第12話 モテないわけがなかった その2
『いっそ告ればどうよ? 余計なこと考えずに済むんじゃね』
昼休み。
ひとりでトイレに行った帰り道で、友人から告げられたその言葉を脳内で反芻して、
――言われなくてもわかってるっての。
そう、言われるまでもなかった。
現に大樹は告白しようとしていたのだ。
『好きだ、付き合ってくれ』と想いを伝えようとしたことがあったのだ。
……もう少し気の利いた言葉を用意したいとは思っていたが。
最初に彼女の存在を意識したのは中学三年生の塾でのこと。
張り出された成績が物の見事に自分とは正反対で、そして彼女は独りぼっちだった。
高校に入って初めて『
志望校が同じだった件は偶然というほどのことでもなかった。
近隣に住まい、同じ進学塾に通っている。
同レベルの生徒で編成された教室に机を並べている。
ならば……目指すところが重なるのは、ある意味必然だった。
期せずして両者ともに合格ラインに到達していない……だったら、お互いに弱点を補い合えば、お互いにとって都合がよいのではないかと閃いた。
だから、声をかけた。
本人には言えないが、当初の段階では彼女を異性として意識してはいなかった。
……まぁ、まったく意識していなかったと言えば嘘になるが、恋愛的な意味で意識していなかったのは間違いなくて、それは彼女にとってとても失礼な物言いになってしまうことは疑いようもなく、ゆえに大樹は当時の心境を綾乃に語ったことはない。
『なぁ、黛……だっけ。ちょっといいか?』
『……何?』
初めて綾乃に声をかけた時の反応は今でも忘れられない。
胡散臭げな眼差し、これ見よがしなため息。にべもない拒絶の言葉。
身も蓋もない表現を用いるならば、当時の綾乃には陰気なイメージが付きまとっていた。
まぁ、無理して仲良くしようとまでは考えていなかった。勉強に関して協力し合うことができればよかったし、能力的に不足がなければ性格云々は別に構わないと思っていたのだが……ともに行動することが多くなってくると、そうも言っていられなくなってきた。
『黛 綾乃』は第一印象と中身が違いすぎた。
よくよく見てみれば目鼻顔立ちは整っているし、本人がコンプレックスを抱いていることが明白な身体は同年代の女子に比して秀でている(思春期の男子的視点)ことは疑いようがない。
心を強く揺さぶられる要因は、外見のつくりだけに留まらない。
時おり見せる気遣いも。
強がり気味な、耳に心地よい声も。
ふとした時に浮かぶ、はにかむような笑顔も。
どこも見ていないようで、何かを探しているような瞳も。
彼女の何もかもが、思春期真っただ中な大樹の心に強く焼き付いた。
だんだんと勉強がどうこう言うよりも綾乃個人に対する興味が高まっていって、その興味の行きついた先が恋だと自覚するまでに、さほどの時間は必要なかった。
ただ……当時の綾乃は性的な話題を嫌っていたし、何よりも志望校合格に対する脅迫観念じみた思いに突き動かされていた。
なまじ彼女を傍で見続けてきたからこそ、とてもではないが告白なんてできなかった。
せめて受験が終わったら――それもふたり揃って同じ高校に合格出来たら。
その時は堂々と胸の中に芽吹いた想いを伝えよう。
そう心に誓って高校受験に挑み、試験を終えて気が抜けたところをインフルエンザにやられた。
朦朧とする意識の中、見舞いに来てくれた綾乃は言い放った。
『私、グラビアアイドルにスカウトされたから』
すぐ傍にいたのに彼女が何と口にしたのか、聞き間違いを疑った。
熱で頭がおかしくなったのか、あるいは夢でも見ているのかと思った。
『そういう話題、嫌いじゃなかったのかよ』
『コンビニで俺がグラビア見てたとき、メチャクチャ怒ってたくせに』
苦みがへばりついた喉の奥に、湧き上がった罵倒を飲み込んだ。
熱に浮かされて霞がかった視界に映る綾乃の顔は妙に晴れやかで――受験が迫るほどに曇っていった表情とは裏腹で、永らく彼女を苦しめていた束縛のかけらも見られなくて。
だから――疑問を口にすることも、否を唱えることもできなかった。
咄嗟に『おう、頑張れよ』と応援できたのは、果たしてよかったのか悪かったのか。
あの時は混乱していたし、級友の言うとおり『グラビアアイドルに彼氏彼女云々なんて大丈夫なのか?』なんて懸念もあって……胸に秘めた言葉は、そのまま封印した。
こうして大樹の思いは告げられることなく、『黛 あやの』としてデビューした綾乃は『あやのん』なる愛称とともに急速に頭角を現して現在に至る。
もともと生真面目な性格だったせいか、あるいは凝り性なのか。
あれほど性的な話題や視線を嫌っていた割には、グラビアアイドルとしての『黛 あやの』はとても積極的で魅力的で、そして開放的であった。
以来、綾乃は芸能活動に熱心に取り組んでいたから……素直に応援したいという気持ちが一層強まってしまって、大樹は余計に口を閉ざさざるを得なくなったわけだが。
――ウソだな。
素直に応援したいなんてウソだ。
ガラスの窓に映る顔には自嘲の笑みが浮かんでいた。
彼女のグラビアを初めて見た時の衝撃は、今もなお忘れられない。
溌溂とした笑顔。
極小のビキニ。
エロい肢体。
隠されていた綾乃の魅力が白日の下に晒されていた。
そして大樹は……明らかに性欲を催していた。
恋心とは異なる、酷く汚らわしい欲望を。
彼女に性欲を向けることは永らく禁じていたのに……肝心の本人がここまで奔放になってしまっては、とてもではないが抑えきれるものではなかった。
それほどに『黛 あやの』は突出していた。
性欲と恋心の狭間で、大樹は今なお翻弄され続けている。
――あの時、素直に告ってたらどうなってたんだろうな?
ひとりになると、そんなことを考えてしまう。
胸に手を当てて自問しても、答えは出ない。
後悔ではないが、心に蟠りは残っている。
「大樹、どうしたの?」
こんな風に気軽に声をかけられても。
いつの間にか名前呼びされるようになっても。
それだけでは満足できない自分の感情を持て余している。
「大樹?」
「……はぁ、綾乃」
「何?」
「ん?」
首を捻る。
聞き覚えのある声で相槌が返ってくる。
奇妙な静寂と、確かな熱量を感じた。
振り向くと、そこには――
「うおっ、綾乃!?」
綾乃がいた。
野暮ったかった髪は、あっさり目なショートボブに。
野暮ったかった眼鏡は、コンタクトに。
いつも憂鬱そうだった顔にはナチュラルな笑みが浮かんでいて。
身を守るように丸められていた背筋はピンと伸ばされて。
コンプレックスだった胸を堂々と張るようになって。
何もかもが変わってしまって、でも――間違いなく綾乃だった。
「何そのリアクション、結構傷つくんだけど」
「いや、いきなり声をかけられたら、誰だって驚くだろ?」
『それはねーよ』と心の中で盛大にツッコんだ。
高校に入ってから綾乃を知った連中ならともかく、自分に限ってそれはない。
では、何でそんな反応になってしまったかと問われれば……つい今しがた、ちょうど彼女のことを考えていたからに他ならない。
とてもではないが本人には言えない。
「ふ~ん」
「な、なんだよ。なんか用か?」
「別に。見かけたから声かけただけ」
「あっそ」
平静を装いつつ、ふたりで並んで廊下を歩く。
登下校を除いて校内で綾乃とふたりきりなんて珍しい。そして、ありがたい。
おかげで、先ほどまでの沈みがちな気分は吹き飛んだけれど、今度はどうにも落ち着かない。
――いいにおいがする。
変態じみたことを考えてしまう。
人工的な香水の類ではない。
体臭と呼ぶほどでもない。
でも――綾乃の匂い。
「何にやけてんの?」
「にやけてねーし。それより、久しぶりの学校はどうよ?」
「ん~、別に。大樹のノートで授業はついていけてるし。朝、ありがとね。あと、ごめん。ちょっと言いすぎた」
「気にすんなって。朝の件は……お前の言ってることは正しいって思ったよ」
「そう? なんか説教臭くなったなって授業中に後悔しちゃって」
「まぁ、口うるさいとは思った」
「なんですって!?」
「だから、悪かったって」
「大樹、ホントに反省してる?」
「してるしてる」
「もう……」
綾乃はぷーっと頬を膨らませた。
これも大樹にしか見せない顔だ。
「なぁ、綾乃」
「何?」
「お前さ、ぼっちになったりしてないか?」
「なるわけないでしょ、私を誰だと思ってるの?」
自信に満ち溢れた声、そして態度。
友人として相棒として誇らしくもあり、少し寂しくもある。
感傷に浸っていることは悟られたくない。情けないところを見られたくはない。
「……と言いつつ、お前は今ひとりなわけだが」
「私だってひとりになりたい時ぐらいあるし」
「それもそうだな」
綾乃は人気者ではあるが、周りとは少し距離があるようにも感じられた。
中学時代に向けられていた同性からのやっかみとは少し違うように見えた。
グラビアアイドルという特殊な肩書と、頻繁に学校を休むせいかもしれない。
『まぁ、学校なんて授業についていけてればいいし』と本人は笑っていたが……最近の綾乃は表情を作るのが上手い。
近しく関わってきた大樹でも、彼女の心の底を窺い知ることはできない。
「それと……私、今、ひとりじゃないんだけど」
「それもそうか」
綾乃はひとりではない。
隣には大樹がいる。
だからふたりだ。
「……ば~か」
怒っているようにも、呆れているようにも聞こえる。
たった二文字に込められた感情、そのすべてを読み解くことは……大樹にとってあまりに難しすぎた。
眉を寄せて口元を引き締めると、綾乃は軽く肩を竦めた。
「ば~か」
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