第4話 劇的ビフォーアフター その4
「
コンビニを後にして夜道をふたりで並んで歩いていると、
感慨深げな言葉と、わずかに見上げてくる視線に心臓が跳ねた。
「そうか?」
「そうだよ。羨ましい」
中学三年生の冬の段階では、大樹の方がほんの少しだけ背が高かった。
今は違う。
高校に入って大樹はいきなり身長が伸びた。
170センチを超えて、いまだに成長中だ。
綾乃はあまり変わらない。ずっと160センチに届かないまま。
『もう少し背が高かったらなぁ……』とボヤいているのを何度か耳にしたことがある。
「綾乃も大きくなったと思うけどな」
「へぇ、どこが大きくなったって?」
口元で転がした本音を耳聡く拾われた。
揶揄うような、挑発するような、少し怒っているような。
艶やかな桃色の唇から零れたのは、複雑な感情が入り混じった声だった。
ここで『胸』などと直球の回答をぶつけられるほど、大樹は勇気と無謀を履き違えてはいない。
「態度」
「……はぁ?」
綾乃のカタチのいい眉が顰められ、眉間にしわが寄る。
ねめつけるような眼差しは予想の範疇ではあったものの、想像以上に強烈な迫力を伴っていた。
ほんの数日顔を会わせないだけで、今の綾乃は劇的なまでの進歩を遂げてくる。17歳という年齢を全速力で駆け抜けている彼女を前にすると、ひとり置いていかれるような錯覚に囚われる。
「いや、そうじゃなくてな。あ~、何て言えばいいのか……昔の綾乃って、いっつも背中を丸めてただろ。だから小さく見えたっつーか」
「ああ、そういうこと」
綾乃は苦笑を浮かべながら頷いた。
顔にも声にも物憂げな色合いが混じる。
「あの頃は……周りの視線が嫌いだった。周りの視線を気にする自分が嫌いだった」
重い独白めいた声。
ずっと心の中で秘めていた本音であることは容易に想像できて……しかし、大樹は綾乃が自分自身にすら嫌悪感を持っていたことに驚きを禁じ得なかった。
いやらしい視線を向けてくる男子。
嫉妬とやっかみで揶揄ってくる女子。
煩わしい周囲の人間を嫌うことは理解できる。
でも……別に彼女自身が何か悪いことをしたわけではない。
どうして自分を嫌うなんて話が出てくるのか、そこがわからなかった。
遠くに向けられる綾乃の眼差しからは、余人をもって迂闊に触れられない葛藤を感じた。
「……今は、どうなんだ?」
「好き、かな。人に見られるのが仕事だってのもあるけど」
「けど?」
重ねて尋ねた。
幾ばくかの緊張とともに。
苦い記憶が脳裏に甦ってきた。
★
高校受験を終えてしばらくして、意識しないままに気を抜いていたらしい大樹は、季節外れのインフルエンザにやられてしまった。
それも合格発表の直前に。
『発表、一緒に見に行こうね』
『ああ』
合格発表は一緒に見に行くはずだったのに。
綾乃との約束を果たせなかった。最悪のタイミングだった。
彼女は大樹に失望することはなかったし、ちゃんとお見舞いにも来てくれた。
そして、病魔に苛まれて寝込むこと数日の後に目覚めた大樹は、枕元に立っていた綾乃から唐突に聞かされたのだ。
『私、グラビアアイドルにスカウトされたから』
『お、おう?』
意識が朦朧としていたから、綾乃がどんな顔をしていたのか記憶には残っていない。
予想もしなかった彼女の言葉だけが、今もハッキリと脳裏に刻み込まれている。
声色から察するに、あまり機嫌は良くなかったような気がしている。
『『おう』って……それだけ?』
『いや、その……凄いと思う。頑張れよ』
『へぇ……応援してくれるんだ?』
『……そりゃまぁ、応援するだろ』
『ふ~ん』
正味の話、応援の是非以前に何が何やらサッパリわけがわからなかった。
高熱と混乱のツープラトンな衝撃で再び意識を失い、眠りについて、目が覚めて。
自分以外誰もいない部屋でひとり目覚め直して『あれは幻覚か何かだったのでは?』と眉を顰めた。
枕元に置きっぱなしになっていたスマホで綾乃に『お前、グラビアアイドルになるって言ってた?』と試しにメッセージを送ったら、『はぁ? 覚えてないの?』などと文字列からして不機嫌な返事があったので『夢でも見たのかと思った。頑張れ』と応援しておいた。
どうやら夢でも幻でもないらしいと頷いて――そのまま首を捻った。
『
同年代に比して成長著しかった身体と、地味に見えて実は整っていた顔立ちを鑑みれば、目の肥えた芸能関係者に声をかけられることも不思議ではないと思った。大樹が知らないだけで中学生の頃からその手の話はあったのかもしれない。
そこまでは納得できる。
でも……当時の綾乃の性格を考慮するならば、スカウトを一蹴する流れになるのではないかと疑問に思ったのだ。
――グラビアアイドルって言えば……
ふいに、あの冬の日の記憶が甦った。
高校受験を間近に控えたコンビニでの一幕。
グラビアに目を奪われた大樹に向けられた綾乃の瞳を。
汚らわしいものを見る目つきを。嫌悪と軽蔑が溢れ出しそうな眼差しを。
直後の車とのニアミスで有耶無耶にできたが、『黛 綾乃』に性的な話題はタブー。
あの一件以来、余計にそう信じて疑っていなかっただけに、容姿それもセクシャルな要素を売りにするグラビアアイドルのスカウトを彼女が受けたことは、しかも話に乗ってデビューすることは、本人から直接聞かされたにもかかわらず俄かには信じられなかった。
――何かあったのか?
ほとんど180度の急転換。
何か理由があるのだろうか。
聞くべきか、聞かざるべきか。
悩んでも悩んでも、答えは出なかった。
迂闊な言動で綾乃との関係が破壊される可能性こそが、何よりも怖かった。
『本人がやる気になっているのだから、応援すればいいじゃないか』と自分に言い聞かせ、現在に至る。
★
「……ううん、なんでもない」
「そっか」
綾乃は当時のことをあまり話したがらない。
仕事のことも『聞かれなければ答えない』のスタンスを貫いている。
高校生としての『黛 綾乃』とグラビアアイドルとしての『黛 あやの』に明確な線引きをしているということかもしれないが……デビューにまつわる一連の裏に流れる彼女の心の動きは外から見ている分には理解不能だった。
何度となく疑問を抱いたが、あえて問いつめることはしなかった。
経緯はどうあれ――デビュー以来、綾乃は背筋を伸ばすことが多くなったから。
人前で胸を張ることが多くなったから。
なにより笑顔が増えたから。
結果として男たちの欲望を集めることになったが、綾乃は堂々たる態度を崩さなかった。
傍目にもハッキリしているこれらの変化は、彼女にとっていいことなのだろうと思った。
少なくとも中学生の頃の綾乃を取り巻く痛々しい環境を知る者のひとりとしては、喜ぶべきことに間違いなかった。
だから、深くは踏み込まない。
余計なことを口にして、綾乃に負担をかけたくなかった。
『自分がどうにかしてやりたかった』という忸怩たる思いは、胸に秘めて封印した。
「……樹、大樹ってば!」
「あ、ああ……どうした?」
物思いにふけっていると、隣の綾乃がのぞき込んできていた。
至近距離で上目遣い。
胸の谷間もはっきり見える。
男の欲望を直撃するヤバい角度だった。
「うおっ!?」
思わず仰け反って、痛みを覚えるほどに急激に首を捻った。
咄嗟の反応だったが……今さらそんなことをしても意味はなかった。
視界いっぱいに広がっていた綾乃は、すでに目に焼き付いてしまっている。
――こ、こいつ……
昔の綾乃からは考えられない仕草は、今の綾乃には恐ろしいほどにマッチしている。
演技のレッスンもあると言っていたから、その成果が表れているのかもしれない。
実践で試されると心臓に悪いことこの上ないし、ナチュラルにやっているなら逆に心配になってくる。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
「ほんとにぃ~?」
喉を震わせる声がみっともないほどに裏返った。
訝しむ綾乃の目をまともに見られなかった。
図体が大きくなっただけで、綾乃の急激な変化に追いつくことができていない自覚があった。大樹の中身は中学生時代のエロガキのままだ。
それに引き換え目の前の少女の成長は心身ともに際立ちすぎていて、故に大樹の心を常に惑わせる。
「あ、ああ。いや」
「どっちなの?」
「いや、暑いなって。せっかく冷たいものを買いに行ったのに結局買ってないし」
手に下げたビニール袋に入っているのは、漫画雑誌だけ。
『黛 あやの』が巻頭を飾る『週刊少年マシンガン』
とてもではないが涼を取ることはできない。
「……別に私を追いかけてこなくてもよかったのに」
「それはダメだろ」
「何で?」
「何でって……こんな夜道を、お前ひとりで帰らせられるかっての」
「おお。紳士だね、大樹」
「お前はもう少し警戒しろっての」
「はいはい。今度からは弟を連れてくるわ」
「そうしてくれ」
高校受験を控える彼女の弟には悪いと思ったが、そう言わざるを得なかった。
こんなエロ可愛い美少女を夜にひとりで歩かせるとか、危なっかしいにも程がある。
とりあえず警戒してくれればいいと思っていたのだが……どうにも雲行きが怪しかった。
綾乃の機嫌がよろしくない。山の天気にも似た急激な変化だった。背筋に震えが走った。
「はぁ……そこはさぁ……大樹が……」
「なんか言ったか?」
「……何でもない」
ぷーっと頬を膨らませながら、綾乃はぶー垂れた。
その言い草にカチンときた。
「何でもないってことはないだろ?」
「何でもないったら何でもないの!」
「……」
「……」
お互いに睨み合って、同時に視線を外した。
高校に入って以来、どうにも噛み合わない。
大樹の耳朶を聞えよがしなため息が撫でた。
『……どうしてこうなっちゃったのかな』
声にならない囁き声が聞こえた気がした。
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