第39話 エマの昔話

『乾杯!!』


 麦酒ビラの白い泡が溢れ、上品な色合いの白ワインからは気泡が立ち、あるいは白い乳白色の酒がグラスの中で回る。

 チンッ、と硬質な音が響き合うとともに、喜色に溢れた声がお祝いの会の会場となった『熊の台所』に広がった。


 酒豪たちが1杯を一気に飲み干す中、私はすっかり気に言ってしまった『獅子の乳アレック』を一口飲む。

 強い酒精が喉の奥へと広がっていくと共に、フルーティな香りが鼻腔を衝く。味に慣れてきたのか、随分と酒を味わうことができるようになった。最初は果実のような味だと思っていたけど、生乳を水で薄めたようなミルキーな味わいを発見する。


 この味を舌で覚えながら、シャヒル王子が持ち込んだテラスヴァニル王国のチーズの塩漬けを味わう。

 これがルーティーンになると止まらなくなる。

 少し甘い『獅子の乳アレック』の後味に、塩っぱいチーズがとても合う。しかし、噛み砕くと、まったりとしたチーズの酸味が現れ、口の中で溶けていく様は最高だ。そして『獅子の乳アレック』がまた合う。


(そうか。だから酒肴なのか……)


 でも、いくらおいしいからって、気を付けないといけない。『獅子の乳アレック』とチーズのループに入ったら終わりだ。折角、私が念願の魔工師になれて、みんな喜んでいるのに主役がいなくなれば興ざめだろう。


 そう。今こうして『熊の台所』に集まったのは、私が念願叶って魔工師になれたお祝いのためだ。


 私とシャヒル王子、両親にステルシアさんを始め、女将さんの呼びかけによって『熊の台所』の常連さんまで集められ、お祝いの会は盛大に行われた。常連さんは昔なじみの人ばかりで、私とも顔なじみだ。魔工師になることが夢だったということも知っている。


 ここにいる全員が自分の目標を知っていると感じると、少し照れくさいけど、こういう人たちが背中を押し続けてくれたから、今の自分があると思う。私の周りに集まって我がごとのように喜びながら祝福してくれる人を見て、魔工師になれて良かったと思った。


 ちなみに今回のお祝い会では少し変わった人をお呼びした。


「どう? カトレアさん、飲んでますか?」


 エマさんが片手にグラスを持ちながら、私の方に近づいてきた。


「はい。エマさんは何を飲んでるんですか?」

「これ? あなたと同じ物よ。初めて飲んだけど、フルーティでおいしいわね」


 同じ物? それは『獅子の乳アレック』ってこと? 白く濁ってないということは、ストレートで飲んでるってこと?? 信じられない。このお酒の酒精って、かなり高いって聞いてるけど。それをそのまま飲んで顔色一つ変えないなんて。


 もしかしてエマさんってかなりの酒豪??

 恐ろしや……。やっと酒肴の味がわかった初心者の私には、次元が違う。


「改めておめでとう、カトレアさん。魔導具の性能もそうだけど、あなたのプレゼンもとても素敵だったわ」

「ありがとうございます」

「正直に言うとね。あなたにはあのいけ好かない王宮魔工師を倒してほしかったの。負けた時は『ざまーみろ』って思ったわ」

 エマさんは和やかに答える一方、私は凍り付いた。


 これはお酒の力もあってということだろうか。

 それともエマさんの本音??


「え、エマさん……。えっと、それって…………」

「ああ。勘違いしないでね。ジャッジは更正よ。パストアくんだっけ? あの子が負けた理由も演壇で述べた通り。何より私も含めた全審査員があなたに手を挙げたわ。パストアくんの魔導炊飯器は、外見上ではデザインも含めてまとまっているように見えて、中身は洗練されていなかった。おそらく開発期間が短くて、試験する時間がなかったのね。魔力を伝える配線が魔法で被覆がなされていなかったり、シーリングが甘くて水漏れしている箇所があったわ。あれじゃあ、連続使用した時出火や感雷の原因となってしまう。王宮魔工師の腕も落ちたものね。あんな単純な部分を見落とすなんて。……けれど、その点あなたは完璧だった。使用者の安全を第一に考えた内部構造も、現時点で言うことは見当たらないぐらいにね」


 かぁっと顔に血が上っていくのがわかった。

 色々と言われたが、要はべた褒めってことだ。


 女性初の民間魔工師第一号。私と同じ女性で、魔工師を目指す人間の憧れであるエマ・ジーズさんに最高評価と言っていい褒め言葉は、これからも魔工師としてやっていく上で、一番の勇気になった。


「ところで、カトレアさん。これからどうするつもり? ザーヴィナー商会を継ぐ気かしら」

「え? そうですね。……でも、父は元気ですし、商会を継ぐ気はまだ――」

「なら、うちの工房に来ない? 女性魔工師は大歓迎よ」

「え? エマさんの工房って……。ジーズ商会にですか?」


 民間の魔導具の工房の中でも、大手中の大手だ。

 その設備はネブリミア王宮の工房には勝るとも劣らないと聞く。最新鋭の設備を整え、優秀な魔工師も多く、また王宮から受託生産を請け負っていることからも、その技術力の高さが窺える。


 最近自社ブランドを立ち上げ、自動で皿洗いをしてくれる魔導食洗器は高価でありながら、国内外から注文が殺到されていると新聞で読んだ。


「どう? うちの社員が嫌なら、専属魔工師として契約を結んでいいわ」


 専属魔工師契約?? そんなの普通は実績のある魔工師にしか打診しない契約なのに。


(どうしよう。エマさんがグイグイ来るんだけど……)


 最初社交辞令かと思っていたけど、どう見てもエマさんの顔は本気だ。

 真剣に私を青田買いしようとしている。


 憧れのエマさん……。精鋭揃いのジーズ商会……。専属魔工師はともかくとしても、社員となってもきっと勉強になるはずだ。メリットは多分私が想像しているように大きい。何より一生安泰だろう。


 でも、違う気がする。

 私は魔工師になった。

 けれど、それは一人前の魔工師として切磋琢磨したいがためだろうか。


「うちの未来の跡継ぎを勝手に持っていかないでくれますか、エマさん」


 私の肩に手を置いたのは、父だった。エマさんの間に入り、睨みを利かせる。

 様子からしてお互い知り合いのようだ。年を考えると、先輩後輩といったところなのだろうか。2人はしばらく睨み合う。


「久しぶりね、ヴィルベルト。ジニーの葬儀以来かしら?」

「はい。ご無沙汰しております、エマ先生」

「エマ先生??」


 それにエマさん、祖父の葬儀に来てたんだ。全然気付かなかった。


「エマ先生は、俺がちょうど魔工師養成校に入った時の担任の先生だ」

「ふふふ。懐かしいわね。あなたが学校を嫌になって飛び出していったのは、良い思い出だわ」

「あれは先生のせいです。俺は不良少年みたいに言わないで下さい」

「ジニーの息子って聞いたら、いじめたくなるでしょ。これは本能だわ」


 私を挟んで、言葉による空中戦がバチバチ行われる。

 要するに父にとっては因縁の相手ってことだ。


「けど、いつかあなたが魔導炊飯釜を作ると思ってた。ジニーもそれを望んでいたでしょうに」

「親父は何も言ってませんでしたよ。……存在自体はずっと覚えてましたが、俺が作る気にはなれなかった」

「あら。それはどうして?」


 エマさんが質問すると、父は私の方を向く。

 こんな時になんだけど、こんなに喋っている父を見るのは初めてだった。


「娘が生まれたからですよ」

「え?」

「俺は男です。炊事場に入ることは少ない。あそこは女の戦場ですから。そんな男が魔導炊飯釜を作ったといっても説得力がない。けれど、娘なら作ってくれるかもしれない。まあ、俺と似て、料理はからっきしみたいですけどね」

「と、父さん、余計なことは言わないで」


 私は頬を膨らませると、エマさんはクスリと笑った。


「なるほど。あなたの言う通りだわ。そしてカトレア・ザーヴィナーという魔工師が現れた。ありがとう、ヴィルベルト。彼女を育ててくれて」

「俺は何もやってません。カトレアが勝手に生えてきただけです」

「あの……。腰を折るようですみませんが、祖父は何故魔導炊飯釜を作ろうと思ったんでしょうか?」

「ああ。それはな――――」


 父が理由を話そうとすると、エマさんは突然手を振った。


「ヴィルベルト、ダメ。それだけは言ったらダメよ」

「確か、爺様が『料理が下手な女でも料理がうまいと思ってもらえる魔導具を作りたい』って言ってたんじゃなかったかい?」


 突如、ニュッと話に割り込んできたのは、母だった。

 手には黄金色に光る麦酒が入ったグラスが握られている。母の顔はすっかりと赤くなっていた。とろんとした目で、父、エマさん、私という順に見つめると、ケタケタと笑い出す。


 ちなみに母は自称酒豪だ。私と違ってお酒が好きで、たまに『熊の台所』で女将さんと飲んでいる。決まって酔いつぶれるので、いつも朝迎えに行くのがパターンだった。


「料理が下手な女ってもしかして――――」


 私は会場で聞いたエマさんのエピソードを思い出す。

 しばらく凝視していると、ついにエマさんは口を割った。


「そうよ。あたしのことよ……。いつまで経っても独身のあたしのために、ジニーが開発しようとしたのよ。本人は心底本気だったみたいだけど……。理由を聞いて、逆に恥ずかしくなったわ」


 エマさんは頬を赤くする。女性初の民間魔工師も、色恋の悩みがあるのだと聞いて、ちょっと嬉しくなってしまった。


「あたしの話はここまでよ。カトレアさん、考えておいてね」


 そう言って、残っていたストレートの『獅子の乳アレック』を一気に呷る。


 平然と「おいしいわね、このお酒」と満足そうに微笑む彼女の姿を見て、男社会の魔工師の中で生き抜く女魔工師の強さのようなものを感じた。

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