第36話 ギルドの判断

「じゃあ……。カトレア、王宮に戻ってきてよ」


 カトレアは胸に手を当て、薄く微笑んだ。

 その醜悪な笑みに対して、私は怯まず言い返す。


「あなた、本気で言ってるの?」

「フレイアにどこまで聞いてるのか知らないけど、僕はあれから出世した。多分、今なら君を守ってあげることができる」

「守るって……」

「君が辞めたのは、僕に力がなかったせいだ。でも、今なら君を守ってあげる。ああ。そうだ。君との寄りも戻そうと思ってる。どうかな?」

「どうかなって……? あなた、正気!?」

「近々、フレイアとも離婚しようと思ってるんだ。ラグリーズ局長が失脚して、爵位もなくなっただろ。色々とバタバタしていて、もううんざりなんだ。カトレア……。君が僕から離れて、ようやく〝真実の愛〟に気付いたんだ」

「――――ッ!」


 パシッ!!


 鋭い音をいつの間にか沈黙が鎮座していた会場に響く。

 それは私がパストアの頬を平手で打たれた音ではない。

 そうしようとした私の手を、シャヒル王子が掴んだ音だった。


「王子! はな――――」

「カトレア! こんな下劣な男の頬を張って、君の手を汚す必要などないよ」

「えっ?」


 ガッ!!


 私が驚いた時には、シャヒル王子はパストアの頬を殴っていた。

 そのままパストアは、王宮のブースの中まで吹き飛ばされる。

 薄い板で作られていた広告が破壊され、パストアはその下敷きとなった。


 見ていた客から甲高い悲鳴が上がり、場は一気に騒然となる。


 衛兵まで現れ、槍を王子と私に向けた。槍だけではない。猜疑の目も私たちに向けられる。口々に開かれる言葉は、王宮の模範品を盗用したと思われる受験生への罵詈雑言だった。


「黙れ」


 思いの外静かな言葉なのに、王子の声は波紋のように広がっていく。

 シャヒル王子はさらにこう言った。


「俺の名前はシャヒル・アス・テラスヴァニル……。テラスヴァニル王国の王子だ」


 挨拶というより、それはまるで国宝の剣を抜いたような鋭さがあった。

 するとシャヒル王子は私の肩を抱いて引き寄せる。

 冷たい青い瞳を周囲に向けながら、三の句を告げた。


「俺は彼女を指示する。何故なら、彼女は俺にとって大事な人だからだ。仮に彼女を非難するものがいるなら、俺はあらゆる権力を行使し、カトレアを守り抜いてみせる」


 宣戦布告じみた告白に、衛兵はおろか客たちもおののいてた。

 まるでそこがシャヒル王子の領土であるかのように綺麗な円状の人垣ができあがる。


「はい。そこまで」


 衛兵ですら戸惑う状況の中で、一瞬咲き乱れた花が見えるほど華やかな声が響く。

 人垣を割って進んできたのは、真紅のスーツを着た淑女だった。


「エマさん?」

「さっきの?」


 戸惑う私をよそに、エマさんは優しげに微笑むと、シャヒル王子に対しては頭を下げた。


「シャヒル王子、失礼いたしました。ご心配なく、カトレア・ザーヴィナーは資格試験の受験生です。我々審査会はその権利を剥奪することも、彼女に対する中傷を容認することもいたしません。我々は公正かつ公平に審理を行って参ります」

「あなたは?」

「申し遅れました。あたくしは本年より魔工師養成学校校長となりましたエマ・ジーズと申します。今回の民間魔工師資格試験の審査員長を勤めさせていただいております」


 エマ・ジーズと聞いて、私はようやく思い出した。

 三〇年前、女性初の民間魔工師と認定。

 それも二十六歳から魔導具の勉強を独学で始め、三十一歳の時に民間魔工師となった異色の経歴の持ち主で、作った魔導具に赤色を採用していたことから、『赤の魔工師』といわれ、スターダムに駆け上がった魔工師。


 それがエマ・ジーズさんだ。


 私の憧れ。部屋の本棚には、魔導具の教本とともに表紙がボロボロになるまで読み込んだエマ・ジーズさんの伝記が、今でも収まっている。

 まさか本物に出会えるなんて思ってもみなかった。


「審査員長殿、見てくれ! 僕の魔導具が、受験生に盗用されたんだ! さらに暴力まで」


 喚いたのは、頬に痣を作ったパストアだった。

 シャヒル王子に全力で殴られて、そのまま気落ちするかと思ったが、逆に怒りが勝ってしまったらしい。唾を飛び散らせて抗議しながら、私の方を指差す。周りの王宮魔工師たちは、同調したがエマさんは動揺することはなかった。


「盗用ですか? しかし、アイディアが被ることはよくあることです。それともカトレアさんが盗用した証拠はあるのですか? 彼女が、パストアさんの描いた設計図を覗き見た証拠が……。まあ、あるとしても重要な王宮魔導具の設計図を、第三者に見せたあなたの管理体制に問題があったように思いますが、いかがでしょうか?」

「そ、それはあり得ません。……しかし、この魔導具は王宮のコンペにも出していた魔導具です。それを見て……」

「彼女の経歴については伺っています。大変優秀な錬金術師だったと……。ですが、今は王宮を辞し、こうして民間魔工師資格試験に挑んでいます。その彼女がわざわざ王宮に出向いて、あなたの設計図を覗き見る時間があったと、本気で思っているのですか?」

「詭弁です、審査員長殿。……そもそもこの魔導具の技商権は王宮側があります」

「いいえ。それは違います。あくまで審査中であって、まだ技商権は王宮側にありません」

「ですが、技商権の優先権は先に申請を出した方にあるはず」

「確かに……。その通りです」

「では――――」


 パストアが目を輝かせると、エマさんはあらかじめ手にしていた書類を掲げる。


「これは王宮からいただいた技商権の申請書です。先ほどギルドに確認し、審査結果を伺いました。すでに会場内で、両者の魔導具は非常に似通っているというクレームが複数件あり、審査委員会で独自に調べたところ、この審査結果に至りました」

「それで……。審査員長殿、僕の……僕の魔導炊飯器はどうだったのですか?」

「読み上げます。『今回申請いただいた王宮製の魔導炊飯器について保留とする』」

「え?」


 パストアは絶句する。同じく、会場もしんと静まり返った。

 エマさんの穏やかも厳しい声だけが響く。


「『精査したところ、すでに同様の用途、機構を持つ魔導具が申請されており、多くの点で類似性が確認されたためである』」


 つまり、魔導炊飯器や魔導炊飯釜と似たような魔導具の技商権がすでに申請されていて、パストアが提出した書類には多くの類似性があったことから、今回は保留としたという意味だ。


 これでパストアが言う技商権を盾にした主張は覆ったけど、一体誰が技商権を申請したのかという謎だけは残る。


「『ただし、本製品の技商権についてはすでに申請から20年以上経過していながら製品の確認ができていないことが判明した。本来、この確認は5年以内にギルドが行うべきだであり、全くこちらの不徳の致す所ではあるが、技商権を持つ人間はすでに亡くなっているため確認ができない状態にある。そこで過去の事例に則り、今から3日以内にギルドに提出できる製品の中から、優秀な製品を作り上げたものに技商権を特別移譲することとした。ギルドとしては、その製品に対してもっとも知識があり、社会的貢献欲が強い技術者に差し上げたく、このような決断となったことをご容赦いただきたい』以上よ」


 エマさんが報告書を読み上げると、パストアは奪うようにそれに目を通す。

 どうやらエマさんの言うことは真実らしく、パストアは頭を抱えた。


「聞いた通りです。どちらか一方、優秀な魔導具に技商権が与えられます」


 どんな手の早い技術者も、この魔導炊飯釜を3日で作ることは難しい。張りぼてぐらいなら作ることができるかもしれないけど、優秀な商品とは言いがたい。

 ということは、今ここにある私の魔導炊飯釜と、パストアが作った魔導炊飯器の一騎打ちという構図になる。


「ギルドの方とも相談した結果、その審理は私に一任いただくことになりました。時間もあまりないですし……。いかがでしょうか、パストア殿?」

「納得できません。……でも、それではっきりするなら」

「カトレアさんは?」


 エマさんは私の方を見る。


 実を言うと、今回の沙汰は、パストアと同じく私も納得できていない。

 パストアの盗用は明らかだし、その点について認められたわけではないのだ。

 でも、そんな泥棒みたいな奴に魔導炊飯釜の技商権を奪われるのは我慢ならない。

 また王宮側と戦うことになるけど、それ以上にパストアの歪んだ鼻っ柱を折り曲げたくて仕方なかった。



「やります!」



「いい返事ね。では、早速始めましょうか?」

「え? もしかして民間魔工師資格試験会場(ここ)でやるんですか?」


 パストアが間の抜けた顔をする。

 おそらく彼としては、王宮内で行い、自分に有利なフィールドでやりたかったのだろう。


「問題ないでしょう? ここには魔導具があって、優秀な審査官や目の肥えた商人、愛好家の方々いらっしゃるのですから。審査する場所としてこの上もなく適正かと」


 エマさんは笑顔だったが、ゾッとするほど鮮烈で、「いや」と言えない空気を纏っていた。


 同じ空気をパストアも敏感に感じたらしく、唇を震わせながら渋々頷く。

 当然、私としても異論はなかった。


「では、始めましょうか?」


 エマさんの穏やかな声が、ピンと張り詰めた空気の中で響いた。

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