第25話 世界一の寝具

 いくら酒の疎い私でもわかる。おそらく葡萄酒(ワイン)だ。名前の通り、葡萄を発酵させたお酒で市中にも出回っている。私は嗜まないが、時々料理酒として使う時がある。


「テラスヴァニル王国の葡萄酒『踊り子カルメル』という」

「え? テラスヴァニル王国でも葡萄酒を作っているのですか?」


 葡萄酒の代表的な産地は主に西側の諸国だ。

 葡萄作りには温暖な気候が欠かせないが、テラスヴァニル王国の気候は、少し湿度が高いように思える。だが、シャヒル王子曰く、南の海岸側を中心に葡萄畑が並んでいるところがあるらしい。海風の影響で、からっとしているのだそうだ。


「ヨーグルトソースになら、こっちの方が合うはずだ」


 そう言って、ギンザー王子はわざわざグラスに注いでくれた。

 鋭い音を立てて、泡を吹いていく。私は「もしかして」と訝りながら、まずは一口付けてみた。


 シュワッ……。


 キレのいい炭酸が舌を打つ。思わず私はグラスから口を離した。


「この葡萄酒……。炭酸が入っているんですか?」

「炭酸が入った葡萄酒も知らんのか。本当に素人なのだな。今度、それを合わせて茹で鶏を食べてみろ。『獅子の乳アレック』も悪くないが、そっちの方が合うはずだ」


 言われた通り、茹で鶏をヨーグルドソースにつけて食べ、そこに『踊り子カルメル』を流し込む。


「あっ!」


 言葉にするには難しいけど、ギンザー王子の言わんとしていることがわかる。

 確かに『獅子の乳アレック』よりも『踊り子カルメル』の方が、茹で鶏に合ってる。前者も確かにフルーティーな飲み口だけど、後者の方がより繊細に果実の味わいを感じる。炭酸のおかげで、飲み口が爽やかだから、重い肉料理に合っていた。


「兄さん、『踊り子カルメル』なんて安い酒じゃなくて、もっと良い酒があったろ」

「シャヒル、お前……酒についてはまだまだガキだな。高いからってなんでもいいわけじゃない。酒というのは食事との調和だ。確かに高い酒がうまいが、その分味が複雑になりがちで重くなる。その分、安い酒は素直だ。味が複雑ではない分、飲み口が軽くて肉料理に合うのだ」

「へぇ……。それは知らなかった」

「それにワインの味を覚えたいのなら、まず安いワインでしっかり葡萄の味を覚えるんだな」


 一応、ギンザー王子なりの配慮があったのか。

 でも、本当に飲みやすい。普通の葡萄ジュースと違うのはわかるけど、ぐびぐびいけそう。


「カトレア、あまり飲み過ぎは注意だよ。度数が少ないけど、飲みやすい分、一気に酔いが回っちゃうからね」


 シャヒル王子の忠告を聞いて、私はネブリミア王国であった醜態のことを思い出す。


「まあ、前みたいに倒れても、ここには寝床も典医もいるから安心だけど」

「なんだ、お前。素人の女に酒を強要したのか?」

「ち、ちが――――! あ、あれは事故みたいなもので……」

「ほう。酒のつまみになりそうな話のようだな。一つ聞かせろよ」


 ギンザー王子は口端を吊り上げる。


 ダメ! 絶対にダメです!!




 1時間後……。


「なんだ! そのお前の元婚約者の男は!?」


 『獅子の乳アレック』をかざし、赤ら顔をさらに赤くしたギンザー王子が怒声を張りあげる。

 その怒りをぶつけるように残っていた『獅子の乳アレック』を一気に飲み干した。濃い酒気を口から吐き出すと、口元についたヨーグルトソースを拭う。

 怒り心頭の王子に同調したのは、私だった。


「ですよねぇ! 信じられないですよ! いきなり『真実の愛に目覚めたんだ』って、目覚めたのは女癖の悪さですよ、全く!!」

「よく言った、カトレア! よし! 今度、オレ様の前に連れてこい。結婚とは何か、愛とは何かとくと論じてやろう」

「さすが、ギンザー王子! よっ! 第二王子!!」


 すっかり酔いが回った私はパチパチと叩く。

 胸の前で転がしていたグラスを呷る。

 『ゆっくり』というアドバイスを忘れて、私は一口に飲む量が段々多くなっていた。

 それでも初めてお酒を飲んだ時より、楽しく飲めている――ような気がする。


 何よりギンザー王子の話の聞き方がうまい。

 ついつい余計なことまで喋ってしまう。

 それに、いちいち返ってくる言葉が面白くて、かつ胸が空くのだ。


 最初会った時の粗野な印象は、すっかり消え失せ、私たちは完全に意気投合していた。


 そんな私たちを見て、オロオロしていたのは、1人だけ素面しらふのシャヒル王子だ。

 私たちと同じぐらい飲んでるのに、頬がほんのりと朱色になるぐらいで目はキリッとしたままだった。口調もはっきりしている。


 私なんてすでに目がとろんとしていて、若干……いや、かなり眠い。


「ギンザー王子もすごいですぅへろ。シャヒル王子もそれはそれですごいへふ」

「カトレア、呂律が回ってないじゃないか。それぐらいにしよう」

「何を言ってる、シャヒル! 今宵は祝杯だぞ! 辛気くさいこと言うな!! 今からオレ様の結婚論についてだな」

「兄さんもそれぐらいに……。つーか、兄さん結婚してないだろ! 武人はいつ命を落とすかわからない。好いた女に涙を流させるぐらいなら、オレ様は結婚しない――とかクサいことを言ってたじゃないか」

「おうよ! だが、最近気付いてな。よく考えたらオレ様が死んだら、世界中の女が泣くのではないかと思ってな。最近、伴侶を持つのも悪くないと思ってな。どうだ、カトレア! お前、オレ様に娶られるか?」

「はっ! 兄さん、何を言ってるんだ!」


 なんかシャヒル王子とギンザー王子が私を巡って口論してる。

 2人とも喧嘩はダメですよ。折角、仲がよくなったと思っているのに。言いたいことがあるなら私を介して下さい。あれ? でもなんでだろう……。段々と2人の声が遠くに聞こえる。すみません。もっと大きな声で喋ってもらっていいですか?

 

 もしもーし! ……あれ、だめだ。いよいよ瞼が重く…………ねむ……い。


 今すっごく横になりたい。


 王子の前で失礼とは思うけど、ふかふかのお布団の上に横になって……。



 柔らかめの枕の上に首を沈めたい。




(今ならきっと……すごくいい夢が見られそうだから)




 ◆◇◆◇◆ シャヒル王子 ◆◇◆◇◆




「ふん! では、シャヒルよ。お前はカトレアのことをどう思っているのだ?」

「俺は――――」


 口論する2人の王子に割って入るように倒れたのは、そのカトレアだった。

 木彫りの人形が倒れるようにあっさりと前に倒れる。

 そのまま吸い込まれるように頭を置いたのは、シャヒルの膝の上だった。


 テラスヴァニル王国の王族の末子。しかし、その権力はカトレアのような平民から考えれば絶大だ。

 その膝枕の上で、カトレアは気持ち良さそうに寝息を立てていた。


「か、カトレア?」


 少々困ったように眉根を寄せて、シャヒルはカトレアの肩を揺らす。しかし、揺り籠に乗せられた子どものように柔らかく、本人は笑った。


「まるで赤子だな。お前が生まれた時のことを思い出す」

「彼女は立派な女性だよ、兄さん」

「そうだな。しかし、よっぽどお前の膝枕が気持ちいいと見える。まあ、平民の娘が王族の膝を借りているのだ。これほど、豪華な寝具はないだろう」


 ギンザー王子はまだ酒が残った酒瓶を握り、立ち上がった。


「さて、後はお前が介抱してやれ。オレ様は部屋で一杯飲んでから眠る」

「兄さん、さっきの話は本気なのか?」


 弟の膝枕で眠るカトレアを一瞥した後、ギンザー王子は口を開いた。


「酒の席での戯言……と言いたいところだが、オレ様はいいと思った女は必ず声をかけるようにしている。それがいい女への礼儀だからな」

「じゃあ……」

「だが、その娘が誰を選ぶかわからないほど、お前も馬鹿ではあるまい。まあ、本人が遠慮しすぎて、相手にされていないようだがな」


 そう言い残し、ギンザー王子は部屋を後にした。

 しばし呆然としていたシャヒルは、ふと視線を落とす。

 瞼をピクピクさせながら、カトレアが何か寝言を言っている。


 シャヒルはフッと笑うと、赤くなった頬に触れた。

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