第50話 不穏な影

☆★☆★ 本日発売 ☆★☆★


本日『王宮錬金術師の私は、隣国の王子に拾われる ~調理魔導具でもふもふおいしい時短レシピ~』の発売日を無事に迎える事ができました。

WEBの読者の皆様に支えられ、書籍化することができました。

改めて感謝申し上げます。

書籍版はその感謝を伝えるべく、WEB版よりさらに面白い作品になっております。

是非お買い上げいただきますよう、何卒よろしくお願いします。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~



 ◆◇◆◇◆ カトレアがライブ会場に到着する2時間前 ◆◇◆◇◆



「帰ってくれないか? 集中したいんだ」


 開演3時間前。

 すでに現地入りしていたブラウマンは、待機所のテントの中で相棒のマグナムを調整していた。弦の張り具合を1本1本入念に調べている。それこそカトレアが見せた精霊石の磨き直しのように、100分の1ミーリ単位でちょっとした歪みを修正していた。

 神経を張り詰めさせながら、調整をしていると、非常に耳障りな声が聞こえてきた。


 魔導局局長代理兼局長付営業課所属営業課長のイカルズである。


 1人の部下を伴い、はるばるやってきた営業課長は「激励」という名目でテントの中にズケズケと入ってきた。

 会うなり発したのが、冒頭のブラウマンの台詞である。


 イカルズが来るまで時折鼻唄が混じるほど穏やかだったが、イカルズを見た途端に〝氷の瞳アイス・アイズ〟は本領を発揮してみせた。

 さすがの迫力に他の部下は尻込みしたが、イカルズは違う。

 1歩前に出ると、パンツのポケットに手を入れたまま、ブラウマンを睨んだ。


「そんなこと言わずに……。これでもテラスヴァニルからはるばるやって来たんですよ。もう少しお話をしようじゃありませんか?」

「断る。私からお前たちに話すことなど何もない」

「聞きましたよ。魔導六弦器が直ったんですってね」

「そうだ。だから、お前らには用はない」

「それは少々ご無体ではありませんか? 二人三脚でやってきたパートーナーじゃありませんか? それを足蹴にして、契約破棄なんて。こっちの立場も考えていただきたいものですねぇ」


 ブラウマンの〝氷の瞳アイス・アイズ〟をぶつけられても、イカルズは決して引かない。目の前に死神のような男が立っているのに、逆に近づいていく。


 根負けしたのは、ブラウマンの方だった。

 大きく息を吐き出すと、秘書に紅茶を出すように伝える。

 勧められた折りたたみの木の椅子に座り、ブラウマンは熱々の紅茶を啜った。


「熱ッ! 熱ッ! 熱いですねぇ。オレは70度ぐらいの紅茶が好きなんですが……。それに私は甘い方が好みだ」


 イカルズはいつも通り封を解くと、緑の飴を舐め始めた。

 ブラウマンは目を細める。


「イカルズ……。なんで私の前にまた現れた」

「いやだなあ。激励だってさっき言ったじゃないですか? そもそもこのテラスヴァニル王国でのコンサートは、テラスヴァニル王族からの要請に応じたものですけど、仕切りはネブリミア王国の営業部ですからね。何人かのスタッフもうちが雇った現地人ですし」

「それには感謝している。……だが、直接的に王族からの要請を受けたのは私だ。お前たちは後から乗っかってきただけに過ぎない。私が言っていることは間違っているかね」

「間違っていませんね。でも、激励に来た関係者を、野良犬みたいに追い払う理由にはならないでしょう?」


 まさに暖簾に腕押しだ。

 何を言っても、イカルズが出て行かないことを察したブラウマンは話を変えた。


「野良犬の方がまだ忠義を知っていそうだがね。だが、お前たちは違う。私に嘘をついた」

「嘘? 嘘なんかついちゃいませんよ」


 イカルズは鼻で笑い、ついで肩を竦めて戯ける。

 しかし、そこにブラウマンの〝氷の瞳アイス・アイズ〟が裁きの光をかざすと、イカルズは飴を舐めるのをやめた。


「マグナムについている精霊石……。専属の王宮錬金術師がいたそうだね」

「専属の王宮錬金術師? 何を言ってるんですか?」

「君たちはそんな素晴らしい王宮錬金術師がいながら、パワハラまがいのことをして辞めさせたそうじゃないか?」

「どうして、それを――――」


 つい口走ったのは、イカルズの後ろに控えた部下だ。

 慌てて部下は口を手で塞いだが、遅かりしだった。


 そんな部下にイカルズは、これまで見せたことのなかった表情で睨んだ。

 しかし、彼以上に険しい顔をしていたのは、向かいに座ったブラウマンだった。


「事実のようだな」

「そのようですね。私は知りませんでしたが……。大方、私の前任者の怒りを買ったんでしょう」

「だが、君たちはその錬金術師が辞めたことを知っていたはずだ。何故、それを私に報告しなかった。もっと早くに知っていれば、私は――――」


 ブラウマンは己を責めるように膝に置いた拳をギュッと握り込んだ。

 そんな葛藤を知ってか知らずか、イカルズは相変わらず悪びれることなく、軽妙な口調でまくし立てる。


「局内のことはお話できません。守秘義務がありますから。たとえ、それがあなたでもです、ブラウマンさん。あなたは我が社の広告塔です。希有な才能を持つ魔弦楽家……。ちょっとしたストレスがあなたの演奏に差し支えるかもしれません。それにネブリミア王国は世界一の魔導技術を持っています。錬金術師の代わりなんていくらでもいますので」

「本音が出たな。私はあくまで人を寄せ集めるだけのサーカスの獅子というわけだ」

「だから、そんなことは言ってませんってば」


 否定しながら、イカルズは笑顔を隠そうとしなかった。


「イカルズ……。あんたは魔工師の資格を持たない魔導局の役員だったな」

「ええ……。そうですよ。でも、オレには商人としての知識と経験がある。これでもブラウマンさんがコンサートを行った国の倍の数は渡り歩いています」

「ああ。昔聞いた。しかし、わかるはずだ。希有な才能に替えはきかない。君だってその1人だろう」

「ブラウマンにそう評価されているなんて光栄ですね」


 ブラウマンはただ黙って、目の前の男を睨む。

 イカルズは結局終始戯けていて、真剣に取り合おうとはしなかった。

 白熱した話し合いだったが、終わってみればテントの中は冷ややかな空気に包まれていた。


 先に立ち上がったのは、イカルズである。


「交渉決裂でしょうか?」

「最初から交渉に応じるつもりなどない」

「じゃあ、今までのは何だったんですか?」

「ただのベテラン魔弦楽家のお説教だよ」


 バキッ、と何かが割れるような音がした。

 イカルズは口元に手を伸ばすと、舐めていた飴の棒が折れている。

 それをポンとテントの隅に投げたイカルズは、踵を返してテントを出ていこうとする。


「待て、イカルズ」

「あん?」

「ゴミはゴミ箱だ? 母親から習わなかったのか?」

「…………チッ!」


 舌打ちすると、イカルズは先ほどの捨てた棒を「ゴミ」とかかれた木箱に入れる。

 今一度ブラウマンの方を睨む。


「オレが物心ついた時には、家にはいなかったんですよ。他の男に乗り換えて出て行きました」


 それだけ言って、荒々しくテントの幕を捲ると、外へと出て行った。







「クソッ! 耄碌ジジイめ! 余計な知恵をつけやがって」


 イカルズは地面を蹴り上げる。

 その後ろを、肩を竦めた部下がついてきた。

 イカルズは振り返ると、部下の胸ぐらを掴む。


「元はといえば、お前が口を滑らしたのが悪いんだぞ。わかってんのか!?」

「す、すみません……」

「お前の顔なんて2度と見たくない。人事部に行って、人口1000人もいない小さな国の営業所で、一生何もない机の埃でも掃いてろ」

「い、いやです! そんな!! 私には家族がいる。家だって、買ったばかりで」

「オレは転職組というヤツだが、1人同期がいてな。そいつはなかなか見所のあるヤツで、オレと同じくらい頭がよかった。まあ、オレの方がもうちっと頭がいいけどな」

「ら、ラザル様のことですか?」

「よく知ってるじゃないか。大事な会議で噛みまくって、ラグリーズさんの怒りを買った無能な同期のことを……。あっ! そうか。お前ラザルの元部下だったな。なら、今ラザルがどうしてるか知ってるよな? 1年前は名もない南の島。2年前は北の極寒の谷。3年前は東の熱帯地方。4年前は……なんだっけ? もう忘れちまった。要はたらい回しにされてるってこった。ラグリーズ局長の怒りに触れてな」


 イカルズは口角を上げ、さらに口を開いて歯を見せる。

 震える部下を愉快げに眺めた。


「ラザルは随分楽しんでるみたいだぜ。毎回毎回誰も見やしないい定期報告書をきっちり送ってくるしな。元上司と同じ境遇になるんだ。むしろ光栄だろ。ラザルも喜ぶと思うぜ」


 イカルズは得意の早口でまくし立てる。

 すると、部下は突然地面に膝と手をつき、砂に額を付けた。


「お願いします! イカルズ様! どうか! どうか! お目こぼしを!」


 部下の後頭部を見ながら、イカルズはまたしても口角を上げた。


「おいおい! 人前だぞ。まるでオレがいじめっこみたいじゃねぇか?」

「何卒!!」

「チッ! しゃーねーな。わかったよ」

「本当ですか?」


 部下が涙に溢れた顔を上げる。

 イカルズは部下の肩を叩くと、まず飴を舐めた。

 さらにもう1本、部下に差し出す。


「なあ、お前……。オレの代わりにブラウマンさんに、謝ってきてくれないか?」

「え? そんなことでいいんですか?」

「オレは謝るのか謝らないのか訊いてるんだ」

「わ、私なんかで良ければ……」

「よし。そうだな。謝罪だからな。詫びの品を持っていくといい」


 イカルズは持っていた鞄の中から酒瓶を取り出す。

 上等な蒸留酒で、たった1本でちょっとした高級酒場なら豪遊できるぐらいの価値がある。


 ブラウマンは酒を楽しむ。特に酒精の強い蒸留酒が好きなのは、ファンの間では有名な話だ。若い頃、酒を飲みながら演奏したなんて武勇伝もある。

 たぶん、持っていけば目の色を変えることだろう。


 イカルズはこう見えても営業マンだ。

 自分と組む相手のことは、ちゃんと調べている。


「わかりました。あの……。本当に私が謝って、ブラウマンさんにこれを届ければ、左遷の話はなくなるんですよね?」

「男に二言はねぇよ。さっさと行け」

「は、はい」


 部下は酒を持って、先ほどまでいたブラウマンのテントに走って行く。

 そんな部下の背中を見ながら、イカルズの口元は怪しく歪んでいた。

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