第21話 シャヒルの秘密
王子の息づかいと、早鐘のように鳴り響く心臓の音が直に聞こえる。胸板は厚く、そしてまた熱い。一瞬、状況が理解できずさらに私は惚けた。でも、死を前にして情けなく泣き喚くよりは良かったかもしれない。
「カトレア! 大丈夫か? カトレア!!」
その時になってようやくシャヒル王子が、私に向かって必死に叫んでいることに気付く。声に熱を帯び、さらに私を掴む手に入る力が強くなっていく。ちょっと痛みが走るようになって初めて私は我に返った。
「は、はい。大丈夫です、王子」
正直に言うと、心理的には全然大丈夫じゃない。こんなに近くにシャヒル王子の顔があるのだ。さらにかすかな香水の匂いが、鈍くなった思考能力に追い打ちをかける。でも、シャヒル王子の顔を見ると、子どもの泣き顔のように表情をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうだった。
変な話だが、それを見た瞬間、「しっかりしなくては」と思い、私の精神状態は急激に元に戻っていく。
そっとシャヒル王子の頬へ手を伸ばし、赤子をあやすように撫でた。
「大丈夫です、シャヒル王子。私は無事ですから。あまりお声を上げませんように……。ここは森の中です。魔獣を呼ぶかもしれません」
シャヒル王子もまた我に返る。小さな声で「すまない」と私に謝った。
ただ立ち上がろうにも腰に力が入らない。完全に腰が抜けてしまったらしく、しばらく歩けそうになかった。
「いえ。こちらこそすみません。森に入ったのは不用意でした」
「いや、俺ももっと注意すべきだった。スライムを捕まえるだけと聞いていたから油断していた。もっと供を増やせば良かったんだ」
シャヒル王子は悔しさを滲ませる。そのお顔を見て、私はますます自分のしでかした事を悔いたが、1つ気になることを尋ねた。
「あのシャヒル王子――――」
「訊きたいことはわかっているよ。魔法のことだね」
テラスヴァニル王国では、基本的に男は魔法を使わないという掟になっていると訊いた。
しかし、シャヒル王子は今魔法を使った。それも殺傷能力の高い戦闘級魔法をだ。
「もしかして、それがご家族から嫌われている理由ですか?」
「その通りだ。父――国王陛下は、俺を含めて六人の子どもを生んだが、それぞれ母親が違う。テラスヴァニル王国は、一枚岩というわけではない。多くの少数民族が集まってできた国だ。同じテラスヴァニル人でも、髪の色が違うのはそのためだ」
その中でシャヒル王子を生み、育てた王妃は、他の奥方と比べても異質な方だったらしい。
「俺の母は、テラスヴァニル王国にある戒律を撤廃し、自由な国にしようと訴えていた。そうした母の考えは俺の教育に対する考えにも発揮されていた。戒律を重んじるテラスヴァニル式の教育方法ではなく、他国の教科書などを取り寄せて、俺に読ませていた。そこで俺はテラスヴァニル王国が他の国と比べて異端であることに気付けたんだ」
それから男がしないことに、シャヒル王子は興味を持った。
料理を始めたのは、その頃からで、あのバーガーを考案したのも興味を持つようになってすぐのことだったという。特にバーガーは国民からの受けも良く、シャヒル王子は国民の間でアイドル的な存在となっていった。「料理をする王子様」というフレーズは、国の戒律に対するアンチテーゼとして、絶好の政治宣伝の材料となり、シャヒル王子の母君の考えに賛同する者まで現れた。
しかし、不運だったのが、テラスヴァニル王国では絶対男の目に触れさせていけないと言われている魔導書が紛れていたことだった。
「その時、俺はまだ子どもだった。魔導書というものが何なのか、魔法とは何なのか、ちゃんと理解せずに、俺は魔法という未知の力に没頭した」
そして生来の知能の高さもあって、シャヒル王子は独学で魔導書を読み解き、ついに魔法を発現させてしまった。
「今でも忘れられないよ。周りの白い目を……。憎悪と恐れを……」
さすがに魔法はやり過ぎた。
槍玉に挙がったのが、やはりシャヒル王子の母君だ。王族の中でも魔法に長けた彼女が、子どもをたぶらかして、魔法を教えたと王宮で噂を広がった。次第に母君とシャヒル王子に対する風当たりは強くなり、ついに母君は幽閉されることとなったという。
「あの…………。訊きにくいことなのですが、シャヒル王子の母君はその後――――」
私は暗い顔をしたシャヒル王子に尋ねると、王子はますます肩を落とした。
「心配しなくていい。母は息災だ」
「そうですか。それは良かったですね」
「良かったものか!」
突然、シャヒル王子は声を荒らげる。
「こっちは王宮の中で針のむしろになっているというのに、当の本人は幽閉先をバカンス先と勘違いしてやりたい放題だ」
「へ――――っ?」
「この前、幽閉先から大きな
「南瓜ですか……。あは……、あはははは……」
私は苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。
王子の指摘通り、シャヒル王子の母君は随分とやんちゃな奥方だったようだ。
「だから、俺は母が罪を許され、王宮に帰ってきた時、少しでも窮屈でないような世の中にしておきたい。そう考えている」
「母君を愛されているのですね」
「俺にとって母は、母であり、そして最高の教師だからな」
そこでようやくシャヒル王子は笑顔を見せた。
自然でいて、かつ無垢な表情を見て、安心を通り越して胸を高鳴らせてしまった。頭がクラクラする。何か変なことを口走ってしまいそうで、私は王子から離れようとした。幸い足腰に力は戻っている。自分で立ち上がろうとした瞬間、逆に私はシャヒル王子に抱きかかえられた。
一瞬、私は「へっ」と惚けてしまった。自分の身体は地面と水平になり、側にはシャヒル王子の硬い胸板がある。つまり、これはどういう状況かというと……。
(待って。これって、お姫様だっこいうのでは?)
戸惑い、顔を赤らめる私の胸中を知ってか知らずか、シャヒル王子は歩き続ける。
横を歩くライザーに目で助けを求めたけど、嬉しそうな顔をして「ハッ」と口を開けるだけだ。
「カトレア、今日は見たことは他人に口外しないでほしい。俺が魔法を使えると知っているのは、王族の他にステルシアだけだ」
「ステルシアさんも知ってるんですか?」
そう言えば、ステルシアさんの姿がない。森の入口で待機しているのだろうか。
「あいつの顔に小さな古傷があるだろ? あれは俺が初めて魔法を使った時に付いたものだ」
「そう――だったんですか」
シャヒル王子とステルシアさんの関係って、主従の枠を超えていると思っていたけど、そんな関係があったなんて。ということは、幼馴染みということかな。
小さなシャヒル王子と、ステルシアさんの姿を思い浮かべると、ちょっとほっこりしてしまう。
「それと、カトレア。もう1つ君に聞いてほしいことがある。王宮でのことだ。……兄貴――ギンザー王子と取引した時、俺は一瞬でも君に失望してしまった。工房を得るためとはいえ、君は軍備に関する魔導具を作ると言った。武器を作るものだと疑った」
ああ。そうか。シャヒル王子が武器に対する激しい嫌悪は、多分己に向けられているのだ。
男でありながら、魔法を使える彼は、国のものから見れば、一振りの剣に等しい。いや、それ以上かもしれない。それはシャヒル王子も痛いほど理解していて、だからこそ激しい拒絶に繋がったのだろう。
「兄さんに言いように言われて、少し卑屈になっていたかもしれない。つい君に当たってしまった。許して欲しい」
「いいえ。私の方こそシャヒル王子のお心を理解せぬまま出過ぎた申し出をしてしまいました。申し訳ありません。それと祖父が昔申してました。『道具を恨むな。人の手を恨め』と……。月並みですが、武器も魔導具も、シャヒル王子が使う調理器具とて人を殺す道具になります。要は人の手であり、人間なのだと思います。シャヒル王子は魔法で私を助けてくれました。王子は戒律に背いたかもしれませんが、それでも間違った使い方だったとは私は思えません」
「……ありがとう、カトレア。その言葉、肝に銘じておこう」
ようやくシャヒル王子は笑う。
目の色と相まって、清々しい青空を見たように私は目を細めた。
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