3、クエスト

 目を開けたとき、オレはやっぱり自分の部屋にいた。朝になってる。パソコンの方を見てみた。暗くなったディスプレイがまるで四角い穴みたいだ。

 オレは、なんてゆうか……げっそり疲れてた。夢の中だけど、女の子のからだをあんな至近距離で見てしまった。心臓がまだバクバクしてる。なんでだよ! なんでオレが、あんなポジティブクレイジー勇者様にドキドキさせられないといけないんだ! オレは負けないぞ! オレはぜったいに負けないぞ!!

 朝ごはんを食べながら、改めてゲーム制作のモチベーションを高めていく。そしてご飯の後、ついに飲むことにした。ハイパーなエナドリを! ふぅ~、頭がすぅ~っと冴えていくぞ! 飲み終えた缶をしみじみと眺める。ついにオレも、命を削りながら作品を仕上げようとするクリエイターの仲間入りをしたんだ!

 それじゃ、今日も頑張って作っていこう! どうやら夢の中でオレとミオは『東の村』に泊ったみたいだ。だとしたら、どうする? これからもあんな調子で、ポジティブでクレイジーな勇者様がオレの創ってく世界を巡っていくんだとしたら?

 そうだな、そろそろ手掛けてみようか? クエストイベントってヤツを! あの勇者様のことだ、絶対に食いついてくるだろうな!


 ふとディスプレイから目を離した。部屋の中がだいぶ暗くなってる。もうすぐ夜みたいだ。どうやら作業に集中しすぎて時間が経つのも忘れてたみたいだ。オレ、頑張ったよ。突貫工事だったし、やっぱりベタベタな感じになったけど、とにかくオレ、頑張ったよ! それに、すごく楽しかった! オレの世界が広がって、またひとまわり大きくなった気がしたからな!

 さて、これでどうなってるかな? じゃあ、さっそく寝てみるか!


          ◆


 目を開けたとき、案の定、オレは東の村の宿屋にいた。

 窓から、朝の光が差し込んでる。部屋の反対側のベッドを見ると、ミオはまだ寝てた。オレは窓際まで行って外を見てみる。建物の二階にあるこの宿屋からは、村の広場が一望できた。広場の真ん中に白いひげのジイさんがじっと立ってる。そう、あれが村長だ! どうやらオレ渾身のクエストイベントがちゃんと反映されてるみたいだな!

「トーヤ?」

 声がして振り返ると、目を覚ましたミオがベッドのふちに座ってた。

「よっ、おはよ」

「うん、おはよ! トーヤ」

 それだけ言って、急に手で顔を覆う。

「あ~、もうっ!」

「え? なんだよ?」

「かっこわるいよね、ボク! お酒飲んで酔っ払っちゃったんだもん……」

「い、いや別に? あんま気にすんな」

「えいっ!」

 ミオはひょいっと立ち上がる。オレは、思わず目をそらしてた。胸当てなし、股当てもなし、ぴっちりスーツのみ。どうしてなんだ!? どうしてその格好をエロだと思わないんだ!? もっとよく考えろ! もっといろんなことを!

「ボク、決めたよっ!」

「な、なにをだよ?」

「ぜったいボクのかっこいいとこ、トーヤに見てもらうんだからねっ!」

 ウインクを決めるミオ。『あざとさが限界を超えて逆にナチュラルな感じになる』現象が今日も起こってる。本当にさすがだよ勇者様……。


 宿屋を出るオレとミオ。そしてちょうどオレたちの視界に入る村長。

「さて、神殿に戻るか?」

 オレはそう言ってみる。そこへ村長の割と大きめな独り言が割り込んできた。

「なんてことじゃあ、いったいどうすればよいのじゃあ……」

 白いひげに隠れがちなくちびる、それをぶるぶるふるわせてビブラートをきかせる村長。なんてゆうか……動作がちょっと大げさだ。なんとか濃いキャラにしようと思ってやったけど、もしかして、スベってる?

「トーヤ、あのお爺さん、どうしたんだろう?」

「ああ、あのジイさん? あいつは村長だよ。なんか困ってるみたいだな?」

「困りごと? ねえ、トーヤ! ボク、村長さんの相談に乗ってあげたいな!」

「あ、ああ、そうだな」

 さっそく勇者様が釣れたぞ! これでクエストイベント開始だ!

「村長さん! こんにちはっ!」

「ん? おぬしは?」

「ボク、ミオっていいます! 勇者ですっ! なにかお困りごとですかっ!?」

「おお、話を聞いてくれるのか若人よ! 実は『北の森』にモンスターが湧いてのう! 怪我人も出て困っておるのじゃ! 誰か退治してくれんもんかのう!」

 そう、つまりこれがオレ渾身のクエストイベント、何の変哲もないモンスター討伐イベントだ。でもこれが今のオレのベスト、全力なんだ!

「それならっ! ボクに任せてくださいっ!!」

 ミオは胸に手を当てて、堂々と言い切る。

「きっとボクたちが退治してみせますっ!!」

「おお、頼もしいぞ! では任せるとするのじゃ! これは準備金じゃ!」

 オレたちは五百ゴールド手に入れた! 心がけのいいジイさんだ。お金なんていくらあっても困らないからな! まあ、そもそもオレが渡すように仕組んだんだけどな!

「それじゃあ任せたぞい!」

 さっきまでじっとしてた村長が、広場をランダムに移動し始めた。わかりやすい! わかりやすいフラグの立ち方だ!

「ようし! じゃあさっそく、北の森のしゅっぱあつ!!」

「いや、ちょっと待てよミオ。せっかくお金もらったんだし、道具とか揃えないか?」

「そっか! それもそうだね!」


 とゆうわけで、オレたちは道具屋へと行く。傷薬、毒消し、目薬とおなじみのアイテムが並んでる。普段ならあんまり気に留めないベタなアイテムたちだけど、でもこいつらはオレが一から作ったんだ。本当に、一つひとつが心から愛おしいね!

 傷薬を手に取ってみた。口のところを細いヒモで縛った小さな袋だ。

「これ、傷薬だよな? どうやって使うんだ?」

 自分で作った物なのに、使い方が分からない。不思議なこともあるもんだな!

「ええ? トーヤ、知らないのぉ? あのね、これは中に粉が入ってて、ケガしたところに振りかけるんだよ」

「え? そんな感じなの?」

「そ! そしたらキラキラした光の粉が、傷を治してくれるからねっ!」

 そ、そうだったのかよ! 回復アイテム使ったときの、あのキラキラしたエフェクトってそういうことだったのかよ!

「じゃあ、こいつは?」

 今度は毒消しの小瓶を手に取った。中にはうすみどり色の液体が入ってる。

「毒消しはフツーに飲ませるだけっ」

「なるほどね」

「トーヤ、そういうこと全然知らないんだ? ヘンなトーヤっ!」

 ああ、悪かったな! でも一応確認しておかないとな。傷薬と毒消し。こいつらには重要なポジション任せてあるからな!

「じゃ、とりあえず十一個ずつ買っておくか」

 オレは木製の買い物カゴに商品を投げ入れていく。

「たくさん買うんだね、トーヤ」

「そうだな。『念には念を』って言うだろ?」

 ベタな回復アイテムだけど、こいつらはオレが作ったんだ。道具屋で回復アイテムを買う。それはオレの中じゃ、もう作業じゃないんだ。感動の一大イベントなんだよ!

「さて」

 そしてオレは、そのとなりの棚に置かれてたアクセサリを手に取った。こいつが本命、毒耐性が得られるペンダントなんだ。

「なぁミオ、ちょっとこいつを着けてみろよ」

「ペンダント? どうして?」

「こいつは『毒除けのペンダント』って言ってな、こいつを首から下げておくと、それだけで毒耐性が付くんだ。北の森には毒攻撃してくるヤツが多いからな」

「ん~、やだっ☆」

「えっ? なんでだよ?」

「だってペンダントなんて首から下げてたら、動いたとき、顔にバチバチ当たっちゃうじゃん!」

 えっ? そんな理由? そんな理由でNGなの!?

「それにね、ボクにはこの剣があるからね!」

 そう言ってミオは腰に吊ってある剣に触れた。

「この剣には光の女神様の加護が与えられてるって言ったでしょ? だからボク、毒にかかったり、目がかすんだり、混乱したりしないんだよ!」

「え!?」

 そ、そうなのかよ!? オレの渾身のアイテム『毒除けのペンダント』に出番なんかない、そう言ってるのか!?

「あ、トーヤ、お弁当あるよ! 二人分買おうよ! あとお茶もね!」

「あ、ああ、そうだな……」

 オレは『毒除けのペンダント』をそっと棚に戻した。ありがとう、お前はいいヤツだった。またどこかで会おうぜ……。

 そしてオレたちはレジに行った。そこには太って陽気そうなオバちゃんがいて、オレから買い物カゴを受け取った。

「いらっしゃぁああい!」

 でかっ! 声がでかい! オレの耳がキンキンしてる!

「全部で百九十五ゴールドになりまぁす!」

 このオバちゃんも、なんとか濃いキャラにしようとしてみたんだ。でも、今のところ、特徴が声の大きさだけってどうなんだよ? やっぱりちゃんと考えないとな……。

 ただ、オバちゃんはアイテムを収納できるカバンをおまけでつけてくれた。見た目は小さいけど、収納力のすごいヤツ! 買ったアイテムが全部余裕で入ったぞ! オレはそれを肩にかける。さあて、じゃ、行くか……。

「あれ? ねえ、トーヤ? なんかしょんぼりしてない?」

「なんでだよ、してないぞ……」

「それじゃあ、出発する?」

「いや、ちょっと待ってろ」

 オレはおもむろに道具屋のとなりの武器防具屋に入った。そして店の一番奥に祭られるように飾ってある剣、暗黒剣エレボスを指さした。

「あれをくれ」

「九十九万ゴールドになります」

 オレはカネを払い、ミオのところに戻る。

「あれ、トーヤ。その剣買ったの?」

「ああ。こいつはウチの神殿が販売してる剣なんだ。こいつを持つ者には古代神ケイオス様の加護が与えられるんだよ……」

「ふ~ん?」

 これ以上、オレ渾身のアイテムを無駄にしてたまるか! せめて、せめてオレが使ってやるんだ!!


「楽しい旅にしろよ!」

 看板おじさんに見送られて、オレたちは北の森へと出発! 横目でミオを見てみる。とても落ち着いてる。この手のクエストはもういくつもこなしてきたって感じだ。

「ここが北の森だぞ」

 入り口だけ、ぽっかり穴が開いたみたいに木々がない。森の入り口が死ぬほどわかりやすくなってる、それがこの森の特徴なんだ。

「あれ? トーヤ、誰かいるよ?」

 森に入ってすぐ、ひげを生やしたオッサンがいた。木の下にうずくまって、ウンウンうなってる。

「おじさん! 大丈夫ですかっ!?」

 ミオが駆け寄っていく。

「あ、ああッッ。モンスターにッッ、やられちまったよッッ」

 くうっ、みたいな雰囲気で痛がるオッサン。たしかに足を怪我してる。ひたいに脂汗が浮かんで、けっこう痛そうだ。村長、道具屋のオバちゃんに続いて、こいつもキャラが無駄に濃いな! オレはおもむろにカバンから傷薬を取り出してオッサンの足に振りかけた。キラキラした光の粉がオッサンの足に降り注ぐ。

「あ、ありがとうッッ。す、すまないが毒消しも持ってたらくれないかッッ!?」

 世話の焼けるオッサンだ。オレはオッサンに毒消しを手渡す。オッサンはぐっぐっとあおって「ブハア」と大きく息を吐いた。

「あ、ありがとうッッ! もう、大丈夫だッッ!!」

「よかったです! 一人で帰れますか? ボクたち、モンスターを退治しにきたんですっ!」

「そ、そうだったのかッッ!! 気を付けてくれよッッ!! ヤツらのボスは大木の姿をしたモンスターだッッ!!」

「はいっ! がんばりますっ!」

 オッサンと別れて、また歩き出すオレたち。ミオがぽつりと言う。

「……トーヤ、ごめんね」

「え? 何が?」

「ボク、ケガした人がいるかもしれないって考えなかった。もしトーヤがアイテムを買ってくれてなかったら、ボク、あの人に何もしてあげられなかったから……」

「いや、深刻に考えすぎだろ。実際はオレが買ってたわけだし、あんま気にすんな」

「……うん、そうだね。ありがと、トーヤ」

 本当に、どこまでもポジティブでクレイジーな勇者様だな! 「ごめんね」と「ありがとう」をポンポン発していくぞ!? オレなんか一生に一度、言うか言わないかなのにな!?


 ブゥゥゥゥゥゥゥン……!


 どこからともなく、重すぎる羽音が聞こえてきた。ミオは足を止めない。その横顔は落ち着いてる。でも、静かにスイッチを入れたみたいな雰囲気もある。正直に言えば、ちょっとだけ気圧されたかもしれない。

 羽音の正体がオレたちの視界に入った。巨大なスズメバチの姿をしたモンスター、『殺人蜂』だ。いちおう北の森に出現する雑魚モンスターって感じでテキトーに置いてみたんだけど。なんてゆうか……怖いなオイ! ちょっとサイズ大きすぎだろ、この蜂ぃ! しかも三匹もいるぞ!

「うおう!?」

 しかも速い! 一気にオレたちの方に飛んでくる。そのときミオの手が、腰の剣に伸びた。そして次の瞬間……。

「あれ? ……おわっとぉ!」

 大きな蜂の頭が三つ、オレの足元に転がってきた。地面にはベタベタした体液が飛び散ってる。オレのとなりに居たはずのミオは、いつのまにか数歩先にいて、オレを振り返った。

「トーヤ、だいじょうぶ?」

 オレをいたわるような表情、落ち着いた声。

「あ、ああ……」

 オレ、「おわっとぉ!」とか言った? いや、そんなことないだろ……。

 また森の奥へと進む。すると分かれ道に出た。

「う~ん、ボクの勘だと……左、かな?」

 正解! いや、そうなんだけど右には宝箱を置いてあるんだ。その宝箱にはめちゃくちゃいいものが入ってて、それについてはぜひ、お勧めしとかないとな!

「オレの勘では右なんだけどな。どうだよ? ちょっとだけ行ってみない?」

「うん、いいよ!」

 もちろん、道はすぐに行き止まりになる。でもそこには巨大な宝箱があった!

「わあ、宝箱だっ! しかもこんなにおっきい!」

「そ、そうだな。中には何が入ってんだろうな?」

 オレは何が入ってるか知ってる。それなのに、この宝箱ってヤツがオレのテンションをこんなにも上げてしまうんだ。何が入ってるか知ってるのに、この巨大でふちが鉄の金具で補強されてる木の箱からロマンがあふれてくるのが分かるんだ!

「さっそく開けてみるか?」

「うん!」

 オレは宝箱を開けた。そこに入ってたのは……。

「あれ? これって……」

 そう、ヘビーアーマーだ! あのヘビーアーマーだよ! オレはまだちょっとあきらめきれなかった。だから仕込んでみたんだ!!

「あれだな、ミオ。昨日、武器防具屋で見たあのヘビーアーマーだな」

「う、うん。そうだね」

「なあ、もしかして」

「えっ?」

「これってよ、古代神ケイオス様のお告げなのかもしれないな? 早くこの鎧を着るように、ってな」

「う、うん。でも、だって……」

 やっぱり無理か……。

「そ、そうだよな。その鎧、気に入ってるんだもんな」

「うん、ごめんね」

 オレは宝箱を閉めた。あばよヘビーアーマーッ!! おそらくは永遠にッッ!!

 オレたちはまた歩いて、さっきの分かれ道のところまで来た。ミオの様子が、ちょっとおかしい。さっきから、ちらちらとオレの方を見てくる。

「ど、どうしたんだよミオ」

「もぉ、あの鎧のせいで、昨日のこと、思い出しちゃったよ」

「き、昨日のことって、なんだよ……?」

「トーヤがボクを、えっちな目で見てるってことっ!」

「ちがうッ! 誤解だッ! 親切なんだッ!! そう言ったろ!?」

「ええ? ほんとかなぁ? ボク、心配だなぁ?」

「そんな心配しなくていいッ! オレは紳士なんだッ!」

「へえ? ふふふ……」

 どうやらミオはオレをからかってるみたいだ。誓って親切なんだ! 本当だぞ!?


 その後も、パシュパシュみたいな小気味いい音とともに殺人蜂を斬り落としていくミオ。ミオの通ったあとには、巨大な蜂のグロテスクな死体が点々としてる。こういうところはちゃんとダークファンタジーしてるんだな。

「ねえ、トーヤ」

「んえ?」

「あそこの木陰でひとやすみしよ?」

「ん、ああ、そうだな」

 木陰に並んで座るオレたち。

「お弁当だしてえ~☆」

「はいはい……」

 並んでお弁当を食べるオレたち。サンドイッチ伯爵がいないのにサンドイッチはある。やっぱり、ちょっとヘンだよなぁ?

「ねえ、トーヤ?」

「ん?」

「ボクのこと、『カッコイイな』って思っちゃったりしてる?」

 めちゃくちゃストレートに聞いてくるな。

「あ、ああ、そうだな。さすが勇者様、そう思ったぞ」

「ふふっ、そうだよねっ」

 なんだか嬉しそうなミオ。ぐいっとお茶を飲み干した。オレも飲んでみたけど、紅茶だ。お茶といえば紅茶。中世ファンタジーだしな。

「ねえ、トーヤ。ボクの勘だけど、そろそろボスが近いかも!」

 さすが勇者様だな! その通りだよ!!


 そこから少し行ったところで、森の中の開けた場所に出た。その真ん中にはこれ見よがしに大木がズウンとそびえてる。明らかに妖しい黒い瘴気を纏って、いまにも動き出しそうだ。そう、こいつがボス『地獄ノ樹』だ! 森林ダンジョンのボスは植物系モンスター。まあ、ベタなんだよな。

「トーヤ」

「あ、ああ。あいつがボスだろうな。本で読んだことがある。あいつは『地獄ノ樹』。本来なら地獄にしか生えないはずの木だ。だれかがここに種をまいたんだな」

 ……という設定だ。あいつを作ったフリー素材職人さんの設定をそのまま使わせてもらった。突貫工事で急いでたし、それにほら、オリジナリティは真似するところから生まれるって言うしな!

「トーヤ」

「ん?」

「トーヤは下がってて」

「え?」

 ミオがオレを見て微笑む。

「ボクのかっこいいとこ、見ててね」

 そしてウインク。べ、別にドキッとなんかしてないからな!? しょうがないから、応援でもしといてやるよぉ!

 ミオが森の中の広場に入っていく。地獄ノ樹の幹のところに二つの目があらわれた。人間なら白目にあたる部分が黒く濁ってて、瞳は真っ赤。ミオは歩みを止めない。どんどん距離が詰まっていく。幹が横に裂けて口になり、

「オオオ……」

 唸り声をあげる。どうやらバトル開始みたいだ。

「ヴォオオオオオオ!!!」

 咆哮。赤く光る目が見開かれ、ミシミシと気味の悪い音をさせながら、その大きな口が開いていく。葉をつけてない枝が怒髪天を突く。その威容。その前にミオは小さく見える。でも、臆してない。その足取りには怯えも淀みもない。

 ミオが、剣を抜いた。地獄ノ樹の枝が鞭のようにミオに向かって振り下ろされていく。その瞬間、ミオの姿が掻き消えた。

「ギャアアアアア!!!」

 地獄ノ樹の絶叫が森に木霊した。赤黒い血のような樹液をまき散らして、枝の一振りが落ち、地面に転がってうねる。うねるたび、びちびちと赤黒い樹液がまき散らされていく。

「ハッ!!」

 ミオの声だ。オレにも一瞬だけ、ミオの姿を捉えることができた。鞭のように振り下ろされた枝がむなしく地面を打ち、一振り、また一振りと切り落とされていく。

「オオ、オオオオオ……!」

 鞭のような枝、消えるミオ、切り落とされる枝、飛び散る樹液。あたりに生臭い匂いがたちこめ、森の中の広場が赤黒く塗り替えられていく。

「ヴォオオオ、オオオ、オオ、オ……!!!」

 地獄ノ樹の根っこの部分がうごめく。土塊を跳ね上げながら走る。半狂乱。その間にも、いくつもの枝が打ち落とされ、赤黒い樹液をまき散らす。

 ミオの姿は相変わらず見えない。ときどき残像のようなものだけ、かろうじて捉えることができる。一本、また一本と、脈動する枝が伐たれていく。

 赤黒い樹液に染まる広場、落とされてうねる枝、咆哮を上げる異形、一人の剣士。これって完全にダークファンタジーしてるだろ! なんてゆうか……ヤバすぎる! それにしてもミオ、まさかここまでとは。めちゃくちゃ強いな!

 残った枝は二本。打ち下ろされた枝をミオが避ける。そして、そのまま枝には構わず本体に突っ込んでいく。

「ギャアアアアアア!!!!」

 ひときわ大きな咆哮。赤いひとみの真ん中に突き立てられた剣。これで決着か?

 地獄ノ樹の口が開いた。そこから黒い煙がゴウッと勢いよく吐き出される。そしてその煙はミオを包んだ。『地獄の瘴気』だ。いちおう毒攻撃なんだが、ミオは耐性を持ってるからな。

 黒い煙の中からミオの姿が現れた。突き立てた剣を引き抜いて、地獄ノ樹から間合いをとる。そして剣を構えなおそうとして……。

「ん?」

 どうしたんだ? ミオの足元がふらついてる。

「なんだあ?」

 ミオの様子がおかしい。やや前かがみ。左手で胸を押さえてる?

「ミオ?」

 ミオに向かって横なぎの枝がしなって襲い掛かる。ミオは避ける。そう思った。でも。

「あうっ!!!」

 ミオは避けなかった。いや、避けられなかった。地面に倒れ込んで、でもすぐに起き上がる。そこをまた狙われる。

「うああっ!!」

 地面にうつ伏せに倒れるミオ。起き上がろうとして……。

「あああっ!!」

 また打たれる。起き上がれないミオ。

「トーヤぁっ!!」必死の形相で、ミオがオレを見た。「トーヤぁッッ!!」

 オレと目が合う。

「ごめんっ!! 逃げてっ!!」

 逃げる? なんでだ?

「あううっ!! ト、トーヤぁっ!!」

 起き上がろうともがきながら、オレの名前を叫ぶ。幹に刻まれた地獄ノ樹の顔には勝ち誇ったような色が浮かぶ。何度も鞭のように枝を振り回し、何度も何度もミオを打つ。

「に、逃げてええっ!!!」

 おい、なんだよ、これ……? ほんと何なんだよ? オレには分からない。オレには何も……。ミオの苦しそうな表情。でもまっすぐにオレを見てる。自分のことよりオレのことを心配してる。それがわかる。こんなとき、どうすればいいんだよ? こんなときオレはどうすればいいんだよ!? 意識が遠のいたのか、ゆっくりとミオの頭が下がっていく。うつ伏せになって倒れたミオ、鞭のような枝に叩かれ、弾けるように震えるミオのからだ……。

 たぶんオレは無意識のうちに、腰に差した剣を抜いてた……。


「おいミオ……ミオっ!!」

 うつ伏せに倒れてるミオに、駆け寄って声をかける。

「あう、うう……」

 ミオが身じろぎをする。良かった。ほっとした。カバンから傷薬を取り出す。ミオの背中はスーツが破れて、裂けた肉が巨大なミミズみたいになって、そこから血が噴き出してる。オレはそこに光の粉を振りかける。一袋じゃ足りない。また取り出して、口で紐を引き抜いてバンバン振りかける。キラキラした光の粒子がミオのからだに吸い込まれていく。

 傷が跡形もなく消える。オレはミオを仰向けにした。いちおう背中が地面につかないように片腕で背中を支えとく。

「ミオ」

「う……」

 吐いた血で汚れてた口もとを、そでぐちで拭う。

「ミオ……!」

「ん……」

 ミオの目がうすく開いた。

「ト、トーヤ?」

「ああ。ミオ、大丈夫か?」

 そう言いながらオレはまた新しい傷薬を投入する。バンバン振りかける。まだまだたくさんあるからな!

「トーヤ……モンスターは?」

「あ? ああ、あいつはもうどっかに行ったよ」

 そう、とても遠いところになぁッ! 正確には、抜いた瞬間に発動した『闇夜の流星雨』のせいで、文字通り『木っ端みじん』になったからな!

「そう、なの? ……うっ!」

「ミオ?」

「あ、あうう、く……っ」

 ミオは胸当ての上から胸を掻きむしりだした。

「あう、んうぅ……っ」

「おい!? どうしたんだよ!?」

「ト、トーヤ……胸が、くるしいよっ! げ、げえっ……!」

 横向きになって、オレの服のおなかのところに、さっき食ったサンドイッチを吐き戻す。いや、毒かよ!? まだ残ってたのか!? いったん戦闘不能になったら他の状態異常は全部消えるんじゃないのかよ!?

「と、とぉやぁっ!!」

「はいはいぃ!! ちょっと待ってろ!!」

 カバンから毒消しを取り出して、ミオの口もとに持っていく。

「ほれ、飲め」

「ん、んっ、んくっ、ん……っ」

 ミオが全部飲み干す。口の端からうすみどりの液体がひとすじ伝う。

「……ふう」

「どうだ? なんとかなったか?」

 何度か深呼吸して息を整えるミオ。

「うん。ありがと、トーヤ」

 そしてオレを見て微笑んでみせた。なんてゆうか……ほっとした。なんなら、つられてオレもちょっと微笑んでしまったかもしれない。オレ、キモいな。

「……ごめんね。トーヤ」

「え? な、なにがだよ?」

「ボク、こんなはずじゃなかったんだ。かっこつけて、油断して。ボク、恥ずかしいよ……」

「別に恥ずかしいとか、ないだろ……」

「トーヤ。ボク、女神様の加護、失っちゃったみたい。ふふ、タルタロスちゃんと戦ってるときまではあったんだけどなぁ……」

「……」

「あれ? トーヤ?」

 ミオがオレを見た。その顔がなんかぼやけてる。

「な、なんだよ?」

「どうして、泣いてるの?」

「いや、泣いてはないだろ……」

「え、でも……」

「さ、帰るぞ? 立てるか? おんぶしてやろーか?」

「え、うん。ありがと……」

 オレはミオをおんぶした。重い。でもほっとする重さだ。


 けっきょくオレたちはまた東の村に戻ってきた。昨日泊った宿屋の、昨日泊った部屋にまた泊まる。おんぶしていたミオを昨日と同じベッドにおろした。

「どうするよミオ。なんか食いたいものとかあるか? 持ってきてやる」

「ええ? どうしてえ? トーヤがやさしい……。下心でもあるのかな?」

「いいか? これはな、『親切』なんだよ……!!」

「ふふ、そっか。ありがと」

 ミオは笑った。

「でも大丈夫だよ。ボク、今日はもう休むよ」

「そ、そうか……」

 オレは反対側のベッドに行く。そしてミオの方に背を向けて横になった。眠れない。眠れるわけない。考えろ、ここで考えないと……!

 オレは、オレはいったい何をやってしまったんだ!? 地獄ノ樹が悪いのか? いや違う。あいつは悪くない。ぜんぜん悪くない。オレにもらったステータスで、オレにもらった攻撃パターンで、自分の役割を果たしただけなんだ。

 じゃあ、誰だ? 誰が悪い?

 オレだ!! オレだよ!! ぜんぶオレ、オレのせいだ!! ぜんぶオレのやったことなんだ!!

 なんでだよ! オレはいったい、何をやってしまったんだよ……!? ダークファンタジー路線、そんなことを考えて、オレは頭と胴の切り離された巨大な蜂の死体とか、咆哮を上げる怪物とか、切り落とされてのたうつ枝とか、赤黒い樹液にまみれた森の広場とか、腫れあがって裂けた傷跡とか、全部全部!! その存在を肯定したんだ!! 軽い気持ちでクエストイベントを作って、それがこんな、ミオを、一人の人間を、こんなにも傷つけてしまった……。

 オレを逃がそうとしてたときのミオの表情。どう見ても自分のことよりオレのことを心配してたよな。あんな状況で……。明るく笑ってるときのミオとは全然違うミオ。勇者ってなんなんだよ!? オレはもう少しで、何か取り返しのつかないことをしてしまうところだったんじゃないのか!?

 オレは……本当にオレは何をやってしまったんだよ……。

「トーヤ」

 呼ばれて寝返りを打つ。そこにはミオが立ってた。

「ど……どうしたよ?」

「あの、ね。笑わないでね?」

「わ、笑わないけど」

「胸、貸してくれないかな?」

「え?」

 ミオはオレの胸を指さす。

「ここ。胸」

「な、なんだよ? 心臓でも抜き取るつもりか?」

「ふふ、そんなことしないよ」オレのベッドのふちに座るミオ。「ボクね、泣きたいんだ」

「……え?」

「トーヤに背中、撫でててほしいな?」

 ミオがオレのベッドに上がってきて、横になる。そしてオレの腕の中に入ってきた。オレは……抱きしめるしかなくなる。

「きょ、今日だけ特別だぞ? オレは本来、そんな便利なオトコじゃないんだ」

「……うん。ありがと、トーヤ」

 オレの胸に手を添えて、ミオはぴったりオレにくっついた。

「う……」

 そしてミオの、声を押し殺した嗚咽が。

「う、ぐすっ、ふ、う……っ」

 そのからだが小刻みにふるえる。オレは背中を撫でるしかなくなる。でも、なんてゆうか……熱い。本当に熱い。ミオのからだが熱い。うまく言えない。でも分かる。ミオが『生きてる』。オレはいったい何をやってしまったんだ? オレはいったい何を? ミオが死ななくて、ミオが生きてて、本当によかった……。

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