第31話 皮むき器

 時が経ち、民間魔工師資格試験の受験日まで、あと3週間――。



 工房で私は未完成の魔導炊飯釜の前で集中していた。

 魔力が空になった精霊石にゆっくりと魔力を注いでいく。精霊石の横に繋がった魔力測定器を目の端で捉えながら、百分の一単位まで調整していった。


 精霊石の魔力出力時間は、精霊石に込められた魔力量と必ず比例するわけではない。

 初期出力といって、初めて精霊石を起動した魔力出力は込めた魔力量が多いければ多いほど、高い傾向になるものの、偶然性が絡む。あとは精霊石のカットの仕方によっても変わる。


 これを机上計算することはほぼ不可能と言われていて、技術者の勘が頼りになる。最適な魔力量を見つけるには、砂漠の中に落とした1粒のダイヤモンドを見つけるような途方もない根気と集中力が必要になるのだ。


 市中に出回っている魔導具は、そうした魔工師が調整に調整を重ね、錬金術師が安定的な出力を出せるように完成させたものになる。


 すでに試行回数は1000回を超えていた。のべにして4000合のご飯を炊いたことになる。

 そのほとんどが軍の食糧や、養護院の朝食になったけど、その都度を私やシャヒル王子、ライザーは手を合わせて、味を噛みしめた。


 そして1005回目、ついにその時がやってくる。


 私は祈るような気持ちで立っていた。組んだ指先の向こうに見えるのは、ご飯を頬張るシャヒル王子の姿だ。ライザーも少量のご飯を食んで味を確かめている。

 すでに釜の中にお焦げがでない最適の魔力量は掴めていた。あとは味だけだ。


 シャヒル王子には厳しくジャッジするようにお願いしている。魔導炊飯釜はお互い馴れ合うために始めたわけじゃない。すでにお金も使っている。軍管轄の工房を使わせてくれているギンザー王子のためにも、完璧な魔導炊飯釜を作りたかった。


「いかがですか、王子?」


 恐る恐るシャヒル王子に尋ねる。まだ咀嚼していた王子は、焦ることなく味を確かめた後、宝石を箱の中にしまい込むみたいに、慎重に飲み込んだ。

 やや余韻に浸りつつ、口を開いた。


「悔しいな……」

「え?」

「俺はね、カトレア。実は魔導炊飯釜は直火で炊くご飯に勝てないと思っていた。正直に言うとね。初めてこのご飯を食べた時、『おいしい』とは思ったけど、普通の直火炊きで炊いた釜飯には勝てないだろうと予想していたんだ」


 シャヒル王子の言うことは、ショックでもなんでもなかった。

 実際の所、私の魔導炊飯釜は母や『熊の台所』の女将さんが炊く釜飯には負けているような気がした。いや、負けていて当然だと思っていた。

 魔導炊飯釜を失敗と決めつけていたのも、そういう理由からだ。


「でも、このご飯は直火炊きした釜飯となんら変わらない。いや、それ以上だよ」

「じゃあ、王子……。ご飯は」

「俺が言うのもおこがましいかもしれないけど、合格だ」

「やっっっっっっっっった~~~~!!」


 喜びを爆発させた直後、ふっと力が抜けた。

 膝と腰に力が入らず、工房の硬い床に向かって頭をぶつけそうになる。頭がパチパチとちらつく瞬間、見えたのは赤い髪と、真剣な青い瞳だった。


「カトレア! 大丈夫か?」


 今にも泣きそうなシャヒル王子の顔があった。

 その横で銀毛が揺れている。ヌッと金色の瞳が私を覗き込み、励ますように私の頬を舐める。


 飼い主と同じく心配そうに見つめていたのは、ライザーだった。

 絶望的な長い道のりを眺めた後、目の前の1歩に集中する。そんな日々の連続だった。

 1日1日神経がすり切れるような作業が続き、やっぱりできないのではと、ひっそり工房で弱音を吐くこともあった。そんな私を励まし、寄り添ってくれたのは、今ここにいるシャヒル王子とライザーだ。


 2人がいなければ、きっと魔導炊飯釜は完成しなかっただろう。


「ありがとうございます、シャヒル王子、ライザー。……すみません。完成したと思ったら力が抜けて」


 少しでも安心させようと笑おうとしたが、あまり決まっていない。

 圧倒的に体力が足りていなかった。


「あまり口にしないでおこうと思っていたが……。最近ちゃんと寝ていた? 身体だって、前に抱き上げた時よりも軽いよ、カトレア」


 ふと素材採集の時のエピソードを思い出したが、もはや顔を赤らめるほどの力もなかった。


 最初の頃は、ご飯ばかり食って体重が増えるのではと思っていたのだが、後半は体重は減っていく一方だった。工房を使って、自分が作りたい魔導具を作れるのは最高に楽しかったからだ。


 でも、魔導具の開発は飴だけを与えてくれない。片や「本当にできるのか」「自分の今の努力が水泡に帰すのではないか」そんな葛藤との戦いだった。

 そういう負の感情が徐々に私の身体を蝕んでいったのだ。


「俺の思いつきが、君をそこまで追い詰めていたなんて」

「いいえ、シャヒル王子。……シャヒル王子のおかげです。王子がこの魔導炊飯釜の未来を見せてくれたからこそ、私はここまで頑張れた」

「君は素晴らしい仕事をしたよ、カトレア。これなら試験も合格間違いなしだ。しばらくゆっくり休むといい」

「ありがとうございます。……ですが、その前に連れていってほしいところがあるんです」


 この魔導具を作ることができたのは、間違いなく周囲の支えがあったからこそだ。

 そしてもう一人、私にはお礼しなければならない人がいた。





 私とシャヒル王子が向かったのは、シャヒル王子が経営する養護院だった。

 元気いっぱいの子どもたちに囲まれながら、早速目当ての人物を探し始める。


「院長、アメリは来てますか?」


 残念ながらアメリは養護院にいなかった。どうやら母親の体調が戻ったらしく、家で手伝いをしているらしい。私はアメリの家を院長に案内してもらう。そこはもはや廃墟といっても差し支えない荒ら屋だ。


 天井や壁には穴が空いている。それを何か廃材のようなもので埋めていた。

 隙間風が厳しい家の中で、アメリを含めて4人の家族が肩を寄せ合い暮らしていた。

 突然の登場に、アメリも家族も目を丸くする。事情を話して中に入れてもらうと、私は早速できあがったばかりの魔導炊飯釜をアメリの前で見せた。


 不思議な魔導具を見て、アメリも家族も首を傾げる。


「アメリ、これはね……」

「カトレア、説明するよりも実演した方が早いんじゃないか?」


 シャヒル王子の忠告に納得した私は、炊事場を借りて、洗った米と適量の水を入れ、魔導炊飯釜の蓋をした。『起動』の魔法を送ると、魔導炊飯釜の下の赤い精霊石が赤く光る。


 他の弟妹たちはライザーと一緒に遊んでいたが、アメリは魔導具が気になるらしい。三角座りをして、魔導炊飯釜をじっと見つめていた。やがて釜から白い湯気が上がり始め、ご飯の匂いが鼻を衝くと、アメリは目を輝かせた。


 数十分後、いよいよ魔導炊飯釜のご飯が炊きあがる。

 釜の蓋を開けると、濃い真っ白な湯気とともに粒だった見事な白米が現れた。


「すごい!」


 アメリは鼻息を荒くして興奮していた。すると、キラキラした瞳で私の方を向く。


「どうやって作ったの?」

「精霊石の力を使って、魔法の力で作ったんだよ」

「火焚きはしなくていいの?」

「うん。手を掲げて、こうやって『起動』の文字を精霊石に刻むだけ」

「それだけ? 火の強さとか……。焦げたりしない?」

「見てご覧……」


 私はくすりと笑って、釜の中を見せた。

 しゃもじでかき混ぜながら、ふちの部分を見せる。お焦げのない真っ白で綺麗なご飯になっていた。アメリは食欲を抑えきれなかったのだろう。手掴みで白飯を掬うと、口の中に入れて咀嚼した。


 きっと満足してくれるはずと思っていたが、アメリからこぼれ落ちたのは白飯の感想などではなく、涙だった。ポロポロと突然泣き出す。本人も戸惑っている様子だった。


「わからないの。とってもおいしいのに、お姉ちゃんの作ってくれた魔導具は凄いって思うのに、涙が後から後から出てきて止まらないの」


 何度も何度も涙を拭っても、アメリの涙は止まらない。


 そんな彼女の姿を見ながら、私は自分の幼い日のことを思い出していた。

 子どもの頃、まだ母が父の工房を手伝っていた頃だ。家事に工房仕事に多忙な母のために、調理を手伝っていたのだけど、野菜の皮むきがどうしてもうまくいかなかった。


 見かねた母が買ってきてくれたのが、子どもでも使える皮むき器だ。

 魔導具でも何でもないのに、髭剃りに似た形の皮むき器は、面白いぐらいよく皮を剥くことができた。


 その時、私もアメリのように泣いた。


 今までの苦労は? という疑問よりも、言葉にならないぐらい私はその時――。



 感動したのだ……。



 世の中には私の知らないものがたくさんあって、未熟な自分を助けてくれる道具がある。

 そう思った時、私も誰かを助けたいと思った。


 おそらく、その時だろう。私が魔工師になりたいと強く願うようになったのは……。


 私はアメリを抱きしめる。やっと1人救うことができたことに私もまた感動し、目に溜まった嬉し涙を流すのだった。

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