べてみれば、綾乃が離席した理由は容易に推測できる。
キーワードは『会員制エステ』
さぞかしトンデモナイ金額が記されていたのだろう。
ただ……綾乃に限った話ではなく、他人の懐事情なんて迂闊に話題に挙げたいものではない。
しかし『興味ある』と綾乃本人が言ってしまった以上、露骨すぎる心変わりには理由があることは明白であり、現に秀美は疑問を抱いている。
この状況を打破するには、大樹か秀一のどちらかが汚れ役を請け負うことになる。
綾乃の口から直接語らせることは避けたい。
――アイツに恥かかせたくないもんな。
本音を言えば、秀一に押し付けたい。
これを口にするということは、ノリノリだった秀美の頭から冷水をぶっかけるようなものだ。
初対面な秀一の姉に嫌われるのはどうでもいいとして、綾乃に嫌われるのは勘弁願いたい。
綾乃がいないところで彼女の財布の中身を語って、それがバレたら……想像するだけで背筋が凍る。
大樹も秀一も、どちらもこの一点において意見を共にしている。
でも――
「あの、ちょっといいですか?」
結局――口火を切ったのは大樹だった。
迷いはしたが、綾乃のためを思えば時間が惜しい。
「ん? 大樹くん、どうかした?」
「さっき綾乃に見せた奴、俺にも見せてください」
「いいけど……君、男の子なのに、こういうの興味あるんだ」
差し出されたスマホには、いかにも高級感を前面に押し出したサイトが表示されている。
秀美の言葉に偽りはなかったし、予想どおり男子禁制の雰囲気が醸し出されている。
ゴクリと唾を飲み込みながら指を滑らせてゆくと――
「うおっ!?」
演技が必要かと考えていたが、ナチュラルに変な声が出てしまった。
ある程度想像できていたから、その程度で済んだと言う方が正しい。
「大樹くん? 何かわかった?」
「わかったも何も……これは高すぎますよ」
表示されていた価格を指さした。
大樹がイメージしていたよりも、ゼロがふたつほど多い。
綾乃は間違いなくエステに興味を示していた……にも拘らずこの価格。
いったいどれほどのショックを受けたのか、男の大樹に想像することは難しい。
「でも、あの子『あやのん』でしょ? あの『黛 あやの』でしょ?」
「それはまぁ、そうなんですけど」
「だったら……」
「いや、いくらなんでもこれは……難しいんじゃないかな、と」
水着を買った時の光景が思い出された。
金銭的に余裕があるなら、わざわざ選ぶ必要なんてなかった。
彼女はグラビアアイドルなのだから、全部買っても着る機会はあるだろうに。
――まぁ、都合いいと言えばいいんだよな、これは……
あまりにもぶっ飛んだセレブな価格設定のおかげで、綾乃の財政事情にあまり深く触れなくとも一般的な感覚で断れる。
彼女自身には無理でも大樹ならできる。
「へぇ、君……綾乃ちゃんのこと、ずいぶん詳しいっぽいね」
秀美の瞳が煌めいた。
声がわずかに低くなり、重みを増した。
ただ、それだけ。それだけで『
しかし――彼女のパワーに気圧されながらも、大樹は一歩も引かなかった。
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