第13話 モテないわけがなかった その3
平穏だが退屈な高校生活でも、
同時に、彼女の存在は
「……どいつもこいつもいい加減にしろよ」
口から漏れるボヤキが止まらない。
綾乃、綾乃、また綾乃。教室でも、廊下を歩いていても。
どこもかしこも綾乃が巻頭カラーを飾った『週刊少年マシンガン』だらけだった。
もともと日本で2番目のシェアを誇る人気少年漫画雑誌であるから、高校生が持っていても不思議はない。漫画を学校に持ち込むことが許されているかと問われれば答えは否だが、最近の高校生は誰もがスマートフォンを持っていて、『週マシ』は電子書籍としても配信されているから、結局のところ誰だって簡単に『
『黛、最高すぎるだろ』
『美術でモデルやってくれたら本気出す』
『このおっぱいがすぐ傍にあるかと思うと堪りませんなぁ』
『水泳の授業さぁ、『あやのん』だけでいいから、この水着でやってくんねーかな』
右を向いても左を向いても、どこかで誰かが『週マシ』を開いている。
『黛 あやの』こと綾乃の大胆な水着姿を白昼堂々楽しんでいる。
目を閉じなければ、その光景をシャットアウトできない。
目を閉じたままでは、日常生活は儘ならない。
つまり――どうにもならない。
「はぁ」
普段は制服で隠されている綾乃の肌が、文字通りの意味で白日の下に晒されていて。
日常では絶対にありえないようなセクシーポーズで身をくねらせていて。
いつも学校で見せるものとは異なる笑顔を読者に向けていて。
同じ学び舎に籍を置く少女の非現実的な艶姿に、学校中の男どもが酔いしれていた。
『あやのん!』
『あやのん!』
『あやのん!』
――チッ!
目を背け、耳を塞いでも『あやのん』コールがそこかしこから聞こえてくる。
彼女の仕事を思えば、この大人気っぷりは歓迎すべきことなのだ。
誰にも見向きもされないよりは、ずっといい。
頭では理解できているものの……納得できているかと問われれば、素直に首を縦には振れない。
「あ、『あやのん』来た!」
誰かが叫べば視線が一斉に廊下を歩いてくる人影に集中する。
苛立ちながらも声に追随すると、こちらに向かってくるショートボブの美少女の姿が視界に飛び込んでくる。
綾乃だった。
――綾乃……
思わず歯噛みした。
誰もが想像している。
制服に封印された肢体を。
『週マシ』に掲載された半裸を。
間違いない。絶対に間違いない。
周囲から向けられている欲望の眼差しを本人だって感じているはずなのに……一向に気にした様子を見せることはない。
実に堂々たる態度だった。
ごく自然に廊下を歩きながら笑顔と愛想を振りまいて、あまつさえ胸元で小さく手を振っている。
――アイツ……なんか周りを煽ってないか?
同年代の男子たちだけに限らず、教師の中にもファンがいるともっぱらの噂。
道を歩けば年齢の区別なく誰もが振り返らずにはいられない。
満員電車の中など、それこそ気が気でない。
今や『黛 綾乃』はそんな少女なのだ。
「……」
大樹は教室に向かう歩みを止めない。
正面から綾乃が近づいてくる。
「……」
「……」
すれ違う一瞬、彼女の瞳が大樹を捉えた気がした。目と目が合った。
取り繕ったところのない、親しい相手に向けられる柔らかい笑顔。
ただそれだけで、大樹の心に巣食っていたモヤモヤが消滅する。
少しだけ軽くなった足取りで教室まで戻り、机に突っ伏した。
思いっきり顔を顰めてきたつもりだったが肩が震えていた。
にやけた自分の顔を、絶対に誰にも見られたくなかった。
「大変だな、大樹」
「……まあな」
頭上から友人の慰めが降ってきた。
何が『大変』なのか、聞くつもりはない。
前の席に腰を下ろした友人が、疑問を投げてくる。
「でも、おかしくね?」
「何が?」
「黛さんがお前の彼女だってんなら、そりゃわかるよ。他の男どもっつーか教師にまで自分の彼女をエロい目で見られるとか、嫌すぎるよな」
「……俺はアイツの彼氏とか、そう言うのじゃない」
「だよな。お前、いつもそう言ってるもんな。だったらさ、お前がそこまで気を張る必要ないんじゃねって思うんだが……そこんとこ、どうよ?」
「何でもかんでも色恋沙汰に話を持っていくなって言ってるだろ。俺とアイツは中学の頃からダチなんだよ。ほっとけねぇだろ」
アイツは無防備すぎるんだよ。
苦い話題で表情が戻ってしまった。
頭を上げてボヤくと、友人は首を傾げた。
「ツッコミどころは多すぎるが、黛さんはお前が考えてるほど無防備じゃないと思うぞ」
「根拠はあんのかよ?」
「根拠ねぇ……」
顎に手を当てて考え事をしているように見えて、そうでもなさそうに見える。
雰囲気は明らかに後者だったが、次の言葉が出てくるまでにわずかな時間を要した。
「確かに黛さんの人気は半端ねーよ。学校に顔を出せば、さっきみたいに人だかりが出来ちまうのも珍しくない。誰にだって分け隔てしないところもいいよなって思うけど……でも、彼女が名前で呼ぶのは、お前だけだぜ」
「……」
「それと……彼女を名前で呼び捨てにするのも、お前だけだぜ」
「……そうなのか?」
「おう」
「そっか、みんな『あやのん』呼びなのか。いや、でも……女子はどうよ?」
「今、女子の話はしてねーから」
言い訳じみた大樹の言葉はバッサリ一刀両断された。
自分でも無理筋だなと思っていただけに、とてもバツが悪い。
「だからよ。この学校で一番あの子に近いのはお前だってこと。自信持てよ」
「別に自信ないってわけじゃないんだが」
「そんでさっさと告れ」
「何でそうなるんだ。お前にゃ関係ないだろ」
「それが案外そうでもない。陰気な顔してため息ばっかりついてるダチが気になっちまってな。ほっとけねぇだろ」
「なんだよ、それ」
つっけんどんに答えて顔を伏せる。
要するに、この友人は大樹のことを心配してくれている。
そういうことだった。ありがたいことだと思うし、余計なことをとも思う。
「マジな話、あんまり余裕ぶってるとロクなことにならんぞ」
「……なんだよ、それ」
「なんだも何も……『あやのん』人気は凄い。それは十分わかってるだろ」
「そりゃまぁ。いいことだと思ってるよ」
グラビアアイドルの内情には詳しくないが、人気商売であることは想像できる。
多くのファンの支持を集めることは綾乃にとって大きなプラスになると思っている。
だから、大樹の言葉に偽りはない。しかし――胸中を正確に表しているわけでもない。
「おいおい、しっかりしてくれ。いいか、大樹。この学校の生徒の半分は男子だ。俺らみたいな年代の男は、ほぼ例外なくエロい。そして『あやのん』はエロい。ここまでわかるか?」
「……」
「そんで、うちの学校にだって『モテる男子』ってのはいるだろう?」
「……そりゃ、いるだろうな」
大樹は自分の容姿について卑下することはないにしても、自慢できるものでもないと思っている。学業成績は上位をキープしているが、進学校に通っているだけあって生徒たちの成績に大きな隔たりはない。スポーツの類はあまり得意ではない。音楽とか芸術に秀でているわけでもない。
家は金持ちでもないし、突出したスキルを持っているわけでもない。
つまり『
大樹より女子に人気のある男子なんて、それこそ掃いて捨てるほど……は言い過ぎにしても、それなりの数は存在するだろう。
綾乃との関係において彼らよりも自分が優位に立っていられる理由は、ぶっちゃけてしまえば中学校時代からの付き合いがあるという点のみ。
それが決して絶対的なアドバンテージではないことは自覚している。
「あの手のモテる連中の全員が全員彼女持ちってわけじゃない。あとは……わかるな?」
「……言われなくてもわかってるよ」
自分よりもスペックの高い男子たちが綾乃を狙っている。
冷静に状況を俯瞰してみれば、割と危機的な状況にあることは明白だ。
こんなことになるなら、高校に入る前に……と思ったことは一度や二度ではない。
「わかってるって言うならさぁ」
「でも……俺はアイツの彼氏でも何でもない。アイツは俺の所有物なんかじゃない。アイツが誰と付き合うとか付き合わないとか、それはアイツが自分で決めることだ」
『アイツ』『アイツ』とワザとらしいほどに連呼してしまった。
『綾乃』と呼べないところに、胸の奥に蟠る思いを自覚してしまう。
告白し損ねて、ズルズルとここまで来てしまった不甲斐なさを引きずっている。
「……ほんとにいいのか、それで」
「お前さ、俺にどうしろってんだ?」
「だから……」
「おい、楠」
良くない方向にヒートアップしかかった会話は唐突に遮られた。
声をかけられた方に顔を向けると、普段はあまり話をしないクラスメートだった。
朝の一件と綾乃の不機嫌な顔を思い出し、勤めて平静を装った。
「なんか用か?」
「いや、用があるのは俺じゃないんだが……」
戸惑い気味な声とともに指さされた先――教室の出入り口には、余所のクラスの男子がいた。
面識はないが、顔と名前は知っている。
芸能人である綾乃ほどではないとはいえ、相当な有名人だ。
少なくとも、この学校においてその名を知らない者はいないと言って差し支えはないほどに。
ついさっき話題に上っていたイケてる男子のひとりだった。
猛烈に嫌な予感がした。
「ほら見ろ、言わんこっちゃない」
友人の声が、心臓にグサリと突き刺さった。
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