第48話 魔導局の営業課長

 ◆◇◆◇◆ ネブリミア王国 営業課 ◆◇◆◇◆



 ブラウマンが去って1ヶ月が経った。


 魔導局局長付営業課所属営業課長という長い肩書きを持つ、イカルズ・ドーズは現在王宮内にある執務室で執務を執っている。


 本来なら課長が専用の執務室を持つことはない。

 執務室を持つのは、部長以上という暗黙の慣習があり、その部長にしても壁1枚隔てた小さな部屋を割り当てられるものだ。


 しかし、今イカルズの執務室には、高名な絵描きが描いた絵画あり、見事な鷲の剥製があり、戸棚には年代物の蒸留酒が並んでいた。


 これらすべてイカルズが集めたものではない。

 元々の主である前魔導局局長ラグリーズが集めたコレクションだ。

 ラグリーズが例の一件で失脚した後、局長付営業課所属営業課長であるイカルズが席についた。これは異例の処置である。


 現在、イカルズの肩書きは魔導局局長代理兼局長付営業課所属営業部長というさらに長いものになっていた。言ってみれば、今魔導局のトップは彼なのだ。


 と言っても、局内ではお飾りあるいは腰掛けといった見方が強かった。

 後任の局長もイカルズにはならないというのがもっぱらの噂だ。

 しかし、噂には根拠があり、代々魔導局局長には王宮魔工師が選ばれてきた。


 実はイカルズは魔導局に勤めてはいるものの、王宮魔工師ではない。

 元は御用商人で、その営業力をラグリーズに買われて、魔導局局長直属の営業課に配属されたのである。


 王宮魔工師でもないイカルズが代理として選ばれたのは、簡単な理由だった。

 ラグリーズがやっていた仕事を知る人間が、彼以外にいなかったからだ。


 つかの間の天下であることは承知の上で、イカルズは今日もラグリーズが座った椅子に腰掛け、仕事に励んでいた。


 ノックが鳴る。


 続いて入ってきたのは、彼の部下だ。手には何か書類を持っているが、イカルズは机の書面を目で追い続けていた。


「イカルズ課長、ブラウマン様から書類が届きました」

「ブラウマン? ああ。あの恩知らずの爺さんのことか。爺さんがどうした? 今頃になってうちに泣きついてきたのか? あと、〝様〟をつけるな。もうあれは客でもなければ、お得意様でもないんだからな」


 イカルズはまくし立てる。

 1を言われたら、10で返さないと気が済まない。

 どうやら、それが彼の性分であるらしく、部下も特に気にしていなかった。


「正式に契約解除をすると……。ギルドを通して、連絡を」


 そこでようやくイカルズは顔を上げる。

 かけている眼鏡を2度3度と動かしながら、部下が差し出した書類に目を通した。


「はっ? うちと本当に契約解除するだと? ネブリミア王国魔導局以上に、あの爺さんの魔導六弦器をメンテナンスできる工房なんてどこにあるんだよ? それとも何か? ついに引退でも決めたか? それなら惜しいことをしたな。引退コンサートに1枚噛むことができれば、最後に大儲けできたかもしれないのに」


 イカルズは自分勝手なことばかり言い続ける。

 部下は慣れているのか、眉1つ動かさずこう言った。


「どうやら、予定通りテラスヴァニル王国でのコンサートを実施するようです」

「はあああああああ!? オレたちがあんなに必死になって説得して頼んだコンサートをやるだと! 何を考えているんだよ。オレたちには『音が出ない』とかふざけたことを言ってごねてたくせによ。結局あれか? ギャランティーの問題か? かかっ! 今時の老人はこすいねぇ。あんだけ稼がせてやったのに、まだ稼ぎ足りないのよ」

「どうしましょうか?」

「行くぞ!」

「え? どこへ?」

「テラスヴァニル王国に決まってるだろ?」


 ちょっとそこの居酒屋までという調子で、イカルズは立ち上がり、鞄を持ち上げる。鞄の中には替えの下着や香水、現地でも仕事をするための筆記用具などが入っていた。


 このフットワークの軽さは、イカルズが商人時代、世界を飛び回って自然と身に着けたものだ。


「ですが、今さらテラスヴァニルに行って、どうするんですか?」

「元スポンサーとして挨拶に行くのは当然だろう。それに気にならないか? オレは気になるねぇ。あの爺さんがコロッと態度を変えたのをさ。きっと何かがある。テラスヴァニルにな」


 イカルズはいつも持ち歩いている飴の封を解くと、口に含む。

 ガリッと砕ける音が、執務室に響いた。




 ◆◇◆◇◆ シャーレア ◆◇◆◇◆




 それはブラウマンさんのゲリラコンサートが行われた次の日だった。


 開店時間になりシャーレアの表扉を開けると、そこには人だかりができていた。

 シャーレア開店以来、開店待ちをする人がちらほらいたのだが、今日はその比ではない。初めての開店日――いや、あの時以上の人だかりができている。


 開店を告げると、次々とお客さんが入ってきた。


「これ、どういうこと? シャヒル?」


 驚いたのは、お客さんの数だけではない。

 おそらく地元の人と思われるテラスヴァニルの人たちが、旅行者に混じってたくさんいたからだ。

 旅行者が〝3〟に対して、テラスヴァニルの人が〝7〟といったところだろう。

 私たちが望んでいた地元の人がたくさんシャーレアにやってきたのだ。


「ブラウマンさんに感謝だね。ブラウマンさんは、テラスヴァニルでも人気だから」

「以前、テラスヴァニル王国で行ったコンサートでは、テラスヴァニルの古い曲をアレンジして話題になりました。そこで一気にファンを獲得したんですよ、ブラウマンさんは」


 手に注文表を持って、ステルシアさんが補足説明してくれる。


「テラスヴァニルの人たちは、古いものを大事にするからね」

「なるほど。ブラウマンさんもそれを知って、演奏したんでしょうか?」

「あり得るね。自分のスタイルや新しいものを探究し続けることも重要だけど、聞かせるお客さんのために古いものも取り入れる。……俺たちも見習わないといけないね」

「そうだ。シャヒル。昔、テラスヴァニルで流行っていた料理はないの?」

「なるほど。できれば、今見ないものがいいですね」


 私の意図をステルシアさんはくみ取り、さらにアイディアを上げる。

 カウンター向こうのシャヒルは、しばし考えた。


「いい考えだね。1つ心当たりがある。……しかし、今はお客様の料理を作る方が先決だ。ステルシア、今日も頼むよ」

「かしこまりました」

「カトレア。ライザーと一緒に外の様子を見てきてくれないかな。もしかしたら、行列ができてるかもしれないから」


 行列!? なるほど。あり得るかもしれない。

 今まで、数人が並ぶことはあったけど、今日はそれだけがすまないような気がする。


 ライザーを伴って、店の外へと出る。案の定、列ができていて、隣の雑貨屋の前まで伸びていた。

 その列を雑貨屋の邪魔にならないように、私はライザーと一緒に整理する。

 テラスヴァニルの人は礼儀正しい人が多いので、素直に従ってくれた。


 それにしても、あの夜のコンサートをきっかけにして、こんなにお客さんが集まってくるなんて。お隣から苦情とか大丈夫だろうかと思ったが、近くのお店の店主も列に並んでいた。

 ブラウマンさん効果、すごすぎる……。


 その効果に唖然としていると、不意に私は声をかけられた。

 ライザーが唸りを上げる。


「カトレア様ですね」


 私とライザーの前に、如何にもお役所勤めといった感じの男性が立っていた。





 しばらくして私はシャーレアに戻る。

 テーブルにはシャヒルが腕によりをかけた料理が置かれ、すでに店の中はおいしそうな香りに満ち満ちていた。


「シャヒル、聞いて」

「どうしたんだい、カトレア?」


 私は手に握りしめていた紙切れを伸ばして、シャヒルに広げて見せた。

 そこには「ブラウマンコンサート テラスヴァニル」と書かれている。


「もらっちゃった」

「もしかして、ブラウマンのコンサートチケットかい? プレミアが付くほど、取るのに難しいのに。どこで手に入れたんだい?」


 さっき店先で会ったのは、ブラウマンさんの秘書の方だった。

 昨日のブラウマンさんの一件について、もの凄く感謝していた。さらに夜にもかかわらず、大音量で音を流してしまったことを謝罪した(どうやら一軒一軒謝ってるらしい。うちにクレームが来なかったのは、秘書の方のおかげのようだ)。


 本来ならブラウマンさん自身の手で渡したかったみたいだけど、コンサートの準備や人の目もあって、秘書さんをうちに寄越したらしい。


「もちろん行くでしょ、シャヒル? ……私ももっとブラウマンさんの演奏を聴いてみたいし」

「そうだね。折角招待されたんだから、行こう。俺も興味あるし。お店も、その日は臨時休業ということにしよう」

「やった! ただチケットは2枚しかなくて」


 私はチラリとステルシアさんとシャヒルを交互に見つめる。

 すると、ステルシアさんはフッと笑った。


「お気遣いありがとうございます、カトレア様。どうぞシャヒル王子と行ってきてください」

「い、いいんですか、ステルシアさん?」

「ご心配なく、ここにもう1枚チケットがありますから」


 そう言って、ステルシアさんは服の袖からチケットを取り出す。

 「ブラウマンコンサート テラスヴァニル」と書かれていた。


「え? もしかして、ステルシアさん……。こういう時のために事前にチケットを取っていたとか?」


 だったら、どんだけ完璧なんだ、この人。


「いえ。そういうわけではなくて、恥ずかしながらわたくし――こういうものでして」


 ステルシアさんはまた服の袖から何やら取り出す。

 出てきたのは、団扇やリストバンド、果ては鉢巻きなんてものまであった。

 そこには「ブラウマン命!」と書かれていた。


「わたくし、実はブラマーでして」

『ブラマー???』

「あ。ブラウマン様の熱狂的なファンのことを、ブラマーというですよ」

『ブラウマン〝様〟!!』


 他人の趣味は詮索しないけど、まさかステルシアさんにこんな一面があったなんて。

 ちょっと意外……。でも誰にだって、偏狂的に好きなものがあるよね。

 私の場合はそれが魔導具で、シャヒルの場合は料理なだけで。


「だったら、昨日のここでの生演奏を聴けなかったのは、残念ですね」

「そうなんですよ」


 ステルシアさんの顔はみるみる青ざめていく。

 全身の骨が消滅したかのように、床にしゃがみ込むと、この世の終わりだとばかりに落ち込んだ。よっぽど好きなんだなあ、ブラウマンさんのこと。


「じゃあ、後はライザーかな。さすがにお留守番かな」


 ライザーはちょっと残念そうに頭を下げた。

 私はやや元気のないモフモフの毛を撫でて慰めてあげる。


「いえ。大丈夫ですよ。今回のコンサートは野外で行われる予定です。我々はブラマーの間では、〝ライブ〟と呼んだりするのですが、屋外の場合ならペットも可能なはず。まあ、ペットを連れて最前線に突撃するのは、暗黙のルールとしてオススメしませんが……」


 最前線とか、突撃とか、随分と物騒な言葉が、ステルシアさんの口から次々と漏れてくる。

 〝ライブいきる〟? もしかしてコンサートって、戦争なのかしら。


「ともかくライザーも参加できるんだね、ステルシア」

「はい。しかも無料だったはずです。ただコンサートですので、なるべく静かにしておく必要がありますが」

「ライザーは大人しくできるもんね」

『バァウ!』


 シャーレアの番狼は元気よく吠えるのだった。

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