第3話 憑依と冤罪と魔道具と
「……そういうことだったのね」
「お嬢様はそれでも
「……あの
二人は淡々と喋っていたが、その言葉の中に
「それでも彼女が諦めなかったのは、どうして?」
「……お嬢様はこの国と、この国の芸術が誰よりも好きですから。それを裏切るような、盗作をするなんてこと自体、私たちからすればあり得ないんです」
リリィはそう言って、本棚を優しく
過去の記憶で見たような西洋の美しい風景。それに色と音を書き足したみたいな、心弾む街並みだった。それはきっと、ここに住まう誰しもが大切なものなんじゃないだろうか。
ようやく一通りの事情が飲み込めた。
けれど、それなら私は?
私は確かに、もっともっと古風な世界で生きていた記憶がある。ただ、こういう世界にも抵抗がないし、断片的な知識がある。
過去、なんとなく二十代を
そして何より、名前を覚えていない。カノン、という名前に心当たりはあるものの、それが思い出せない。私の名前は、カノンだっただろうか。
ただ、一つだけ胸に残っているものがある。心動かされる、感情だ。
何かを失うような悲しみ。理不尽によって奪われる憎しみ。涙が溢れて止まらないほどの喜び。誰かと分かち合いたい幸せ。そんな、感情の一部始終を、鮮明に思い出すことが出来る。
きっと私はこれまでの、カノン・ラトゥールとは違う人生を二十数年生きている。そして今この体に宿っているのは、カノンではない。ならば、二人が知る元のカノンはどこに消えてしまったのだろう。それに、元の私は死んでしまったのだろうか。
それを暗に伝えると、アランが口を開く。続けてリリィが。
「……それじゃあ、お嬢様は?」
「カノンお嬢様は……カノンお嬢様、なんですよね?」
「……ううん、私は多分、違うと思う。どうしてか分からないけれど、記憶も曖昧なまま、気づいたらあの教会に立っていたの」
「なんだよ、それ。じゃあお嬢様は? 今お嬢様の中身は、別の誰かってことだろ? それなら、お嬢様はどこに消えちまったんだよ」
「……分からない」
私がそう答えると、アランは
けれど、私は思う。ならどうして私がここに存在するのか。
事象の全てには、意味がある。私の大切にしている言葉の一つだ。私の使命かどうかはともかく、ここには私に出来ることがあるのだと、直感していた。
少しの沈黙の後。
「ねぇ、二人とも」
私が声を掛けると、二人は渋々顔を上げた。
「私はね、死にたくない。私が何者かも分からないまま、この世界がどんな世界か知らないまま、処刑されるわけにいかないの」
そうだ。この世界がもし私の知らない世界ならば、それを解き明かさないと気が済まない。
「それにね。二人がお嬢様のこと、大切に思っていることが伝わってきた。事の真相はどうか分からないけれど、私はカノンお嬢様も守りたい。そして、彼女が守っていた芸術だって、素晴らしいものだと思うから」
私は芸術には詳しくない。私自身のことも思い出せないのだ。
けれど、この世界で生きていれば分かる気がする。
「二人の主人が消えてしまって辛いと思うけれど、お願い。二人とも、私に力を貸して。カノンの冤罪の証拠も、行方不明のカノンのことも、私が探し出して見せるから」
そう告げると、アランは驚いた顔をして
「どうしたの、アラン?」
対してリリィは、口に手を当てて笑っていた。
「ふふ……今の、一瞬カノンお嬢様そっくりでした。言葉遣いは違いますが、
「え? そ、そう? いや、私カノンのこと知らないから……偶然よ?」
そう言ったものの、その偶然が功を奏したのか、アランは近づいてきて。
「……まあ、そこまで言うなら仕方ねぇよな。どっちみち見た目はお嬢様だし。力を貸してやっても……って痛ぇ!!」
リリィの平手打ちがアランの背中を直撃した。案外強いのかな、リリィ。アランが見掛け倒しだったりして。話を聞いていて、彼はお嬢様のボディガードなんだろう。
「調子に乗りすぎないでください、アラン。中身は違っても、お嬢様には変わりないんですよ? 全く……とにかく、お嬢様のお気持ち、伝わりました。私たちもまだ分からないことばかりですが、あと1週間しかありません。私たちに出来ることであれば、なんなりと」
アランは背中を
「うん。みんなで力を合わせて、冤罪を晴らそう。……でも、どうやって?」
「……おいおい、大丈夫かよ」
リリィも苦笑いしながら、気づけば3人で笑っていた。
まだまだ分からないことが多すぎる。まずは手堅く、情報を集めることにした。と、私は思い出したように。
「そう言えば、民衆裁判に向けて、皆水晶のペンダントを持っていたけれど」
「水晶? もしかして、これのことでしょうか」
そう言ってリリィは
「……アイリス?」
「ご存知なのですか?」
「えぇ、アイリス水晶……別名虹色水晶、よね。この国は水晶に何か特別な意味があるの?」
そう問いかけると、少しリリィは不思議そうな顔をした。
「スイショウ、というのは分かりませんが……これはアイリスという、魔道具です」
「……魔道具? え、この世界には魔法があるの?」
「そのお話もしなければなりませんね。……アラン、フレジの用意をお願いします」
「え、街にいくのか?」
「情報を得るには、それが一番です。それに、今のお嬢様にこの国のことを知ってもらう、最短の方法ですから」
そう言ってリリィは微笑んだ。魔道具、魔法、そして芸術。
実際、市民はどう思っているのだろう。彼女のことを。この国のことを。
そして、私は一体。カノンは、一体どこへ。
多くの謎を抱えたまま、私は街への潜入調査を決意したのだった。
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