第14話 モテないわけがなかった その4
『
それが
同じ高校二年生ではあるものの、秀一の方が大樹より頭ひとつ背が高い。
単純に背が高いだけではなく、引き締まった身体つきをしている。
適度に鍛えられた肉体は、同性から見ても羨望ものだった。
だからと言って威圧感があるわけでもなく、整いすぎた感のある顔には柔和な笑みが浮かんでいる。立ち居振る舞いに余裕があって、自分との差を見せつけられているような気がして――やたらと癪に障った。
学業においては大樹を上回り、スポーツは万能。
家はどこぞの御曹司と噂を耳にしたことがある。
当然のように女子からの人気は高く、今も大樹を待つ彼はクラスの女子に取り囲まれていた。
チヤホヤされながらも流されることなく、上手く周囲をいなしているところが対人コミュニケーション能力の高さをうかがわせる。
「なんか用か?」
喉から出た声は不機嫌さを隠しきれないぶっきらぼうなものになってしまった。
大樹は秀一と面識がなかったし、呼ばれた段階で嫌な予感しかしなかった。
秀一を取り巻く女子が不快げに睨みつけてくるが、こちらは理不尽以外の何物でもない。
用があるなら教室に入ってくればいいものを……と思いかけたが、こんな男が入ってきたら室内が大わらわになることは想像に難くなく、きっと秀一なりに気を遣ってくれているのだろうと思い直した。
この男は、女子だけにいい顔をするわけではない。
誰に対してもナチュラルに気を回すことができている。
――モテるわけだ。
言い方は悪いが、他の男どもとは格が違う。
もちろん『他の男』の中には大樹自身を含んでいる。
そんな男が自分を呼んだ。大して親しいわけでもない自分を。
「やぁ、昼休みに呼び出して悪いね」
「別に気にしてない。用事は何だ?」
気にしてない風に装っていても、実際は気が気でない。
焦りを表に出すと負けた気がするから虚勢を張っているだけだ。
「ここじゃちょっと、ね。悪いけど、校舎裏まで良いかな?」
「……ま、いいけど」
時計を見やれば、昼休みはまだ残されている。
了承しつつ、心の中でため息をついた。
親しくもない大樹を呼ぶ理由。
教室では話せない話題。
用件は明白だ。
――多分そういうことなんだろうけど……でも、わかんねーな。
心の中で独り言ちた。
秀一の申し出を断ることはできなくもなかったが、彼の用事が大樹の予想通りのものであるならば、拒絶はきっと誰にとってもいい結果を生まない。
それどころか、断った場合に一番割を食うのは自分だと言う嫌な確信があった。
ただ……それはとても滑稽であり、同時に自意識過剰な想像でもあった。
ちなみに滑稽なのは秀一で、自意識過剰なのは大樹の方である。
ふたりで並んで廊下を歩いた。男と一緒な昼休みなんて面白くも何ともない。
ちらりと横を覗ってみると、秀一の整った顔にはシリアスな表情が浮かんでいた。
道行く女子の視線はことごとく隣の男が掻っ攫っていったが、別に気にならなかった。
愛想がよかった先ほどとは異なり、秀一も今ばかりは周りを意識していないように見えた。
――チッ……
大樹は口を引き締め、顎を引いた。
真っ直ぐに前に向き直って、胸を張った。
たとえ、強がりに過ぎないと自覚していても。
★
昼休みの校舎裏には誰もいなかった。
グラウンドの喧騒は遠く、肌を撫でる風は心地よく。
さわさわと揺れる木々の音色と、木漏れ日がいい感じの雰囲気を作り上げている。
何もなければ、いっそ授業をサボって昼寝したくなってくるほどのロケーションだった。
「で、話って?」
気は乗らなかったが大樹から切り出した。
放課後ならともかく(さっさと帰ってしまうだろうが)、昼休みは有限だ。
次の授業は音楽。必須ではないとはいえ、サボると教師の心証を悪くすることは間違いない。用事があるならさっさと片付けたいと思うのは間違ってはいないだろう。
つっけんどんな口ぶりが、本音を的確に表してはいたが。
本音――つまり秀一を歓迎していないどころか、敵視していることを。
「そうだな、率直に行こうか」
秀一の表情は真剣そのものだった。
教室で見せていた余裕はどこかに吹き飛んでいる。
向かい合った大樹も、自然と居住まいを正して言葉を待った。
「実は……
秀一の口から出た言葉は、そのまんま大樹が想像していた通りのものだった。
彼ほどの男が自分に用事なんて、
ただ……滑稽だなとは思う。決して笑うことはしないが。
「綾乃に告白って……好きにすればいいだろう。何で俺に相談するんだ?」
あらかじめ用意しておいた言葉をぶつけると、秀一は意外そうな顔をした。
少し間の抜けたその顔もまた、想像していた通りのものだった。
予想できていたからと言って余裕があるわけではない。
「何でと言われても、黛さんは
「違う」
言いたくはなかったが、言わざるを得なかった。
告白の機会を逸して久しく、忙しくかつ精力的に芸能活動に邁進する綾乃とはすれ違い気味。
『お前が好きだ』
たったこれだけの言葉を口にすることができないまま、一年以上の時を無為に過ごしてしまった。
彼氏候補として名乗りを上げてすらいない。
そんな自分が綾乃の彼氏を自称することはできない。
「そうなのか?」
怪訝な眼差しを向けられることもまた、予想できていた。
気を許している友人ですら、自分と綾乃を勝手に彼氏彼女扱いしてしまうのだから。
面識のなかった秀一が誤解するのも無理はないし、その誤解を放置したままにしておくのは望ましくないと思った。
大樹にとって――ではなく、綾乃にとって望ましくない。
大樹は綾乃の彼氏でないのだから、綾乃には自由に恋人を選ぶ権利がある。
都合のいい誤解を利用して綾乃の恋愛を邪魔することは避けたかった。
秀一の誘いに乗って校舎裏までやってきた理由はそれだけだった。
「俺たちは中学の頃に同じ塾に通ってて、一緒に勉強してただけだ」
「それでも……黛さんと一番仲がいいのは楠だろう?」
「らしいな。さっきも言われた。アイツ、俺以外に友だちいないのかね」
口から出た言葉は皮肉にまみれていて、本心からは思いっきりかけ離れていた。
仕事の如何を問わず綾乃が多くの人間と良好な関係を築くことを望む一方で、彼女を独占したいと憤っている自分がいる。
浅ましくてみっともなくて情けないから、誰にも言わない。
「それよりもさ……お前、変なこと言ってる自覚はないのか?」
「変なこと?」
イケメンな秀一が首を傾げた。
そんな仕草すら絵になるのがイラっとする。
大きく息を吐いて平静を装い、声が震えないよう気を付けながら言葉を選ぶ。
「万が一アイツが俺の彼女だったとしたら、さっきの質問はおかしいだろ」
「そう? どの辺が?」
「いや、彼氏の男に向かって『お前の彼女に告白しようと思ってる』なんて言うか、普通?」
説明しながら、内心では訝しんだ。
見た目はともかく、この男、中身はどこかズレているのではないか、と。
別の警戒心がムクムクと湧きあがる。綾乃におかしな人間を近づけたくはない。
――ありえねーだろ、今のは。ありえねー……よな?
年齢=彼女いない歴な大樹は恋愛のアレコレについて正確なところは理解できていないが、普通は言わないと思う。
『お前の彼女と浮気するわ』と宣言しているも同然で、浮気なんてそれは社会通念的に考えれば後ろ指を指されることに他ならず、それをよりによって本人に堂々と告げるなんて。
やはり、どう考えても尋常ではない。
この件については、さすがに自分は間違っていない……はずだ。
「ああ、そういうことか。楠が言わんとするところはわかっているつもりだが、こればっかりはどうにもならなくてね」
「なんだそりゃ?」
「誰かを好きになるっていうのは、そういうものみたいなんだ」
――『なんだ』ってなんだよ!?
秀一の口ぶりは、まるで他人事のよう。
事と次第によっては喧嘩に発展してもおかしくない発言なのに。
「誰かに好かれることと、誰かを好きになることは全然違った。僕は……まぁ、女子から好かれる人間ではあったけど、誰かを好きになったことはなかった。好きって感情がよくわかってなかったんだ。でも……黛さんに出会って、生まれて初めて人を好きになるってことを理解した。頭でなく心で、ね。『ああ、これが恋なんだな』って。今までにこんな気持ちになったことがなくて、最近自分でも自分の言動がよくわからなくなったりするんだけど……相手に彼氏がいようといなかろうと、気持ちを告げずに諦めるって選択肢はない」
「だったら、俺に相談する必要なんてないじゃないか」
「それはそうなんだが……筋を通すことも必要だと思ってさ。傍からはそう見えないけど、楠が黛さんの彼氏じゃなくて本当によかった。これで僕も安心して自分の想いを彼女に伝えられる」
付き合わせて悪かったね。ありがとう。
微笑む男の顔が眩しくて、悔しくて……目を背けた。
秀一が去ってしばらくの間、大樹は指一本動かせなかった。
自分にできない『綾乃への告白』をやってのけようとする男に羨望すら覚えた。
その羨望が余計に大樹の心をかき乱す。苛立ちが限界を超えて吐き気すら催してくる。
「……くそっ」
口の中が苦みで気持ち悪かった。
風にそよぐ木々がうるさかった。
遠くで予鈴の鳴る音が聞こえる。
教室に帰ろうとは思えなかった。
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