第11話 モテないわけがなかった その1
高校というものに漠然とした憧れがあった。
義務教育だった中学校までとは異なり、高校は面白おかしいイベントが目白押しに違いないと勝手に夢を見ていた。
でも、実際に入学して一年と少しの時間を過ごしてみれば現実が見えてくる。
――別に中学までと変わらんよな……
苦労して入った県下一の進学校ではあったけれど、登下校も教室もたいして変化は見られない。あえて違いがあると言えば、数学にせよ英語にせよ細分化され、授業の時間が多くなったことぐらいだろうか。
まったくもってありがたくとも何ともなかった。
今日も今日とて窓際の席で頬杖をついて、何とはなしに教室の中で繰り広げられている会話に耳を傾ける。
昨日のドラマはどうだった。
今日の宿題やってきてない。
さっさと学校終わってくれ。
週末は彼氏とデートだから。
アルバイトがめんどくさい。
いつもと変わり映えのない声が溢れていて、
「そういえば今日、『あやのん』来てたぞ」
男子の声だった。
「知ってる。つーか見た。むしろ拝んだ」
「あの乳、たまりませんな」
「俺……この学校に入って、ほんとよかった」
「可愛いが限界突破して幸せになれる」
次々と続く賛美に、大樹は我知らず奥歯を噛み締めた。
『あやのん』とは『
『なんか間抜けっぽいよね』と本人は苦笑していたが、悪い気はしないようでもあった。
ただし、大樹は『あやのん』とは呼ばない。
その件について、
「チッ」
「男どもはまったく、猿かよ」
「黛、調子に乗りすぎだろ」
「デカけりゃいいってもんじゃねーんだよ」
言葉を噛み殺していると、教室に異質な声が混じり始めた。
綾乃に対するネガティブな感情を隠そうともしない嫌な音。
他人を扱き下ろしても自分自身のプラスにはならないのに。
――イチイチつきあってられねぇ……
ぎゅっと目を閉じて深く息を吐いた。
彼らは悪くはない。良くもないかもしれないが。
綾乃が褒められても貶されてもイラつくのは、自分のひとり相撲に過ぎない。
感情の赴くままに迂闊なことを口にすると、それこそ綾乃に迷惑がかかる。
その程度のことがわからないほど、大樹は無神経な人間ではなかった。
――落ち着け……アイツらが騒ぐのも無理はないんだ。
『黛 あやの』こと『黛 綾乃』は高校デビューを通り越して芸能界デビューを果たし、劇的なまでに変貌した。
野暮ったかったおさげ髪は、さらさらなショートボブに整えられた。
大きすぎた黒縁眼鏡は外されて、コンタクトに変更された。
元々整っていた顔には、うっすらとメイクが施された。
身を隠すように丸められていた背筋はピンと伸ばされた。
コンプレックスだった大きな胸を堂々と張るようになった。
突出した外見に芸能人という肩書まで加わった綾乃は、兎にも角にも人目を惹くし何かと噂される存在でもあった。
性格も変わった。
中学校時代の綾乃は排他的というか、人を寄せ付けないところがあった。
俯いて何かに耐えるような表情を顔に張り付けて、ただひたすらに学業に努めていた。
大樹が同盟を申し出た時も、最初は思いっきり胡乱な眼差しを浴びせられたものだ。眼鏡のレンズ越しに向けられた視線、あれは完全に不審人物扱いだった。
今は違う。
綾乃は基本的に誰に対しても朗らかな微笑を向けるようになった。
学校に来ない日が多いせいか話題はイマイチ噛み合わないところがあるようだが、他の生徒とも普通に会話できている。
特筆すべきは特定のグループに組みしない点だろうか。
スクールカーストがどうこうとか、陽キャやら陰キャやらと言ったクラスメートたちが汲々としている区分を意識していないように見える。
彼女のスタンスを褒め称える者もいれば、八方美人と罵る者もいるが……トータルで見れば収支は黒字と言ったところ。
分け隔てのない彼女の周りには自然と人が集まるし、話題は尽きない。
その美貌は同年代の同性を大きく突き放していて。
その溌溂とした性格は、相手を選ぶことなく発揮されていて。
その制服に隠された(隠しきれてない)肢体は、グラビアで衆目に晒されていて。
そして芸能人という他に並ぶもののない肩書は、彼女を『特別の中の特別』に押し上げていて。
だから――いくら中学校時代に協力して受験に挑んだ仲だからと言っても、学校中の生徒たちに対して『黙ってろ』だの『そっとしといてやれ』だのと大樹が憤るのは筋が違う。
――わかってんだよ、それくらい。
大樹だって、同じ学校に通っている自分とほとんど関わりのないどこぞの誰かがアイドルだの女優だのとして名を知らしめていたら、きっと彼らと似たような反応をしていたであろう。
たまたまなのだ。
たまたま、綾乃がグラビアアイドルだから彼らは騒ぐし、大樹は押し黙る。
ただ、それだけのこと。
「よ、大樹。おはようさん。……大丈夫か?」
挨拶とともに肩を叩いてのぞき込んでくるのは、二年連続で同じクラスになった友人だった。
それほど深い間柄というわけではないが別に仲違いしているわけでもなく、大樹が抱いている複雑な感情に理解がある希少な人物でもあった。
ちなみに彼女持ちなので、綾乃に対してはフラットに反応する安全パイな男でもある。
「おはよう。何でもねーよ」
「何でもない奴は『何でもない』なんて言わんと思うぞ」
「……」
ド正論を吐いた友人は教室を見回して肩を竦めた。
「ま、許してやれとは言わん。黛さん人気あるからなぁ」
「……人気があるのはいいことだろ」
「お前さんの顔が、そう言ってないわけだが」
図星を突かれて、より一層顔を顰めさせられる。
綾乃との関係をひけらかすのは紛れもなく悪手だ。
彼女の仕事は人気があってなんぼなわけで、特に思春期の男の心を鷲掴みにすることは、ステップアップにおいてプラスに働くことは間違いなくて。
だからこそ、大樹は余計な口を差し挟むべきではない。
理屈はわかる。理解している。だからと言って感情がついてくるかと問われると、これは話が違ってくる。
綾乃が学校に来てくれるのは嬉しい。同じ校舎にいるというだけで心が浮き立つ。
綾乃が学校に来てくれるのは煩わしい。色めき立つほかの連中にイラつかされる。
相反するふたつの感情は、どちらも大樹の本音であって不可分であり、制御できないものでもあった。
「いっそ告ればどうよ? 余計なこと考えずに済むんじゃね……って、まだ告ってないんだよな? さっさと告るの推奨だぜ」
OKが貰えるにせよ、振られるにせよ。
友人の気軽な口ぶりが、ことさら癇に障る。
「……俺と綾乃はそういう関係じゃねーよ」
「そうは見えんがなぁ。ボヤボヤしてると、他の男に取られちまうぞ」
「……」
「ま、芸能人ともなると色々難しいか。でも……グラビアアイドルってその辺はどうなんだろうな。ほら、アイドルだと恋愛禁止とか言うじゃん。大樹、なんか聞いてる?」
「……何にも聞いてねぇ」
喉を震わせて出た声は、苦かった。
綾乃から、その手の話を聞いたことがないのは――厳然たる事実だった。
「
「なんだよ?」
教室の入り口あたりから大きな声が飛んできた。
イラっとして声を荒げて――そちらを見て目を丸くした。
相好を崩した呼び声の主(クラスの男子)の横に、綾乃がいた。
慌てて立ち上がろうとして姿勢を崩し、机に手をついて何とか堪えた。
落ち着きのない足取りで急いで近づくと、綾乃の表情がいつになく厳しい。
――この顔は俺にしか見せないんだよな。
誰に対しても公平なはずの綾乃は、唯一大樹にだけは異なる顔を見せる。
問題は、その表情の大半がネガティブなものばかりということ。
今の彼女が人前で怒りをあらわにするのは本当に珍しい。
「何だよ、綾乃?」
「ノート、貸してもらおうと思ったんだけど」
「あ、ああ。ちょっと待っててくれ」
「うん」
急いで取って返し、鞄からノートを引っ掴んで入口に戻った。
学校を休むことが多い綾乃に、大樹はノートを借している。
彼女の活動を応援するため、自主的に行っていることだ。
留年とか退学なんて、それは決して望む展開ではない。
「ほら」
「ありがと。大樹、ちょっといい?」
「何だよ?」
尋ねはしたが、気は重かった。
表情から察するに小言の類だ。
「さっきの。あんな言い方は良くないと思う」
綾乃が指摘したのは、彼女に頼まれて大樹を呼んだ男子生徒への態度だった。
一足先に社会に出て大人たちと仕事をしているせいか、綾乃は他の人間への不躾や無礼を酷く嫌う。
件の男子はずっと横にいて、綾乃に叱られている大樹に対する優越感を隠そうともしない。
そもそも誰のせいでイラついていたのかぶちまけてやりたい誘惑に駆られたが、耐えた。
深呼吸して頭を下げて、謝罪の言葉を口にする。
「……悪かったな」
「私に謝ってどうするの?」
「さっきは悪かった」
隣の男子に頭を下げると『気にするな』と流された。
鷹揚に構えられると、余計に苛立ちが加速する。
ここは我慢の一手だと心の中で言い聞かせた。
「ノート貸してもらってる私が言えたことでもないと思うけど……」
「それは俺が好きでやってることだから、気にすんな」
「うん、ごめん……あ、大樹」
「今度は何だ?」
「えっと、今日も一緒に帰ろうね」
「ああ。俺の方で合わせるから、連絡してくれ」
説教はともかく一緒に帰るのは望むところだった。
綾乃は微笑んで頷いて、足早に自分の教室へ戻っていった。
その背中をじっと見つめて横に目を向けると……先ほどの男子が厳つい視線を向けてきていた。
「何か?」
「……何でもねえよ」
チッと舌打ちひとつ鳴らして、クラスメートは教室に戻っていく。
イマイチ理解できない反応に眉を顰めていると、予鈴が鳴った。
残念ながら、余計なことを考えている暇はなさそうだった。
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