応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • こわいみょん…

  • 歪むへの応援コメント

    「僕に傷ついてほしくてそんなチンケな暴言を吐くミクちゃんが、何よりも愛おしく感じた」
    ここ最高です

  • 孵化への応援コメント

    あぁ、血の悲しきことかな…

  • 朝顔の歌声への応援コメント

    これ素晴らしいです…
    短すぎもせず、丁度心地よい長さで、言葉を巧みに使っていて、文を読みながら2人の人相やその場の風景がすんなり頭に映像として流れてきました。
    死んでる方がしっくり来る、朝顔か蓄音機みたいな形、でも朝起きれないから咲いたとこ見た事ない、全てが素晴らしい…!

  • Queen Beeへの応援コメント

    “神様教えて、私達は茉莉の機嫌をとるために、次は誰を嫌いになればいい?”
    『マリオネットシンドローム』すこっぷP
    https://sp.nicovideo.jp/watch/sm9241207
    のことをすぐに思い出した。teenager的な女性社会の文化として避けては通れない、日本版スクールカーストの話だ。
    この手の一頭独裁体制は頭がすげ変わっても、それに違和を唱えない共和、民主的な統治形態に転換しない限り続くというのは当たり前の話なんだけれど、学校という場が学問的な場所であることよりも、関係のための場であることに変化したのはいつ頃からなんだろうかとふと疑問に思った。
    大津いじめ事件以降、学生の不正やこの手の問題に関して大々的に取り上げられることが増えたり減ったりしてきたように思う。多くの学校が事実として、隠蔽体質であるのは教師という存在の持っている力と、可能な配慮をするだけの人員不足に悩まされていることは容易に推測できるので、仕方のないことではある。
    当事者や内部者になるまでは特定の体制に文句を言うのは内政不干渉的であり、多くの場合マナー違反であることが常識であると思う。しかし、それについて考える機会自体は持つべきであると小さな抵抗を示したい。
    四作品の全てを社会的問題に結びつけてレビュー(見直して)きたが、著者である蟻カス氏の描き方は生き生きと問題性を描き出せている。
    その地点(十代)から年を経ることで離れた私には著者は〜だと、作者を観るべきか、人物を掘り下げて物語を推測するように観るべきか、いずれにせよ等身大に描いたものでも、意図するままに、あるいは意図せぬ部分に興味が向いたものと思う。
    本来、純粋な物語を読解することは難しい。書き手と読み手の数だけ解釈は生まれる、それが創作物の常であり、例え作者でも読者が解釈できて、かつそれが妥当なものであれば公開された物語に対しての正しさは保証できない。
    このようなレビューは高圧的に映るだろうし、他の読み手にとってきわめて有害であることは自覚している。しかし、その上で、私は他人の描いた作品を読んで自分の感じたことを述べることを優先している。
    ということで、各位お目汚し失礼しました。蟻ちゃんにはこれからも好きなものを好きなように書いてみてほしいです。

  • 孵化への応援コメント

    存在しない会話の中に……
    終幕の文章から、この少年が抱えていたものは“祖母の「あんたは強姦の末生まれた忌み子や」”に含まれる「社会的拒絶・断絶性」だと仮定する。
    少年は嫌いでもない母親を刺す、好意的な教師を刺すという、この奇異な行動を通して、自分を肯定することさえ否定するかのように思える。
    「忌み子」である自身の存在を無条件に自己肯定されることに対して猛烈な拒絶反応を起こしているのではないかと考えれば、この行動には短絡的ではあるものの、「存在しない会話」を通して、自己否定されたことに対しての憤り、裏切りに対する復讐が育っていったと推理することを否定できないのではないか。
    重要な点はこの自己否定的な不安を、無条件に肯定してくれる相手である母親や担任教師に加害性を向けたことにある。
    二度目の行動で、自己、好意的他者、社会的他者の全方面への報復的でもあることだと説明づけられる。
    しかし、年少者として、先生への信頼と自己存在な空虚さを恋愛のように錯覚していく彼は、恋慕の揺らぎの中で、思考だけが先走っていく。
    対話として不完全な推理は、教師と生徒という関係に望みを持ち空回っていた自分の滑稽さを衝動に繋げてしまう。
    対話の不在から起きた結果だと読み取る方が、社会側は彼にチャンスを与えられる余地を残せるのではないかと思う。
    あちらこちらで自己責任論と無責任な風が吹く中、問題が社会や土壌にもあるのではないかと誰が批判するというのだろう。
    先生が女性であるか男性であるかが、中盤の時点では定かでなかった(描写と台詞からは中性的な男性だとも読み取れた)ので、担任が男性であればもう少し含意のある物語にも仕上がるなと思った。

  • 欲求への応援コメント

    乙女の祈りと願いは「ありのままの自分を愛してもらうこと」。
    主人公の心情描写は掌編ということもあり、拙さも感じるけれど、現代日本の抱える問題性と、孤独感への当事者意識に呼びかけるのに十分な深刻さを抱えている。
    フィクションにおける売春、援助交際の価値が行為そのものへの欲求、興味、マニアクスに主体を置いたものでなく、主観的に性行為を愛情、承認欲求の代理行為だと看做していることを大人はどう受け止めるべきだろうか。
    簡素な構成のラブストーリーほど、書き手のコンプレックス(複雑さを帯びたもの)が投影されると私は考える。ならば、主人公が行為中に感じた膜一枚の関係性と、純真に思える残酷な少年の言葉がどれだけの重みを帯びていたか、私にはわかるなどとは言えない。