2(終)
「法務の川端さんが、通勤途中の事故だから労災申請してくれるってよ」
「おお、ありがてえ」
「うちの会社、ほんとホワイトですよね! 友達の所だと、労災申請すると会社の保険料? があがるから労災使わないでって言われた人がいたそうです」
「ええええ……日吉ちゃんの友達大丈夫なの?」
「言われたのは友達じゃないから大丈夫ですよ?」
「じゃなくて、そんなくそみたいな所で大丈夫なのかって話だろ」
「大丈夫じゃないから、会社の人達みんなで労基に突撃して使える様にしてもらったそうです」
「血の気が多い……」
「さすがお前の友達」
「みんなで、ですってば!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎつつも晴香の手は動いている。今は切った野菜と肉を炒めている最中だ。
「ところで相手とは話できてるのか?」
「診察を待ってる時に来てくれたよ。病院の方針で一旦は面会を断ったんだが、どうしても、って引かなくてな」
被害者と加害者が直接会うのを病院としては良しとしていない。顔を直接合わせるとどうしても人間判断が甘くなりがちだからだ。そこから話が拗れて問題になった事が一度や二度ではないのだろう。なので、医師からそう言われて葛城も一度は拒否をしたのだが。
「相手の保険会社からしたら、是が非でも会ってまずはお詫びの意思を伝えろ、ってはなるよなあ」
それ、と中条の言葉に葛城も頷く。
「そんなんだからさ、医師としてもどうしますかって事になって、それで一応会うだけ会った」
「……どんな人だったんですか?」
「お前と同じ年くらいの若い男だったよ。Tシャツ姿だったけど、出勤中だったのかは知らねえ」
「免許取り立てか?」
「さあどうだろうな? でも俺を轢いてすぐ車から降りて来て、救急車呼んで警察に連絡もしようとしてたから、多分良い奴なんだとは思う」
「……良い人は車で轢いたりしませんよ」
晴香の突っ込みは至極真っ当ではあるけれど、葛城と中条は苦笑を浮かべてしまう。いや全く以て本当にその通り、なのだが、車を運転する事の多い身としてはどうしても「明日は我が身」で相手の立場を考えてしまう。
「それにしたっておまえはちゃんと自分の立場を自覚しろと思うけどな!」
言葉以上に中条の声音がキツい。珍しいな、と晴香は二人の姿を交互に見る。それに気付いた葛城が気まずそうに視線を逸らし、テーブルの上のマグカップに手を伸ばす。
「人身にしたんだよな?」
「……手続きはまだだよ」
「そりゃ今日は轢かれたてほやほやだもんな。警察署に行くなら付き合うから、日程決まったら連絡くれ」
いやそこまでは、と葛城が口を開くより先に中条が「その足で動けんのか」と切り捨てた。
「なんか……中条先輩アタリきつくないです?」
同期で親しいだけあって普段からそんな口調ではあるけれど、それにしたって今日はやたらとキツい感じを受ける。葛城が誤魔化すようにマグカップの中身に口を付けるので、これは間違いなく怒られている最中なのだろう。
「日吉ちゃんからも言ってやって、こいつ最初物損事故で片付けようとしてたんだよ」
「物損?……え、物損? 物損って、物ですよね?」
「そう、車対車とか、車対自転車とか、そういうやつ」
「……先輩生身で轢かれたのに?」
「そう! そうなんだよ! 言ってやって日吉ちゃん!!」
「最終的には人身にするようになったからいいだろ」
「当たり前だよ! むしろそこに物損の選択肢があったのが驚きだよ!!」
「仕方ねえだろ! 最初にその選択肢出されたらそうなのか、ってなるだろ!」
救急搬送された後、病院に来た警察官に「人身事故にするか物損事故にするか選んでください」と言われた葛城としては、軽傷の様だし物損でもいいか、と思ってしまったのだ。
まあ、結果は全治三ヶ月の重傷であったし、その後改めて警察署から連絡が入った時にはすでに人身事故として進めていますと言われたのだが。
「うわあ……先輩……うわあ……」
晴香はドン引きだ。わりと結構、自分の事になるとおろそかになるタイプではあったけれど、まさかここまでとは思ってもみなかった。
「警察署の方からも人身前提で話進めるって言われたし、弁護士もその前提だったから」
「おまえごく稀に明後日の方向にすっとぼけるのなんなのホント」
「先輩時々バグりますよね」
「常時会話がデッドボールのお前に言われたかねえよ」
「仕事終わりにご飯作りに来てる優しい後輩にひどくないです!? 隠し味のチョコレートを隠さなくしますよ!!」
「え、なにそれ」
「チョコを一欠片いれると味がまろやかになって美味しいんですけど、初めてそれやった時ついうっかり一箱いれちゃって大変な目に遭ったんです」
隠れていない隠し味はしみじみと不味かった、と具材を煮ながら晴香は語る。
「見た目も香りもカレーのに、味がカレーじゃないから口の中がビックリしました」
そりゃそうだろう、と葛城も中条も同意しか出来ない。
「それにしても先輩ってば弁護士さんとも知り合いなんですか?」
「あ?」
「弁護士さんもその前提って」
「ああ、車の保険に弁護士特約を付けてたからな。その流れだ」
「日吉ちゃんも入ってる保険のどれかに弁護士特約付けてた方がいいよー。葛城みたいになにかあった時にそっちで対応できるから」
「わたし生保くらいしか入ってないですけど……つけてたかなあ……?」
「特約付けた所で倍違うとかじゃないだろうから、どれかに付けとけ」
「車、運転しませんけど、それでもですか?」
「お前が轢くんじゃなくて、お前が轢かれた時にだよ。いつ轢かれるか分からねえぞ」
「流石当事者、言う事が違うな」
「今このエリアでも屈指の重みのある発言ですよね」
「だろ? ありがたく聞いとけ」
多少の嫌味では葛城にダメージは無い。さすが車に轢かれたにも関わらず上半身無傷、と晴香はそっと心の中で頷いた。
「治療費なんかは当然相手の保険会社が補償するんだよな? それと休んでる分の給料も?」
「ああ、そう言ってた」
「労災は申請するし、相手との交渉は弁護士依頼だし……ってことは、ひとまずは治療に専念でき……って、どうした? なんだよ考え込んで」
パソコンを弄っていた葛城の動きが止まっている。軽く眉間に皺が寄るのは深く考え込んでいる時の葛城の癖だ。
「あー……いや、うん……日吉」
「はい?」
ぐつぐつと煮たってきた鍋の火を弱め、晴香は灰汁取りの最中だ。そんな晴香に葛城からまさかの豪速球が飛んできた。
「結婚するか」
「……はい?」
「は――?」
お玉を持ったまま固まる晴香、少し遅れて大きく驚く中条、を余所に葛城はいたって平然としている。
「お前が車に轢かれた時に、俺と結婚してれば俺の保険の特約が使えるからわざわざ入る必要もないなと」
「そんな理由かよ!?」
「あとあれだ、今回運良くこの程度で済んでるけど、最悪死んでた可能性だってあるだろ? その時に保険金の受け取」
「重い!! 重いわおまえ! どうした!? おまえそんなに重いやつだったっけ!?」
「万が一って場合も」
「あるけど!! それにしたって動機がひどすぎだろ!!」
ね、日吉ちゃん!! と中条はキッチンで立ち尽くす晴香を振り返る。晴香はいまだ呆然としたままだ。
「……なんていうか……このエリアどころか、国内に広げたとしてもきっと断トツでひっっっどいな、っていう感想しか……でません……」
「そうだよ! 間違ってないよ日吉ちゃん!! おまえは謝れ葛城ぃ!!」
事故による衝撃なのか、はたまた今回を切欠に眠っていた何かが目覚めてしまったのか。
なんにせよ求婚するには発言もタイミングも最悪すぎる状況であるが、それでも葛城は「悪くは無い考えだなと」一人大きく頷いていた。
先輩とわたしの一週間 新高 @ysgrnasi
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