第6話 カノンの日記
「で、お嬢様の肩を借りながらだらし無く帰ってきたわけですね?」
「……」
「アラン?」
「そ、そうだよ……」
「散髪担当のメイドに頼んで、その自慢の髪の毛を整えてもらいましょうか。妙なプライドが邪魔にならないよう、まとめて全てきれいさっぱりと」
「い、いや、それは……」
リリィは丁寧な言葉でとびきりの笑顔を見せながら、アランを見据えていた。きっとこれが彼女の激怒なのだろう。私もあまり直視できない。
対してアランも反省はしているものの、不完全燃焼のせいで全てを受け入れられない、といった様子。
「まあまあ、リリィ。私も何もなかったから」
途端に彼女は振り向いて、怒りの形相を見せた。私は思わずびくついてしまう。
「……ですが! 危うくお嬢様が危険に晒されるところだったんですよ!? 護衛ともあろう者が、何たる失態。私が同じ立場なら、恥ずかしくてお嬢様に顔向けできません」
アランに聞こえるように言ってるなぁ、リリィ怖ぁ……
「で、でも、かなり情報はもらえたと思うよ。やっぱり市民はカノンのことをよく思っていないみたい。それは盗作が本当だって信じてるから」
ちょっと話を逸らして。流石にアランも可愛そうだから助けてあげたいけど、反省はしてもらわないとね。普通に一般人殴っちゃってるし、貴族の印象は悪くなっちゃうよ。
「ねぇ、リリィ。そういえば酒場で言ってたの。盗作の証拠になる、アイリスの載録がある、って。それって見られたりする?」
「そうですね。確か載録書が残っていたと思います。お持ちしましょうか」
「うん、明日でいいから、お願い。それと、演劇か芸術関係の人とお話する機会って作れないかな」
「それは出来ると思いますが」
リリィは不思議そうな顔をしていたので、補足する。
「この冤罪について、いろんな視点があると思うの。それを大きく分けると、私たち当事者と、貴族と、平民ということになる。おそらく貴族は団結してラトゥール公爵を潰そうと画策しているんだよね。そして平民も、その貴族の話に乗っかってカノンが悪者であることを疑わない。けれど、それならもうずっと前から暴動が起きてたんじゃないか、って思うの」
私はこの国の成り立ちはもちろん、ここ数日、数ヶ月の動きさえ分からない。
けれど今日過ごしていて分かったのは、皆酒場で楽しそうに過ごしていることだ。教会から帰る時も、街をなんとなく眺めた時も、困窮して道に横たわり、食べ物を恵んでくれと縋ってくる人はいなかった。
つまり、この国は表面的な声ほど、貧しくも廃れてもいない。悪政は本質的ではないということ。それでも不満が聞こえてくるのは、情報のせいだろう。その鍵を握るのが、きっとこれ。
「アイリスは平民でも貴族の声を聞ける。私の推測だけど、貴族が結託してラトゥール家の悪口を載録し続ける。それを見た民衆が、自然と日々の不満をカノンのせいにしたんじゃないか、って」
その動きに、既視感があった。これは、そうだ。SNSと同じだ。
そう思った瞬間、頭の中にノイズが走る——
匿名の人、実名の人。どちらも直接顔を合わせずに、好き勝手に言葉を綴っていく。知りたくもない情報、根拠のない情報が誰かの声に乗って拡散され、心ない声が更に正義という名前の悪意として広がっていく。
ある人は面白おかしく、娯楽として。ある人は純粋な好き嫌いから、淘汰しようとして。
大きな声は真実をも捻じ曲げる。嘘を真実にするために根拠をでっち上げて、誰かを陥れる。こんな不条理が、今までの歴史上何度も起こっていると思う。
けれど、火のない所に煙は立たない。彼ら民衆の不満の火種が、必ずどこかにあるはずだ。それがわかりさえすれば、糸口が掴めるかもしれない。
となれば、私も。このアイリスを使えば。
——お嬢様。
「……え?」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「あ、う、うん。もしかして私、気を失ってた?」
「はい。きっとお疲れなのです。裁判をしてすぐに戻られて、そのまま街に出向いて騒動に巻き込まれたのですから。まずはゆっくり休まれてください」
「……うん、そうね。それじゃあ、詳しいことはまた明日。けれど、もう一つだけリリィにお願いしておいてもいい?」
「構いませんが、何でしょう?」
*
*
就寝前に、書庫を漁った。リリィが整理してくれていて、基本的な書籍はテーブルに集められていた。
ソファに一人腰掛けて、私は今頃になって震えていた。初めて目の当たりにした暴力。きっと、過去の記憶ではこんなことがない、平和な世界に生きていたんだと思う。
それが平然と、あんな殴り合いや剣を使った争いが行われるなんて、想像するだけで足が震えて止まらない。だって私は、何も持っていない人間なんだから。カノン・ラトゥールという肩書きを持った、ただの女。非戦闘員だ。
もちろん、この世界は戦争反対だし、戦闘民族でもない。けれど、いろんな人種が住んでいて、当たり前に貴族を処刑しようなんて考えるくらい、私の常識とは人の命についての考え方が違う。
なんて、ネガティヴになりすぎてるかな。ううん、でもやっぱり怖い。殺されてしまうのかもしれないなんて、今頃になって実感してきた。訳もわからずに目の前の事だけ見てきたから、きっと麻痺してたんだろう。
ほとんど何もわからない世界で、1週間後には殺される。前世の私は、それに耐えられるほど強くなかったと思う。今正気でいられるのは、リリィとアランの存在。そして、カノンの元の人格を守るため。そうでなかったら。
「……助けて、って言いたいけど」
私が弱気になったら、二人を困らせちゃうよね。本当はアランの護衛だけじゃ正直頼りないとか、もっと戦える人増やしてって言いたいけど、風当たりが強い今の状況じゃ、それもきっと難しい。分かってる。だから、私もなんとか武器を増やさなくちゃいけない。
そのためには、情報だ。私には知らないことが多すぎる。
私はこれまでのこの国の歴史を読み漁り、特にここ最近までの出来事を一つ一つ調べていった。
そうすると、少しずつこの芸術大国の全貌が見えてくる。
次に、彼女の作品。魔道具のアニューズという、DVDレコーダーとプロジェクターを合わせたような道具で、過去の作品を宙に映して見ることが出来る。
その作品はどれも、傑作の名前に相応しいものだった。愛と友情の感動物語。切なく重苦しい悲哀、心躍る冒険物。
「……これは、日記?」
そして、彼女が綴った日記を見つけた。とは言っても、ほとんどメモ帳というか、落書き帳になっていた。殴り書きで正直読むに耐え難い。それに、私は当たり前に対話は出来ていたものの、この世界の文字を読むことは一からだった。頻出する単語はある程度読めるものの、こういう崩れた文字を読むのは大変だった。
でも、だからこそ彼女の性格が分かった気がして、私はつい笑ってしまった。
「……楽しかったんだろうな。作品を作ることが」
どの作品も、内容自体本当に素晴らしかった。けれど、それ以上に作品に掛ける情熱や思い、先人たちへの畏敬の念が、はっきりと伝わってきた。
数百年前から始まった”踊る”という文化に対しても、”音楽”や”演技”についても、古典に忠実。彼女はその伝統と誇りを重んじた作品を生み出していた。
だから人の心を動かす芸術という分野だけでここまで成長してきたことに、並々ならぬ熱意があることの裏付けだった。
「そんな彼女が、盗作なんてするはずない」
それが私なりの結論だった。
私は他の作品もアニューズに映しながら、パラパラと日記を捲っている内に、微睡んでいた。
そうして気づけば、私は眠りに落ちていた。
民衆裁判の結果まで、あと6日。
*
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