第28話 鮭胡麻にぎり

 魔導炊飯釜の開発が始まった。


 基礎構造はすでに固まっているから、後は細かい微調整だけだ。

 半年以内に間に合うとは思う。


 問題は1つ。やはり釜内にできる焦げの問題だ。

 お焦げが好きだという人もいるけど、これは私が作る魔導炊飯釜の1つの特徴として、クリアしておきたい。


 しかし、これは時間の問題だと思う。最適な時間になるように精霊石をカットし、補給する魔力量の上限を決めてしまえばいい。後はお焦げができない最適な炊飯時間になる魔力量を、総当たりでチェックしていくだけだ。


 ――と息巻いたところ、1つ問題が起きてしまった。


「あはははは……。随分、できあがったね」


 シャヒル王子は苦笑いを浮かべる。青い瞳が見つめる先にあったのは、今日1日の実験だけで炊きあがったお米だった。


 合計40合。

 テーブルの上にすっかり冷めた冷や飯から、たった今炊きあがった熱々のお米まで、まるでオーディションの順番を待つパフォーマーみたいに並んでいる。


「すみません、シャヒル王子」

「ああ。心配しなくてもいい。実はこういう事態になることは薄々わかっていたからね」


 シャヒル王子はそう言って、懐からある魔導具を取り出す。

 以前、私が作ったスライムラップの余りだ。それを机の上に広げ、魔導炊飯釜の中のお米をよそう。ラップで厳重に三角おにぎりに結んだ。


「後はこれを魔導氷室の中に入れて、冷凍させておけばかなり日持ちすると思う」


 スライムラップは空気と水を通さない。食糧の保存には最適だ。冷凍させることができれば、さらに日持ちするだろう。


「そしてこれがスライムラップで包んで、冷凍させたご飯を、蒸し器で戻したものだよ」


 一旦工房を出て、戻ってきたシャヒル王子の手には、高々と白い湯気をくねらせたご飯があった。どうやらすでに実験していたらしい。新しい調理道具はすぐ試さないと気が済まないシャヒル王子らしい行動力だ。


 早速、試食してみた。


「おいしい」


 ちょっと水分が多いように感じるけど、まるで炊きたてのような仕上がりだ。

 残った米を再加熱することはよくあることだけど、やっぱり炊きたてとは違う。モチモチというより、歯に絡まるようなベタッとした印象の上に、甘みも炊きたての時と比べると、どうしても劣るように感じる。


 しかし、この冷凍ご飯はふっくらとしていて、米粒1つ1つの甘みもしっかりと感じられた。

 何より芯まで火が通って、適度な水分があるのが私には好印象だ。


『バァウ!』


 ライザーも気に入ったらしく、米糊が付いた皿をベロベロと舐めていた。


「おいしいです、シャヒル王子。お米でこんなに感動するなんて」

「それは良かった。色々実験した甲斐があって良かったよ。これならギンザー王子に頼まれていたことがクリアできそうだね」

「ギンザー王子に?」


 なんだろう。ギンザー王子がまだ工房の使用権に何か言ってきているのだろうか。

 一抹の不安を感じつつ、私はシャヒル王子からの要請もあって、次の日の軍議に参加することになった。




 ◆◇◆◇◆




 コの字に並んだ机の前には、勲章を付けた老将たちが席についていた。


 如何にも軍のお歴々といった軍人たちの中央に座っていたのは、王に代わり軍司令官を務めているギンザー王子だ。剥き出した歯茎が司令官というよりも如何にもガキ大将という風情が感じられるが、会った時と違ってどことなく楽しそうだった。


 今日の会議はテラスヴァニル王国軍の食糧についてだ。

 軍と聞くと凄い兵器や戦術に目が行きがちだが、食糧も重要な要素の1つである。


 特にテラスヴァニル王国は国土の大半が川と森だ。湿気が多い気候は食糧を短期間に腐らせる要因になる。テラスヴァニル王国軍にとって、昔から頭の痛い問題だったらしい。


 そこでギンザー王子からシャヒル王子に、軍の食糧事情について相談役になってほしいという打診があったと、聞いた。なのに何故、私が喚ばれたのかわからず、ともかく話を聞くことにした。


「――以上、お見せした通りのものがそちらのご飯になります」


 すでにコの字に並んだ机の上には、例の冷凍ご飯を解凍した器が並んでいる。

 昨日見た通り、濃い白い湯気を吐き、見た目は出来立てを想起させるような色艶をしていた。


「うまい!」

「これは元冷や飯とはな」

「魔導氷室の中に入れておけば、1ヶ月は持つのではないか?」


 先ほどまで硬い顔をしていたテラスヴァニル王国の軍将校たちも、湯気立った白米を見て、ざわつく。さらに一口食べて驚いたらしく、皆絶賛していた。

 上々の反応を見ながら、シャヒル王子はダメ推しする。


「一から米を炊くのではなく、炊いたお米を加熱するだけなので、調理時間も半分にできます。いつ外敵や魔物に襲われるかわからない戦地で、時間を節約できることは非常に貴重なことだと考えます。それに、これにはもう一つメリットがあります」


 パチッとシャヒル王子が指を鳴らす。


 突然会議室の扉が開くと、ステルシアさんが荷車を引いて現れた。

 その上には、また三角形のおにぎりが載っている。だが、昨日食べたものでも、今将校の人たちが食べたものとも違う。米粒が琥珀色に染まっていたのだ。


 それだけじゃない、胡麻に、ほぐした鮭の身まで入っている。


「おい。シャヒル、これはなんだ?」

「見ての通りだよ、兄さん。鮭胡麻にぎりの醤油風味だ」

「鮭胡麻にぎりだと」


 確かに胡麻と、醤油の香ばしい香りが如何にも空気が硬そうな軍の会議室に満ち満ちていた。


 そこに混ざった鮭の薄身(フレーク)。おいしくないわけがない。

 突如現れた料理に老将校たちがおののく中、ギンザー王子は早速手を付ける。

 それを見て、私もゴクリと喉を鳴らした。


「カトレア、はい」


 シャヒル王子は残っていた『鮭胡麻にぎり』を私に差し出した。


「い、いいんですか?」

「遠慮しなくていいよ。カトレアは功労者だ。それに、もの凄く欲しそうな目をしてたよ」


 シャヒル王子は意地悪く笑う。私は咄嗟に口元を隠したが、遅かりしだ。

 有り難く受け取り、早速口にしてみた。


「うまっっっっっっっっっっっ!」


 食べる前からおいしいことはわかっていたけど、予想以上だ。


 炊きたて湯気ともに鼻腔を突き抜けていくのは、香ばしい醤油と胡麻の香り。

 醤油の塩梅がちょうど良く、お米の甘さを殺さない程度に抑えられていて、甘塩っぱい米粒に思わず膝を打ちたくなるようなおいしさがあった。そこにほぐされた鮭の塩みもよく、モチモチした米との食感との相性も抜群だった。


 ただおにぎりを食べている感覚とは違う。

 標準的な平民の朝食が詰まったような郷愁を感じさせる味だった。


「調理は簡単です。釜のご飯の中に、あらかじめ醤油と鮭を入れて味を整えていき、最後に鮭の切り身を載せて炊きます。できあがったら、鮭の皮をとって胡麻と一緒に混ぜる。後はさっき教えた手順で冷凍していけば、美味しさそのままに鮭胡麻にぎりが食べられるというわけです」

「つまり、シャヒルよ。この方法なら現地で調理をしなくても、解凍さえできれば味付けされ、きちんと調理されたものを食べられるということだな」

「まだ開発途中ですが、ゆくゆくは汁物もできればいいなって考えています」


 シャヒル王子の説明が終わる。すでにギンザー王子も含めて、将校たちは鮭胡麻にぎりを食べ終えていた。味の感想を聞くまでもない。あとは、軍でこれを採用するか否かだ。


 しばらく口を閉じて考えていたギンザー王子は、膝を叩いた。

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