第2話 ラトゥール家の悪役令嬢
訳もわからぬまま教会の外に出ると、一人のメイドが近寄ってきた。
「お嬢様……!!」
「あ、貴女は……」
「……え? ど、どうされたのですか?」
心配そうに目を見開いた彼女は、きっと顔見知り、というか専属のメイドなのだろう。すぐに名前を呼ばなかったことで、彼女は
私自身、私のことはまだ分からない。私はこの世界のことについて、ほとんど記憶喪失だった。
「多分……私、貴女の言うカノンとしての記憶がないの」
「え? 記憶がない……のですか? 私のこと……アランやお父様のこともお忘れですか?」
「そう、他の人も、貴女のことも思い出せない……ごめんね? この世界で生きてきた事は、何となく実感できるけれど……そう、私は元々は別の世界でずっと生きてきて気がしてならないの」
「そ、そうなのですか……」
彼女は見るからに落胆というか、動揺した表情を浮かべながら俯いてしまう。
「そんなことが、起こるなんて……しかし、確かに今日の弁論はいつものお嬢様ではなかったようです」
「……彼女も確か、そんなことを言ってたような」
一瞬、あの勝ち誇ったような笑い顔が目に浮かぶ。対して、小柄で可愛らしい茶髪のメイドは目に涙を溜めていた。けれど、いつまでもここにいるだけじゃ、解決しない。
「ねぇ、貴女の名前を聞いてもいい?」
彼女はそれを聞くと、小恥ずかしいのか一瞬
「は、はい。私はリリィ・ローランです。お嬢様の……ラトゥール公爵家に仕えるメイドにございます」
「リリィ……ありがとう。何故こうなったのかは分からないけれど、このままじゃ解決しないよね。良かったら詳しくこの世界のこと、お嬢様のことを教えてくれる?」
「は、はい。もちろんです……!」
彼女は表情を一転させ、笑顔を見せてくれた。そうして彼女に連れられ数分歩いていくと、それはそれは豪勢な屋敷へと辿り着く。
この風景、どこかの遊園地で見たような気がする……いや、映画だったかな。漫画だったかな。でも、間違いなく私の住んでた場所とは違う。こんな煉瓦造りの家なんてなかったもの。
見る物全てが新鮮で、興味が湧いて立ち止まりたくなる。まるで海外に修学旅行にでも来たような気分だ。
そういえば私、当たり前に公爵令嬢とか言われてたけれど。公爵って、確か……かなり偉い?
と、考え事をしながら扉が開いて、我に返る。
「「「おかえりなさいませ」」」
「た、ただいま……」
やっぱりそうだった。少なくとも私の記憶では、こんな経験はない。きっと庶民だったんだろうな。
大勢の使用人に出迎えられ、私は圧倒されたままリリィの後を追い、広すぎる屋敷の一室へと辿り着いた。
「ふぅ……ようやく一息ついた……」
「それはお疲れと思います。お嬢様さえ宜しければ今日はお休み頂いて、ご説明はまた明日にでも……」
「ううん、流石に情報がなさすぎるから、今のうちに出来るだけ知りたいな」
「そういうことでしたら」
そう言ってリリィが何かを話そうとした時、扉が開いた。遅れてノックの音が響く。
「お嬢様!!!!」
「え、え? だ、誰?」
そこにいたのは、ライオンみたいな黄金色の髪を靡かせた少年だった。オレンジ色の目を輝かせ、表情豊かにこちらを見据えていた。先の使用人たちとは違う、腰に剣のようなものを携えている。身なりからして、護衛とか騎士みたいな感じだろうか?
「ちょ、ちょっとアラン!! またノックせずに入ってきて!」
「お前は黙ってろ、リリィ! お嬢様……よくぞご無事で。あの憎き性悪女をギャフンと言わせてきましたか!!」
「違うの、アラン。今はそれどころじゃないんです。お嬢様は記憶を失われて……」
「それで、いざ殴り込みってなったら、真っ先に俺を御指名下さいっ! お嬢様のためなら鉄砲玉にだって盾にだって……ん? リリィ、お前今なんて言った?」
「はぁ……これだから動物みたいな男は嫌いなんですよ……」
「あ、あはは……」
彼は随分と、”彼女”にご執心だったみたいだ。リリィもやれやれという表情。
そうしてその場が落ち着くと、改めてリリィが説明してくれる。
*
この国はフレイミニアン公国。その首都に位置するシパを含めた主要地域を統べているのが、父親のフレデリック・ラトゥール公爵。その娘である私は、首都一角でフレイミニアン公国の象徴とも言える”芸術”を支える『文芸官』という役職に就いていた。
カノン・ラトゥール。年齢は十六歳。茶色掛かった髪色、目は大きくて肌は陶器みたいな白。服装はもちろん豪華。身長も160センチくらい合ったから、年齢よりも目線が高く見えたんだろう。鏡を見たら、私自身もお人形さんみたいじゃん、と思いながら。
……そしてこれは、転生というものだろうか。私はカノンとして生まれ変わった何者なのか。それとも、私はただ、過去の記憶を無くしているだけなのでは?
いや、きっと違う。私は何もかも忘れたわけじゃない。この世界でない世界のことを、漠然と知っているのだ。
正直、転生や異世界といった本はあまり読んだ事がない。ただ、私はこの世界にないものを覚えていて、それに似たものを見ると懐かしいと感じる。この世界のものは、新鮮だと感じる。
つまり、これはあくまでも仮定だけれど、私は生前別の人格として生きていて、彼女に憑依している、という表現の方が正しいかもしれない。
そんな彼女は若くして音楽や物語の才能があったらしい。たくさんの楽譜や振り付け、そして脚本を作り上げてきた記録や功績がずらりと部屋に並んでいた。リリィもアランも、それを得意げに見せてくれた。
「二人とも、お嬢様が好きなんだね」
「はい、お嬢様は凄い方です。私の憧れですから」
「あぁ。俺もお嬢様のためならなんだって出来る。……でも、アイツが」
アランが渋い顔をする。その理由は、教会で出会った女の子。彼女はオルヴェーニュ侯爵の娘、セロ・オルヴェーニュだった。
二つ下で、昔は一緒に遊んでいたこともあったらしい。けれど、いつからか同じ文芸の道を歩み、カノンだけが評価されていくことを、よく思わなかったらしい。いわゆる嫉妬別れ。
そんなある日、彼女が告発した。カノン・ラトゥールは盗作をしている。これは重大な国への
「お嬢様は……本当にそういうことをした過去があるの?」
「そんなわけないだろ!! アイツに
「アラン、証拠もないのにそんなこと言わないでください」
「リリィお前、どっちの味方なんだよ」
「……私だって、本当はお嬢様の味方でいたいのです」
「何か、理由があるの?」
「……お嬢様は、悪役を自ら買って出ていたんです」
*
この国はいわば芸術大国だった。様々な芸術を世に送り出し、周りの国から客を集め、国を潤していく。
それにはしばしば、芸術の利権争いが絡んだ。優秀な音楽家や演出家、俳優を引き抜いて他国へと移住させようとする人間。ひどい時には拉致、誘拐されることも少なくなかった。
それに待ったをかけたのは、ラトゥール公爵だった。そして、本人も有名な脚本家であるカノンは各国にこう告げた。
『我が国の根幹である芸術を、大切な芸術人を奪おうとするのなら、代わりに自国の首都を土地ごと持ってきたまえ』
と、
そして続け様に法令を整備し、彼ら芸術人には潤沢な報酬を与え、この国から優秀な人材が流出することを未然に防いだ。はじめはこれらの政策に、流石は文芸官様と歓喜の声が上がっていた。
ところが、大きすぎる声に受ける煽りも大きかった。それを良しとしない市民、そして腹いせに他国からの糾弾が相次いだ。
フレイミニアン公国には
彼女が国の芸術を守ろうとすればするほど、自国民からの圧力は強くなり、やがてカノン・ラトゥールの名前は悪名として
*
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