8、次元の壁

 ここはどこだろ? 見回してみる。たぶんだけど、リアルの方だ。でも、そんなことはどうでもいい。あのときのミオの顔が、オレの頭を離れないんだ。

 勇者であること。それはミオにとって、とても大切なことなんだ。そして、あんなことになって、だからミオは自分が勇者であること否定されたみたいな気持ちになったんだ。それであんなふうに――。オレはまた間違ったんだ。

 オレにはもう分からない。あの世界をどうすればいいのか、もう分からないんだ。でも眠れば、あの世界に向き合うしかなくなる。それが怖い。

 遠くからセミの声が聞こえてくる。オレの世界はミオを傷つけてばかりだ。オレはいったい、何を間違ったんだろ?

 カーテンを開ける。空がきれいだ。オレの世界の空もきれいだった。この世界とオレの世界、いったい何が違うんだろ?

 いいや、本当はわかってる。オレの世界は狭いんだ。物理的にも、精神的にも。ミオが羽ばたこうとするたびに、その翼を傷つけるんだ。

 オレの世界はもうだめかもしれない。だったら、ミオをどうすればいい? オレはミオをどうすればいいんだよ!?

「アンタ、なにやってんの? そんなところで」

 部屋の隅で体育座りしてるのが、そんなに珍しいかよ?

「オレはクリエイターなんだ。だから考えてるんだよ……」

「あっそ、ご飯よ」


          ◆


 いつものように、オレは玉座で目を開けた。

 でも、いつもと何か違う気がする。この世界がシンとし過ぎてる。ミオはどこだろ? でも、まだ探す勇気がない。オレにできることと言えば待つことだけ。本当にそれだけなんだ。

 神殿の中はとても静かだ。こんなに静かだったかなって思うくらい。そうだよ、この神殿を作った日にはもう、ミオはここにいたんだ。だから……この神殿はまだ、ミオがいないことに慣れてないんだ。

 いつもの石畳の広場に、タルタロスがぽつんと突っ立ってた。その背中が孤独を訴えてるようにも見えて、目をそらした。

 そんなタルタロスのわきをすり抜けて、神殿の外に出る。こっちの地平線から向こうの地平線まで、全部、全部が静かだ。風が吹いて草原の草が応えてる。でも音がしない。海が見えた。波の音が聞こえてほっとする。

 それだけが、その音だけが、この世界の音、この世界の息吹で、オレの世界がまだ、かろうじて死んでないことを教えてくれる。

 砂浜に座ってみた。波が砂浜に白い泡の線を残していく。そういえば、行商人と最初に語り合ったのはこの場所だったよな。

 空を見上げてみた。透き通るほどに青かった。かえって不安になるくらいに。青く澄んで、透き通って、今にも消えてしまいそうだ。

 この世界って何だったんだろ?

 この世界で、オレは何がしたかったんだろ?

 オレは……オレはただ、ミオに笑ってほしかった。ミオに……しあわせになってほしかった。ただ、それだけだったのかもしれない。でも、別にミオが好きとか、大切とか、そういうことじゃなくて……いや、やっぱりそういうことなんだけど。でも――。

『そろそろデレなせえ』

 デレてどうするんだよ!? オレにはもう、わからないんだよ……。


 魔王の首塚にやってきた。神殿を取り囲む林の中に建ててみたんだ。お墓が無いなんてかわいそうだからな。今、魔王は黒く濡れたように光る御影石の下で眠ってる。ぼこぼこにされて引きずられてたことは忘れててほしい。

 ミオと魔王は最後まで言葉を交わすことはなかった。でも、ミオがあの黒騎士と戦ってるとき、たしかに感情のやり取りみたいなものを感じたんだ。だから、きっと魔王には魔王のドラマがあったんだ。背景とか、生い立ちとか、配下との関係性とか、人間に対する思想とか。でも、オレはそういうものがあるとさえ思わずに終わらせた。魔王も魔族も無理やりに殺した。オレの世界は、息苦しくなるほどに狭い。それはオレのせいなんだ。

「我があるじ、我が御光!」

「えっ?」

 かたわらに一人の神殿騎士がひざまずいてた。おそらく『最初の一人』だ。

「お前か……」

 そんなしゃれた言い回し、どこで覚えたんだよ?

「いかがなさいました? 何かお気にかかることでも?」

 お前が原因なんだよ……。でも責められない。こいつはただオレに与えられた能力で、オレに与えられた役割を果たしただけなんだ。

「心配してくれるのか。ありがとうな」

「とんでもございません。さぁ、胸にかかることがおありなら、どうかわたくしめに打ち明けてくださいませ」

 そんなことしても、しょうがない気もする。でも、いちおう聞いてみる。

「なぁ、お前は魔王と戦ったんだろ?」

「はい」

「魔王は最期に何か言ってなかったか? どんな様子だった?」

「さぁ? わたくしは神意に従い、首を切り落としただけですので」

「なんでもいいんだ。教えてくれ」

「我があるじ。あんな虫けらの見苦しい最期など、あなたさまの記憶に残す価値はございません」

「ちがう、ちがうんだ。オレは知りたいんだ。だから教えてくれ!」

 神殿騎士は少し考えこむようにうつむいて、また視線をオレに向けた。

「そういえば……」

「そういえば?」

「いまわの際に、なにかぶつぶつ言っておりました」

「そうなのか!? それで!? なんて言ってたか、わかるか?」

 オレのその問いかけを待っていたみたいに、神殿騎士は胸を張った。

「いいえ。わたくしは虫けらの言葉は解しませんので。ただ、わたくしの見たところ、我があるじの前にひれ伏し、ひたすらに許しを乞うていたのでしょう!」

 なにを言ってるんだ!? そんなわけないだろ!? オレがそんな言葉を求めてるとでも思ったのかよ!? こいつはこんな立派な騎士の格好をしてるのに、こんな馬鹿なことしか言わない。でも、それだってオレのせいなんだ。

「もういい。下がっていいぞ」

 熱心なファンが狂信者に変貌したときのバンドマンの気持ちが分かったぞ。こんな感じなのかよ。ぜんぜんうれしくないぞ。こんな世界に長くいたら、ミオだって歪んでしまうかもしれない……。


 東の村にも足を延ばしてみる。途中、どこまでも広がってそうな草原を見渡す。綺麗だと思う。でもそれだけなんだ。ただ、草原がそこにあるだけ。きっとこの世界に、ミオの未来はないんだ。リアルはクソゲーだと思ってたけど、オレの世界の方がクソゲーだったんだ。

 村の入り口には、相変わらず看板おじさんのカンヴァンがいた。でも様子がおかしい。看板に寄り添って、目がうつろだ。

「……なにやってるんだよ?」

「ああ、トーヤ様ぁ」

 うつろな目のまま、オレを見た。

「ケイオス様は、この世界を見捨てようとなさってるのですかぁ?」

「な、なんでだよ?」

「だってぇ、空がちょっと綺麗すぎますよぉ……」

「なに言ってるんだ! わけわからないからな!? ケイオス様はこの世界を見捨てたりしないぞ!」

「ほんとぉですかぁ?」

「本当だ!」

 勢いだけで言い切って、なんだか後味が悪い。

 広場まで来た。周りを見回すと、だいぶ村の復興が進んでる。なぜか神殿騎士団の連中もいて、材木を運んだり、れんがを積み上げたりと復興に一役買ってる。基本的にいいやつらなんだ。オレのせいで歪んだだけで。

 広場の片隅には小さな石碑が建てられてた。オレに作った覚えはないから、きっと村の連中が建てたんだ。たぶん、ここで死んだ魔族たちを追悼してるんだろう。みんないいヤツらだな。オレの作ったキャラとは思えない。

 村の共同墓地まで来て、まだ新しい墓を見つけた。この下に行商人は眠ってる。墓石のなんちゃってアルファベットは相変わらず読めない。でもこれで『ドゥーグ』って読むんだろう。オレが行商人に付けた名前だ。ずっと行商人って呼んでたから、しっくりこないけど。

「行商人、オレ、どうしよう?」

 墓石を撫でてみる。でも、行商人は何も言ってくれない。

「行商人、オレ……いだあっ!?」

 前につんのめった。誰かがオレの背中を蹴ったんだ! 慌てて振り返れば、そこにはテムがいた。

「なにやってんですか、トーヤ様?」

「お前……人を蹴り飛ばしたらだめなんだぞ!? ケイオス様のバチがあたるぞ!?」

「あーハイハイ、そうですか、どーも!」

 え? なに? なにその態度? オレ、もう完全に舐められてない? というか何、その背中の荷物? もしかして家業を継いだのか?

「トーヤ様が辛気臭い顔してるから気合入れてあげたんだよ! 感謝しろよなぁ?」

 なんてヤツだ!

「あーあ! トーヤ様がすっごいヘタレてたから、結局おれ、父ちゃんのこと悲しむヒマなかったなぁ」

「そ、それは悪かったと思ってる……」

「じゃ、なんか買ってくれよ」

「えっ?」

 背中の荷物を下ろして、手際よくオレの前に商品を並べてくテム。

 傷薬、毒消し、目薬、リンゴジュースにサンドイッチ、そして毒除けのペンダントも。なつかしいな。もう本当に遠い昔のことみたいだ。

 結局、一通り買わされてしまった……。さすが行商人の息子だよ!

「じゃ、おれ行くよ!」

 手際よく荷物をまとめると、テムは立ち上がった。

「トーヤ様も、とっとと自分にできること、やれよなっ!」

「あ、ああ……」

 手を振って、歩き出すテム。荷物でほとんど隠れてるけど、でもその後ろ姿は行商人そのものだった。やっぱり親子なんだ。これからどこに行くんだろ? あいつが行商できる場所、増やした方がいいのかな?

 広場まで戻ると、ちょうどウェイがいた。

「トーヤ様」

 えらく丁寧にお辞儀される。

「おう。さっき墓地でテムに会ったよ。元気そうでよかった。オレのせいでオヤジさんのこと悲しむヒマなかったとか言ってたぞ」

「はは、そうですか」

 ウェイはテムの兄貴分らしく笑う。

「最初は、あいつだって泣きじゃくってたんですけどね」

「え? いつ?」

「ええと、あの、トーヤ様がミオ様のおムネに……」

「あ~、その、オレが寝てるときに、だな?」

「そうです。でもそのときに、ミオ様があいつに言ってくれたんです。『きっと行商人さんはこの村を守るために戦ってくれたんだよ。だから誇りに思ってあげてね』って」

「そ、そんなことがあったのか……」

「ねえ、トーヤ様」

「ん?」

「村の復興が終わったら、僕、マゴーメさんとの結婚式を挙げたいと思ってます。僕たちだって、いつまでも落ち込んでいられませんからね。そのときは、相談に乗ってくれますか?」

「あ、ああ! もちろん!」

 お前たちはまだ、この世界で物語を紡ぎたいと思ってくれてるのか……。ありがとうな。

 ウェイと別れて、また歩いてく。

 みんな自分の人生を生きてるんだ。これからもそうあってほしい。自分の人生を生き切ってほしい。オレのことは……神様のことは忘れてもいいから。


 なんだかんだでいい村になったな。そう思いながら歩いてた。そして神殿への帰り道、草原の真ん中に立つミオを見つけた。

 村の連中が温めてくれた気持ちが、一瞬で冷えてた。風に吹かれた草原の草が揺れて、その中に立つミオの背中がとても頼りなく見えた。はかなげで、今にも消えてしまいそうだった。この世界にひとりぼっちで、「さみしい」って口に出して言ってるみたいだった。

 オレは声をかけることができなかった。目をそらして、また茶色く踏み固められた道を歩いた。

 ミオ、ごめんな。オレのこの世界は失敗作なんだ。この世界はクソゲーなんだ。ごめんな、ミオ。

 オレの世界はだめだった。優柔不断で頼りなくて、行き当たりばったりで歴史の積み重ねが無くて、うすっぺらでその場しのぎで、誰かがやり尽くしたことを改めて擦ってるような、そんな世界だった。ほんのちょっと突かれただけで、弾けて飛んで、跳ね上がって跳ねまわって、歪んで壊れて、一生懸命頑張ってる人の気持ちを傷付けて踏みにじってしまう。

 どうしようもない。どうしてなんだよ?

 オレの世界は、虚無の世界だ。


          ◆


 リビングのソファの上でとろけそうになってた。そのまま床にどろりと転げ落ちる。

「ヴァ~」

 変な声しか出てこない。

 オレの世界は、どうしてあんなに退屈だったんだろ。どうしてあんなに狭苦しかったんだろ。どうすればよかったんだ? どうすれば?

 委員長、ヤンキー、ヲタ野郎、ウチの担任。みんな自分の意志を持って、このリアルを生きてたな。もしかしてだけど、オレの世界があんなにも狭かったのは、オレがいろんなことを知ろうとしなかったからなのかな? 世界のこと、他の人たちのこと、とにかくいろんなことを知ろうとしなかったからなのかな? 考える材料が圧倒的に不足してて、だからこんなことになってしまったのかな? もっといろんなことを知ってれば、もっと自分の世界を作り込めて、もっと広い世界をミオにプレイしてもらえたのかな……?

「灯也、アンタなにしてんの?」

「だから……考えてるんだよ」

「あっそ。じゃ、行き詰ったクリエイターさんに恵んであげようね~」

「……なんだよ、これ?」

「県立美術館でやってる絵画展のチケット。クリエイターってこういうのを見に行ったりするんでしょ?」


 美術館前のバス停で降りると、突然、雨が降り出した。追い立てられるようにして美術館に入ると、すうっと雨の音が遠のいた。チケットを渡して、絵のかかる回廊に入る。

 ねばっこく降る夏の雨の音。それを遠くに聞きながら、絵を見てまわった。絵の前にくると、心の中にふわっとした印象が形作られて、それでも足は次の絵に向かってた。印象は尾を引きながら、次の絵の印象と混じりあってく。まるで水槽の中の魚になったみたいだ。

「んっ?」

 一つの絵の前で立ち止まってた。題名が『勇者』になってる。あらためて絵を見てみる。背中を向けて両手をいっぱいに広げた少年が、画面いっぱいに描かれてる。そして余白は全部黒で塗りつぶされてた。

 どうしてこれが勇者なんだろ? よく分からない。でも、どこかで見たような気もする。とにかく少年の背中の存在感がすごい。この絵を描いた人は、つまり絵がうまいんだ。

 オレも絵にしておけばよかったのかな? そしたらこんなに苦しまずにすんだのかな? ぱっと見、うまく描けてたら、こんなふうに飾ってもらえたんだろうな……。

「何か失敬な事を考えてないかい?」

「うえっ!?」

 振り返ったら、そこにはあのときのオッサンがいた。あのときオレに『ソロプレイを極めたらクリエイターになる』って予言したオッサンだ。

「もう一度、よく見てみよう。絵の中にもストーリーはあるんだよ。ほら、ごらん」

 オッサンが勇者の絵を指さす。

「少年が両手を広げているね。いったい彼の前には何があるんだろう? どんな困難があるんだろう? そして少年の背中の側には誰がいるんだろう? 少年は誰を守ろうとしているんだろう? それは少年の大切な人かもしれないし、あるいは絵を鑑賞しているおじさんたちだと考えることもできるだろう。そういう想像の連鎖を誘発する仕組みがこの絵にはあるんだよ」

 オッサンはオレの肩に手を乗せる。

「それを可能にしているのが、この少年の背中の存在感だ。絵という平面の中に、この背中の立体的な質感を出すのは、相当な研鑽が必要だったはずだよ。作者は絵の技法に精通することによって、この絵に、この少年の背中に、一つの哲学を込めることに成功したんだ。君はそうは思わないかい?」

 そう言われると、そういう気もしてくる。少なくとも流し見してたときよりは、目の前のこの絵がはっきり見え始めた気がする。

「いろんな経験を積んで、周到に準備して、すみずみにまで心を配って、丁寧に作り上げられた。おじさんにはこの絵がそういうものに見えるんだ」

 オッサンは目を細めて、口もとにはわざとらしいほど柔らかな笑みを浮かべて、絵に見入っていた。

「なぁ、オッサンは誰なんだよ?」

「おじさんはね、神様だよ」

 オッサンは絵に向けたものと同じ視線をオレに向けた。

「灯也くん、ミオちゃんは元気かな?」

「じゃあ……やっぱりミオは『次元の旅人』で、オッサンからの『贈りもの』だったのかよ!?」

「そうだよ。君がクリエイターとしての第一歩を踏み出したお祝いにね」

 うれしそうにオッサンは言った。

「ミオちゃんはね、おじさんの作った粘土細工だ。ひとつかみの勇気のイデアをこねて、そこに君の世界観に沿った過去を練り込んで、そうして作り上げた人形なんだよ」

 勇気のイデア?

「いや、勇気のイデアってなんだよ?」

「勇気という概念、勇気そのものさ。イデアはね、おじさんたちがキャラクターを作るときの材料なのさ」

 そうか……ミオは神様の作ったキャラだったんだ。

「でも灯也くん、見たところ君はミオちゃんを持て余しているようだねえ。せっかくおじさんが魔王を送り込んであげたのに、そのシチュエーションもうまく生かすことができなかったし」

「魔王!? あれもオッサンがやったのかよ!?」

「そうだよ」

「な、なんで……?」

「勇気の本質は『未知の領域に一歩踏み出すこと』の中に在るからさ。魔王と魔王軍について本当の意味で知る機会を、おじさんは提供したんだよ。そしてもし、彼女が再び魔王と出会っていれば、もしかしたら前回とは違う、また別の結末があったかもしれないね。でも君は『暴力』を用いて、自分にとって不快なものを潰しただけだったねえ」

 そんなこと、そんなこと理解ってる。でも――。

「行商人が、死んでしまったんだぞ?」

「だからなんだい? キャラクターというのは、生きていればいいってもんじゃない。『行商人』というキャラクターが君の心に残ったとすれば、それは成功なんだよ」

 どんな価値観なんだよ! 神様って、そんな残酷なこと考えてるのかよ!?

「オレは……これからどうすればいいんだよ?」

「さぁ?」

 あいまいな笑顔。視線はねっとりとオレを捉えてる。

「でも、君にとってミオちゃんが重荷なら、切り捨ててしまってもいいんじゃないかい?」

「き、切り捨てるぅ!?」

「そう。世界観や全体のバランスを崩すようなら、削除(オミット)しないとね。どんなに良いキャラクターでも、しょせんは人形なんだから」

「違う! ミオは人形じゃないッ! 人間なんだッ!!」

「だったら、考えないとね。もっともっと、いろんなことをね」

 結局、考えるのかよ! クリエイターって考えてばっかりだな!!

「……最後に一つ、聞かせてくれ」

「なんだい?」

「どうして……ミオにあんなエロいカッコさせてるんだ?」

「それはね、『かたちの美しさ』にはこだわるように言われてるからさ」

「言われてる? 誰に?」

「ミューズに」

「ミューズ?」

「芸術の女神。おじさんたちの上司だよ」

 次の瞬間には、オッサンの姿はもうどこにもなかった。あたりからは絵を鑑賞する人たちのささやくような声が聞こえてくる。誰もオレのことを気に留めてない。今の会話って、本当にあったことなのかな? もう分からなくなってる。

 もう一度、絵を見てみた。どこかで見たことあると思ったら、あのときの――村の広場で空のひび割れと対峙してたときの、ミオの背中に似てるんだ。あのとき、ミオは背中に村の連中と……それからオレを背負ってたんだ。


 エントランスから外に出ると、雨はもう止んでた。雲の切れ間からは青空も見えてる。しかも、おあつらえ向きに虹までかかってた。

「神様があんなでも、この世界は時々、美しいんだ」

 湿気を含んだ生温かい風が吹いて、シャツの首周りがじっとりと汗に濡れていく。でも別に不快ってわけじゃない。そして美術館の階段を一歩、また一歩と下りるたびに考えが形になって、決意が固まっていく。

 オレはまだ神に……クリエイターになり切れてなかった。オレの世界は失敗作だ。ミオはもうあんな狭い世界にいたらだめなんだ。ミオがこれからも成長していくなら、そして自分の中にあるいろんな可能性を試していくなら、オレはミオを……この世界に連れてこなきゃだめなんだ!

 リアルのオレはもう万能じゃなくなる。だからミオのためにできること、減ってしまうかもしれない。そんなオレに、ミオは幻滅するかもしれない。でも――。

「……ッ!!」

 自分で自分を殴りつける。痛い。自分を殴るのってたぶん、生まれて初めてだ。通りすがりの人がびっくりしたようにオレを見てた。頭のおかしいヤツって思われたかも。でも、そんなことはどうでもいい。

 そうだよ、そんなことはどうでもいいんだ。オレはミオをしあわせにしたいんだ。そのためにできること、なんでもしたいんだ。ミオに新しい世界を見せたいんだ。ミオをこの世界に連れてこなきゃだめなんだ。あんな神様の世界だけど、ここはとても広いから!

 これは別にミオが好きとか、大切とか、そういうことじゃなくて……そうアレだよアレ! そういうことなんだって、そう言ってるだろ!?

 とにかくやるぞ! オレはやるんだ!


 家に帰りついて、パソコンを立ち上げた。製作途中のゲームを呼び出して、一つのプログラムを打ち込む。祭壇の上の玉座に座ったとき、リアルにあるオレの部屋にワープする、そういうイベントを作ってやるんだ! はたから見れば完全に黒歴史、それ以外の何物でもない! 自分で作ったゲームのキャラクターを現実に呼び出すためのプログラムとか、ぜったいに正気じゃない! そんなことわかってる! このゲームがリリースされたとして、物好きな誰かが中身を見たら、思わずニヨニヨするだろうな! でも、そんなことはどうでもいい! オレにとって、これは黒歴史じゃないんだ! オレにとって、これはとっても大切なことなんだ!

 プログラムを書き終えて変更を保存する。そしてオレはベッドにもぐりこんで、ふとんを頭からかぶった。


          ◆


 おなじみになった玉座での目覚め。神殿を飛び出して、タルタロスの背中を見つける。

「タルタロス! ミオはどこだ!?」

 タルタロスは黙りこくって、じっとうつむいてる。

「ようし、わかった!」

 オレは草原へと飛び出して、ミオを探す旅に出た。


 ――ミオはどこにもいなかった。


 夕日に照らされた海が、やたら綺麗だった。そのまま前のめりに倒れた。

 終わった。何もかも。

 ミオはどこにもいない。そんなはずないのに。ミオがいなくなるなんて。ミオ、どこだよ? どこに行ったんだ? もしかしてオレの世界から旅立ってしまったのか? あのとき、最後にミオを見たときのあの儚い感じは、そういうことだったのかよ!?

 ミオがいなくなったら、オレはどうすればいいんだよ!?

 寄せた波が右耳をくすぐって、白く弾ける泡の音を残して引いていった。

 初めはダークファンタジーをやろうとした。でも途中で挫折して停滞したまま日常を繰り返した。そして最後はミオの心に取り返しのつかない傷を付けて終わった。それがオレの世界なんだ。

 ごめんな、ミオ。ごめんな。

 波の音がする。ミオは海から来た。だから海に還ったんだ。

 砂を踏む音が近づいてくる。誰だろ? 行商人かな? いや、あいつはもう……。そうか、息子の方だ、きっと。

「トーヤ」

 懐かしい声が聞こえた気がする。

「トーヤ、起きて」

 とりあえず仰向けになってみる……。

「こんなところで寝てたら風邪ひくよ?」

「ミオ……」

「えへへ、なんだか久しぶりだね! トーヤってこんな顔してたっけぇ?」

 くちゃくちゃと、ミオが俺の顔を撫でまわした。

「ろこいってたんらよ、さあしたんにゃぞ……」

「うん、ごめんね」

 砂浜に並んで座ると、西日が目に染みた。本当に西日が目に染みただけで、泣いてるわけじゃないんだ。本当だぞ!?

「ごめんね……」

 なんであやまるんだよ!? 本当にオレが泣いてるみたいだろ!?

『そろそろデレなせえ』

 うるさいぞ! お前はちょっと引っ込んでろよ!!

「ねえ、トーヤ」

「え!? な、なに?」

「急にいなくなって、ごめんね」

「い、いや、いいんだ」

 戻ってきてくれたんだから。

 沈黙とかいう空白を、波の音が埋めていって、オレのとなりにはミオがいる。ずいぶん久しぶりな気がするな。なんてゆうか……安心する。

「ねえ、トーヤ」

「うん?」

「お話、していーい?」

「もちろん」

 茜色をたたえた水面が揺れてる。この世界はまだ生きてる。

「あのね、ボク……」

 少しだけ、間ができる。

「……勇者じゃないボクになっちゃうのが、怖かったんだと思う。だから魔王を倒すのは、ボクがやらなきゃいけないことなんだって思っちゃった。そしてそれができなかった自分にガッカリしちゃったんだと思う」

 ミオの横顔を見た。気のせいかもしれないけど、ミオの目がうるんでるように見えた。

「でもね、一人になって考えてみたら、それだけじゃなかったんだ。ボク、魔王がかわいそうだったんだよ」

「え、どういう意味だよ?」

「うん、うまく言葉にできないんだけど……。初めはさ、ボクだって魔族のこと憎んでたよ。だってボクの家族を奪ったひとたちだから。でも、ずっと戦ってるうちに、それだけでいいのかなって思ったんだ。ほんの少し、ほんの少しでも何かあれば、別の未来もあるんじゃないかなって考えてたんだ。でもその『ほんの少し』がないまま、ボクは魔王を倒したんだ。戦いが終わった後も、ボク、ずっと考えてた。本当にこれで良かったのかなって。もっと何かなかったのかなって。考え始めると、ボク、眠れなくなるんだ」

「……うん」

「だから魔王がまた現れたとき、ボク……ちょっと期待しちゃったんだ。今度こそ『ほんの少し』を見つけることができるかもしれないって思ったんだ。でもできなかった。魔王はあんなふうに死んじゃった。ボクたちはいつもこうなんだ、どうしてなんだろう? そう考えたら、魔王のことがかわいそうになったんだ」

 ミオがオレを見た。

「ねえ、トーヤ、魔王はもういないよ? ボクが今までやってきたことは本当に正しかったのかな? わかんないよ、トーヤ。ボク、もうわかんないんだ……」

 夕焼けに淡く照らされたミオ。こぼれる涙を懸命に拭って、自分の想いを口にする。綺麗な女性(ひと)だと思う。こんなに美しいひとがオレのとなりに座ってるんだ。

 ミオが泣き止むまで、オレは茜色の海を見てた。やっぱりオレは間違ってなかったんだ。もっと広い世界に、ミオを連れていくんだ。

「ミオ。オレ、ミオに謝らないといけないことがあるんだ」

「え……なあに?」

「オレのこの世界が、失敗作だったこと」

「……どうゆう、意味?」

「オレはあの神殿の管理人じゃないんだ。オレがこの島の……この世界の神なんだ。この島はオレが作ったんだ。そしてミオは……ミオと魔王はここじゃない世界からやってきたんだ。オレの世界はミオと魔王の存在を受け止めることができなかった。ずっと狭苦しくて、ミオのこと傷つけてばかりだった。停滞した世界に、ミオのこと、閉じ込めてたんだ」

「ねえ、待ってトーヤ! ボク、よくわかんないよ……」

 ミオは戸惑ってるみたいだ。無理もないけど……。

「でも……でもね、トーヤ」

 ミオが言葉を継いだ。かすかな風がそっとオレの頬をなでる。

「もし……本当にここがトーヤの創った世界なら……ボク、トーヤの世界、好きだよ! のんびりして居心地がよくて、やりたいことができたし、疲れたらトーヤとおしゃべりできたんだもん。だからボク、トーヤの世界、好きだよ!」

 最後にそう言ってもらえて、本当にうれしいよ。

「ありがとうな、ミオ。でもオレ、ミオのこと連れて行かなきゃ」

「連れて、いく?」

 そう。

「なぁ、ミオはこのままでいいのかよ? 今度こそ魔王は死んだんだ。もうどこにもいない。だからミオはもう、過去から自由にならないといけないんだ。自分のやりたいこと見つけて、生きていかなきゃだめなんだ。なぁ、ミオはこれから何がしたい?」

「でも、ボク……わかんないよ」

「ずっと勇者としての生き方しかしてこなかったとしても、これからまた、新しい生き方、見つけられるんだ。ミオの中には、まだたくさんの可能性が眠ってるんだから」

 オレ、こんなこと言えるヤツだったんだ。オレがオレじゃないみたいだ。

「だからミオ、オレといっしょに来てほしいんだ。連れていくよ、ここじゃない世界に。そこはオレなんかよりよっぽどイカレたヤツが神様をやってる世界なんだ。そこにはつらいことも理不尽なこともあって、でも人のいちばんいいところを引き出して成長させてくれるところもあって、ときどき優しくて、美しくて、悪くないなって思える世界なんだ。いろんな世界観がちょくせつ触れ合って、そして何より、時間がなめらかに流れるんだ」

 波が引いて、また戻ってくる。オレはミオをこの世界から連れていく。

「オレといっしょに旅に出よう?」

 なみだのあとが残るひとみで、ミオはオレのことをじっと見てた。

「よくわかんないけど……」

 そう言ってから、ミオは微笑んだ。

「でも、せっかくトーヤの方から誘ってくれたんだもん! いいよ! ボク、トーヤの行くところに行くよ! だってボク、トーヤといっしょにいたいんだもん!」

 立ち上がって、ミオに手を差し伸べた。ミオがその手を取って立ち上がる。神殿へ。オレたちは手をつないで歩いた。


 祭壇のきざはしを上って、玉座の前に来る。

「ここだ」

「ここ?」

「ここに座ると、向こうの世界に行けるんだ」

「……でもトーヤ。この玉座って一人用だよ?」

 そういえばそうだ。玉座を拡張するのを忘れてた。

「ま、まあ、あれだ。二人で座ればいいだろ? こう、重なって……」

「言い方がやらしいよ、トーヤ! つまりボクをひざの上に座らせたいんだよね?」

「ち、ちがうぞ!」いや、結果的にそうなるけど。「でも、そうするしかないだろ、って話だよ!」

「ふぅん? いいけどね~」

 そう言ってミオは、祭壇の下でひざまずくタルタロスのところへ駆け下りてった。

「じゃ、タルちゃん! ボク、行ってくるよ!」

 ぎゅっとタルタロスをハグするミオ。巨大なはずのタルタロスが、なんだか小さく見える。

「ボクのこと守ってくれてありがとう! 大好きだよ!」

 ミオの言葉に、タルタロスもミオをハグした。でもなんだ、その抱きしめ方!? 壊れやすいものをそっと包むような、そんなハグだぞ!?

 そういえばタルタロスはミオのこと、どう思ってるんだろ? 懐いてたことは間違いないけど。オレがタルタロスに言葉を与えなかったから、タルタロスは一度も自分の気持ちや考えを言葉にしたことがないんだ。いつか、なんとかしないとな。

 タルタロスから少し離れたところにもう一人いた。神殿騎士団のヘビーアーマーを着たヤツがひざまずいてる。まちがいなく『最初の一人』だ。

 オレは『最初の一人』の前に立って、ごつい兜に触れてみた。

「……ありがとうな」

「は?」

「ちゃんとお礼を言えてなかったからな。魔王を倒してくれてありがとう。お前はよく頑張った。嬉しく思うぞ」

「光栄至極……」

「褒美に名前をやろう。今日からお前はカロンだ。『冥府の川の渡し守』って意味だ。いいだろ?」

「こ、光栄、至極……」

 もうそれしか言わないつもりか!? まあ、いいけど。

「じゃ、ミオ、行こう!」

「うん!」

 まずオレが玉座に座った。

「……」

「な、なんだよ? は、早く座れよ」

「やっぱり……トーヤってちょっとえっちだよね!」

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