第33話 元婚約者の嫁


 毛先がくるっと回った軽そうな金髪に、疑うことを知らなさそうなブラウンの瞳。小顔で華奢でまだ十代といっても通じるぐらい小柄な身体をしていている。本人も意識しているのか、やや子どもっぽいピンク色のフレアスカートに、胸元にフリルのついたゆるめのブラウスを着ていた。ややソールの厚いブーツを鳴らして、こっちに近づいてくる。


 フレイア・ベレン・ブリーレン。

 実は言うと、顔を見るまですっかり忘れていた。

 まさかこんなところで会うなんて。

 最低とは言わないけど、最悪だわ。


 ラグリーズ局長が失脚した後、ブリーレン家がどうなったかは知らない。

 ついでに言うと、パストアにどんな処罰が下されたのかも……。

 彼女の名前が変わっているのも、おそらく髭剃り具の一件で〝伯爵(ベレン)〟の爵位を剥奪されたからだろうと察せられる。


「ひ、久しぶりですね、フレイアさん」

「そんな! よそよそしくしないで下さいよ、カトレアさん。フレイアって呼んで下さい」


 じゃあ、どうしてあなたは私を呼ぶ時「カトレアさん」とよそよそしいのだろうか。そもそもフレアとは2回しか会ったことがない浅い仲だ。見ての通り空気が読めない――もとい人懐っこい女性で、彼女の夫の元婚約者である私に対しても愛想を振りまいてくる。


 その積極的思考には会った時から圧倒されていた。

 そもそも元婚約者の私に、こうもぐいぐいと話しかけてくる精神がわからない。

 もしかして、私が執念深い? 


 フレイアは側にあった空の魔導炊飯釜を見つける。


「それって、もしかしてカトレアさんの魔導具ですか?」

「え? ええ……」

「良かった。カトレアさん、また魔工師を目指されるってことですよね」


 はい??? 良かった?


 胸を撫で下ろすフレイアの姿を見て、私は戸惑う。

 彼女の父親ラグリーズが失脚する引き金を引いたのは、私と言っても過言ではない。フレイアからすれば、張本人たる私に話しかけることすら驚きなのに、ホッとするなんてあり得ないことだった。


 段々とフレイアのことが恐ろしくなってきた私だったが、一方フレイアは気さくに話を続けた。


「わたし、心配してたんです。もしかしたら、父が失脚したことをご自分のせいにされているのではないか、と。だから、カトレアさんが魔工師になることに負い目を感じてるんじゃないかって」


 はあ?? この子、一体何を言っているの?

 ラグリーズ局長が失脚したことに対して、私が責任を感じてると思っているのだろうか。


「大丈夫ですよ、カトレアさん。責任なんて感じなくていいです。父は悪いことをしたから、陛下からお叱りを受けたんです。わたしは父ではありませんが、代理としてあなたを許します。だから、カトレアさんは頑張って魔工師を目指して下さいね」


 いや、あなたに言われなくても魔工師を目指すけど……。

 だから、今ここにいるわけだし。

 なんか1周回って、随分上から目線なことを言われてるように感じるんだけど、気のせいかしら。


 フレイアはまた勝手に喋り始めた。


「そう言えば、夫――パストアのことをまだ話してませんでしたよね」


 私は一言も「パストア」のこと尋ねてないんですけど……。


 しかし、夫というからには、結婚は解消されていないのだろう。ラグリーズ局長との政治的な結婚かと思っていたけど、関係が続いていることに驚く。

 『真実の愛』というのも、意外と嘘ではなかったのかもしれない。


「聞いて下さい。夫は魔工師になりました」

「え??」

「父が捕まって、その時は解雇もやむなしだと思われていたのですが、父の嘆願もあって錬金課に残ることになったんです。そこからどんどん新しいアイディアを出てきたらしく、王宮内のコンペティションに魔導具を出したら最高金賞を貰えて。それで魔工師に。今では開発部の魔工師として、魔導具の開発を」

「あのパストアが?」

「信じられないですよね。あのちょっと頼りのないあの人が……。でも、わたしは彼ならいつかそうなるんじゃないかなって信じてました」


 フレイアの言葉が本人の妄想でも、嘘でもないとしたら、ちょっと信じられない変化だ。


 私が知っているパストアはどちらかと言えば、受け身で典型的な指示待ち人間だった。裏を返せば、慎重で着実に仕事をこなす人間なのだが、誰かが手を引いて上げないと、いつまでも同じ所に立ってまごまごしているのがパストアだった。


 後ろ盾だったラグリーズ局長がいなくなったことによって、窮鼠猫を噛むではないが、追い詰められて積極的になったたことが、結果功を奏したのか。それでもよく知る彼にしては、随分と思い切った行動だった。


「夫が言っていたんです。もうカトレアさんは魔工師にならないんじゃないかって。でも、再会できて良かった。……あ。多分会場にいると思うので、見かけたら声をかけて上げて下さい」


 フレイアを見かけた瞬間、その可能性は高いと感じていたが、やはり会場にいるのか。夫婦揃って現れて、仲睦まじい様子を見せつけられるよりはマシだったかもしれない。


「そうだ。今から夫のところに来ませんか?」

「え? でも、お邪魔じゃ」

「そんな遠慮せずに」


 遠慮するわよ。なんだったら、2度と会いたくないのに。

 絶対変な空気になるに決まっている。

 それでもブースの向こうで座っている私を吊り上げようと、フレイアは私の手を掴んだ。多分本人は悪気があっていってるのではない。少しこじれた旧友との関係を戻して上げよう――ぐらいにしか思っていないだろう。


 でも、私にその気持ちは欠片もない。

 例え神様や天使が間に入ったところで、私たちの仲を修復できるとは思えなかった。


「失礼。連れが嫌がっているので、そこまでにしてくれませんか?」


 言葉尻こそ丁寧な割に、叩けば硬質な音が返ってきそうな冷たい口調だった。


 フレイアの細い手をそっと握る。フレイアと私は同時に振り向くと、炎のような赤い髪に、冬の空を思わせるような濃い青眼が光っているのが見えた。その鋭い眼光に、私の腕を掴んでいたフレイアの手の力が緩むと、ようやく私はフレイアから逃れる。


「シャヒル王子、ありがとうございます」

「え? 王子??」


 私の呼びかけに、フレイアが反応する。

 王子の顔をマジマジと見つめると、フレイアの頬が紅潮していくのがわかった。胸の高鳴り抑えるように手を置き、1歩下がる。それまで私に対して饒舌に喋っていた女性は、たちまち無口になってしまった。


「カトレア、この方は?」

「え? えっと、この人はパストアの――――」

「申し遅れました。パストアの妻フレイア・ブリーレンと申します」


 フレイアは私が言うより先に頭を下げる。

 元貴族の淑女らしいところをアピールしたかったのか。それとも単なる癖なのかスカートの先を摘まんでお辞儀をした。


「ああ。カトレアから聞いてます。それで何用でしょうか? カトレアとパストア殿とは、もう関係ないと聞いておりますが」


 シャヒル王子はさりげなく、震えていた私の手を握った。


 すると、フレイアに対して酷薄な笑みを浮かべる。

 瞬間、フレイアの顔はみるみる青くなっていった。横で見ていた私ですら怖気が走る。その表情は鮮烈で青い瞳が狼のように光っていた。


 その怒りはフレイアの行いに対してか、それともフレイアの今の夫が犯した罪に対してかわからない。少なくとも今まで見たシャヒル王子の表情の中で、もっとも苛烈であることは間違いなかった。


「し、失礼しました」


 フレイアはまたスカートを摘まんで、頭を腰の付近まで下げると、私とシャヒル王子の視界から風のように消えてしまった。


「大丈夫だった、カトレア?」

「ええ……。特に何もされてませんから?」

「でも、嫌なことを言われたんじゃ」

「嫌なことというよりも、人が聞いてもいないことを彼女が勝手に喋っていただけです」


 今振り返ってみると、むしろ罵詈雑言をぶつけられた方が良かったかもしれない。

 それなら、こっちだって言い返すことができたから、少しはすっきりしたかも。何にしても、過去に断った関係のことを蒸し返すつもりは、私にはない。旧友が集まって、昔話に花を咲かせる類いのものでもないように思えた。


「シャヒル王子、昼食を食べに行きましょう。お腹が空きました」

「そうだね。……そうだ。さっき小耳に挟んだんだけど、ここから西に少し歩いたところに――」


 一転して食事と料理の話になる。

 シャヒル王子が話すと、よりおいしそうに聞こえるから、空のお腹にはかなり効いた。

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