第20話 素材採集

 魔工師の仕事というと、工房に籠もって設計、開発、製造だと思われるかもしれないが、自分が作る魔導具の材料の選定・調達もまた大事な仕事だ。


 材料は主に金属というイメージが強いが、それは主に強度が必要な時だけである。

 実は金属というのは、銀や魔法銀以外では魔法との親和性はあまりない。魔工師は魔力伝達率といったりするのだが、鉄が3割に対して、魔力を栄養素とする害獣――所謂魔獣と言われる動物の牙や骨といったものは、8割以上に及ぶ。


 精霊石の魔力をロスなく使用するのであれば、魔獣の一部を用いる方が遥かに効率的なのだ。

 現在の魔導具のトレンドは『混成ハイブリツド』が主流である。精霊石の魔力を受ける受信部を魔獣などの魔力伝達効率がいいものを使用し、実際駆動する部分を耐久性の高い金属で補うのだ。


「説明はわかったよ。で、カトレアは何の魔獣の狩るんだい。俺にこんな恰好までさせて」


 シャヒル王子は腕を広げ、自分の姿をしげしげと眺めた。

 半袖のシャツに、ショートパンツ。赤いスカーフを首に巻き、さらに単眼の遠見鏡をぶら下げている。茶色のブーツに、白いソックス。頭には柄付きの帽子を被り、全体を濃い目のベージュで合わせていた。


「これが伝統的な素材採集の恰好なんですよ」

「こんなものまで用意して。昆虫採集の間違いじゃないのかい?」


 シャヒル王子は手に持った虫取り網を見て、首を傾げた。


「指摘は間違ってはいません。ちなみに作ってくれたのは、ステルシアさんです」

「短納期で大変でした」


 ステルシアさんは清々しい汗を拭う。もちろん彼女も同行するらしく、私やシャヒル王子同様、半袖、ショートパンツ姿だった。

 シャヒル王子も、ステルシアさんも案外似合っている。美男美女は何でも似合うから羨ましい。


「じゃあ、参りましょう」

『バァウ!』


 最後にライザーが勇ましく声を上げると、私たちと一緒に歩き出した。

 今から何をするのかわかっているのか。尻尾の振り方に気合いが漲っているように感じる。


 素材採集といっても、テラスヴァニル王国に鬱蒼と茂る森にまでは入らない。今回の採集の舞台は王都の周りに広がる小さな平原だ。この辺りは背の低い草木に覆われているものの、比較的視覚が少なく安全だった。


 周りを見渡しただけでは、魔獣の姿はどこにもいない。

 だが、私は自分が求める魔獣が絶対にいることを確信していた。


(この辺りも湿度は高いし、水源も近い。かなり高確率でいると思うんだけど)


 草木を避けながら探索を続けること30分、私はついにお目当ての魔獣を見つけた。


 その魔獣には目もなければ、口もない。あるのは、トロルのお腹のようなポヨポヨとした身体だけだ。恐ろしいことに無軌道に動き回り、予測は困難。しかも一度身体に取り込んだ食物を、溶かしきるまで離さないという執念深さまで持ち合わせている。


 名前はスライム。凶暴な魔獣の中でも、一番弱いとされ、基本的に鞭毛や繊毛を持たない、仮足で移動する原生生物である。


 スライムは豊富な水源と、湿気がある場所を好む。そういう意味では、テラスヴァニル王国はスライムにとっては非常に住み心地の良い土地と言える。

 私は抜き足差し足と慎重に草葉に隠れたスライムに近づく。一度息を整えると、一気にスライムに向かって網を振り下ろした。見事、スライムが網の中でバタバタと暴れる。それを見て、慌ててシャヒル王子とライザーが走ってきた。


「カトレア、大丈夫かい?」

「大丈夫です」


 しばらく網を被せたまま私はスライムの様子を窺う。なんとか脱出しようと網の中で暴れていたスライムだったけど、次第に大人しくなった。


「観念したのかな?」

「いえ。網に鎮静効果のある薬を塗っておきました。数時間は動かないと思います」

「鎮静……? なるほど」

「この調子で、あと五、六匹捕まえましょう!」

「わかった!」

『バァウ!』


 それから私たちは昼頃までスライムを捕獲し続けた。


 幸先よく1匹捕まえた私はすぐヘロヘロになってしまった。全く運動していなかったわけではないが、やはり体力が続かない。わずかにぬかるんだ地面も体力を奪う一因になっていた。


 一方、シャヒル王子も捕獲のコツを掴んだらしく、立て続けに三匹捕まえる。何より楽しそうだ。虫取りに来た子どもみたいにスライムを追いかけている。私もヘロヘロだったが、せめてあと1匹捕まえようスライムを追いかけた。


「しまった! 逃した!!」


 スライムは本気になると、かなり素早い魔獣だ。あっという間に私との距離が開いていく。

 だが、その先にいたのはライザーだった。


「ライザー、そっちにいったわよ」

『バァウ!』


 ライザーは足を広げて、スライムを待ち受ける。シルバーウルフの迫力に、さしもの魔獣も慌てたのか、急に右に曲がる。そのまま森の中へと逃げ込んだ。


「待て!」

「カトレア! 待って!! 森の中に入るのは危険だ」


 私は無我夢中で、スライムを追いかける。


 スライムは素材として決して難易度が高いわけじゃない。むしろ初心者に優しい方だろう。スライムより強い魔獣が潜んでいるかもしれない森の中に入る危険を冒すぐらいなら、もっと草原を見回して捜した方が良かったはずだ。


 だけど、その時の私は前しか向いていなかった。ギンザー王子と、引いてはシャヒル王子の信頼を勝ち取るために。


「えい!」


 私は茂みに隠れていたスライムを見つけて、捕獲する。よし! これで数は揃った。1つ目標をクリアしたことで、私の心は震え上がる。だけど、それは一瞬のことだった。


『グルルルル!』


 喉を鳴らす音が聞こえる。ライザーかと思い顔を上げると、私の前に現れたのは、ソーウルフだった。ライザーと同じぐらい大きな狼型の魔獣。口の中にはビッシリ細かな牙が並んでいて、まるで鋸を想起させることから名前が付いた。

 そしてスライムより遥かに凶暴な魔獣だ。


(ダメ……。逃げなきゃ!)


 と考えていた時には遅かった。

 ソーウルフが土を蹴って、私に飛びかかってくる。

 私にできることといえば、ただ現実から目を逸らすことだけだった。


『バァウ!』


 銀光が一閃する。直後、ソーウルフの顔面に3つの筋が浮かび、どす黒い血が迸った。

 たった一撃で勝敗は決した。勇ましく私に向かって襲いかかってきたソーウルフは、鼠のような声を上げて逃げていく。私は呆然とそれを見送り、助けてくれた銀毛の勇者を見つめた。


「ありがとう、ライザー」

「カトレア!」


 王子の声が聞こえて、私は振り返る。




「後ろだ!!」




 そこにいたのは、眉目秀麗なシャヒル王子の姿ではない。

 ただ満月の夜に変身したような大狼が大きな口を開けて、私に飛びかかろうとしていた。

 目の端でライザーが動いたのを見ていた。けれど、間に合わない。その前に獰猛な狼の牙が私の肩に食い込むだろうことは、時間と距離と速度を計算しなくてもわかった。

 今度こそと思った時、声が聞こえた。


 【風槍(ウィンド・スティング)】!


 魔法の呪唱が聞こえた直後、大狼が見えない刃によって串刺しになったのが見えた。その衝撃波凄まじく、私の頭を越えて背後にあった木の幹にソーウルフは叩きつけられる。当然、息は絶えていた。


 すごい。知識では知っていたけど、初めて見た。今のはきっと戦闘級魔法だ。

 薪に火を付ける程度の魔法を生活魔法といったりするのだけど、戦闘級魔法は名前の通り生き物を殺傷できる威力を持った魔法を指す。見ての通り、魔獣を吹き飛ばすほどの力があり、殺傷能力は異常に高い。


「カトレア!!」


 ボケッと魔獣の遺骸を見つめていた私の身体が急に引っ張り上げられる。

 気が付けば、シャヒル王子の胸元に寄りかかるように抱きしめられていた。

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