第8話 ふたりの日曜日 その4

 大樹たいじゅが選んだ水着は、鮮やかな青のチューブトップだった。

 トップスはストリングレスで、布地を固定する紐の類はなかった。

 首筋から鎖骨の一帯、豊満なバストの上半分が思いっきり露わになる。

 迂闊に動いたらズレて色々見えてしまうのではないかと心配になってしまう。飛び込みとか絶対ヤバい。

 ボトムスはトップスのデザインに合わせてあり、正面からは露出度低めに見えるがサイドはひもで結ばれているだけ。

 布地の合間に肌がはっきり見える部分が多く、危うさは上半身に負けず劣らず。

 そんな水着を、今、目の前で綾乃あやのが自分の身体に当てている。

 試着室の中で、服の上から。

 カーテンの隙間から目にしているだけで、顔に血が上ってくる。


「ねぇ大樹……これ、小さくない?」


「お前、サイズは気にしなくていいって言ってなかったか?」


「いや、そうじゃなくって……う~ん、でもこれは……そっか、男の子って、こういうのが好きなんだ」


「他の奴のことは知らん。俺が好きなのを選んだ」


「自信満々すぎるのが、ちょっと引く」


「お前が選べって言ったんだろ」


「それはそうなんだけど……こうくるとは……」


 グラビアアイドル『まゆずみ あやの』が着る水着。

 前にはプロのカメラマン、周りにはスタッフ。

 雑誌に掲載される写真を取るためのスタジオ。

 実際に目にしたことはないが、そんなシチュエーションを思い浮かべながら選んだ。

 綾乃がダサいと笑われないような水着。

 それでいて、これまでのグラビアで目にしたことがなかったタイプの水着。

 ……もちろん、大樹自身の趣味も多分に入っていることは認める。

 せっかく自分が着てほしいと思っている水着を着てくれると言うのなら、可能な限り趣味で攻めたくなるのが男というもの。相手が日々妄想を働かせている綾乃ともなれば猶更だ。


「なるほどなぁ……これは私だと買わないなぁ」


 ため息と感嘆が入り混じった声だった。

 褒められているのか貶されているのか。

 どうにも判断に苦しむ声色ではあった。


「わざわざ俺に選ばせるんなら、普段は買わない奴の方が良くないか?」


「うう、それは確かに正論です」


「何が不満なんだよ? どうしてもダメなら他のを探してくるけど」


「ううん、それじゃ意味ないし。大樹の言うとおり、いつもの私なら選ばないものが欲しくて来たんだし」


「ちなみに……何でいつものお前だとそういうの選ばないんだ?」


「え? えっと……それはその、これって凄くない?」


「凄いの意味が分からん」


「大樹的には、私ってこういうのが似合うように見えてるんだ」


「実際に着てみてくれないと似合うかどうかなんてわかんねーけど、着てみてほしいとは思う」


「そ、そう? じゃあ、ひとつ目はこれにしようかな」


「さっきも言ったけど、どうしても嫌って言うなら」


「嫌じゃないって言ってるでしょ」


「だったら、それじゃ決まりってことで……うん? ひとつめ?」


 聞き捨てならないセリフが耳を掠めた。

 ひとつ目ということは……ふたつ目があるということ。

 ひょっとしたら三つ目以降もあるかもしれない。

 一着選ぶだけでも相当に勇気を振り絞ったのだが……


「うん、ひとつ目。せっかく来たのに一着だけで終わりなわけないでしょ」


「マジか……」


「マジも何も、今日はとことん付き合ってもらうから」


「それ、本当に俺が選ばなきゃダメか?」


「ダメ」


「マジかぁ……」


「何なの、嫌なの?」


「嫌ってわけじゃないんだけど……なぁ、何で俺なんだ?」


「何でって……それは、私が大樹を信じてるから。さっきも言わなかったっけ」


「聞いたし、嫌ってわけじゃないし。どっちかと言うと……」


「どっちかと言うと?」


 のぞき込んでくる綾乃に『嬉しい』と答えかけて、やめた。

 求められている答えを口にすることが、無性に羞恥を呷ってくる。

 

「私に一番似合う水着は、きっと大樹にしかわからないと思うの。私のことを一番よく知ってる大樹が自信を持って選んでくれた水着がいいの」


「……」


「だから、お願い」


 綾乃の視線はまっすぐだった。声には切実さが滲んでいた。


――でも、なぁ……


 自分が選んだ水着を綾乃に着せられることにテンションが上がったのは事実だ。

 でも、いざ実際に趣味全開なものを選ぶとなると、どうにも話が違ってくる。

 他の人間の目が気になって仕方がないし、綾乃にどう思われるかも気になった。

 仕事で使うとなるとプロの審美眼に敵わなければならないし、撮影されたグラビアは雑誌高インターネットに掲載されて日本中どころか世界に出回ることになる。

 ……その結果が綾乃のキャリアに傷をつける可能性までは考慮できていなかった。

 彼女にとって、これは仕事なのだ。

 単純に露出度を上げればいいと言う話ではないと思った。

 最初の一着はギリギリ綾乃的にもアリだったようだが……ふたつみっつと選ぶとなると元来センスに自信がない自分の審美眼がどこまで通用するか確証が持てない。


――でも……信じてくれるって言うのなら、その信頼には応えたい。


 綾乃から全幅の信頼を受けていることは何物にも代えがたい喜びだった。

 悩んで悩んで……大樹は覚悟を決めた。


「本当にいいんだな」


「……ええ」


「本当に俺が好き勝手選んでいいんだな?」


「そのために一緒に来てもらったんだけど」


「後悔するなよ」


「ぜひ後悔させてほしいものね。みんながびっくりするような、すっごいの選んできて」

 

「いや、でもお前さっき……わかった。そこまで言うのなら……やってやるよ」


 似たようなやり取りをしたばかりな気もしたが、改めて気合を入れ直した。

 綾乃に似合う水着、綾乃の未来を明るく照らす水着。

 向けられる期待と自分の欲求のバランス。

 考えすぎかもしれないが……ふつふつと闘志が湧いてきた。

 

――見てろよ。





「なるほど、大樹はこういうのが好みだったのね」


 レジに並ぶ綾乃はしみじみと呟いていた。

 隣で聞いていた大樹は、思いっきり胸を張った。

『さっきも同じこと言ってなかったか?』とはツッコまなかった。


「悪いか?」


「悪いなんて言ってないけど。うん、私だったら選べない奴ばっかりだったし……やっぱり大樹に頼んでよかったって思ってます」


「マジで?」


「マジで」


 水着売り場を練り歩いて大樹が選んだ水着は五着。

 試着室で綾乃に渡すと、綾乃はそれらを服の上から身体に押し付けて大樹に見せつけた。

 羞恥で顔を背けたら負けな気がしたので、ひとつひとつじっくり観察して素直な感想を述べた。


『エロい。メチャクチャエロい』


 怒られるかと思ったのだが、別に怒られはしなかった。

『他に言うことないの?』と貧困な語彙力を呆れられはしたが。

 ただ……全部買うには予算が足りないと言われて、今度は大樹が呆れた。


『グラビアアイドルって儲からないのか?』


『さぁ、人によるんじゃない?』


 ため息をつく綾乃は、どうやら儲かっていない側の人間らしかった。

 業界第二位を誇る週刊少年漫画誌の巻頭を飾るほどの人気があっても、水着は自腹で大人買いもできない。

 華やかなイメージとは裏腹にシビアな業界裏事情を目の当たりにしてしまった。

 予算が許す範囲――ふたつに絞るための作業は天国で地獄だった。

 何度も何度も柔らかな肢体に水着を押し付けて、大樹に選択を迫ってくる。

 

『周りは気にしなくていいから。大樹は私だけを見て』


 綾乃の言葉に素直に従うことができれば、それは天国に違いなかった。

 彼女だけを――大樹が選んだ水着を身に着ける綾乃の姿を想像するだけでいいのなら。

 残念ながら大樹はそこまで単純な人間ではなく、現実にはそこまで都合よくはいかなかった。

 だから地獄。


『なぁ、ここからはひとりで選んでくれないか』


『ダメ』


 居た堪れなくなって口にした懇願はあっさり断ち切られた。

 水着を睨む綾乃の眼差しが真剣みを帯びていたから、食い下がることもできなかった。

 どうにか無事に水着を購入して売り場を後にしたふたりは、近くのベンチに腰を下ろしていた。


――なんだこれ……


 顔どころか全身がおかしな熱を持っていた。

 ちらりと隣の様子を窺うと、綾乃の頬も紅潮している。

 館内には冷房が効いているのに、どちらも動く気にはなれなかった。


「……これは一生モノの体験だった気がする」


「大げさねぇ」


「そうは言うけど、お前な……いや、それにしても水着って高いのな」


「安すぎると、それはそれで不安になるけどね」


「言われてみれば……」


 実質下着みたいな恰好で外を歩き回ったり泳いだりするのだ。

『安かろう、悪かろう』な品質だったら、途中で大惨事が発生しかねない。

 無駄に高ければいいというわけでもないが、値段が精神的な余裕を保証してくれるような気はする。


「それにしても……なんか凄いの買っちゃった気がする」


「お前が凄いの選べって言ったんだからな」


「別に悪いって言ってないでしょ。素直に感謝してますから」


「はいはい……っと、もうこんな時間か。そろそろ飯にしねーか?」


 ポケットの中からスマートフォンを取り出すと、時刻は既に正午を過ぎていた。

 腹を抑えると、胃のあたりが切なさを訴えてくる。

 緊張が途切れたせいだろう。


「そうね。せっかくついてきてもらったんだし、私が奢るわ」


「いらねー。俺に奢る金があるんなら水着買えばよかっただろ」


「ぐぬぬ……痛いところをついてくる」


 お互いに目と目の間で火花を散らし合う。

 深刻なものではないにしても、ここを譲る気にはなれなかった。

 大樹的には綾乃に奢られるという時点で、すでに許容範囲を超えている。


「あれ、綾乃さん?」


 睨み合っている横合いから声がかけられた。

 聞き覚えのある――男の声だった。

 若々しい、爽やかな声だった。

 ゾクリと背筋が震えた。

 顔を上げると、そこにいたのは――


池上いけがみ?」「池上くん?」


 先日綾乃に告白したばかり(のはず)の『池上 秀一いけがみ しゅういち』だった。

 相当にレアリティの高い顔は、なかなか見間違えられるものではない。

 校内屈指のイケメンな秀一の隣には、これまたえらく顔の整った女性の姿があった。

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