7、魔王

 目が覚めた。ベッドの上で体を起こして、部屋を見回す。ベッドから這いずりだして、スリープ状態のパソコンを叩き起こす。

 そこには何の変哲もない作りかけのゲームがあった。北の森は何ともなってないし、行商人のデータもある。でも――。

「おええっ!!」

 血まみれの兜から、行商人の生首が転げ落ちた。オレはたしかにそれを見たんだ。

 ひたいを撫でる。べっとりと脂汗がついた。いったい何が起こったんだよ? 魔王? よみがえった? なんで?

 風の音がやけにうるさい。大きめの雨粒が何度も窓ガラスを打ち付ける音がする。でも、そんなことはどうでもいい。魔族どもの咆哮が今も耳に残ってる。ミオの無事を祈りながら、オレは村人たちといっしょに部屋の隅で震えていたんだ。今にもミオが変わり果てた姿で、あの扉から投げ込まれるんじゃないかって、怯えてたんだ。

「殺してやる……」

 魔王、お前は殺してやるぞ!! お前はもう二度とミオに触れることさえできないんだ! 虫ケラの分際で調子に乗りやがって!! お前は絶対に殺してやる!! お前の生首も転がるんだよ!!

 さてと。それじゃあどうする? タルタロスにはミオの護衛をやらせないといけないからな。それに魔王軍と対峙するんだから、ある程度、人数をそろえる必要もあるし……。

 行商人の最期の表情が顔に張り付いてたのを思い出す。苦痛にまみれてた。でも、そんなことは全然、大事なことじゃないんだ。行商人は最後に何かをやろうとしたんだ。ヘビーアーマーを装備して……。

 そうか! ヘビーアーマー! こいつを使わない手はないぞ!

 まずは最初の一人。ヘビーアーマーをガチガチに着こんだ騎士を作る。こいつは古代神ケイオスの名のもとに死ぬことを、無上の喜びとするヤツなんだ。人がおいしいものを食べたり、楽しい音楽を聴いたり、親しい人たちと語り合うときに感じる喜びを、こいつはオレの言葉を聞き、オレのために死ぬときに感じるんだ。

 戦闘能力はもちろん上限。全状態異常も無効。もうゲームバランスなんかどうでもいい。タルタロスの最強設定が埋没しても関係ない。とにかく最強であればそれでいいんだ!

 この最初の一人をオリジナルにして、あとはコピーアンドペーストでキャラを増殖させていく。こいつらに個性なんていらない。オレのために生き、オレのために死ねば、それでいいんだ!

 なんかオレ、すごく残酷なこと考えてるな。でも、しょうがないだろ!? きっと神様なんてこんなもんだ! 残酷じゃなきゃ、やってられないんだ!!

 よし、できた! できたぞ! これがオレ渾身の最強軍団! ヘビーアーマーを着こんだ無個性の集団! オレの作ったオレのための騎士団! 一人ひとりに名前なんていらない! お前たちはまとめて『神殿騎士団』だ!!

 よし、いくぞ! 魔王を殺せ! 行商人と同じ目にあわせてやれ! 魔王の生首をオレの前に持ってこい!!


          ◆


「あれ?」

 目を開けると、見慣れない天井があった。

「どこだここ?」

「村長さんちの客室だろ?」

「えっ?」

 声のした方を見ると、テムがいた。ベッドわきの椅子に腰かけてる。

「オレ、どうしたんだ?」

「覚えてないのかよ? 急にミオ様のムネに顔を埋めだすから、どうしたんだろって思ったら、寝てたんだよ」

「そ、そうなのか?」

 そう言われたら、そんな気もする。

「しっかりしてくれよなぁ? おれだって父ちゃんが死んで悲しいんだぞ? それなのにトーヤ様がそんな調子だから、おちおち悲しんでられないよ!」

 め、面目ない……。

「い、いや、ちょっと待て! 別に寝てたんじゃないぞ! ちょうどあのタイミングでケイオス様に呼ばれたんだよ!」

「はぁ?」

「もう安心だぞ! ケイオス様から最強の守護獣の使用許可が下りたからな! 大船に乗ったつもりでいろよ!」

「ふーん? だったら、ま、いいけどさ」

 反応が薄いな。

「ふぁ~。じゃ、おれ、寝るからね」

 テムが部屋を出てった。もしかして……ずっとオレのこと介抱してくれてたのか? いいヤツだな、行商人の息子!

 窓の外がうっすらと明るくなってる。オレはこっそりと村長の家を出た。家の庭にタルタロスがいて、オレを見てひざまずく。ずっとここで見張りやってたんだな。

「ありがとな」

 肩に軽く触れて、オレは庭を出る。

 東の村は、異様な臭気に包まれてた。そこらじゅうに魔族らしいヤツらの死体が転がってる。人間仕様の黒い鎧を身につけたヤツら。でも頭は人間のそれじゃない。ネズミのヤツもいれば、トカゲのヤツも、イヌのヤツもいる。もちろん、首から上がないヤツも。

 村は半壊してた。祭りの飾りつけが崩れた家に絡みついて、朝方のかすかな風に揺れてる。

 先に進んで、村の広場に出た。そこにはミオが立ってた。まるであの空のひび割れと対峙するように。その後ろ姿は頼もしさどころか神々しさまであった。

 ミオ、いったい今まで、どんなものを背負って来たんだよ? 人の死も、魔族の死も、それからもっといろんなものも、背負ってきたのかよ? オレはまだ何も分かってなかった。ミオの話を聞いて、分かった気になってただけだった。

「ミオ」

「トーヤ」

 ミオが振り返って、その表情にオレは安心する。

「トーヤ、よく眠れた?」

「あ? ああ」

「きっと緊張の糸が途切れちゃったんだね。不安にさせてごめんね」

 よく考えたらオレ、ミオにすごく恥ずかしいところを見せたんじゃ? い、いや、考えるな! 考えたらだめなんだ!

「ねえ、トーヤ。ボクのこと、怖い?」

「えっ? な、なんでだよ? ぜんぜん、そんなことないぞ」

「そっか。ありがと」

 怖いってなんだ。むしろそこらへんに転がってる死体の方が怖いぞ……。

「ねえ、トーヤ」

「んっ?」

「ボク、魔王城に行ってくるよ。今度こそ、決着をつけるから」

 よく見ると、ミオの足元にバッグが置いてあった。あのアイテムがいくらでも入るバッグだ。でも、行かせるわけにはいかないんだ。

「いや、いいんだ、ミオ。もう大丈夫なんだ」

「え? どうゆう意味?」

 オレはふところからホラ貝を取り出して、思いっきり吹いた。


 ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!


 ホラ貝の音がフィールドいっぱいに鳴り響いて、空から騎士団が降ってきた。軽くひざを折り曲げただけの、ふわりと軽い着地。それから直立不動の姿勢をとって静止する。すごい光景だ。いい感じだぞ!

「トーヤ……この人たちは?」

「こいつらは神殿騎士団。最強の守護獣で、忠実な神のしもべなんだ。まあ見てろよ!」

 オレは神殿騎士団の前に立つ。

「お前たち! 忠実な神のしもべたち! あれを見ろ! あの禍々しい塔を! あそこには魔王と呼ばれるヤツがいる! この世界を荒らしたヤツの親玉だ! いま、審判が下った! 殺せ! ヤツを殺せ!! 神がそれを望んでおられる! 死を怖れるな! 神は必ずお前たちの忠誠に報いるっ!!」


 オオオーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!


 オレの想像をはるかに超えるリアクションが返ってきた。うわ、気持ちいいな。これがコールアンドレスポンスか! バンドやってるヤツの気持ちが、ちょっと分かったぞ!

「待って!!」

「……ど、どうしたんだよ、ミオ?」

「魔王城にはボクが行くよ!! だって、これはボクがやらなきゃいけないことだもん!」

「ちょ、ちょっと待ってくれミオ。こいつらにやらせよう。こいつらは一人ひとりがタルタロスと互角に張り合えるレべルなんだ。だから、ぜんぜん大丈夫なんだ!」

「違うよ! トーヤたちが戦うのは、ボクが倒れた後でいいんだよ!」

「ミオ!? なに言ってるんだよ!?」

「だって、ボクのせいだ! 魔王はきっと、ボクを追いかけてきたんだよ! 行商人さんはボクのせいで死んだんだ! ボクのせいで……この平和な島が!」

「ちがう! ミオ、落ち着け! そうじゃないだろ! 魔王が何を考えてるなんて、どうでもいい! 考えてやる義理もない! あいつらは行商人を殺した! だからこれはもうオレたちの問題なんだ! だからオレたちがやるんだ!!」

「でも、何が起こるか分からないんだよ!?」

「いいや、大丈夫だ! こいつらはいつだって、神のために死ぬことを望んでる! 神のために死ぬことが、こいつらの喜びなんだ!」

「そんなわけ! ないでしょ!?」

「いいや、あるっ!」

「ねえ、トーヤ、お願い! 聞き分けて!」

「いやだ! 絶対にいやだ!!」

「ボクが行くんだ! ボクがやらなきゃ!!」

「だめだ! ミオはもう戦わなくていいんだ! 戦ったらだめなんだ!」

「トーヤのわからずや!!」

「ミオ! 行かせないぞ! 絶対に行かせないからなっ!! ……いや、どうした?」

「んぐうっ!?」

「な、なあにしてんだぁ!?」

 崩れ落ちそうになるミオを抱きとめる。

「お、おいっ! お前、何やってるんだよ!?」

 オレの目がたしかなら、神殿騎士団の一人が急にミオに当身を食らわせたんだ。なんでだよ!?

「出過ぎた真似だったでしょうか?」

「当たり前だろ!! ……おい、ミオ!」

「うう……」

 よかった。気を失ってるだけみたいだ。


 ガキィィィィィィィィィィィィィィィィン……!!


 鈍い金属音。今度はなんだよ!? 見れば、突如現れたタルタロスの拳がヘビーアーマーの胴にめりこんでた。

「タルタロスゥ!? お前も何やってんだ!? ケンカはやめろ!!」

 胴をえぐられた神殿騎士は、それでも平気な様子で突っ立ったままだ。

「どいつもこいつも!! お前らはオレに絶対服従なんだろ!? だったらオレに従えっ!!」

「では、我が主。我々は出撃いたします。よろしいでしょうか?」

 ヘビーアーマーの胴がへこむほどの打撃を受けたのに、涼しい声だ。でも、行かせていいのか? いや、行かせていいはずだ。でも、どうしてなんだ。どうしてこんなに不安になるんだ。行かせていいのか? 本当に行かせていいのか?

「……いや、待て」

「は?」

「待機しろ……待機しろぉっ!!」


 村長の家に戻って、ミオを客室のベッドに寝かせた。そのままミオの寝顔を見つめてる。オレは間違ってないはずなんだ。ミオはもう戦わなくていいはずなんだ。もう傷ついちゃだめなんだ。

「ほいよ。お水とタオルな」

「ありがとな、テム。あとはオレがやるよ」

「うん……」

 テムを見送って、オレはまた考える。

 オレは間違ってない。間違ってないはずなんだ。魔王を討伐するのは勇者だなんて誰が決めたんだ。見た目が騎士で中身がチンピラのヤツがやったっていいはずなんだ。でも、だったらなんでオレは戸惑ったんだ? なんであいつらを行かせなかったんだよ? オレはミオに傷ついてほしくない。でも、ミオは自分が行かなきゃって言ってた。オレは、本当はミオにどうしてほしいんだよ……。

「ミオ……」

 オレたちが最初に出会ったときも、こんな感じだったよな。あのときからオレ、ぜんぜん成長できてないみたいだ。

 何度もタオルをしぼって、ミオの顔を拭いた。今のオレにできることって、このくらいなんだ。

「ん……」

「ミオ」

「……トーヤ?」

「あ、ああ。大丈夫か? ごめんな、アイツが勝手に暴走したんだ……」

「……もう、行かせちゃった?」

「い、いや、一応まだ待機させてる。でもミオ、あいつらに行かせてくれ。行商人を殺された。これはもうオレたちの問題なんだ」

 ミオはベッドの上で上半身を起こした。そしてオレを見る。さっきの強い光じゃない、優しくて静かな光が、ひとみの中にあった。気圧されそうになる。でも、ここで退いたらだめなんだ!

「ミオ、気持ち悪いと思っても、まじめに聞いてほしい。オレは……ミオが心配なんだ。もう二度と、あの北の森であったみたいなことはいやなんだ。ミオが北の森で地獄ノ樹と戦ったとき、オレはもう二度とミオに傷ついてほしくないって思ったんだ」

「でも……ボクは勇者なんだよ? 魔王と戦って、みんなのこと守らなきゃ。それがボクなんだよ。だからみんなが戦うのは、ボクが倒れた後でいいの」

「オレがいやなんだよ、そういうのが! あのときオレは、もう二度とミオは傷ついちゃだめだって思ったんだ!」

「トーヤ、これはボクがやらなきゃいけないことなんだよ」

「オレたちは行商人を殺された! これはもうオレたちの問題なんだ! この島の問題なんだよ!」

「ねえ、トーヤ、お願い。ボクの誇りを奪わないで。お願いだよ、トーヤ」

 誇り? 奪う? そこまで? でも、オレはもう――。

「だめだっ! オレはもうこれ以上、ミオが傷つくのを見たくないっ! オレは弱虫でいい! でも、オレがもう見たくないんだ!」

「トーヤ、お願い、わかって!」

「うるさぁいっ! 行かせない! 行かせないったら行かせないぞ! オレの言うことを聞けぇっ!!」

「トーヤ、そんなこと言わないで。ボク、トーヤのこと、嫌いになりたくないよ」

「嫌いになりたいなら、勝手になればいいだろ! オレはミオが守れるなら、もうなんだっていいっ!!」

「失礼しまぁす! お食事をお持ちしましたぁ!!」

「おわぁ!?」

 どんなタイミングだよ、行商人の息子ぉっ!?

「あれぇ? なにやってたんですかぁ? もしかしてフーフゲンカ?」

「おいぃ!?」

「ちがうよ。考え方が違うから、お話してたんだよ」

「そう、そうだぞ。そういうことなんだ」

「ねえ、いい匂いだね。なにを持ってきてくれたの?」

「あ、カレーです! ミオ様、お好きでしょう!? ウェイ兄ちゃんが作ったんですよっ!」

「わあ、ありがとう!」

 客室のテーブルに、手際よく二人分の食事の支度が整えられてく。

「ねえ、トーヤ」

「ん……ん?」

「ごはん、食べよう? ごはん食べると、きっとほっとできるから! ね?」

「あ、ああ……」

 な、なんかうまくはぐらかされた気がする。スプーンいっぱいのカレーをほおばるミオ。にっこりとオレに笑いかける。

 オレはただ、ミオを失いたくないだけなのに……。


          ◆


 顔を上げると、目の前にまっくらになったパソコンのディスプレイがあった。頭がぼーっとする。椅子の背もたれに寄り掛かると、背中のところがゴキッと鳴った。

 これから、どうしたらいいんだろ? 何も分からない。オレはただミオに傷ついてほしくないだけなのに……。

「灯也、アンタどこ行くの?」

 玄関まで来て、母さんに声をかけられる。

「散歩だよ」

 扉を開けると、涼しい風が顔にあたった。空の青に、雲がいくすじもの淡い線を描いてる。

 早朝の道をあてもなくふらふら歩くと、いつのまにかウチの高校についてた。足が自然に、いつもの通学路をたどったみたいだ。新学期の登校日前に、オレがここに来るなんて思わなかった。

 校庭に入ってみる。誰かいないかな? ……いや、オレはなに考えてるんだよ? 誰かに何か言ってほしいのか!? なんでだよ! なんでオレがリアルに期待しないといけないんだ!

「どうしたんだい、水守君? 誰か探してるのかい?」

「えっ? ……あ、ども」

 なぜかウチのクラスの担任がいた。ブラウンのポロシャツにベージュの綿パンっていう無難すぎる格好をして、にこにことオレを見てる。

「水守君のところは、台風、大丈夫だったかい?」

 そうか、昨日は台風だったんだ。どおりで道端に葉っぱや木の破片が転がってると思ったよ。

「あ、大丈夫っス」

「それはよかったねえ。あっ、ところで水守君、彼女ができたんだってねえ。よかったねえ」

 余計なお世話だよ! なんで知ってるんだ!

「青春を駆け抜けるんだよ……」

 ほうきを手に取って、先生がどっか行きそうになる。そ、相談? オレが? いや、でも、ちょっと話してみるだけなんだ!

「せ、先生」

「ん?」

「オ、オレは彼女に傷ついてほしくないだけなんです! でも彼女は、それが自分のやるべきことだって言うんです! 『誇りを奪わないで!』って言うんです! オレは間違ってるんですか!?」

 オレ、説明下手すぎ。でも他になんて言えばいいんだ……。

「……水守君。おそらく、それはエゴだよ」

「えっ?」

「君は本当に、彼女に傷ついてほしくないと思ってるのかい? 本当は傷つく彼女を見て、自分が傷つくのがいやなだけじゃないのかい? 彼女が自分の試練に立ち向かっていくのを、君が受け止め切れていないだけじゃないのかい? 『誇りを奪わないでほしい』とまで言われて、それでもまだダダをこねるつもりかい? だとしたら君はまだ、彼女とちゃんと向き合えていないんだよ」

「……!?」

 ど、どゆこと? 心が痛い! 言葉がオレの心に刺さりまくってるんだ! オレはなめてたのか!? 大人ってやつをなめてたのか!?

「相手を尊重したいなら、君自身が恥ずかしい思いをたくさんして、相手のことを知っていかなきゃいけない。そして、はだかの君になって、はだかの彼女と向き合わなきゃ。そうでないと分かり合えないんだよ」

 夏だからって浮かれてるんじゃないぞ!? オレが教育委員会にチクったら懲戒食らいそうな例え出すとか、どうなんだよ!?

「おっと! もちろん、はだかの部分は例え話、ものの例えだよ。不純異性交遊はNG。先生とのお約束だ」

 あ、そうですか……。

「どうしてもというなら避妊はちゃんとしよう。相手が嫌がってるのを無理やり、なんて、そんなのは論外だ。わかるよね?」

「いや、まあ、はい。でも、腕っぷしは向こうの方が強いですから……」

「あっ……」

「な、なんですか?」

 なんで今、察したんだ? 何を察したんだよ!?

「あ、いや、そうじゃなくて、お似合いの二人だなぁと思ったんだ。あぁそうか、やっぱり水守君には、ぐいぐい引っ張ってってくれるパワフルな女性が似合ってるよねえ、ハハハ……」

 なんだよ、その笑い!? 本当にそう思ってる!?

「まあ頑張りなさい。青春だねえ、ハハハ……」

 ほうきを片手に、お気楽な背中が遠ざかっていく。なんて担任だ! せっかく少し見直してやったのに……! ま、まあいいか。とにかく今はミオのことを考えよう。

 でも……どうすればいいんだよ? オレは自分が傷つきたくないから、ミオのこと心配してるだけなのか? だったら、どうすればいいんだろ?

 魔王と戦うことを決意したミオ。勇敢であること、そして勇者であること、それは絶対にミオから奪い取ってはいけないものなんだ。だったら、オレにできることって何だろ? オレはそれをやらないといけないんだ。

「オレも戦う……ってこと?」

 もう、それしかない気がする。ミオについていくんだ。いちばん近くで勇者ミオを見て、ミオといっしょに戦うんだ。もしミオといっしょに死ぬことになったら、それだっていいよ! オレはもっとミオのこと、知らないとだめなんだ!


          ◆


 目を開けたとき、そこは村長の家の客間のベッドだった。早朝のひんやりした空気が部屋の中に忍び込んで、少し寒い。

 居間に行ってみると、そこには村のみんながいた。ソファや敷布を敷いた床で寝てて、小さく寝息が聞こえてくる。

「寝息、か」

 そうだな、みんな生きてるんだ。そんなことをふと思って、家の外に出た。村長の家の庭にはタルタロスがいた。オレを見てひざまずく。

 白っぽい夜が白み始めてた。オレはタルタロスと一緒にそれを見上げてた。そっと村長の家の扉が開く。あたりをうかがいながらミオが出てきた。

「あ……トーヤ」

「ミオ」

 ミオは肩から例のバッグをかけてる。準備万端ってわけなんだ。

「トーヤ、やっぱりボク行くよ。お願い、止めないでね」

「止めないぞ。でも、オレも行くからな」

「え? トーヤも?」

「おう。オレだって回復魔法が使えるからな。役に立つと思うんだ。それに今はこの指輪をはめてる。だから足手まといにはならないぞ」

「指輪?」

「そう。こいつはな『守護の指輪』だよ。これをはめるとケイオス様の加護が得られるんだ。具体的には身体能力が飛躍的に上がるし、あらゆる状態異常を防ぐこともできるんだ。どうだよ? すごいだろ?」

「う、うん」

「じゃ、これ、ミオの分」

「え……ええっ!?」

「な、なんだよ?」

「あーもぉ……トーヤってほんと悪知恵が働くよね?」

「な、なにが!?」

「こういう状況なの利用して、ボクとおそろいの指輪、つけようとしてるでしょ?」

「な、なんだよそれ!?」

 オレと同じ指輪はめてたら、何か問題があるのかよ!? おそろいの指輪って何か特別な意味あったかな? ……あっ。

「ち、ちがうぞっ! 前にミオが『ペンダントだと顔にバチバチ当たる』って言ってたから、だから……」

「はいはい、わかってるよ。そうだよね? ありがと、トーヤ」

「なんだよ、その棒読みっ!? 信じてないなっ!?」

「ね、トーヤ。その指輪はまたいつかでいいよ。もっとちゃんとしたときでさ!」

「ちゃんとしたときって何だよ!?」

「じゃ、行こっか、トーヤ」

「え? あ、おう……」

 ミオがかたわらにひざまずくタルタロスに歩み寄る。そしてその肩にそっと触れた。

「タルちゃんは、ここでお留守番しててね」

 明らかに不満な気配がタルタロスからにじみ出る。

「おねがいだよ、タルちゃん。ボクが安心して行けるように、ね?」

「そうだぞ。これはな、ミオにとって大切な戦いなんだ。ミオがやらなきゃ意味がないんだよ。だから、な。お前はここで待っててくれ。オレたちのことは大丈夫だ。ミオを信じろ!」

 タルタロスは思いつめたように、じっとうつむいたままだ。

「タルちゃん、ボクたちはぜったいに帰ってくるよ。だからそれまで、この村を守ってね」

 ミオが鼻筋をなでると、ようやくタルタロスは落ち着いたみたいだ。もう完全にミオの守護獣になってるな……。

「じゃ、タルちゃん! いってきます!」

 ミオがタルタロスに手を振って、オレたちは出発した。

 途中、ミオがオレをちらっと見て、ふっと笑う。

「な、なんだよ?」

「えへへ。だって、トーヤがやっとわかってくれたんだと思って!」

「やっとってなんだよ! オレは最初から、ちゃんとわかりまくってるぞ!」

「え~、そうだっけ?」

 村の広場が見えてきた。

「……すっかり忘れてた」

 村の広場には、相変わらず神殿騎士団がいた。あのときと同じ直立不動の姿勢のままで。もしかしてオレが待機してろって言ったから、ずっと待機してたのか?

「わ、悪かったな……。ケイオス様の名において命じる! 散開してこの村の警備にあたれっ! この村を守るんだ!」

 威勢のいい返事を残して、神殿騎士たちが村中に散らばっていく。

「やれやれだな」

「ねえ、トーヤ。一人、少なくなかった?」

「え、そうか? オレは気づかなかったけど」

 全員、見た目がおんなじだし、数も多いしな。

「ううん、ボクの気のせいだよね」


 村を出た。風が吹いて、草の擦れる音を聞きながら、北の森の入り口を目指して歩く。

「そういえばミオ、その荷物、オレが持つよ」

「え、そう? ありがと、トーヤ」

 とりあえずオレにできることって、このくらいだからなぁ……。

「ふふ……」

「な、なんだよ?」

「だって、ボク、うれしいんだもん。またトーヤとパーティーが組めて!」

「そ、そうかよ……」

 あたりが明るくなってきた。朝日が昇ったみたいだ。雲は重く垂れこめたままだけど。

 彼方に空のひび割れが見えた。北の森の輪郭はそれ自体、一つの生き物のようにざわざわと揺れる。ミオはまっすぐに歩いてく。

 森の中は最初に来たときと雰囲気が変わってた。あのときは殺人蜂がいたけど、今回はそれとは比べものにならない。木立の影や枝葉のあいだから、敵意や殺意のようなものが染み出してくる。

「ミオ」

「だいじょうぶ」

 ミオは臆することなく、どんどん前に進んでく。

 森の中は踏み荒らされて、少し地形が変わってた。でもこのまま塔の方角に向かって進んでればいいのかな?

「あれ?」

 ミオがいない。どこ行っ……。

「なんだ?」

 ほおに付いた何かを、指で拭って確かめる。

「血? ……うわあ!?」

 何か落ちてきた!? べしゃっと地面に叩きつけられる。ミオ!? いや、ちがう。黒衣を着て、手に短剣を持ってる。その頭は……黒ネコだ。

「トーヤ」

「えっ?」

 数歩進んだ先に、ミオがいた。

「行くよ」

「あ、ああ……」

 もう一度だけ、倒れてる黒ネコを見た。黒衣の一部がぬらぬらと濡れていって、素人のオレでも、もう死んでるのが分かる。そういえば昨日、ミオが『ボクのこと、怖い?』って聞いてきたけど、それってこういうことだったのかな? でも、やらなきゃミオがやられてたし、ミオはオレたちのために戦ってるんだ。だからオレが口先だけの安っぽい言葉を言うのは違うんだ、きっと。たぶん、いや、絶対に。

 少し歩くと、開けっ放しの宝箱があった。中身は空だ。でもこの宝箱、どこかで見たことがある。

「きっと行商人さんは、この宝箱に入ってたヘビーアーマーを着てたんだね」

「え、あ!」

 そういうことか! 行商人は北の森の異変に気付いて、調べに来たんだ。そしてここに入ってたヘビーアーマーを着て戦ったんだ。

「行こう?」

 ミオがまた歩き出す。オレは後からついていく。


 だいぶ奥まで来た。たしかに地形は少し変わってるけど、まだ見覚えがある。ここらへんはたしか、前に休憩したところだ。

「トーヤ? 休憩しよっか?」

「え、ああ、そうだな」

 バッグの中を漁ってみると、大量のサンドイッチが発掘できた。

「こんなに持ってきたのか」

「そうだよ。おなかが減ってたら戦えないもんね!」

 木の根っこに座って、サンドイッチを食べるオレたち。ここは前回と全く同じだな。

「トーヤ、平気?」

「ああ、平気だぞ。そういうミオは大丈夫なのかよ?」

「もっちろん! だってボク、あのときより強くなったんだから!」

 ミオが胸を張る。そうだな、ミオはこれまでずっと戦ってきたんだ。

「でも……トーヤは本当に平気? ここからは本当に危ないと思う。それでも……いっしょに来てくれる?」

「もちろん」

 ミオ、魔王とも分かり合いたいって言ってたよな。でも、こんなふうに戦ってる。きれいごとじゃないんだ。きっと割り切れない想いを抱いて戦ってるんだ。

「ミオといっしょなら、死んでもいい……」

 オレにはこんなふうに、ミオのそばにいることしかできないから。だから、どんなに傷ついても、たとえ死んでも、オレはミオのそばにいるんだ。

「……ん?」

 なぜかミオが真っ赤な顔してうつむいてた。

「ど、どうしたんだよ、ミオ? 具合でも悪いのか?」

「う、ううん! なんでもないよ! じゃ、行こっか!」


 ぐんぐん奥へと進む。地獄ノ樹がいたところも過ぎた。ここからはもう、オレの作った北の森じゃない。やぶが切り開かれてできた道を進んでく。

「トーヤ」

 その道の先に誰かがいた。一人は漆黒の鎧を着こんだ大柄な騎士。フルフェイスの兜のせいで顔は見えないけど、とにかくデカい。たぶんタルタロスと同じくらいだ。そのとなりには黒いイノシシの頭を持つ小柄な兵士がいた。なにげに生きてる魔族をちゃんと見るのって初めてだな。

「ここで待ってて」

 ミオが前に出ると、向こうも黒騎士が一歩前に出た。そのときちょうど、オレとイノシシ兵士の視線がかち合った。その視線の中にあったもの、それはとなりの黒騎士に対する信頼、そしてオレたちに対する優越感。魔族って感情があるのか? それも人間に近い感情が。

 黒騎士が長い柄のついた斧を構えた。対峙するミオと黒騎士。

 次の瞬間、ミオの姿が消える。鈍い音、重い金属の音が森に響き渡った。いつのまにかミオの剣が黒騎士の兜を縦にへこませてた。そのまま剣を振り払う。兜が飛んで、黒騎士の素顔が現れた。苦痛に歪んだ、黒いクマの顔が。

「ガアアアアアアアア!!」

 黒騎士は大きく横に薙いだ。木が一本、撥ね飛ばされる。でもミオには当たらない。地面に伏せるように避けて、そのままバネで黒騎士のノドをまっすぐに突いた。

 剣を引き抜き、バックステップで間合いをとる。黒騎士ののどから赤黒い血が噴き出した。ミオをにらみつけるその目。でもその色は憎悪だけじゃないような気がした。称賛……もあるような気がした。体がぐらついて、長い柄を杖のかわりにする。でもけっきょく、前のめりに倒れた。血だまりが広がって、黒騎士は動かなくなる。そして最期の瞬間、その口が不自然に動いた。

 なんだろ? 何かをつぶやこうとした? 言葉? 魔族には言葉もあるのか?

 イノシシ兵士は途方に暮れたような顔をしてた。ミオが剣の切っ先を向けるとあわてたように木立の中に消えていく。

「トーヤ、行こう?」

「あ、ああ……」

 オレがいま見たものって、なんだったんだ? ぜんぜん分からない。オレ、魔族のこと、何も知ろうとしなかったからな……。

 森の奥へ奥へと進む。少しずつ空気の流れが変わってく。木々のあいだから光が見える。そして唐突に森が途切れた。

 そこにあったのは見渡す限りの巨大なクレーター。そしてその真ん中には例の巨大な漆黒の塔。意味不明な形をした出来損ないの盆栽のように、曲がりくねって空へと伸びてる。その頂きは雲に霞んで見えない。

「これが魔王の城かぁ」

 中世ファンタジーにありがちなベタなやつとはずいぶん違う。こんな壮大な景色、ぜったいにオレが作ったものじゃないんだ。

「……」

 ミオはじーっと塔を見上げてる。その横顔は本当にオレなんかがとなりにいてもいいのかって思うほど、厳しい。

「トーヤ、行くよ」

「あ、ああ。それはいいんだけど、クレーターの底まで崖みたいになってるぞ? どうやって下りるんだよ?」

「えっ?」

「えっ?」

「……もぉ、しょうがないなぁ。ほら、トーヤ?」

「え? え?」

 すごい勢いでクレーターの底へと駆けおりてくミオ。その背中にはもちろんオレが! オレってやっぱりダサいかな……? い、いや、考えないぞ! 誰が考えてやるか!

 底まで着くと、細かな地響きがオレたちの方へ近づいてくる。遠くに軍勢の姿が見えた。黒い馬のようなものにまたがったヤツが、長い槍をもった兵士を引き連れてくる。

 突然、空が暗くなった。無数の黒い粒がオレたちに向かって飛んでくる。なんだあれ!? もしかして……矢!?

「風よ、ボクに力を貸して……」

 ミオが頭上で剣を一回転させると、オレたちの周りにつむじ風が生まれた。ミオ、いつのまにか光の女神様の加護がなくても、こういうことできるくらいに成長してたみたいだ。

 そしてミオが剣を振り下ろすと、つむじ風は矢の群れに向かって飛んでいく。

 矢は吹き払われた。でも、軍勢はどんどん近づいてくる。

「トーヤ」

「うえっ!?」

「ボクのそばを離れないでね」

 ミオがオレに微笑んだ。勇者だ。ミオは勇者なんだ。その瞬間、なぜだか唐突に、心の底からそう思った……。


 そのとき、世界から音が消えた。


 雲を切り裂いて、無数の星が降ってきた。落雷に木の幹が裂けて爆ぜるように、黒い塔がくずおれていく。軍勢の真ん中に落ちた星は、兵士たちを砕き、あるいは撥ね飛ばした。

 ミオがオレに覆いかぶさって何も見えなくなる。真っ暗な音のない世界で、地面が揺れてた。ひときわ大きく揺れたとき、塔が完全に崩壊したんだと分かった。

 おそるおそる目を開けたとき、風景は一変してた。土埃が徐々に収まって、あたりには明るい日差しが降り注ぐ。空のひび割れのようだった黒い塔はがれきになってた。整然と並んでた魔族の軍勢は地面に伏せたり、あるいは茫然と立ちすくんだりしてた。

「な、なにが起こったんだ?」

 魔族の兵士が味方を助けようと、肩を貸して立ち上がるのが見えた。そして次の瞬間には、そのふたりの体が爆ぜるのも。誰かがゆっくり歩いてくる。熱に歪んだ空気の向こう側にいたのは、全身を深紅の鎧に包んだ騎士。剣をかかげ、ゆっくりと振り下ろす。その動きに応えるように、包囲しようとした兵士たちの体が水風船を割るように爆ぜた。

「な、仲間割れ?」

 血と肉片の散らばる中、紅の騎士は、ゆっくりと、でも確実にこっちに歩いてくる。

「ミオ」

 今までのヤツらとはケタが違いすぎる。なんだよ、あいつ?

「あいつが魔王か?」

 ミオが首を振って、剣を構えた。ミオが剣を構えても、そいつは気にするそぶりもない。どんどんオレたちの方へやってくる。左手で……何かをひきずってる。何か大きくて黒いものを。

 すごく静かに感じる。深紅の騎士の威圧感が、空気の流れを止めてる。のどの奥でつばを飲み込んだ。これからどうなろうと、オレはミオといっしょにいるって決めたんだから。

 深紅の騎士が目の前に来て、そいつが左手につかんでるものが動物のたてがみだと分かった。なぜかオレたちに見えやすいように、それは置かれた。それは黒いライオンの首だった。顔の半分がぐちゃぐちゃに潰れてる。それは誰かが、このライオンの死をあざ笑うために、わざわざそうしたように見えた。

 深紅の騎士は剣を地面に突き立ててオレたちの……オレの前にひざまずいた。その剣には見覚えがあった。それは暗黒剣エレボスだった。

「お前……何してるんだよ!?」

 そんな言葉が口を突いて出てた。鎧の胴の部分がへこんでて、それが予感を確信に変えた。

「はい。ご覧になりたいかと思いまして」

 誇らしげにそう答えた。その様子は真っ赤に浴びた返り血を誇ってるようにも見えた。

「どうか御心を偽られませんように! 『行商人と同じ目に合わせろ。虫ケラのように殺して、刈り取った首をオレの前に持ってこい』これこそ、あなた様の本当の望みではございませんか?」

 神殿騎士団を作ったときの記憶がよみがえる。そうか、多分こいつがオリジナルなんだ。オレが憎悪をこめて作り上げた神殿騎士団の最初の一人なんだ。

 おそるおそるミオの顔を見た。途方に暮れて、ただぼんやりと魔王から切り離されたものを見てた。それはオレが初めて見る『人が絶望したときの表情』だった。そのひとみにはみるみる涙がたまっていって、そしてこぼれた。

「ち、ちがうぞ、ミオ。オレは、そんな……」

「……っ!」

 なにも言わずに、ミオは駆け出した。その背中が遠ざかっていく。

「ミオ……」

 こんなとき、どうすればいいんだよ? それが分からなくて、オレはその背中を見送るしかなかった。

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