第27話 アメリ

 馬車は王宮を出発すると、しばらく東の方へと走る。


 チンチン、という懐かしい音に気付き、私は車窓を見つめた。

 ネブリミア王国製の魔列車が馬車の横を横切っていく。軌条(レール)といわれる二本の線路の上を走る魔列車は王宮を超えて、北へと向かっていった。王宮の北といえば、私たちがやって来た山岳地帯だ。乗客は全員男で、如何にも鉱夫といった引き締まった身体をしている。


 ネブリミア王国ではインフラとしてあまり活用されていないが、テラスヴァニル王国では違うらしく、山岳地帯の手前まで軌条が伸びているそうだ。


 テラスヴァニル王国の主な交通手段は船だが、山岳地帯から王都に下るのは一日半で辿り着くものの、逆の場合三日半から四日半かかる。川を遡ることになるため、船足が鈍るからだ。加えて、雨季で川が増水した場合、船が使えないため別の移動手段が必要になった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、魔列車だったというわけである。


 密林を切り拓き、軌条を引くのは非常に困難だったと聞くが、こうしてテラスヴァニル王国では、しっかり根付いている。自国で白い目で見られる交通インフラが、他国において元気に走っている姿を見ると、少し誇らしい気持ちになった。


 さて、馬車はドンドンと寂れた場所へと入っていく。

 一目見た時、綺麗な白の建物群を見て、心躍ったものだが、今私の目に映っているのは、窓が破られ、一部の壁が崩れた廃墟だった。


 そして、そこにいたのは廃墟だけではない。その廃墟をねぐらとして住んでいる者もいる。

 真っ昼間から玄関先に立って、こっちを見ている。おそらく馬車が珍しいのだろう。子どもたちが元気よく走ってきたと思ったら、全員身寄りのない物乞いたちだった。


 ネブリミア王国にもこういう下町は存在するが、規模が違う。


「これが、シャヒル王子が言っていたテラスヴァニル王国の格差の問題なんですね」

「ああ。この国の労働者のほとんどが男だ。女性の就労率は限りなくゼロに近い」


 王宮には女給がいて、ステルシアさんがその1人だけど、ネブリミア王国と比べてもテラスヴァニルでは男の給仕が多いらしい。炊事場などは魔法を使うので、女性が多いみたいだけど、基本的に働き手として見做されていないのだろう。


「だから、夫が怪我でもしたら、ほとんどの家族が路頭に迷うことになる。母親が代わって働くことができないからだ」


 運良く就労先が見つかっても、女性のほとんどがまともな教育を受けていないためすぐクビになってしまうらしい。結局読み書きなどができる人間順に埋まってしまい、貧者はさらに貧困にあえいでいく。こうして家賃が払えなくなった家族は、地価の安い下町に集まってくるのだという。


 馬車は下町でも割と小綺麗な建物の前に止まった。


 どうやら身寄りのない孤児を集めた養護院らしい。

 看板を見ると、『シャヒル』と書かれていた。事情を聞くと、シャヒル王子が経営している養護院らしい。優しそうな女院長が出迎えると、私たち一行を歓待し、中を案内してくれた。


 養護院には今、三十名以上子どもがいて、シャヒル王子の他にも貴族からの寄付を集めて運営しているのだそうだ。


「シャヒル王子、遊んで!」

「ザッガーやろうぜ!」

「ダメよ! 今日はシャヒル王子は、私の旦那様なんだから」

「ずるい! 今日はわたしの番よ」


 シャヒル王子はどこへ言っても、人気者だ。男の子たちからボールをぶつけられ、女の子たちには両袖を引っ張られながら、顔を引きつらせて困っている。


「お姉ちゃん、誰?」

「もしかして、シャヒル王子の恋人?」


 女の子たちは泥棒猫を見るような目つきで睨んでくる。目が本気だ……。


「わ、私はシャヒル王子の…………王子の…………」


 あれ? こういう時、なんて説明すればいいのだろうか?

 お付き? いや、別に衛兵とか何か特殊な訓練を受けているわけでもないし、家臣というわけでもないし。じゃあ、行きずりの女? なんか誤解を生みそうね、この表現。じゃあ、無難なところで女友達? 相手は王子なのだから、『友達』っていうのも恐れ多いし。


 あと二つぐらい頭に浮かんだけど、それぞれ却下だ。


「私、シャヒル王子なんなんだろう?」


 子どもの前で私は首を傾げて考え込む。

 そこにやっと子どもたちから逃れたシャヒル王子が戻ってきた。


「カトレアは未来の魔工師なんだ。魔導具で困ってることがあったら、なんでも聞くといいよ」


 な、なるほど。未来の魔工師か。……未来。なんか便利な言葉ね。


「あら。じゃあ、うちの調子の悪い湯沸かし具を見てもらおうかしら」

「え? 湯沸かし具があるんですか?」

「シャヒル王子に寄贈してもらったんですけど、最近調子が悪くって」

「まだ直ってなかったのか。ネブリミア王国に魔工師を手配してもらえるように頼んでおいたのだが……」


 メンテナンスも魔工師の立派な仕事の1つだ。

 しかし、だいたいの魔工師が忙しく対応が鈍いことが多い。

 他国からの要望ならば、政治絡みでもなければすぐに動かないだろう。


「わかりました。できるかぎりのことはやりましょう」


 パーツがないので、どこまで修理可能かわからないけど、困っている人は見捨てておけない。

 どうしてシャヒル王子が私を養護院に連れてきたのかわからないままだが、とにかく工房に籠もって鈍った身体を動かすことにした。


「なら廊下の精霊石もお願いできるかしら」

「この玩具も……!」

「このうさちゃんの耳もなおせる?」


 次々と案件が舞い込む。最後に小さな女の子が耳のところから綿が飛び出たぬいぐるみを泣きそうになりながら差し出してきた。

 ぬいぐるみは魔導具ではないけど、私は女の子の頭を優しく撫でる。


「わかったわ。お姉ちゃんに任せて」


 私は腕を捲り、早速作業に取りかかった。





「お湯を出しますよ」


 私は修理した湯沸かし具に魔力を込める。

 蛇口から水が出てくると、徐々に熱を帯び始めて、ついに湯煙を上げてお湯になった。

 久しぶりの熱々のお湯を見て、子どもたちは大はしゃぎだ。早速お風呂に入ると言いだし、男の子たちが私の前で服を脱ぎ出した。


 他にもいくつか魔法灯の精霊石が曇っていたので、再カットをした。魔法を使って、薄く捲るようにカットするのは、元錬金術師の私にとってお手の物だ。10分もしないうちに、廊下の魔法灯はピカピカに光るようになった。


 魔導具を設計したり、作ったりするのが魔工師の仕事だと思いがちだけど、メンテも大事な仕事のうちだ。『完成はゴールではない。手に取ってもらって初めてスタートなのだ』と祖父も魔導具のメンテナンスの重要性を説いていた。


「はい。できた」

「ありがとう!」


 耳が取れかかっていたぬいぐるみを直すと、女の子は目を輝かせて、私にお礼を言った。

 とりあえず聞いていたことはすべてやった。他に何か仕事はないかと探していると、私は養護院の小さな炊事場にやってくる。


 夕食の準備だろうか。火炊きをして、お米を炊こうとしている少女の姿があった。

 古ぼけた『風』の精霊石を使って、風を送り、調整している。ただ私の目には送る風が強すぎるように思えた。その予感は当たり、煙が逆流して、少女に襲いかかる。たちまち煙を被り、少女の顔は真っ黒になった。


「ケホッ! ケホッ!」


 諸に煙に吸い、少女は咳き込む。私は少女が持っていた精霊石を奪って、魔力を込める。

『風』を巻き起こし、うまく煙を外へと追い出す。


「大丈夫?」


 少女は「うん」と頷く。

 年の頃は7、8歳ぐらいか。髪を無造作に伸ばし、前髪がすっかり目元にまで掛かっていた。赤髪も褐色の肌もすっかり灰に被っている。どこか自信なさげな雰囲気は、丸めた猫座から感じられた。

 養護院にいる子どもとは違って、服も襤褸だ。


「アメリ、またやったのね」


 院長が炊事場にやってくる。アメリという少女は「ごめんなさい」と肩を落とした。


「別に謝らなくていいわ。うん。ご飯はうまく炊けたみたいね。火の番は私がしておくから、みんなとお風呂に入ってきなさい」

「うん」


 アメリは頷き、炊事場から退出する。

 養護院の子どもとは一線を画すアメリの雰囲気を見て、私は目で院長に説明を求めた。


「あの子、もしかして下町の子ですか?」

「アメリと言います。すぐ近くに住んでるんですが、父親が鉱山事故で亡くなってしまって。前は集合住宅地に住んでたのだけど、稼ぎ手がいなくなって大家に追い出されたみたいでね。母親と2人の弟妹と一緒に下町に来たんです。けど母親は病気がちで。だから、あの子が母親代わりになって家のことをしてるんですが、前に家の釜で配給のご飯を炊こうとしたらぼや騒ぎを起こしてしまって。以来、うちで指導してるんです。本当なら一時的でもうちで保護してあげるべきなのですが、本人が母親の世話をできるのは自分しかいないからって拒んでるですよ」

「そうだったんですね」

「でも、アメリみたいな子どもは、この辺にはいっぱいいるんですよ。その子や親まで保護するとなると、養護院がいくつ必要になるかわかりません」


 院長はため息を吐き、肩を落とす。

 こういう時、一番辛いのは院長のような救い手なのかもしれない。





 結局、養護院には慰問しただけで私は帰途についた。

 私はシャヒル王子にアメリのことを話す。


「アメリのような子どもの話を聞く度に、自分がどれだけ幸福に生きて来られたか痛感します」


 同時に、ただ魔導具を作ることしか能がない無力感に苛まれてしまう。

 私は一体彼女に何ができるだろうか、テラスの椅子に腰掛けながら私は考えた。


「彼女を幸福にしようと思うのは傲慢だよ、カトレア。アメリを幸福にできるのは、家族や支え合う周りの大人や弟妹たちだ。そしてその幸福を保障するのが、国家の役目だ。俺は君に言った。国の格差は直したい。でも、そのために俺がどれだけお金を注いだって焼け石に水ぐらいにしかならない。それほどこの問題は根深いんだ。けれど、俺は君とならできる気がする」

「どうしてですか?」

「それはまた今度説明しよう。で、どうかな? 今日の慰問で決意は固まったんじゃない?」


 私は凄い発明をしよう、試験に合格しよう、シャヒル王子の期待に応えようとするあまりに、気負い過ぎていた。魔工師にとって大事なことを忘れかけていた。

 今日の養護院の慰問を通じて、それを思い出させてくれた気がする。


「魔導炊飯釜を完成させます」


 私は決意する。もし仮に魔導炊飯釜のアイディアを持っているのが、この世界に私だけとしたら、私しか世に生み出すチャンスがないのだとしたら。

 アメリのような子どもを救えるのは、多分私しかいない。彼女と出会ってそう思った。


 祖父の言葉を今さらながらに思い出す。

『魔導具で人は救えない。人は人でしか救えないからだ。しかし1つの魔導具の登場が、人と世界を一変に変えてしまうことはある』


 多分、魔導炊飯釜はそういう魔導具の1つなのだ。

 もしかしたら、私が躊躇していたのは、このアイディアですべて変わってしまう世の中を想像して、竦んでいたのかもしれない。でも迷いはない。魔導炊飯釜を欲する人々がいるのだから。

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