第47話 復活!
ブラウマンさんの相棒マグナムに使われている精霊石のことはよく覚えている。
今から2年ぐらい前だったと思う。まだ私が王宮にいる頃だ。
製造部長がやってきて、錬金課で突然コンペをやると言い始めた。
魔導具のコンペかと思ったが、とある精霊石を誰が1番うまく磨けるかというものだ。
なので、コンペというよりは、まるで抜き打ちの技術審査のようなものだった。
私は一生懸命やった。
その頃の私は王宮魔工師に昇格することを夢見て、たとえ技術審査でも誰かの目に止まればと考えていたからだ。
その気持ちが功を奏したどうかはわからないけど、私の精霊石が1位を勝ち取った。
その後、定期的にその精霊石のメンテと、カッティングを依頼されて、こなしていたのだ。
「ネブリミア王国に魔導六弦器のメンテナンスを頼んでいたことは事実だが、君がこの精霊石を管理していたのか?」
「はい。どうやら、そのようです」
まさか私自身もこれが、世界的に有名な魔弦楽家のブラウマンさんが扱う楽器とは思ってもみなかった。
「なるほど。こういうことだね」
「シャヒル?」
「ネブリミア王国の魔導局は、ずっと君にブラウマンさんの魔導六弦器に使われている精霊石のメンテナンスを頼んでいた。けど、カトレアが王宮をやめてしまったから」
「うまくメンテナンスができていなかったということか」
ブラウマンさんは半ば放心しながら椅子に腰掛ける。
ずっと悩んでいて、契約まで打ち切り、加えて進退すら決めてしまった後で、魔導六弦器の不調の原因らしきものが判明した。
内心複雑に違いない。
「カトレア、それで直るのか?」
「ええ。いつもと同じよ。磨き直せば、きっとブラウマンさんが納得できる音を奏でることができるわ」
「本当かね」
「はい。今からやりますから、ちょっと待っててください」
私はテーブルの上に精霊石を置くと、早速手に魔力を込めた。
実際、ブラウマンさんの
こうして魔力を当てると伝わってくる。
魔力の歪みが……。魔法の悲鳴が……。
精霊石の表面についた微細な傷。
荒い磨きでできてしまった細い筋。
集中し、耳を澄ますと聞こえてくる。魔力の流れが私に囁きかけるのだ。
そっと撫でるように私は精霊石を磨く。
100分の1を、1000分の1の精度に高めていく。
魔力の声に耳を傾けながら、1つ1つ丁寧に磨いていった。
「ふぅ……」
ハッと気づいた時には、20分経過していた。相当集中していたらしい。
一瞬ふらつきそうになったのをシャヒルが支えてくれる。
「大丈夫かい、カトレア」
「ええ。ありがとう、シャヒル。久しぶりの大仕事だったから、頑張っちゃった」
ブラウマンさんも心配そうに見つめている。
「無理をさせてしまってすまない」
「いえ。お構いなく。久しぶりに骨のある仕事ができて嬉しかったです」
「そうか。……で、どうだね?」
「はい。精霊石の磨き直し、終わりましたよ」
私は薄い皮の手袋を付けて、そっと精霊石を持ち上げる。
指紋が付くだけでも、音に影響するかもしれないからだ。
ブラウマンさんの魔導六弦器に取り付けると、念のため魔力を伝える魔導線も全部取り替える。これは慣れているから、ものの5分で終わってしまった。
「完了です。どうぞ弾いてみてください」
私から魔導六弦器を受け取ったブラウマンさんは、新しくなった相棒マグナムを眺める。
見た目はなんら変わっていないのだけど、ブラウマンさんには何か感じるものがあったのかもしれない。受け取った瞬間、〝
肩にかけると、ピックは持たずに指で弦を弾いた。
たった一音を聞いて、ブラウマンさんの顔色が変わる。
さらに連続して指弾きしていく。確かめるつもりが、興が乗ったのだろうか。
ブラウマンさんはそのまま演奏を始めてしまった。
先ほどのそよ風のように優しい音ではなく、それとは正反対に重みを感じる。
空気を伝って、胃を震わせるような迫力ある音の波に、私とシャヒルは圧倒された。
次第にブラウマンさんの指捌きが激しくなる。指だけではなく、身体の動きもダイナミックになっていった。1曲目は椅子に座って、天女のように大人しく弾いていた魔弦楽家とはまったく違う。
時に跳ね回りながら、時にスキップしながら、店の中を縦横無尽に歩き回る。
相棒の復活を、心から喜んでいるようだった。
やがて演奏が終わる。
最後に魔導六弦器を掲げると、その雄々しい姿を見つめていた。
私は立ち上がって、拍手する。もちろん、横のシャヒルもだ。
称賛はそれだけではなかった。いつの間にか開いた扉の前にテラスヴァニル人が立っていた。1人や2人どころではない。シャーレアの前には閉店時間がもう過ぎたにもかかわらず、たくさんの人が大挙し押し寄せていたのだ。
そこで私もシャヒルもはたと気づく。
まだ寝る時間には早かったものの、もう夜だ。
いくらブラウマンさんの演奏とはいえ、大音量で音を流してしまった。近所迷惑も甚だしい。
しかし、私の心配とは裏腹に、シャーレアに集まった人たちはみんな笑顔だった。絶賛の声を上げて、満足そうに何度も頷いている。
「ブラウマンだ!」
「ブラウマン、最高だったよ」
「こんなところでも、あんたの曲を聴けるなんて」
「嬉しいね。あたしゃ、大ファンなんだ」
子どもだけではない。お年寄りも涙を流して喜んでいた。
気持ちはわかる。ブラウマンさんの演奏はそれほど素晴らしいものだったのだ。
ブラウマンさんも夜に集まったファンたちを見て、少し戸惑った様子だった。
机に預けていた黒のシルクハットを持ち上げ、照れを隠すように目深に被る。
「失礼。紳士淑女の諸君。……今のは私からの子守歌のサービスだ。今の聞いて、ぐっすり眠ってくれ」
今のはブラウマンさんなりのジョークだろうか。
子守歌というよりは、寝覚めに聞いたらビックリして起き上がってしまうような音だった。
「もうすぐライブがこのテラスヴァニルで行われる予定だ。是非来てくれ。私の生涯最――――いや、最高のライブになるだろうから」
ファンのみんなは手を叩き、「ブラウマン!」とシュプレヒコールを上げる。
「あと、もう1つだけ。ここの料理は最高だ。危険なほどにね。特にコラーを使った豚の角煮は、ほっぺが落ちてしまうから注意してくれたまえ」
最後にはお店の宣伝までしてくれた。
さすがに馬鹿騒ぎがすぎたのか、衛兵がやってくると、早々に解散となった。
騒々しい幕引きだったけど、みんな満足している。
そして、自らの手でシャーレアの扉を閉めたブラウマンさんもしかりだった。
「いかがでしたか? 魔導六弦器の調子は」
「カトレア、聞くまでもないんじゃないか?」
ブラウマンさんは肩からかけていた魔導六弦器を下ろす。
見た目は変わらなくとも、生まれ変わったことは間違いない。
先ほど弾いた曲には、1曲目に感じた魔力の歪みを感じなかった。
激しい音だったけど、繊細な技術がふんだんに詰まっていたし、曲が長引けば長引くほどブラウマンさんが出す音が洗練されていくようだった。
「最高の演奏でした。ブラウマンさんはまだ演奏できます。これからも素敵な音楽を、ファンの皆さんに届けてあげてください」
私の言葉に、ブラウマンさんは心底をホッとしたように息を吐き出す。
すると〝
白い肌を伝うブラウマンさんの涙は、まるで雪解け水のように美しく見えた。
「ありがとう、カトレア・ザーヴィナー。ありがとう」
ブラウマンさんは決して饒舌な方ではないだろう。
それが他人との軋轢を生むことがあったかもしれない。
成功者であれど、辛いことも多かったはず。
何より自分が求める音を出せないことは、音楽家として何より悔しかったに違いない。
やめることだって、本当はやめたくなかったはずだ。
今、私に向けられた感謝の言葉は、そんな辛かった日々のすべてを吐き出すかのようだった。
ブラウマンさんは相棒を抱きしめる。
涙は流れていたけど、その表情はとても嬉しそうだった。
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