第52話 プロの意地
ブラウマンさんのテントに、テラスヴァニル王族の典医がやってきたのは、私が到着して5分後のことだった。
シャヒルとともにやってきた女性の典医は、息を整える間もなく、ブラウマンさんの脈を取る。喋ることも可能で、私が入ってきた時には二、三言会話もできた。ただ苦しそうだ。額には薄らと汗が浮かんでいる。
典医から問診を受けると、ブラウマンさんは答えた。
「特に問題ないよ」
あっけらかんと答えるけども、表情はまったくそうとは思えない。
たぶん、典医に「苦しい」と一言でもいえば、ライブが中止になると思っているのだろう。事実、多分そうなることになる。今日のライブを楽しみにしているブラマーたちのためにも、舞台に立ちたいと考えているはずだ。
問診を諦めて、典医は【鑑定】の魔法を使う。
しばらく調べた後で、もう1度ブラウマンさんの手首を取り、指先を軽く叩き始めた。
「感じますか?」
「何を言ってるかわからないのだが……」
「失礼」
今度、典医は思いっきりブラウマンさんの指を握る。
ブラウマンさんの指先は他の人とは違う。繊細な感覚を持ち、魔導六弦器と同じくらい大事な商売道具だ。それを握り込むなんて、道具を破壊するようなものだ。
「痛いですか?」
「…………」
ブラウマンさんは答えなかった。その代わり、典医が話した指先をもう片方の手で隠す。
何が起こったのかわからなくて、しばらく私はブラウマンさんと典医を交互に見つめた。
やがて典医は諦めたように口を開く。
「やはり指先の感覚がないのですね」
「指先が!」
私は思わず声を上げた。
「おそらく毒の一種でしょう。幸いなことに症状は軽いものです。2、3日休めば治ると思います」
「良かった!」
絶望で満たされていたテント内の空気が、一気に華やぐ。
安堵の息が漏れる中で、ブラウマンさんと典医の表情だけが硬かった。
「典医殿……。私の指の感覚はいつ戻る?」
「症状の緩和とともに、戻ってくるはずです」
「つまり、2、3日かかるってことか」
「……はい」
「そうか。それだけ聞ければ十分だ」
そう言って、ブラウマンさんは起き上がろうとする。
たったそれだけだったが、ブラウマンさんは苦しそうだ。
それでも立ち上がったが、すぐに体勢を崩し倒れてしまう。
「ブラウマンさん、ダメですよ。……安静にしてないと」
「その子の言う通りです。症状が軽いとはいえ、どういう毒が使われたかはわかりません。無理をすれば、指先の感覚をすべて亡くすことだってありえますよ」
「そうしたいのは山々なんだけどね。……ブラマーたちが私を待ってくれているんだよ」
今度は側に立てかけてあった〝
ブラウマンさんは本気でライブに出るつもりだ。
高熱を出したみたいにしんどそうなのに……。
そもそも指先の感覚がないのに、どうやって演奏するつもりなんだろう。
実際、私と同じ考えを持つ人がテント内では大半だった。
けれど、ブラウマンさんは止まらない。
足を引きずるようにステージに無理矢理でも上がろうとしている。
「…………」
私も何か声をかけようと思うのだけど、言葉が出てこない。
だって、私にはブラウマンさんの気持ちがわかるからだ。
テントの外では、今まさにブラウマンさんの音楽を求めている人がいる。
ブラウマンさんも、今の自分ができる最高の音楽を聴いて欲しいと考えているだろう。
ネブリミア王国でのライブで不甲斐ない演奏をしてしまったと思っているなら、尚更だと思う。
でも、何よりブラウマンさんを突き動かすもの――――。
それは、音楽が好きだということだ。
ブラマーたちを楽しむ音楽を、ブラウマンさんは聴きたいと思っている。
それが他人からは無茶なことで、這ってでも前に進もうとする気持ちの正体だ。
だから、私には痛いほど気持ちがわかる。
私もそうだった。王宮魔工師になりたくて入った王宮でパワハラを受けて、さらに魔導具の欠陥の容疑者に仕立てあげられそうになった。
テンスヴァニル王国王宮でもそう。民間魔工師資格試験の時もそうだった。
諦める機会なんて何度もあった。
それでも私が魔工師として今ここにいるのは、自分が何よりも魔導具が好きで、シャヒルという私の夢を信じてくれた人が、すぐ側にいたからだ。
「ブラウマンさん」
「お嬢ちゃん……。あんたも、私が舞台に立つことを拒むかね」
「はい。今のままのブラウマンさんを舞台に立たせるわけにはいきません」
「そうか。君も――――」
「だって、そんな身体では音楽なんて楽しめない。音を楽しむから音楽なんです。あなたが苦しかったら、何の意味もない。そんな音をブラマーの皆さんに聴かせるんですか?」
ブラウマンさんは顔を上げる。
テントの入口の前に立って、背中に陽を浴びた私を見つめた。
「身体を治しましょう。……大丈夫。ブラマーたちは待ってくれます。ブラウマンさんはもう30年魔導弦楽家をやってるんでしょ? 2、3日ぐらい待ってくれますよ」
それまで固まっていた〝
涙こそ見せなかったけど、ブラウマンさんの足を止めて、その場に蹲った。
「君の言う通りだ。……ありがとう。私はまたブラマーたちをがっかりさせてしまうことだった。音楽を長くやっているとね。ついその意味を忘れてしまう。気づかせてくれてありがとう、カトレア殿」
ブラウマンさんは私の手を取ると、深く頭を下げた。
しかし、事はそれだけでは終わらなかった。
中止する旨を、今回のライブでのスポンサーであるテラスヴァニル王国の王族に相談したところ激怒したのだ。
王族からしてみれば、これほどの人を集めたのに直前になって中止になってはメンツの丸つぶれである。怒るのも無理はない。それでもブラウマンさんは演奏できる状態ではなかった。
ブラウマンさんを治せと、典医にまで至上命令が下される。
「すまない……。大人げない家族で」
テントの中にいる中で唯一王族であるシャヒルが謝る。
ブラウマンさんは横になったまま笑った。
「いや……。元はといえば、不用意に人からもらった酒を飲んでしまった私が悪いのだ」
「一体、誰からのお酒だったんですか?」
ブラウマンさんはそっと私から目をそらす。
その態度を見て、私はピンと来た。
「もしかして、ネブリミアですか?」
「ああ。……ただお酒を渡しにきた本人は知らないようだった。苦しむ私を見て、驚いていたからね。あれは演技ではなかったと思う」
知らないといっても、同じ同国人として義憤を感じざるを得ない。
話を聞く限り、契約を切ったブラウマンさんへの明らかな意趣返しだろう。
もし、仮に他にもこんなことをしていたとしたら、同国人として恥ずかしい限りだ。
私が顔を赤くして憤っていると、テントにステルシアさんが入ってくる。
あの真っ黒な男装のままでだ。側にいたライザーもいて、何故か犬用の革ジャケットを着ていた。
ステルシアさんとライザーに、一体何が起こったんだろう(特にライザー)。
「ブラウマンさんが倒れたと聞いたのですが、本当ですか?」
珍しくステルシアさんが取り乱していた。
その彼女に、シャヒルが声をかけた。
「ステルシア、ちょうどいい。ギンザー兄さんに事情を話して、ネブリミア王国の渡航権を持つ役人を渡航禁止にするように言ってくれ」
「かしこまりました」
ステルシアさんはいつも通りの表情になると、風のように走って行く。
それを見送った後、シャヒルは首を捻った。
「さて。ブラウマンさんのことだが、何か手立てはないのか?」
「毒の種類がわかりません。先ほど本人が飲んだという酒瓶を調べましたが、私が知る限りの知識にはありません。【鑑定】の結果から症状自体、『軽症』と表示されるので見たて間違いないと思うのですが、毒物の種類については『無知識』という表示が出るだけで」
鑑定魔法も万能というわけではない。
身体の状態はわかっても、自分の見聞きしたこと以外のことは『無知識』と出る。
少しでも記憶に入力されたものしか、詳細なことは表示されないのだ。
「未知の毒物か……。なら、ユニコーンの角を使ってはどうだ?」
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