第34話 エマ

 朝と違って、昼からは随分と私のブースだけが静かだった。


 予想通り、昼から入場者数が増えてきて、各ブースが盛況である一方で私のブースだけが取り残されたみたいに静かな状態になった。途中、両親が激励しに来た以外はほとんど無風と行ってもいい。朝、連絡先を聞いてきた商人が戻ってくることもなく、気が付けば、試験終了まで2時間を切っていた。


「こーら。カトレア、そんな顔をしてたら、お客さんも寄ってこないよ」


 ブースの中でカチカチに固まっていた私の表情をほぐしたのは、シャヒル王子だった。生憎と会場内は動物が入る事はできないため、ライザーはうちでお留守番だ。


「嫌なことばかり考えてしまうんです。魔導炊飯釜の何が悪かったかなって」

「大丈夫だよ。カトレアが作った魔導炊飯釜は最高の魔導具だ。俺が保証する」


 シャヒル王子は励ましてくれる。有り難いけど、逆に怖かった。

 私は色々な人に助けられてここまできた。でも、今それを裏切る結果になっている。もしかして心の中ではシャヒル王子は怒っているのでは? そうでなくても、ギンザー王子や軍関係者の人たちは今の状態を聞けば落胆したことだろう。


「だいぶ顔色が悪いよ、カトレア。少し外の空気でも吸ってくるといい」

「お気遣いありがとうございます、王子。しかし、お客さんが来るかもしれないので。シャヒル王子こそ、休んできてください」

「……わかった。じゃあ、外で何か飲み物を買ってくるよ。なかったら、俺が作る」


 シャヒル王子はこのまま私に付き添うのかどうしようか迷っている様子だったが、結局ブースの外に出ていってしまった。


(失望させてしまっただろうか)


 いや、ダメだ。卑屈になるな。

 それでは王宮にいた時、パストアや上司の顔色を窺っていた時の私と一緒だ。

 もう人の言うことに頷くだけの私じゃない。


 私は自分の頬を張って、余計な考えを吹き飛ばす。

 ふと釜の中のご飯が気になり、蓋を開けた。白い湯気が鼻をくすぐる。


「まあ、美味しそうな香りね」


 昼からほぼ無風状態のブースに、新鮮な風が吹き込んだような気がした。

 私のブースの方に真っ直ぐ歩いてきたのは、赤いスーツをパリッと着こなした女性だった。


 推測するのも失礼かもしれないけど、年は多分母さんよりもさらに一回り離れている。それでも鮮烈な赤のスーツがよく似合っていて、推定できる歳よりも遥かに若く見えた。


 落ち着いたグレーの髪に、紫色の瞳。口元のえくぼがとても素敵で、強い生気を感じる。


「もしかして、これ炊飯釜?」

「はい。魔導炊飯釜といいます。お米と水をセットするだけで、後は自動でお米を炊いてくれる製品になります」

「お米を自動に? 本当?」


 信じられないという風に、女性は私の顔を覗き込む。


「本当です? できあがったご飯をご試食されませんか?」

「いいの。ありがとう。実はお昼を食べ損ねてしまって」

「ちょうど良かったです。ちょっと待ってくださいね」


 魔導炊飯釜で炊き上げていた料理を、私はあらかじめ用意していたお椀によそう。

 お椀と使い捨ての箸を受け取った淑女は、両眉を動かした。


「やっぱり! 中身は栗ご飯ね」


 魔導炊飯釜で炊いていたのは、白いご飯じゃない。

 それも用意しているが、料理にこだわるシャヒル王子ができれば季節物を食べさせてあげたいということで、栗ご飯になった。

 それが午前中受けて、多くの人が魔導炊飯釜で炊いた栗ご飯を頬張っていったのだ。


「栗の香りですぐにわかったわ。……じゃあ、次は味ね」


 器用に箸を動かすと、大きめの栗とご飯を箸に乗せて、一気に掻き込む。

 よく咀嚼しながら、栗とご飯を両方楽しむと、淑女の顔が次第に緩んでいった。


「おいしい! 栗の柔らかさが絶妙ね。熱に長い時間が当てていたからよく甘みが出てるし。ご飯の甘みとの相性もバッチリだわ」

「ありがとうございます」

「ご飯の硬さも悪くないわね。1粒1粒に丁寧に熱が入ってるのがわかるぐらい、ふっくらとして適度な弾力もあって。何より本当においしい。こんなにおいしい栗ご飯を食べたのは初めてかも」

「そう言っていただけると、料理人も喜びます」

「あら? あなたが作ったんじゃないの?」

「いえ。今、席を外してますが、シャヒ――じゃなかったその……パートナーが作ったものです。私が作ったのは、この魔導具の方で」

「あなたが作ったの!? すごいわねぇ。今こんなものが作れるのねぇ」


 淑女は半ば溜息を吐きながら、どこか懐かしそうに魔導炊飯釜の方を見て目を細める。


「あたしね。昔から料理が苦手で……。でも、好きな人には手料理を振る舞ってあげたいじゃない? だから、頑張って料理を作るんだけど、逆に愛想を尽かされたりしてね。あまり料理にいい思い出がないの。だから、この魔導具が昔からあったら良かったのになあって思っていたところ」

「えっと……。そのなんて言ったらいいか。ごめんなさい……?」

「あはははは。あなた面白い子ね。あなたが悪いわけじゃないわ。意地悪婆さんの独り言だと思ってちょうだい」

「はあ……」

「あなたはなんでこの魔導具を作ろうと思ったの? もしかして、あたしと一緒だったりして」


 一瞬、ぎくっとなって、私は沈黙した。

 魔導炊飯釜を作った理由は母のためだ。これは昔シャヒル王子にも話した。

 でも、もうそれだけが理由で作った魔導具ではなくっている。

 この魔導具には、私がテラスヴァニル王国で出会った人たちの想いすべてが乗っかっているからだ。


「初めは母のため。次はパートナーのため。でも、本気で作ろうと思ったのは、ある女の子と出会って、私のアイディアがこの世界にとってどうしても必要なものだと教わったからです」

「本当にそれだけかしら?」


 女性は私の方を見て、少し羨ましそうに目を細めた。


「そうですね。確かに今はまたちょっと違うかもしれません」


 私の人生は魔導炊飯釜を作って終わるわけじゃない。

 これからもたくさんの魔導具を作っていくつもりだ。

 それが何故かと問われるなら、今の私はこう答える。


「その人が立っているところに、もっと近づきたくて作っているのかもしれません」


 今はまだ遠い空の上に飛んでいるけど、いつかその人が飛んでいる所まで飛んでいって、一緒に横に並んで飛べるような人間になりたい。

 たとえ、それが叶わない願いだとしても……。


「そう。……恋する乙女は強いわね」

「恋って、はっきり言われるとどうかなって思いますけど……。大事な人の側にいたいという気持ちが、全部恋心ってわけじゃないと思います」


 淑女は否定も肯定もしなかった。

 ただ私の方を見て、柔らかくまぶしそうに笑う。

 紫の色の瞳は不思議な光を放ち、その焦点はずっと遙か向こうの過去に向けられているように思えた。


「お邪魔様……。ありがとう、老人の長話に付き合ってくれて」

「いえ。大したお構いもできなくてすみません。――あっ!」


 私は慌ててポケットに入れていた自分の連絡先を書いた紙を渡す。


「カトレア・ザーヴィナーって言います」

「ザーヴィナー……?」


(え? 今、笑った??)


 そんな気がしたが、淑女はそのまま何も言わず、連絡先をスーツの胸ポケットにしまう。

 くるっと一八〇度回転すると、その場を後にした。


「あの! お名前を教えてくれませんか?」

「エマよ。さようなら、カトレア・ザーヴィナーさん」


 人のごった返した会場で、派手な赤いスーツが消えていく。

 不思議な雰囲気のある人だった。ちょっとカッコいい思ってしまうほどに。


(エマさんか。悪い人ではなさそうだけど……)


 私はエマさんを見送った後、また席に着く。彼女と入れ替わるように戻ってきたのは、シャヒル王子だった。何故か、その頬が赤い。何かあったのだろうか?


「シャヒル王子、どうしました? お顔が赤いようですが、体調が悪いとか?」

「いや、大丈夫だ。赤いのは気のせいだから気にしなくていいよ」


 シャヒル王子は外の屋台で買ってきたと思われる椰子の実ジュースを渡す。

 どうやら魔法で氷漬けにされていたらしく、実そのものが氷みたいに冷たい。

 当然、中の果汁も冷たく、すっきりとした甘さが火照った頭をよく覚ましてくれた。


「こほん……。カトレア。さ、さっきの人は? お客様?」

「ええ。シャヒル王子の栗ご飯の匂いに釣られてたみたいで。どういう人かわかりませんけど、多分元魔工師だと思います」

「なんでわかったんだい?」

「手です。父と似た手をしてました。男性と女性で違うと思いますけど、それでも年季の入った職人の手でした」


 間違いなくエマさんは元魔工師だろう。

 こういう所に女性1人で来ているのだ。

 夫が魔工師か、本人が元魔工師かの二択しかないだろう。


 それより女性で、元魔工師で、エマってなんか思い出せそうな気がするんだけど、気のせいかしら。なんか喉に骨が刺さっているというか。私、あの人を知ってるような気がするんだけど。


「そ、そうか」


 ところで、気になってたけど、どうしてシャヒル王子は顔が赤いんだろう。


「あ。そうだ、カトレア。わかったよ。午後から誰もこなくなった理由が」


 突如、シャヒル王子は硬い表情で訴えた。

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