第2話 夢と逃避と

―――・・・


何も考えたくない、そう目を閉じたのはどれくらい前だったか。

イヤホンなんて付けていなかったはずだが、囁かれるように穏やかな女性の歌声が耳の奥に入ってくる。


踊り出すかのような楽し気なテンポで、とても耳心地が良い。

目を閉じる前には波のように押し寄せてきた後悔や多くのネガティブな感情を、取り払うように綺麗に流したかと思えば、やがて少し悲し気な曲調に変わり、また不安にさせる。


日本語でも英語でもない、聞いたことがないメロディは余計に不気味さを際立たせる。閉じた目には何も映らないまま、ただ歌声を聴くだけ。


起きなくては、そう思ったが上手く身体を動かすことができない。

ああ、まだ夢を見てるのか。嫌な夢なら早く目を開けていたい。もがくように意識を覚醒させるために試みたが何も変わらない。


ゴオォォン・・・!

突如として、大きな鐘の音が耳に響いた。


瞬間、頭に割れるような痛みを感じ、思わずくぐもった声が出そうになる。

実際には声を出すことも身体を動かすこともできず、ただひたすらに耐え続けた。頭の中には、に見るのであろう走馬灯のようなものも見えたかもしれない。


怒涛のように押し寄せてくる痛みは、一瞬などではなかったが、ようやく痛みも和らいできて、脳も正常に働いてきた。

なんとか身体を動かすこともできそうだ。

まずは目を開けようと、ゆっくり目を開けると・・・


どこだ、ここは。

だれだ、こいつらは。


目に入った光景に驚き思考がフリーズする。

かび臭い空気、ぼんやりと見えてきた視界には、仄暗く殺風景な空間に、顔まで隠れるフードを被り、マントで姿を覆った幾人かが囲んでいる。


宗教団体の儀式か・・・?


皆一心に何かを唱えているようで、正直かなり気持ちが悪い。


周囲の状況を把握しようと努めたが、これまでに訪れたことなど確実にないであろう空間で、完全に思考が停止してしまった。

まだ夢の中にいるような感覚の中、自分を中心とした場所に、天井から神々しい光が差し込むように入ってきた。


「おおっ・・!」

「まさか成功したのか!」


年老いた男性のような声がハッキリと聞こえてきた。可能性がまるでないような何らかの試みを実践し、それが成功したようだ。


胡散臭い儀式のようなものに巻き込まれ、またそれは間違いなく自分中心の儀式であったことを理解するに至ると不快感を覚えた。

覚醒直後で朧気であり、頭に鈍痛が続く中、さらに自分を苦しめようとするのかと怒りがこみ上げてくるが、それよりも強烈に睡魔が襲ってきてこれ以上は何も考えられない。


不本意だが、また目を閉じることにする。

次に目を開ける時には気持ちのいい朝を迎えることができるように祈りながら。



§



次に目を開けたとき、辺りはとても静かで安堵した。どうやら些細な願い事は一つ叶ったようだ。


この部屋は森のすぐ近くにあるようで、窓から見える緑が綺麗だ。楽し気な小鳥たちのさえずりさえ聞こえてくる。水が流れる音が聞こえるので近くに川も流れていそうだ。



それほど昔の話ではないが、森の中でキャンプをした時を思い出した。

なけなしのバイト代を叩いて皆で道具を集めたっけ。


早くに街を出て、2、3時間ほど山へ向かってドライブをし、穴場のキャンプ場へと乗り込む。

とても綺麗な小川が近くを流れる場所だった。


事前に割り振っていたそれぞれの役割に従って準備をする。持ち込んだ食材の調理やテントの設営とやることは盛りだくさんで、慌ただしくも楽しい時間だった。

自分と親友と、それぞれの彼女と。

――ああ、彼女だな。ついさっきこっぴどく振られたことは完全に失念していた。


あんなにこっぴどく振られたくせに、思い返すのは充実していた日々のことばかりだ。

本当に宝石のような時間だったと思う。

太陽のように明るく、笑顔がとても素敵な女性で、隣に居るだけで釣られて自分も笑顔にさせてくれる。

彼女が隣に居てくれただけで常に胸を張って生きていられた気がする。碌でもない自分にとって最高の彼女だった。


起きて早々にそんなことを考えてばかりの女々しい自分に嫌悪する。


そんな人を失った自分に一体何が残るというんだ・・・?




―――さてと、ここはどこだっけ。

あの割れるような頭痛はもうないし、耳に溶け込むように響いていた歌声も聞こえない。体調的には悪くないようだ。しかし、本当にどこかわからない。


飲みすぎた次の日に前日の記憶が途切れ途切れになることは、これまで何度かあった。

サークルのコンパや派手な打ち上げ・・・。

決まって酷い二日酔いとなって、記憶が途切れ途切れとなった。

今、体調的に悪くないことを思うと、酒を飲みすぎてこうなった訳ではないと思うが。


確かに聞こえた、あの聞き覚えのないあの歌声は何だったんだろう。

それに、あの儀式のようなものも結局何もわからない。


特に儀式のような光景のインパクトはかなりのものだった。

大人数が、それも同じ服装に身を纏った男女がそれほど広くない空間で、熱心に自分に向かって何かを唱えている光景はとても異様だった。

今でもあのかび臭い部屋の香りを思い出せる。

ましてや最後、自分を中心に光が放たれたことが余計に不明である。




改めて部屋の中を見渡す。

綺麗に整頓されていて、日々の細やかな掃除を感じさせる。自然を大いに活かした木造建築で、部屋に使用している家具もほとんどが木でありなかなかお洒落な空間だ。


少なくとも今まで過ごしてきた自分の部屋ではなかったし、これまで見たことのない部屋のようだ。

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