第44話 氷の瞳

 閉店時間が過ぎても、私とシャヒルの仕事は続く。

 私は新しい魔導具の開発。シャヒルは新しい料理の試作だ。

 だいぶお客さんの傾向や、注文数から好みがわかってきたらしい。

 お客さんに満足してもらうためにも、おいしい料理を作るとシャヒルは意気込んでいる。


 ただシャーレアに来る人は一見さんが多い。

 テラスヴァニル王国に買い付けに来た商人や、旅行者が多いためだ。

 気が早いもので、すでに旅行者向けの案内にシャーレアが掲載されているらしい。


 私もシャヒルも少し複雑だ。

 旅行者が殺到すれば、さらに地元の人が利用できなくなる。

 シャーレアはできれば、地元に愛されるような料理店にしたいと考えている。現状今は真逆のことが起こっているから、どうにか問題を打開する必要があった。


 そこで導き出した答えが、私が口にした提案だった。


「手軽にテイクアウトできる料理はどうかしら?」


 今、お昼時も夕食時も満席が続いている。

 それ以外の時間帯では空席が目立つけど、食事をきっちり時間通りに取るテラスヴァニル王国の国民性もあってか、やはり地元のお客様は少ない。

 むしろ地元のお店は繁忙期を過ぎると閉めてしまうから、お昼がズレてしまった旅行客や、買い付けに来た商人たちが、シャーレアに流れてくるのだ。


 ならば、忙しい時間でも手軽に作れて、すぐに渡せる料理ならば地元の人でも魔導料理を口にできると考えたのだ。


「俺が考える魔導料理とは少し違うけど」

「シャヒルがお店でじっくり料理を味わってもらいたいのはわかるわ。でも、きっかけを私たちから提供することも、シャーレアの役目じゃないかしら。そういうものは劇的なものじゃなくてもいいと思うの。ほんの些細なことで、シャーレアに足を向けてくれることもあるはずよ」


 私が魔工師を目指したのは、母が買ってきてくれた皮むき器だった。

 それは魔導具でもなんでもない、単なる便利道具だったけど、その素晴らしさに子どもの頃感動したからこそ、私は魔工師になった。

 色々遠回りしたけど、遠回りしたからこそシャヒルと出会い、ステルシアさんと出会い、家族の大切さに気づくことができた。そして今、シャーレアに立っている。


 その原点が皮むき器なんて誰が思うだろうか。

 そう。きっかけなんて些細なことでいいのだ。


「わかった。カトレアの提案に乗ろう」

「ありがとう、シャヒル」

「問題は料理をどうするかだな……」


 こうしてシャヒルの試作が続いている。


 初めはシャーレア特製のバーガーなんてことも考えた。

 早く作れて、手軽に公園のベンチなんかでも食べられるといえば、バーガーだからだ。

 けど、テラスヴァニル王国にはたくさんのバーガー屋――つまり競合店がひしめいている。シャヒルが経営するバーガー店だけではない。あちこちでバーガー店が生まれ、王都はまさしくバーガー王国となっていた。


 言わば本場のバーガーを食べようと訪れる愛好家も少なくない。

 テラスヴァニル王国はバーガーの聖地なのだ。


 手軽な感じでやるのは難しく、バーガーは断念した。

 シャヒルとしては、もっと簡単な料理にしたいようだ。


「飲み物がいいな」

「お酒を提供するんですか?」

「いや、うちでしか出せない飲み物がいい。できれば、魔導具を使ったね」

「あ。そのことなんだけど、シャヒル――――」


 言いかけた時、ドアベルがカラリと鳴る。

 見ると、真っ黒なコートを着た男性が立っていた。


 白い肌に、ロマンスグレーの髪と髭。

 瞳はゾッとするほど冷たく、しかし綺麗だった。

 50前半――いや、もっとだろうか。

 細い身体に黒のコートとスーツが決まっている。

 一瞬、ぎょっとしてしまったのは背中の黒い木の箱だ。

 黒の恰好と相まって、不謹慎だけどまるで棺桶を背負っているように思えてしまった。


 私は固まる中、男性客は被っていたシルクハットを取り、胸の前に置いて一礼する。


「失礼。閉店の札は見えたのだが、明かりが点いていたのでもしやと思い――――」


 直後、そのナイスミドルな男性のお腹から、食べ物を求める音が聞こえる。

 第一印象では冷たく感じた男性だったが、子どものように笑うと白い歯がこぼれた。

 どうやら悪い人ではなさそうだ。


「ははっ! この通り、お腹の楽器が壊れていてね。言うことを聞いてくれないんだ」


 ステルシアさんはいない。私とシャヒルを王宮へと送る馬車の手配のために、一旦王宮へと戻っていった。ライザーは夜道を歩くステルシアさんの護衛だ。

 今、私とシャヒルしか店には残っていない。


 私は目配せすると、シャヒルは頷いた。


「残り物になりますが、よろしいですか?」

「いいのかい?」

「はい。是非食べていってください」


 私は席を勧める。

 男性客はホッとしたように破顔すると、そのまま腰掛けた。

 先ほどの黒い箱は足元にも置く。


「ちなみに何の料理が残っているのかな」

「今ならコラーで作る豚の角煮なんて、どうでしょうか?」


 シャヒルが勧めると、男性は水色の瞳を瞬かせた。


「豚の角煮はわかるが……。コラーって、あのコラーかね?」


 コラーというのは、世界的に有名な炭酸飲料だ。

 コクのある甘さ、刺激的な炭酸、檸檬水のような爽やかさがあって、老若男女から親しまれている。西の国原産のコールという砂糖黍の仲間みたいな植物から取れるエキスが原料だ。


「はい。そのコラーです」

「コラーで豚の角煮なんて食べたことないよ。……まあ、1ついただこうか」

「ありがとうございます」


 早速シャヒルは料理を作り始める。

 といっても、温め直すだけだ。魔導炊飯釜には保温機能もあるけど、閉店して切ってしまった。今から釜の温度を上げるのは時間がかかるので、鍋に入れて温め直すのだ。


「助かったよ。仕事に躍起になっていたら、気づいたら夜になっていてね」

「そんなに夢中になるなんて、とてもお仕事がお好きなんですね」


 私が話しかけると、男性はちょっと悲しげな目をする。


「最近、仕事でトラブルが続いていてね。スランプって奴かな」

「わかります。私も似たような経験があるので」


 仕事でうまくいかないことなんて、王宮では山ほどあった。

 特に上司との折り合いが悪かった私は、1人で何十時間もかかる仕事を渡されたこともある。王宮で朝日を見たことなんてしょっちゅうだ。


「ほう。若いのに苦労してるのだね、君も」

「差し支えなければ、どういったご職業なんですか?」


 男性が答える前に、甘くおいしそうな香りが私の鼻腔を衝く。


「失礼するよ。お待たせしました、コラーを使った豚の角煮になります」


 両手の平よりも広いお皿の中に、飴色の角煮が湯気を吐いていた。

 さしの部分が艶々と光り、肉も軟らかそうだ。


「ほう……。こいつはうまそうだ。いただくよ」


 ナイフと、フォークを持つ。

 まだ職業を聞いていないけど、もしかして貴族の方だろうか。

 ナイフとフォークの使い方がとても綺麗だ。


 それに特徴的な水色の瞳。〝氷の瞳アイス・アイズ〟といって、北方の民族特有の瞳の色をしていた。


 クリームの固まりにナイフを入れるように、豚の角煮が切れていく。

 その軟らかさに「ほう」と息を吐いてから、男性は口の中に入れた。

 1回、2回とゆっくりと味わうように咀嚼する。


 それまでやや硬かった男性の顔が、一気に綻ぶ。


「うまい!」


 お腹にまで響くような重厚な称賛だった。

 男性はまた一口食べる。天を仰ぎ、神様に感謝するかのように豚の角煮を味わう。


 食べ方が上品なのもあるけど、見てるこっちもお腹が空いてくる。

 男性の食べ方には、何か魅力のようなものが備わっていた。


「肉がなんと軟らかいことか。噛む度に肉の旨みがプシャッと溢れて出てきて、甘いタレと口の中でコラボレーションしている。それにただ甘いだけではない。生姜も効いていて、甘ったるい味を引き締めている」

「良かったら、ご飯もお出ししましょうか?」

「おお。助かる」


 シャヒルは残っていたご飯をよそうと、お客様にお出しした。

 〝氷の瞳アイス・アイズ〟をギラリと光らせると、豚の角煮をご飯にのせる。

 さらにその上から残っていたタレを回しかけた。


(あれって、おいしいヤツだ!)


 思わず唾を飲み込んでしまった。

 まだ豚の角煮、残ってないかしら?

 お客様は全部のタレをかけてしまうと、飴色に染まったご飯と一緒に角煮を掻き込んだ。


「うーん! うまい!!」


 太鼓判を押すように、豚の角煮をのせたご飯を称賛する。

 そこからたまらず一気にお腹の中に入れると、見てるこっちが気持ち良くなるぐらいあっという間に、料理を平らげてしまった。

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