第5話 魔道具アイリスと謎の少女

 リリィと話をして、大体アイリスのことは聞いていた。そして私が感じた第一印象は——



「え、つまりスマホ?」


「スマホ、ですか?」


「あぁ、ううん。なんでもないの」


 アイリスは魔力を通して記録された情報を見るための道具。この世界はあらゆるものが魔力でつながっており、物理的に何かを動かす以外は、魔力を介して行われる。つまり、電気みたいなものだ。


 魔力というのはとても優秀で、おそらくだけれど情報の伝達も兼ねている。そして、それが記録として残る。いつ、どのような形で、魔力を使って何をしたのか。私の記憶で言う、データ通信に近い。こういうものを魔力によって進めることによって、それぞれの行動履歴などが記録されている。


 仕組みが違いすぎるからあまり昔の記憶と比較してもしかたないけれど、要はこの国の人は、勝手に自分自身のホームページやブログ、アカウントを持っているようなものだ。


 アイリスはそれ本体である水晶の中にあるひび割れを覗き込むことで、直接網膜に魔力から得た情報を流し込んで、脳内に投影する。あとはネットサーフィンと同じ要領で、気になる人の記録、載録を閲覧することが出来る。


 これは意図的に非公開にすることは出来ないらしい。魔力による犯罪抑制にも繋がるし、トラブル時に真実を確かめるのもアイリスで事足りる。


 *


 と、簡単な使い方はこんな所だった。


「おい、どうしてそんなことが言えるんだ? そもそも、令嬢が盗作をしたなんて証拠は」


「証拠ならあるぜ、さっきのアイリスにバッチリ残ってたんだ。それをオルヴェーニュ侯爵令嬢が告発して、皆が認めた。なら間違いねぇよなぁ、魔力の痕跡が証明してんだ。……にしても、さっきからお前、随分あの女の肩を持つじゃねぇか」


 アランは少し熱くなったのか、余裕のない問いかけ方になっていた。体格の良い男性も、それに併せて機嫌を悪くしているのが分かる。まずいな、そろそろ出た方がいいかもしれない。


「あ、あはは。私たちはなんとなくいい人だと聞いていたものですから」


「いい人だ? とんだ節穴だな。この国で芸術に触れてる奴なら分かる。あの女は信用出来ねぇ。そして、絶対に許せねぇってことがな」


「会ったことがあるのかよ」


「あ?」


「ちょ、ちょっとアラン?」


 アランはもう、目が血走っているようだった。これ以上は危険だ。静止しようとしたのに、一度スイッチが入ってしまうと。


「実際に会って、お嬢……令嬢に話を聞いた上で好き勝手言ってるんだろうな?」


「はぁ? んなわけねぇだろ」


「なら、お前の勝手な妄想かもしれないだろうが。魔力だって誰かが捏造してるとは考えねぇのかよ」


「おい坊主。威勢がいいのは構わねぇが、年上に対して口の利き方が成ってねぇみたいだな? それとも何か、あの見た目だけに唆されて、ファンにでもなっちまったのか?」


 アランは目を光らせて、今にも飛びかかりそうな勢いで立ち上がった。


「違う、お前らみたいな庶民と一緒にするな」


「アラン!」


 彼の服を引っ張ってみても、びくともしない。向かいの彼も酔っているせいか、立ち上がってアランを睨みつける。私は今にも殴り合いが始まりそうで心底不安だった。


「は、残念だがテメェの求めてるような女じゃないぜ。何も知らない尻の青いガキにゃ、単に顔のいい女に見えるかもしれないがな」


「あ、あの、その辺でどうか……」


 相手を止めようにも、聞いてくれそうにない。


「アイツには当然、こんなネタも上がってんだ。普通の男じゃ飽き足らず、毎晩犬や猿、獣人を集めて自分を慰めてるってな。お前も仲間に入りたいってなら、屋敷に行って頭を下げて、靴でも舐めてくればいいぜ。そうすりゃお望み通り、毎晩ドブネズミの下の世——」


 瞬間、鈍い音が響く。ガタイのいい男は椅子から吹き飛ばされ、床に転がった。私は、何が起きたのか分からなかった。アランが彼を殴り飛ばしたようだった。


「ぐぁっ!! て、テメェ……殴りやがったな?」


「黙れ。お前がここら一帯の悪評の出元だってことは知ってんだよ」


「ちょ、ちょっとアラン!? これ以上はダメ、目立ったら……!」


「は、出元だ? アイツの悪行を広めて何が悪い!」


 隣の客席はもちろん、周りの客もこちらに注目し始めている。店員だって気が気じゃない顔だ。アランの気持ちも、分からなくない。けれど、第一この状況で魔道具が切れでもしたら? それこそ私たちは……カノン・ラトゥールは、正真正銘の悪人だ。


「お、喧嘩か? やれやれ!」


「金髪負けんじゃねぇぞ!」


「おいデブ! さっさと立て!」


 周りからは野次が飛び交う。一触即発だった。なんとかその場を切り抜けたい一心だったけれど、アランの目の色は変わらなかった。するとアランは腰に携えた剣の握りに手を添えた。


「取り消せ。さもないと、ここでその醜い顔を叩き切る」


 それは、それはダメ!! どうしよう。彼を叩いてでも止めなければいけないのか。と思った、その時だった。


「……なんだ、お前」


「……」


「このデブの仲間か?」


 気づけば背後に、一人の少女が立っていた。藍色のショートヘア、蒼色に輝く瞳。華奢で上下共黒色の服を身に纏って、容姿は眩いくらいに整っている。そして、この場の雰囲気に似つかわない冷たい表情で佇んでいた。まるで幽霊が突然現れて、ずっと前からそこにいたみたいな。


 彼女は全くの無表情で、アランに問いかけられても微動だにしない。ミステリアスな雰囲気を醸し出しながら、どちらかと言えばじっと、私のことを見つめていた。


「え、えっと……あなたは」


「私は、リア。リア・ヘーゼルホワイト」


「おい、俺に何か用か? 無視すんなよ」


「ちょっと、アラン」


 少女にまで喧嘩腰の彼を見て、もういい加減にしないと、と宥めようとした瞬間だった。目の前にいたアランが、消えてしまった。


 と、すぐに衝撃音。悲鳴が聞こえて、そちらの方を振り向くと、アランがテーブルごと薙ぎ倒して、床に転がされていた。


「え、え……?」


 涼しい顔でアランの方に歩いていくリアという少女。今の、まさか彼女が?


「痛ッ……ちくしょう、お前、なんなんだよ……」


「知らなくていい。今は貴方が、この場所に不要なだけ」


 そう告げると、アランは立ち上がると同時に、即座に剣を抜こうとする。けれど、リアは瞬時にそれを見抜き、柄を掴んだアランの指を踏み抜いた。彼は痛みに耐えかねて鈍い声を上げると、続け様に彼女がアランの腹部に蹴りを入れていた。


「ッ……!!」


 アランはまた吹き飛ばされ、何度も呻き声を上げていた。彼女は更に追撃。どう見たってアランの方が強いのに、肉弾戦で彼を圧倒していた。私はただ怖くて、茫然と立っていることしか出来なかった。


 酒場の店主も顔を青ざめさせていたが、店の客はいつの間にか観客と化し、いいぞ嬢ちゃん、もっとやれ! 金髪の坊主、だらしねぇな! なんて、あちらこちらで言葉が飛び交う。


 彼女はもしかすると、セロ側の人間なのだろうか。だとしたら私の素性も、既に知られている……?


 そしてそのまま、彼は酒場の入り口の方に投げ飛ばされる。ボロボロになった彼は辛うじて動けそうだったが、今はまだ起き上がれない。私は一人、目にしたことのない暴力を前に現実味を失いかけていた。


 そして、次は私の番かと、覚悟も決まらないまま。

 彼女は息一つ切らさず、瞬間移動でもしたみたいに私の前に現れた。


「ねぇ」


「は、はい。私……のこと?」


「そう。……早く行って」


「あ……」


 この少女は、敵なのかと。けれど、私に対しては明確な敵意を見せなかった。ずっと変わらない表情。あの巨体相手に見劣りしない力を振るっていたアランを、一瞬で戦闘不能にした。全く得体が知れない。


 彼女の意図は掴めなかったが、どちらにせよこれ以上ここにいるメリットはない。少女に送られる拍手。対してアランには早く出ていけ、と口々に叫ぶ声。物まで投げつけられ始めた。


「……行くよ、アラン」


 アランの腕を肩に掛けて、必死に立ち上がる。彼は何かぶつぶつ呟いていたが、可哀想だけれどこうなってしまったのは自業自得だ。上手く持ち上がらなくて、ほどんど引きずるみたいに酒場を出ていくことになった。



「……カノン、貴方は一体」


 アランはほとんど不貞腐れて、ようやく一人で歩けるようになってからも私の肩を借りるようにしながら、無言で歩いていた。


 初めての調査では、期待を裏切られる結果になった。屋敷の二人が知るカノンと、あまりにもかけ離れている。その理由が何なのか分からないまま、私はアランと二人、屋敷へと戻っていった。


 *

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