第17話 君を想う その3
――こんなはずじゃなかったんだがなぁ……
中学三年生になって塾で成績に伸び悩み、
綾乃と同じ高校に通う。綾乃と一緒に通う。
綾乃と同じクラスになったりして、一緒に弁当を食べて、何か適当な部活に入って。
もちろん放課後は一緒に帰る。
勉強に追い回されていた受験目前とは違って、時間的にも余裕があるはずだった。
色々と寄り道したりもできるだろうし、休日にはふたりでどこかに遊びに行ったり……なんて甘酸っぱい期待に胸を膨らませていた。
しかして――現実はまったく異なっている。
現実をベースにした夢の世界も、かつて夢見た姿とは大きく様相を異にしている。
『私、グラビアアイドルにスカウトされたから』
志望校の合格発表に前後してインフルエンザに罹患して、ベッドに倒れ伏していた大樹の部屋にやってきた綾乃。
名目はお見舞いで、大樹が無事に合格していたことも教えてくれた。
約束を守れなかった申し訳なさ。
わざわざ足を運んでくれた綾乃に対する感謝。
病気の熱に浮かされながら、心の熱にも浮かされる喜び。
闇鍋じみた胸中を持て余していた大樹に向けて、綾乃の口から飛び出した驚愕の宣言。
あのひと言から、何もかもが変わり始めた。
夢よりも夢のような、現実なのに非現実的な日常の始まりだった。
『ごめん、大樹。明日は仕事があるの』
ふたりで一緒に合格して同じ高校に通うところまでは間違っていなかった。形式上は。
現実には『仕事がある』と称して綾乃が学校に来ない日も少なくない。
二年連続でクラスは違うし、弁当を一緒に食べることもない。
綾乃が学校に来なければ、一緒に帰ることもない。
ふたりとも部活に入ることもなかった。
共に過ごす時間はあまりない。
『これでも高校の出席日数とか気にしてもらってるし、休みの日こそ頑張らないとね』
『お、おう。頑張れよ』
応援こそすれど心の中は複雑で……でも、本音を綾乃に知られたくはなくて。
こんなやり取りは日常茶飯事で。もちろん休日に出かけることもなくて。
今日みたいにいきなり仕事が入るなんてことも珍しくなくなって。
休み時間に学校で見かけても、声をかけることは憚られて。
……にも拘らず廊下を歩けば綾乃の声を耳にして。
彼女が言葉を交わす相手は自分ではなくて。
『ふ~ん、それって凄くない?』
『え、そうなの?』
『あはは』
高校に入学して以来の――グラビアアイドルとしてデビューして以来の綾乃は、以前とは打って変わって別人のよう。
見た目も、中身も。
似合ってなかった眼鏡をコンタクトに変えた。
野暮ったい髪型は、白い首筋が見える程度に切り揃えられた。
制服の着方ひとつとっても今風で、顔にはうっすらとメイクが施された。
背筋は少し反り気味で、ゆえに胸は張り気味で。
眼差しは前を向いていて、遠くを見つめていて。
さらさらと髪は揺れ、道行く足取りは軽やかで。
元より整っていた顔に浮かぶのは、今や溌溂とした表情で。
制服の内側にはグラビアで見せつけている抜群の肢体が眠っていて。
身振り手振りを含め、相手によって態度を変えることもない軽妙な語り口で。
学校に顔を出さない日が多いせいか、いわゆるスクールカースト的な枠内に入っていないイメージがあるものの、特に男子からの人気は絶大だ。
教師の中にもファンがいるともっぱらの噂。
おそらく偽りではない。
――綾乃……
ひとつひとつ列挙していけば、綾乃が誰かに告白されるなんて当たり前に思えてくる。
今日の『
夢のような現実と地続きな事実に今さらながら気づかされて、夢の中のはずなのに胸の奥にドロドロとした不快感が湧き上がって渦巻き始める。
何ら合理的でない心の動きを認めざるを得なくて、いっそう苛立ちが募る。
でも、大樹はその感情を口にすることはできなかった。
なぜなら、大樹は綾乃の彼氏ではないから。
告白すらできていない自分には、綾乃の恋愛関係に口出しする資格がない。
不甲斐なさに歯ぎしりしていると、次々と妄想が形になって浮かび上がってくる。
自分でない誰かに向けられる綾乃の笑顔。
自分でない誰かと愛を語り合う綾乃の姿。
自分でない誰かと大人の階段を登る綾乃……
――待ってくれ。それ以上は、やめてくれ!
叫んだところで夢の中。大樹の制御は効かない。
見たくもない光景が姿を表わすその寸前に――耳障りな音。
続く微かな振動が、生まれそうになっていた世界を壊し、大樹を現実に引き戻した。
「な、なんだ……」
うっすらと目を開けると、枕元に転がっていたスマートフォンが揺れている。
鈍い痛みを訴えてくる頭を抑えながらディスプレイに指を滑らせた。
表示された名前を見て、眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「綾乃!?」
『大樹遅い』
綾乃からの通話だった。
反応が遅れたせいか、あちらはずいぶんご機嫌斜め。
対する大樹の心の内もまた、夢のせいで決して穏やかではなくて。
苛立ちを綾乃にぶつけるわけにはいかなくて、幾度かの深呼吸と時間を要した。
「……いきなりどうしたんだよ?」
『どうって……今日、一緒に帰れなくってごめんって言おうと思って』
「仕事だったんだろ。気にすんな」
『う、うん……まぁ、そうなんだけど。開き直るのって感じ悪くない?』
「そんなことないだろ、別に」
――後ろめたさを覚える理由がないのなら、な。
自覚できるレベルのつっけんどんな会話。
裏に心の中でだけひと言付け加えた。
お互いに、一瞬の沈黙があった。
『大樹?』
「……なんでもねーよ」
急な仕事が入ったと言っても、放課後になる前に教えてくれればいいのに。
綾乃からのメッセージは、掃除当番が終わった後に送られてきていた。
時系列を整理すると、授業が終わってから不可解な時間があった。
その空白の時間にいったい何があったのか。とても気になる。
「なぁ……今日さ」
『ん?』
「……いや、今日はなんか機嫌よさそうだなって」
『え、わかっちゃう?』
「は?」
『あったの、いいこと!』
空白の時間が気にはなったものの、結局問いただすことはできなかった。
已む無く話題を変えたら、適当に並べた言葉に食いつかれた。
綾乃の声がやけに弾んでいるのが引っ掛かった。
いつもより一層明るい。今朝とは全然違う。
ついつい尋ねたら……ビンゴだった。
完全に予想外すぎる展開だった。
口がカラカラに干上がった。
「へぇ……『いいこと』ってなんだよ? 何かあったのか?」
『ん~』
綾乃が言い淀んでいる。
何かを悩んでいる様子だった。
待たされる大樹的には気が気でない。
――何なんだよ、マジで。
口を滑らせてしまってから、大樹の心臓はバクバクと暴れ出していた。
ここ最近のグラビアアイドル『
日本第二位の売り上げを誇る少年漫画雑誌こと『週刊少年マシンガン』の巻頭をゲットして、一躍時の人となった。
SNSのトレンドに名前が挙がり、フォロワーも一気に増えていた。
現に今日の学校の話題は、ほとんど『黛 あやの』で持ちきりになっていた。
綾乃が『週マシ』の仕事をしているとは聞かされていなかった。
今回の件だって……大きな仕事をこなした割には日ごろの態度に違いは見当たらず、いつもと同じように『頑張ってるな』と応援してたら、突然『来週の『週マシ』に、私、載ってるから』なんて言い出したのだ。
さらっと。
メチャクチャ驚かされたが、あの時だって綾乃は平常運転だった。
そんな彼女をして『いいこと』と言わしめるほどの話題なんて、想像もつかない。
――全然話してくれねーんだもんな、仕事のこと。
相手が大樹の場合に限らず、綾乃は基本的に業界内部の話を避ける傾向がある。
『最近何かと燃えやすいからね』なんて苦みのきいた笑顔を見せられれば、思い当たるところのある人間は苦笑とともに話題を変える。
SNSが炎上したり、発言を切り取られてまとめブログに載せられたり。
現代の日本は些細なところからトラブルが発生して、そこから人生がひっくり返るなんてことも決して珍しくはないのだ。
何かと目立つ芸能人ならなおさらだった。
自衛的な綾乃のスタンスが間違っているとは思わなかったし、大樹もあえて深く突っ込もうとは思わなかった。
理屈はわかっているつもりだったが、残念だとは思っていた。
『俺を信頼してくれていないのか』と思うことすらあった。
茶化し気味に語ることはあっても、深刻に不満を表に出すことはなかったけれど。
「なんだよ。ずいぶん勿体ぶるな」
『まぁね。でも、ちゃんと話すから。もうちょっとだけ待って』
「別に急かさねーよ。お前の邪魔になることはしないし、足を引っ張ろうとも思ってないし」
『……ありがと、大樹』
スマホ越しに耳朶を震わす感謝の言葉が、大樹の脳にすっと染み込む。
誰が相手でも友好的な態度を崩さない、それが今の『黛 綾乃』だ。
でも……昼間に友人が語った見立ては、実際は少し違っている。
ほんの僅かに、ほんの少しだけ、綾乃の口ぶりは変わるのだ。
大樹と、それ以外の人間とを相手にした場合で変わるのだ。
今の綾乃の声は、自分だけが感じられる特別な声だった。
――聞けねーよな、やっぱり……
だからこそ、心の中で呻くのだ。
『お前さ、今日、池上に告白されただろ? どうだったんだ?』なんて。
みっともないことを聞けるわけがなかった。
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