公然の秘密
深田 時緒
イラの話
どうしてそんなに容姿に恵まれてるのにノンケに恋をするのかっていうのが、僕がイラを見た瞬間に思ったことだった。
イラは暇な大学生の僕のバイト先の興信所の職員で、年齢はただの同僚って立場だから知らないけれど、多分二十歳半ばで幼顔をした、軟骨ピアスだらけの黒髪ショートの青年だ。終始イライラしているから所長にイラって呼ばれているのかと最初会った時に思ったが、名字が石田だから有名な作家繋がりでイラって呼ばれてるだけで本名は別にあったのは後で知った。でも、所長は頑なに本名を呼ばなかった。まるで名前を呼んだら、イラの自分に対する恋が本物になってしまうみたいに。悪魔祓いで名前を聞き出したら悪魔が力を失うように、イラの本名を呼んだら自分に対するぎりぎりの恋から逃れられなくなって、それを恐れているように。
そう、イラは所長のことが好きで、所長はそれが分かってわざと避けている。それがこの変わった興信所のアルバイトが長続きしない理由だった。つまり、ギスギスしすぎているのだ。微妙にアンバランスな関係が、居心地が悪くてみんな去ってしまうというわけだ。
それからイラはとにかく顔が良かったので、男も女もアルバイトはみんな彼に恋をして、失恋をして興信所を辞めてしまうのだ。僕としてはとっとと所長がイラを抱いてやるなりなんなりすれば解決する問題だと思うのだが、所長はノンケで、おまけに綺麗な奥さんと結構な年の娘さんの写真をデスクの上に飾っていた。つまり、イラの思いに応えるということは、不倫になってしまうのだ。奥さんにバレたら大変だろうし、娘さんが知ったらショックを受けるに違いない。だって相手はいくら綺麗だといっても男だし。だから所長はイラの恋に知らんぷりをするし、イラもそれを受け入れている。いつもイライラしているけれど、そこら辺はちゃんとしているようだ。女を殴ってそうなバンドマンみたいな顔をしているというのに、だ。
所長はというと、白髪まじりだけど体ががっしりとしたザ・ハードボイルドって感じの壮年の男の人で、ひょろひょろの僕とは全く違った(これはコンプレックスであるのであまり突っ込まないでいただきたい)。なんとなく見た目はクライヴ・オーウェンに似ている。ここで海外俳優の名前を出してみたものの、僕はオーウェンくらいしか知らない。前に付き合ってた彼氏が好きな俳優だったので。まぁ、フラれてしまって何もかもご無沙汰なのだが。さぁ、過去を振り返るのはやめにして、今に、現実に戻ろう。
「それで、今回のご依頼内容ですが……」
所長が低い声で言う。僕は今バイト先の興信所にいて、ソファに座る依頼人の若い女の人にお茶を出していた。時刻は二時過ぎ。備え付けの小さなキッチンの棚に玉露って書いて置いてあったものを淹れたのだが、明らかに安い色をしていた。いや、別にそんなのはどうでもいいか。安くたって、切羽詰まった依頼人は気にしない。
「はい。さっきも言った通り夢を見るんです」
「……夢、ですか?」
「白装束の女が段々と私のベッドに近づいてくるんです。私、怖くて……」
依頼人は肩を抱いて震え出した。綺麗な女の人だったけれど、その夢の中の女のせいか陰気な感じで、長く伸ばした流行りのグレージュの髪も、色を失って見える。ちなみにさっきここを変わった興信所と言ったが、どちらかというと幽霊の問題を解決する怪しい相談所だった。もちろん興信所としての浮気調査や身辺調査の仕事もするけれど、口コミでこういった客が時折やって来てしまうのだ。
「イラ、何か分かるか?」
「何か憑いてるのは分かるけど、部屋に行ってみないとな、流石にここからじゃ無理だよ」
「お前でも無理か……」
所長は肩をすくめた。女の人は突然現れたイラの顔に見惚れて、顔を赤くする。これだよ、これがあるからこの興信所はアルバイトが長続きしないんだよ。僕は思わず独りごちる。こんなふうに男も女もみんなイラに惚れて、職員もアルバイトもお客さんも関係なくイラに惚れて、折角築いた関係がぼろぼろに崩壊してしまうのだ。でも、僕はそれをどうにか阻止していた。というか、僕はそのために雇われていた。そう、僕はイラに惚れていないのだ。僕はどちらかというとネコで、イラも多分そうだったから関係性が合致しないのである。
「あの……やっぱり悪霊なんでしょうか? 先祖の祟りとか?」
「まぁ、そんなに心配しないでください。イラは沖縄のユタの血が流れてる一流の霊能力者なんです。すぐに霊障もおさまりますよ」
所長が適当なことを言う。確かにイラは沖縄の人たちみたいに濃い顔をしていたけれど、両親ともに神奈川県生まれで、そんな血は流れていないと歓迎会の居酒屋で聞いた。でも、説得力を持たせるためにそういう設定にしているのは分かる。
「それじゃあイラとアルバイト二人でお部屋を訪ねさせてもいいでしょうか? すぐに終わると思いますので」
「……はい、お願いします。気味が悪いのはもう沢山なんです」
依頼人の女の人はそう言うと、僕たちを見て「お願いします」と言った。それは相当追い詰められている表情だった。
依頼人の部屋はひんやりとしていた。僕はそれだけでいつ幽霊が出るかと肝が冷えたが、イラは何食わぬ顔で女の子っぽいピンクやベージュに彩られた部屋を眺めていた。ベッドのシーツは花柄でとてもかわいい。ディズニーシーのダッフィーのぬいぐるみもベッドの上に詰め込まれている。このメルヘンな部屋にいると、依頼人の女の人が幼く見えて、余計に可愛らしく見えた。僕がゲイじゃなかったら、多分好きになっていただろう。そういう女の人だった。
「道が出来てますね。俺について来てもらっていいですか?」
部屋を見渡していたイラが言う。僕はそれにもう原因が分かったのかと思い、少し感心した。あながちユタの血が流れてるっていうのも、嘘じゃないのかもしれない。十中八九所長の口八丁だろうけれど。
「白装束の女が歩く道ですか?」
「そうですね、幽霊が通る道です。俗に言う霊道ですよ」
ちなみに、ここで付け加えておくと、僕は幽霊は見えない。僕は本来はイラのサポートというか、免許のないイラの代わりに車を運転したり普通の人間との折衝をする係で、イラに惚れてしまった依頼人を一人にしないためにいるようなどうでもいい係の人間だった。大人なんだから一人でどうにかすればいいと思うものの、所長がそう命令するのだから仕方がない。給料はそこそこいいから納得しているが、所長も分からない人である。依頼人とイラが結ばれたら、自分への気持ちがなくなるかもしれないというのに、彼が誰かと恋をするのを阻んでいるようにも思える。ややこしい人だ。
「ぼーっと突っ立ってんなよ、バイト。ほら行くぞ。お前はただでさえ役にたたねぇんだから依頼人に優しく声でもかけろ」
そんなことを考えていると、イラに耳元で囁かれた。僕は少しゾクっとする。イラがタチだったらなぁ、と少し思ってしまうのが悔しい。幸い、ミイラ取りがミイラにならないでいられるのは、イラの性格が僕の好みでないからなのだが。いつもトゲトゲしていて人に厳しい。そんな恋人は嫌だ。
「それじゃあ行きましょうか。車を回しますので。……イラはナビゲートして」
「すぐに終わりますからね。苦しくなったら言ってください」
依頼人はこの頃になると、イラを見てポーッとしていた。それは恋をする目だった。やっぱり僕がいてよかったと思う。そうじゃなきゃ、告白をすっ飛ばしてあの可愛らしいベッドで寝そうでもあったから。
右、左、まっすぐ、道なりに行って左。そんなイラのナビゲートは適切で、すぐに目的地に着いた。そう、白装束の女がいるところと言ったら一つ、寺に併設された霊園である。これには依頼人の女の人も驚いていた。何か思うところがあったのかもしれない。
僕らは白のバンを降りて、霊園に行く。そしてイラが立ち止まったところには、驚くべき光景が広がっていた。
墓を建てる前に差す卒塔婆が、何本も、何本も、墓の砂利の上に無造作に立っているのだ。異様なその様子に、依頼人は言葉を失う。そして僕が想像もしていなかったことを、次の瞬間口にした。
「このお墓、おばさんのものだわ……」
依頼人が砂利道に倒れ込む。後から知ったところによると、○○家の墓、というのが、偶然にも依頼人の父の姉が入る墓だったらしい。彼女が小さい頃近所に嫁いですぐに亡くなったらしく、ここに来てもすぐには思い出さなかったそうだ。
「誰がやったのかは知りませんが、悪質ですね。いたずらかな。多分これはあっち、これはそっちですね。ほら、アルバイト。とっとと刺して来い。そしたら夢の中でうなされることもなくなるから」
イラはそう言うと、へなへなと倒れてしまった依頼人を支えて墓の縁に座らせた。僕は言われた通りに卒塔婆が抜けている場所に挿してゆく。そんなことをしていると不審に思われたのかお坊さんがやって来て、「いたずらはやめてください」と言われた。僕は潔白だと弁明したかったが、彼はイラを見てすぐに全てを悟ったようで(イラはその道の人には有名人だった)、早くしてください、と最後には言う始末だった。
そんなこんなで、依頼をこなした僕らは、一応彼女を部屋に送り届けて、夕暮れ時の興信所に戻ることにした。依頼人は何度もありがとうございます、と言っていた。
思うに、夢に現れた白装束の女とは、彼女が言ったおばさんだったのだろう。自分の墓が荒らされているから助けて欲しかったのかもしれない。もしかしたら彼女はイラみたいに霊感があったのかもしれない。何もない僕には分からないことだけれども、墓に卒塔婆が刺さる様は異常だった。
「……今回は呆気なかったですね」
「幽霊なんてそんなもんだよ。基本的に人間より簡単なんだよ」
イラは助手席で遠慮なく煙草を吸った。やっぱり女を殴ってそうなバンドマンみたいな綺麗な顔をして、少し寂しそうにメンソールを吸っていた。そんなに吸うと勃起不全になるぞ、と煙草の注意書きを思い出して考えたが、彼は多分ネコだったので、そんなのは関係ないんだろう。
「所長のことですか?」
「は?」
「イラさんは、所長のこと好きなんでしょう? ユタの血が入ってるのに、案外自分の未来は分からないものなんですね」
僕がそう言うと、イラは運転中のハンドルを長い足で蹴り、走行中のバンは電柱に当たりそうになった。あと少し遅かったらやばかった。流石にアルバイトの分際で興信所の車を廃車にしてはまずい。バイト代が出ないどころか赤字だ。ゴールド免許を目指しているというのに、そうなってはまずい。
「絶対に所長に言うなよ。言ったら殺す」
バレてるって分からないものなのか、バレてるって知っても伝えてほしくないのか、イラはそう言って窓を開けた。僕はそれ以上何も言わず黙々と車を運転した。この時ちらりと見た彼の横顔はやはり綺麗で、僕は少し彼の人生に興味を持った。好きになったとかじゃない、もしかしたら好きになったのかもしれないけれど、僕はネコで、イラも多分ネコで、それはどうしようもない現実なのだった。タチだったら抱いてたのにな、そう思う時点で少しおかしいのかもしれない。でも、やっぱりイラは綺麗だった。ゾッとするくらい、軟骨の黒いピアスがきらきらして、とても美しく見えた。腕を切るような自傷にも思えるそのピアスの多さが、僕には尊いもののように見えた。
「おかげさまでもう幽霊を見ることはなくなりました。代金はこちらに」
「ありがとうございます。当社はアフターサービスもしっかりしておりますので、また何かあったらお気軽に来てください」
所長は除霊(と言っていいか分からない行為を僕らはしたのだが)の代金を受け取ると、にこにこと依頼人にコートを差し出した。そうして彼女から見えないところで封筒の中から一万円札を僕に五枚、イラに十枚差し出すと、あとの残りをスーツの中に仕舞った。こう言う時、所長はちょっとした守銭奴に見える。アルバイトの僕には関係のないことなのだが。
「ほら、お前らお客様をお送りして来て」
所長が言う。僕は言われた通り、一万円札を財布に入れて依頼人を追った。そういうことは先に言ってほしいと思いながら。
そうして依頼人を部屋に送り届けた僕たちは、また二人きりになって喋ることがなくなった。特に喋る必要などないと言われればそうだが、コミュニケーションとしての潤滑剤は必要だろう。
「ユタって、未来が見えるんですよね?」
「そんなの知らねぇよ。ていうかまた所長の話すんのかよ」
「さっさと諦めて新しい好きな男見つけたらどうかと思って」
「余計なお世話だよ」
またイラはぷいと横を向く。鼻筋の通った顔は綺麗で、黒髪が落とす影は物憂げだった。この頃になるとなんとなく僕は彼が気になっていて、それでも相手はネコだから、ネコだからって言い聞かせた。
行きつけのゲイバーのマスターが男同士はタチもネコも最後は関係ないよって言ったのを思い出して、また電柱にぶつかりかけたのは秘密だけれど。
ユタの血が流れると嘘をつかれる青年は、まだ望みのない恋をしている。僕はそれを不憫に思って、でもどうしようもない恋に傾倒する若さを思って、仕方ないなぁと独りごちた。
これは僕が興信所で経験したいくつめかの幽霊の事件で、そこそこ怖かったのだが、イラは慣れているようで何も言わなかった。
そんな時、彼のスマホが鳴った。所長ってすぐ分かるように着信音が特別なそれに、思わずため息が出た。どうしようもない恋をする青年は、顔をぱあっと明るくして「早く戻るぞ」って言う。僕ははいはいとそれに答えて、車を興信所に戻した。
僕は何も変わっていなかった。イラも所長への思いを変えていなかった。人生っていう物語はセオリー通りにいかないものらしい。僕がイラを少しいいなって思ったって、僕は彼をストーカーになりかかる依頼人の壁役で、恋人になんてなれるわけがないのだから。そしてイラの恋も、成就することはないのだから。
車は走る、興信所に向かって。霊能力者としては安い給料でこき使われているっていうのに、イラの顔は輝いていた。僕はそれを見てため息をついて、またしても注意散漫になって電柱にぶつかりそうになったのだった。
公然の秘密 深田 時緒 @fukadatokio
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