第23話 スライムラップ

 五日後……。



 その人は突然、工房にやってきた。


「おい。お前ら、いつまで工房を使ってるんだよ!」


 借金の取り立てみたいにギンザー王子が現れる。強面の顔をさらにいからせ、工房の中で作業していた私とシャヒル王子を睨んだ。

 のっしのっしと私の方に迫ってくるギンザー王子の前に、シャヒル王子が立ちふさがる。


「いつまでって……。別に期限なんて決めてなかったはずだけど、兄貴」

「馬鹿野郎。限度ってもんがあるだろうが」

「魔導具の開発は、俺の時短メニューと違って時間がかかるんだ。でかい身体をしてるんだから、もうちょっと大らかになれよ」

「なんだと!」


 ギンザー王子とシャヒル王子は一触即発だ。お互い凄い剣幕で、私が入る隙間はない。

 そんな時、二人の間に割って入ったのは、ライザーだった。『ううううう』と低く唸り声を上げて、両王子を睨み付ける。


「おいおい。ライザーまでそんな顔をするなよ」


 ライザーが怒っているのを見て、ギンザー王子は焦げ茶色の頭を撫でる。


「なっ! 落ち着け!」


 途端、大人しくなったギンザー王子はライザーに手を伸ばす。


 パクッ!


「痛(い)ってぇぇえええええ!!」


 ギンザー王子は飛び上がる。ライザーが手を噛んだのだ。


「ははは……。相変わらずライザーにだけは嫌われているな、兄貴」

「う、うるさい! 飼い主のしつけがなっていないせいだ」


 涙目になりながら、ギンザー王子はライザーに噛まれた手にフーフーと息を吹いていた。

 ギンザー王子の意外な素顔を見てしまった。もしかして強面のように見えて、意外と動物が好きなのだろうか。ライザーにはやたら朗らかな表情を向けていたけど。


 しばらく蹲っていたギンザー王子は立ち上がる。その顔は真っ赤になっていた。


「許さん! いいか! 今日中に言ったものを用意しろ。そうでなければ、ここを出ていってもらう。一切慈悲は与えないから覚悟をしろ!」


 工房の外まで聞こえるような怒声を放つと、私とシャヒル王子は目を合わせる。

 お互い合図を送り合うと、今ここでギンザー王子に成果を見てもらうことにした。


「ギンザー兄さん、実はカトレアが宣言した魔導具はほぼできているんだ」

「シャヒル王子の言うことは本当です。今、最終の耐久実験を行っているところなんです」

「耐久実験?」


 私は工房の中にある魔導具化された氷室を開く。冷ややかな冷気を吐き出させながら、私が中から取りだしたのは2枚の皿だった。その皿の上には食パンがそれぞれ1枚のっている。


 一方には何もなく、もう一方には私が作った透明の膜がかかっていた。


「はあ? パン? なんだ? 食っても食っても減らないパンでも作ったのか?」


 食っても減らないパンって、発想が子ども過ぎるでしょう。

 そりゃあ、本当にそういうものができるなら、飢饉や飢餓に対応できるだろうけど。

 皿を見て首を捻るギンザー王子に向かって、私はこみ上げてきた笑気を抑えるのに精一杯だった。


「殿下、ひとまずこの両方のパンを食べ比べていただけませんか?」


 こういう人には、口で説明しても無駄だ。まずは成果を見てもらうことにした。

 ギンザー王子は多少顔に疑念を浮かべながら、まずは膜がかかっていないパンを食す。


「なんだ、こりゃ。パサパサじゃねぇか。全然おいしくねぇぞ」


 たちまち血を上らせると、パンを工房の床に捨てた。


「では、こちらは如何ですか?」

「こっちも不味かったら承知しねぇからな」


 赤い瞳を私に向け、釘を刺すと、慎重に口を付けた。最初、少し口を付けたギンザー王子だったが、今度はあっという間に平らげてしまう。


「こっちはうまいなあ。しっとりとして、食感も悪くねぇ。……そうか。最初のは古いパンだったんだな?」

「いえ、殿下。それは間違いです」

「兄貴、今食べたパンは両方とも2日前に氷室に入れたものだよ」

「はあああああ! 嘘を突け! 全然味が違うぞ。最初はパサパサで」

「秘密はこの膜にあります、殿下」


 私は皿にかかっていた透明の膜を殿下の前に広げる。


「パンがしっとりしているのは、パンの中には水分があるからです。ですが、空気に長時間触れることによって水分は自然と蒸発し、パサつくようになるのです。つまりパンをいつまでもおいしく食べたいなら、空気に触れさせないようにすればいいのですが、これが難しい。空気や水分というのは、私たちに目に見えないほど小さい。蓋をしていても通り抜けて出ていってしまいます 。ですが、私が作ったスライムラップは空気と水を通しません」


 スライムの素で作った膜はきめが細かく、空気や水分を通さない。

 さらに精霊石の調湿効果のおかげで、一定の湿度を保つことができるのだ。


「結果、2日間氷室の中に入れたパンでも、できたてのパンのような瑞々しさを保つことができたのです」


 我ながら、凄い魔導具を作った物だ。

 食品にとって大敵と言える黴の繁殖を防ぎ、調湿効果によって乾燥を抑制する。

 さらには軽く、使い勝手もいい。さらに今すぐ量産化もできる。至れり尽くせりだ。


「ばっっっっっっっっかもぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおんんんんんんん!!」


 近くで火山が噴火したかのようだった。

 その大声を発したギンザー王子の顔もまた、噴火直後の活火山のように赤く、口から白く濁った息を吐いている。


「言ったはずだ! 軍備にかかわる魔導具を作れと。それがこれか。こんな薄っぺらい膜1つで、何ができる。牛のように突進してきた魔法をひらりと逸らすことでもできるのか?」

「それはできません。――ですが、この国が軍備について一番困っている問題を解決することができます」

「困ってる問題だと?」

「腐食――つまり、錆です」


 私は工房の壁に立てかけていた柄を握る。取り出したのは、2本の槍だ。先端には刃が付いていて、先ほどと同様に片方にはスライムラップを巻いている。


 水中に二日以上放置している2本の槍の先端を、ギンザー王子に掲げた。


 最初に巻いていない方は見せる。当然だけど、錆で真っ赤になっていた。

 次にスライムラップを巻いた槍は見せる。


「おお……」


 先ほどまで怒り狂っていたギンザー王子は槍の切っ先を見て、2度ほど瞼を瞬いた。

 結果は一目瞭然である。スライムラップを巻いた槍の刃はほとんどと錆びていなかった。


「ここまで差が出るとは……」


 シャヒル王子も目を丸くし、驚いていた。

 私は解説を続ける。


「湿度の多いテラスヴァニル王国の気候は、金属にとって非常に厳しい環境です。テラスヴァニル王国の男の方は魔法を使わない。主な武器は、剣や槍、あるいは大砲といったところでしょう。それらにはほとんど金属が使われています。錆は昔から問題だったはず。しかし、スライムラップは金属部分に巻いておくだけで、水気から守ってくれます」


 しかも軽く、携行にも適している。コストパフォーマンスにも優れていた。

 テラスヴァニル王国が抱える問題を一気に解決できる夢の魔導具アイテムと言っても過言ではない。


「それとも、仮に敵が攻めてきた時、錆びだらけの剣や槍で出迎えたいですか?」

「む、むむむ……」


 ギンザー王子の顔が赤から青に変わり、白い煙を吐いていた顔はすっかり落ち着いてしまった。

 それでも王子の口から、魔導具を認める発言はない。王族としての矜恃か。それともこのままシャヒル王子の思い通りになることが許せないのか。


 いずれにしろ、私は言いたいことを言った。あとはギンザー王子の胸先三寸だ。


「くくく……」


 背中を丸めていたギンザー王子は突如肩を振るわせていた。

 地面を向いていた顔を、今度は天井に向けると、大口を上げて笑い始める。


「ぶははははははは! ……いいぞ! いいではないか! スライムラップ、いいな」


 出てきたのは、絶賛の声だった。


「カトレアの言う通りだ。確かに我ら軍部にとって、錆は重大な問題だったが、これまで効果的な対策ができていなかった。よもや空気や水分を通さない膜とはな。こんな発想――頭の硬い軍人では思いつかん発想だろうて」


 ギンザー王子は自ら槍を手に取る。錆の付いていない刃を見て、満足そうに笑った。


「だが、いいのか。確かにこのスライムラップに殺傷能力はないが、武器の性能を上げるものであることは間違いないぞ。カトレア、お前は魔導具を武器として扱うことに対して、忌避感を持っているのではないか?」


 シャヒル王子とのやりとりを聞いていたのか。それとも、謁見の間で私と会った時、そこまで見抜いたのかはわからない。ただその質問は単なる事実であったので、私は素直に頷いた。


「はい。でも、料理に使う包丁も使い方を誤れば、人を殺す道具になります。魔導具も同じです。武器を錆から防ぐ魔導具も、見方を変えれば、食物を乾燥や黴から守ることができる。魔導具に罪はない。あるとすれば、それは使用者の罪です」

「『道具を恨むな。人の手を恨め』ってさ、兄貴。カトレアをけしかけてもダメだよ。もう彼女は腹を括っている。もちろん、俺もね」


 私とシャヒル王子は同時にギンザー王子を見つめる。

 その王子はまた大口を開けて、笑い始めた。


「くははははは! その通りだ。どんなに大義名分を振りかざそうが、扱う物ではなく、人こそが重要なのだ。お前たちがこの工房を使う者に値するかどうかもな」

「じゃあ、どう? 兄貴の目から見て、カトレアは工房を使うに値するのかな?」

「ふん!」


 ニヤッとギンザー王子は口端を吊り上げる。すると、私の背中をポンと叩いた。


「いいだろう。カトレア・ザーヴィナー。工房を使用する許可を与える」


 ついにギンザー王子の頭が縦に動いた。

 それを見て、足先から一気に歓喜がこみ上げてくる。私は溜まらずその場で飛び上がった。今私が使える工房はここしかないのもあるけど、仮に許可が出ずに別の工房を探すことになったとしても、後ろ髪を引かれる思いだったろう。


 まだ5日だったけど、すでに工房に対して愛着が湧いていた。

 まだ使っていない器具もある。もっともっとこの工房のことを知りたかったのだ。


「おめでとう、カトレア」

「いえ。シャヒル王子のおかげです。ありがとうございます」


 スライムラップを思い至ったのは、あの短い船旅のおかげだ。

 蚊から守る蚊帳の構造を見て、空気と水分を通さないスライムラップを思い付いたのである。


「勘違いするなよ、お前たち」


 喜ぶ私とシャヒル王子に、ギンザー王子は横やりを入れてくる。


「軍は許可を出した。だが、最初言ったが、この工房を民の血税で賄われていることを忘れるな。テラスヴァニル王国の民のためになる魔導具を作るのだぞ」

「…………」

「なんだ、カトレア。ふん。もしかして、オレ様に惚れ――」

「違います」

「早い!」


 最初会った時、粗野で乱暴な王子だと思っていた。

 でも、実体は少し違う。根本の部分ではガキ大将なのかもしれないけど、ギンザー王子は王子なりの考えがあって、きちんと発言し、物事を進めているのだろう。


 工房をすぐに使わせなかったのは、私を試すためだったのかもしれない。

 振り返ってみると、王宮をクビになった他国の錬金術師に、国の工房を使わせるのだ。

 それなりに試験(テスト)をして然るべきだろう。


 それに、これは最初会った時に思ったことだけど、ギンザー王子はシャヒル王子を卑下したりしていない。認めているかどうかわからないけど、嫌いな相手なら他の王族同様、謁見の間にいなかったはず。

 なんだかんだ言いながら手紙の内容もちゃんと知って、謁見の間でシャヒル王子を待っていたわけだからね。


「ギンザー王子って、いい人ですね。シャヒル王子にも優しいし」

「は、はあああああ! い、いい人というのは、間違いないが、シャヒルに優しいとはなんだ。もう一度言ってみろ、カトレア!」


 再び焦げ茶色の髪を逆立て、ギンザー火山は噴火した。

 いつも通り顔は赤くなっていたが、それは私には照れ隠しのように思えた。


「兄さん、それぐらいにしてやれよ。そもそもカトレアは、ギンザー兄さんにとっても大恩人なんだよ」

「恩人??」

「どういうことですか、シャヒル王子?」


 少なくともギンザー王子とは、この前の謁見の時が初対面のはず。

 まさか、シャヒル王子同様にネブリミア王国の王宮で会ってたとか? あり得る。ネブリミア王族とテラスヴァニル王族の親交は厚いと聞く。今は冷え込んでいると聞いているけど、数年前までは頻繁に王族の方がネブリミア王国を訪れていた。


 その時偶然会っていた? でも、当のギンザー王子も首を捻っていて、心当たりがないようだ。


「5年前ぐらいに国王陛下と一緒に、ネブリミア王国を訪れたことがあったろ?」

「ああ。確かネブリミア国王陛下の節目の誕生日だったはず。あの時は大変だった。ライザーが行方不明になって……」

「そのライザーを助けて、保護してくれたのが、カトレアだ」

『バァウ!』

「な、なんだとぉぉぉぉぉおおおおお!!」


 寝耳に水とばかりに、ギンザー王子は叫んだ。

 突然、私の前で膝を突き、さらに手を取った。

 目が輝いているかと思えば、今度は泣き出してしまった。


「ありがとう! ありがとう、カトレア。本当に恩に切る!」

「え? い、いえ」


 見たこともない第二王子の顔を見て、私は戸惑うと同時にシャヒル王子に目で説明を求めた。

 青い瞳の王子は苦笑しながら、事情を説明する。


「ライザーは元々兄貴が飼ってたシルバーウルフの子どもなんだ。もっとも兄貴のシルバーウルフは亡くなってしまったけどね。言わば、ライザーは忘れ形見なんだ」

「そ、そうだったんだ」


 それで号泣してるのか。よっぽど大事にしていたのね。

 もしかしてライザーの名前も、『ギンザー』から来ていたりするのかしら。なんだかそう思ったらシルバーウルフの凜々しい顔つきが、ギンザー王子の顔に見えてきた。


「そういうことは早く言え。ライザーの恩人と聞けば、すぐにでも工房を明け渡したものの」

「え? そんな簡単なことで良かったの?」


 今度はシャヒル王子と私が面を食らう番だった。

 ギンザー王子は立ち上がり、胸を反らす。そして自信満々に言い切った。


「当たり前だ! 狼好きに悪いヤツはいないからな」


 それを聞いて、少し……ほんの少しだけテラスヴァニル王国の国防は大丈夫なんだろうかと、私は思ってしまった。

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