エピローグ 指輪

最終回です。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


 『熊の台所』に付いたドアベルが響く。


 外の肌寒い空気を感じて反射的に二の腕をさすったが、酒気に当てられ火照った身体にはちょうどいい酔い覚ましだった。


 真っ暗だ。深夜鐘が一つ鳴って、もう随分経つ。普段遅くまでやってる酒場もすでに明かりを落としていた。同じ通りで煌々と明かりを付けているのは、『熊の台所』ぐらいで、今でも談笑が続いている。


 みんなの幸せそうな声を背にしながら、改めて「よかったな」と喜びを噛みしめて顔を上げた。


 暗い街の底から見える星空は格別だ。

 砂糖の粒をちりばめたみたいに、無数の星が光っている。


「綺麗だね……」


 突如、声が聞こえて、私は肩を震わせた。

 振り返ると、シャヒル王子がいる。その視線はすでに夜空へと向けられていた。

 一瞬早くなった鼓動を抑えながら、私も再び空へと視線を注ぐ。


 大きな星河が空を縦に向かって伸びて、地平の彼方まで続いていた。


「祖父が昔言ってたんです。あの光はすべて遠い遠い太陽の光だと……」

「太陽の光?」

「その太陽の周りには私たち似た世界があって、祖父はいつかそれを確かめに行くための魔導具を作るんだって、祖父の父……私にとって曾お爺さんに話していたそうなんです」


 けれど、祖父曰く星は私たちも想像付かないほど遠い場所にあって、渡り鳥ですら翔破できないほど遠くなのだそうだ。


 空に手を伸ばせば掴めそうなぐらい近くにありそうなのに、羽ばたいても羽ばたいても届かない距離。想像ができないというよりも、私はただただ怖かった。

 こんなに近くにいるのに、私にとってももっとも遠い彼方にいる人が側にいるからだ。


「遠い太陽と、その近くにある俺たちが住む世界と似た世界か」

「本当かどうかわかりませんけどね」

「いや、面白いと思う。本当だったら、俺も是非行ってみたい」

「じゃあ、その世界で何をしたいですか?」

「そうだな。食材を探すかな。あと現地の料理も……って、カトレアなんで笑うんだ」

「ふふふ……。シャヒル王子らしいなって。本当に王子は料理を愛しているんですね」

「カトレアが魔導具を愛しているようにね」


 肩を竦めると、シャヒル王子も笑う。

 私たちは白く濁った息を吐き出しながら、軽やかな笑声を深夜の街に響かせる。

 ひとしきり笑った後、シャヒル王子は急に真剣な眼差しになった。


「カトレア、俺の下心の話ヽヽヽヽを覚えているか?」

「もちろんです、王子」

「じゃあ、改めて頼もう。魔工師カトレア・ザーヴィナー。どうか俺が経営する料理店の共同経営者になってほしい」

「私が魔導具を作り、シャヒル王子がおいしい料理を作る」

「世界初といっていい。魔導具で料理を作る料理店だ」

「楽しみです。……是非受けさせて下さい」

「ありがとう。恩に着るよ」


 恩に着るのは私の方だ。

 シャヒル王子にはたくさん助けてもらった。

 王子がいなければ、今でも私は実家のベッドで何もできず、ただ無為な日々を過ごしていたかもしれない。


 王宮からの脅迫に唯々諾々と頷いていたかもしれないし、魔工師になることも諦めていただろう。そして、アメリはずっと火を焚いて、煙に巻かれて泣きながら米を炊いていたかもしれない。


 恩に着るなんてとんでもない。


 私の方こそ、尽くしても尽くしても返せないほどの恩をいただいている。

 店に参加するのも、シャヒル王子の側にいたいだけだ。でも、やましい気持ちがあるわけじゃない。一生償っても返せない恩を2つでも返すためだ。

 今は、それだけで十分だから。


「あ。そうだ。忘れるところでした」


 不意に私は思い出して、腰のポーチを開く。

 中から小さな箱を取り出し、シャヒル王子に見せた。


「これは?」

「どうぞ。開けて、ご自身の目で確かめてみて下さい」

「?」


 シャヒル王子は私の手に乗った箱を持ち上げ、そっと開いた。


「……指輪?」


 箱の中には、紺碧に光る石が嵌まった指輪が入っていた。


「カトレア? これは??」

「嵌まっている宝石は精霊石です。中には風の戦闘級魔法が転写キャストされています。魔力を込めるのではなく、音声入力によって、魔法が発動する仕様です」

「どうして俺にこれを?」

「これを身に着けていれば、咄嗟に魔法を放ってもシャヒル王子が魔法を使ったとは他人に知られにくくなるからです」

「俺のため?」

「はい。ギンザー王子に聞いたのですが、魔導具を使って魔法を使う事は戒律に背くことにはならないそうです。……気休めかもしれませんが、少しでもシャヒル王子の心の安寧になれば、と」

「ありがとう。有り難く使わせてもらうよ。でも、君は人を傷付ける魔導具を作るのは、嫌だったんじゃないのかい?」

「覚えていただいて光栄です、王子。……でも、私は信じているので。シャヒル王子が人を傷付けるような使い方はしないと」

「わかった。肝に銘じておこう」


 シャヒル王子は早速自分の指に嵌める。

 暗い街の中でも、星の明かりに照らされた精霊石は鈍く光っていた。


 シャヒル王子はしばし自分の指に嵌まった指輪を見つめた後、口を開く。


「大事にするよ、カトレア。でも、驚いた。……てっきり結婚指輪でも渡されたのかと思ったよ」

「え? ええええええ?? いや、そうじゃなくて……。そもそも結婚指輪というのは――――」


 男の方から渡すものじゃ……。


「そうだ、カトレア。俺たちは晴れて共同経営者になったわけだけど」

「はい。そうですね」

「ずっと気になっていたのだが、俺は君を『カトレア』と呼び捨てで呼んで、君が俺のことを『シャヒル王子』というのもおかしい気がしていたんだ」


 ええ? ちょっと待って。それって……。


「シャヒルって呼んでくれないか?」


 無理無理無理無理……。無理ぃ――――っ!! そんなの絶対に無理。


 お、王子を呼び捨てで呼ぶなんておこがましい。こうして割と気楽に王子と話せていることがすでに異常なのに、呼び捨てなんて私には絶対に無理だ。


「なあ、カトレア。君と俺はもう半年以上の付き合いになる。君が身分やしきたりなどを重んじる傾向にあることは、最初会った時から知っている。でも、半年俺のことを見てきて、そんな些細なことで眉を吊り上げるような人間に見えるかい? もう少し俺を信頼してくれないだろうか?」


 知っている。わかっているのだ。

 シャヒル王子はそんな些細なことで怒ったりしないことなど。


 王子が向ける怒りは、いつも私に向けられる悪意や、あるいは自分に向けられるものだっだ。決して無闇に怒りをぶつけたりなんかしない。

 だから、シャヒル王子は高貴なのだ。

 王子が王子であるが故に、私は常にシャヒル王子を尊敬してきた。


 でも――――。


 過剰な尊崇が人と人との関係を歪めることを、私は王宮で学んだ。


 同じ過ちは繰り返したくない。

 それに身分や慣習を超え、空の星を掴めることができるような奇跡が起きるなら。

 私は1つ前に進もうと思う。


「しゃ、シャヒル……ぉ…………。シャヒル、よろしくお願いします」

「よろしく、カトレア」


 星の下で満面の笑顔を浮かべた王子の顔は、嬉しそうだった。




 テラスヴァニル王国のしきたり曰く。

『婚儀の際、指輪は女性から用いるべし』とある。

 この慣習を私が知るのは、まだまだ先のことだ。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~



『王宮錬金術師の私は、隣国の王子に拾われる ~調理魔導具でもふもふおいしい時短レシピ~』を最後までお読みいただきありがとうございます。

一旦ここでピリオドを打たせていただきました。フォロー、レビュー、感想など賜れば大変ありがたいです。


最終回とさせていただきますが、

大変ありがたいことに出版社様より、書籍化の打診をいただきました。

ちょっと自分でも驚いているのですが、精一杯改稿して、可愛いカトレアとかっこいいシャヒルをイラストで見ていただければ、読者のみなさまに対して最高の恩返しになるかなと思っております。


詳細がわかりましたら、外伝的なSSなどを書いて、ご報告させていただきます。

作品のフォロー、あるいは作者のフォローをよろしくお願いします(Twitterもやってます)。


重ね重ねになりますが、ここまでお読みいただきありがとうございます。

引き続きご愛顧の程よろしくお願いします。

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