第5話 その時、従者は
私が奥様とぼっちゃまにお仕えすることになってから、ちょうど8年が経つ。
平民の家庭に生まれ育った私は、10歳になった頃、当時従者を募っていたお屋敷に身ひとつで勤めることになったのだ。
右も左もわからない私に、メイド長は当時からとても厳しかった。
今では身体の一部のように思うメイド服ひとつ取っても、10歳の自分にはしっかりと着ることすらままならず、都度厳しい指摘があった。更には言葉遣い・立ち居振る舞いや教養をこれでもかと徹底的に教え込まれたのだ。
泣き虫だった私は事あるごとに泣いていた記憶がある。
それでも毎日のように一生懸命にお勤めしていると、徐々に仕事を覚えていくことができたし、段々楽しみも生まれてきた。
頑固な汚れが落とせたとき、干した洗濯物の良い香りを嗅ぐときなどは小さな幸せを感じる。
楽しみが生まれると、仕事も苦じゃなくなってきた。
「お前の理解の速さには目を見張るものがある」
厳しかったメイド長に言われたときは、万感の思いだった。
嬉しかった。
放り出されるように家を追われた私にもお役に立てるんだと、自信になった。
厳しいながらも先の次元までを見据えた指導を一心に学び・勤め続けることで、私も成長することができた。
その結果、晴れてぼっちゃまにお仕えすることができたのだ。
それは私が15歳の時だった。
――ぼっちゃま。
男の子にしてはあまりに美しく、同年代の女の子の憧れの容姿をなされている。奥様譲りの整ったお顔立ちで、髪も女の私がつい触れたくなるような綺麗な黒髪をしている。
遠目で見ることしか出来なかった私が、これからそのぼっちゃまにお仕えできるという事実につい舞い上がってしまった。
初めてご挨拶をした時のことも鮮明に覚えている。
つい緊張して必要以上に声が大きくなってしまい、空回り気味となってしまった私に対して、優しく声をお掛けくだされた。
「君がメアリーだね。今日からよろしく頼むよ。」
言葉こそ短かったが、しっかりと私と目を合わせて穏やかにおっしゃられた。
「は、はい!よろしくお願いいたします!!」
相変わらず大きな声で返事をしてしまった私に、フフッとお見せいただいた笑顔がとても美しかった。
隣のメイド長はあきれた顔をしていたが気にならなかった。
それからというもの、ぼっちゃまの専属メイドとしての日々が始まった。これまでは掃除や洗濯がメインの仕事内容だったが、ぼっちゃまを中心とした生活に変わる。朝から晩までの従者としての生活は、ベクトルの違う大変さがあったが、専属としての仕事に胸が躍った。
しかしながら、忙しくも充実した生活は、思ったよりも長く続かなかった。
お仕えする日々が1年が過ぎようとした頃、ぼっちゃまが倒れられたのだ。
それは何でもないような日のことだった。
夜、ご当主様にお呼ばれされたぼっちゃまだったが、次の日の朝から数日間お見掛けすることも叶わなくなった。
私はというと、何の説明も受けないまま他の業務にサポートに回るのみで一向にお役目に戻ることができないままだ。
雨が幾日か続いた後、ぼっちゃまは数名の医者と思われる方々と共にお屋敷に戻られた。
久しぶりにお姿を拝見したが、どれほど時間が経っても目を覚さないままの状態であった。
医者の方々によると、このまま一生目を覚さないことも覚悟されたしということで、一同が凍り付いた。
その後は時間だけが過ぎて行った。
貴族の長男として数々の期待をその身一つに背負い、これまで研鑽を積まれてきたぼっちゃまだったが、一向に目を覚さないことで取り巻く状況は、本人が目を覚さない間にガラッと変わってしまった。
当ローゼンダール伯爵家の現当主グランヴェル様は少し冷酷な性格で、政争にも余念がないお方である。
次代を見据え、後継者育成に力を注いだ結果、未だに意識が戻らない長男であるカイ様のことは頭にもうないのか、次男であらせられるレイ様に関心が向いたようで、教育・鍛錬に人脈を駆使して熱心に指導されている。
レイ様は第二夫人のお子でカイぼっちゃまとは異母兄弟だ。
ぼっちゃまの容体が一向に回復しないことで、奥様のお立場も微妙となり、寵愛は第二夫人に傾いてしまった。
何とも心苦しいことだと思った。
遂にはほとんど追放といったような形で、辺境の地にぼっちゃまを養生の為に向かわせるということで、ぼっちゃまと奥様はお屋敷を去ることとなった。
無論、荷物等の持ち運びもあることから、お屋敷の従者何人かが次なる辺境のお住まいへ向かうことになっている。
そこに、私メアリーも手をあげたのだ。
憤慨した。
大いに失望した。
そもそも帰る場所などない私なのだ。
私の誠心誠意お仕えしたい主人はぼっちゃまなのである。
お世話になった同僚ともお別れだ。特に上司であるメイド長には本当に今でも頭が上がらない。
大きな痛手ね、と惜しむように言っていただき、そのふくよかな身体で抱きしめられた。別れ際には奥様とぼっちゃまをお願いねと言っていただいた。
託されたことで、より一層気持ちが強くなったように思えた。
§
さて、新たなお屋敷は同じ伯爵家領内にあるが、近隣の国との境目に位置している。利便性においては国の中央にも近く、それなりに栄えていた街中にある元のお屋敷に比べれば大きな差がある。
ただ、新天地も大変いい土地だと思う。
近隣国とは円満な関係を築いて久しく、ここ近年全く争いごとはない。
辺境ではあるがそれなりに土地の開拓は進んでおり、気候も良く作物はよく育つようだ。近隣国との交易も盛んで、商人以外にも冒険者間の行き来もそれなりにある。
精鋭揃いの冒険者組合によって、強敵が跋扈するモンスターの間引きが定期的にこなされていて、日々の生活を脅かす存在はほとんどない。
それは愛情からなのか都合の良い処置なのかは置いといて、養生には適していそうだ。
これからは新天地で奥様と共に、ぼっちゃまがお目覚めになるのを待つ。
そう決意して過ごしてきた。
確かな希望を持って。
しかし、その後も一向にお目覚めになる様子はなく、ただ時間だけが過ぎていくだけだった。
日に日にやつれ、以前の美貌が影を潜めるようになった奥様のお姿に心が痛い。
食べ物にはあまり困らなかったのだが、精神的な疲弊だろうか。あまり量をお召しになられず、徐々に痩せ細ってこられた。
追い討ちをかけるように、ご党首様から届いていた援助の資金は1年足らずで止まり、こちらへの関心などまるでないように思った。
晴れていても、まるで曇天のように暗いお屋敷は、付き従ってくれていた執事やメイドの数もどんどん減っていき、今では私だけ。
私一人では、大きなお屋敷の管理が大変だろうと、奥様自らお料理を振る舞っていただいたこともある。
明日の希望ですら持てないような日々が、ただ残酷に過ぎていく。
そんな時でも、励みとなるのはお倒れになる前のぼっちゃまのお話を奥様とすること。
恐れ多くも奥様と食事を共にする時は、専らその話で持ちきりだ。
そうして2年が経つ。
一日の始まりには決まって真っ先にぼっちゃまのお部屋の掃除に向かう。
穏やかな寝顔、規則的な寝息が聞こえてくる。
そんなお姿をみて安堵し、一日のモチベーションにしてきた。
この日もそうだった。
ノックをして、手に持った掃除道具と一緒に部屋の中に入る―――・・・
「おはようございます」
声に驚く。
「あ、えっ??」
何ということだ。
「ぼ、ぼっちゃま?目が覚めたのですか??」
信じられない。
また心よりお仕えできるご主人様がお目覚めになられたのだ。
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