第11話 金でも銀でもない
王宮の城門が開いていく。
錬金術師だった頃、私はは王宮の裏門を利用していた。3年務めていたけど、正門を通って王宮に入るのは初出勤以来だ。
昨日まで通勤していたのに、正面から見た王宮は別のお城に見えた。見る角度が変わるだけで、これほど違いがあるのか驚く。城門を通ると、馬車は一旦地下へと入っていった。王宮地下全体が馬車の停留所のようになっていて、国章の付いた馬車がいくつも並んでいる。
「こんなところがあるんだ……」
思わずジロジロと眺めてしまう。魔導具工房のことは隅から隅まで知っているが、王宮のこんな一面を見るのは初めてだった。
「こちらですよ、カトレア様」
振り返ると、ステルシアさんが白亜の大理石の階段の上に立っていた。ちょうど1階から差し込む朝日を背中に受けている。アメジストのような艶のある長い髪に、緑の瞳が輝いて見えた。
こめかみに傷があっても綺麗な人だ。どこか強さを感じる。折れない鋼のような……。
私は思わず呆然と彼女を眺めてしまった。
「羨ましいなあ……」
「いかがしましたか?」
「あ、いえ……」
階段を上ると、いよいよ王宮の中心部だ。
上級家臣や国賓、そして王族方が立ち入ることのある区域で、家臣の間では〝聖域〟と呼ばれていた。しかし、その名にふさわしい場所だ。エントランスに大きなシャンデリアが下がり、そのままダンスホールにできそうなほど広い。各部署へと続く廊下には絨毯が敷かれ、壁には数々の名画や動物の剥製などが飾られていた。
私が通っていた工房と同じ場所にあるものとは思えない。
まさしく別世界が広がっていた。
王宮勤めをしていた私ですら知らない世界なのに、ステルシアさんは自分の城のように迷うことなく、廊下を進む。
しばらく歩いた後、私は部屋に通され、そして息を呑んだ。
凹みのない綺麗な鏡面のドレッサーに、金細工の取っ手がついた化粧箱。側にあった引き出しを引くと、目も眩みそうなほどの宝石が丁寧に綿の入った布に収まっていた。空気穴のついた折れ戸を開くと、ずらりと色とりどりのドレスがかかっている。
王宮の化粧室だ。なるべく身綺麗に見えるようなワンピースに、上等な皮の上着をかけてきた。でも、鏡に映った自分はまるで男の子みたいだ。こんな恰好で王宮の廊下を歩いていたかと思うと、急に恥ずかしくなってきた。
「カトレア様、こちらにおかけ下さい」
「ステルシアさん、私は本当にこんなところにいていいのでしょうか?」
「何かご不安がございますか?」
無意識に私は髪を触っていた。自分が一番気にしているからだろう。
私の髪の色は金でもなければ、銀にもなれない中途半端な色をしている。光の当たり具合によっては、色素の抜けた白髪みたいに見えることもあって、子どもの頃は「おばあちゃんの髪」とからかわれたことが、トラウマになっていた。
特に飾ることなく、頭の上がペタッとなるぐらいキツく後ろで結んでいるのも、なるべく他人から髪を見えないようにするためだ。
「御髪が気になるのですね? わたくしは綺麗だと思いますよ」
「そう……でしょうか……」
「金でもなければ、銀でもない。それはつまり、金にも銀にもなれるということですよ、カトレア様」
「金にも? 銀にも?」
するとカトレアさんは、私をドレッサーの前に座らせる。
私の両肩に手を置くと、優しく微笑んだ。
「はい。ですが、金も銀も人の目に初めて触れる時は、ただの
ステルシアさんは一肌ほどのお湯を用意し、私の髪を洗い始めた。
お湯が馴染むように手を一方向に動かし、丁寧に髪を濡らしていく。慎重に本当に鉱石の中に含まれた金や銀を傷付けないように慎重に馴染ませていく。次に洗髪剤を手に付け、毛先を転がすように泡立てていった。全体的に泡立たせると、ゆっくりとマッサージするように髪を洗い始める。
気持ちいい……。
頭のことなのに、全身をほぐされているみたいだ。
貴族の中には、専属の理髪師がいて、こうやって髪の手入れを行っていることは聞いたことがあるけど、今がその状況なのだろうか。
いつもの私なら軽く洗髪剤を付けて、お皿みたいにごしごしと洗うだけだ。でも、今ステルシアさんがやってることは、全然違う。髪に対するいたわり方というか、敬意そのものが違って見えた。
「かゆいところはございませんか?」
「え? いえ。大丈夫です。……とても気持ちいいです」
ステルシアさんの繊細な指先が、毛先をなぞるだけで身体の弛緩していくのがわかる。
「これで、私の髪が金にも銀にもなるのでしょうか?」
「ええ……。楽しみにしていて下さい」
まさか王宮に来て、こんなことをされるとは思わなかった。でも、随分と念入りに髪を洗っているけど大丈夫なのかな。審理まで時間が…………。
あまりに気持ち良すぎて、私は寝てしまった。
実は昨日はあまり寝られなかったのだ。
耳元で水が跳ねる音を聞きながら、私は心地よい睡魔の中へと沈んで行った。
「カトレア様」
肩を揺すられ、瞼を開ける。
一瞬自分がどこにいるのか忘れて、呆然としてしまった。寝ぼけ眼の視界はとても朧気で、煌びやかなドレッサーの前に座っていることすら忘れていた。
それ以上に驚いたのは鏡に映った自分の姿だ。
「これ……。私なの??」
戸惑うのも無理はない。唇に薄い桃色の口紅をさし、軽く化粧されていることはすぐにわかった。
それ以上に変わっていたのは、あの髪だった。
金でもなければ、銀でもない中途半端な髪に、天使の輪のような光が差している。
「素敵なプラチナブロンドですよ、カトレア様」
鏡の中に映った私を見て、ステルシアさんは歯を見せて自分のことのように喜んでいる。
ずっとコンプレックスだった。だけど、今その髪に私は釘付けになり、目を離すことをも困難なものにしていた。
金でも銀でもなかった私の髪の中から出てきたのは、白金だったのだ。
まるで自分が生まれ変わったかのようだった。いや、多分今日この場所で私は生まれ変わる。生まれ変わらなければならない。決意を表すためにも、前に進むために私はここに来たのだから。
「ステルシアさん、お願いがあります」
振り返った私の顔を見た時、ステルシアは綺麗な眉宇を動かす。
そして胸に手を置いた後、「かしこまりました」と微笑んだ。
審理に向かう用意が調い、私はステルシアさんと一緒に外に出る。
審議室に向かう道すがら、正面からラグリーズ局長の声が聞こえてきた。
「君の元婚約者はとんでもない女だな。どうやって、あの異国の王子をたらし込んだのか知らんが、国王陛下まで巻き込むとはけしからん! 不敬にもほどがある!!」
ラグリーズ局長を先頭にして、開発部長、製造部長、髭剃り具を作った魔工師、最後尾にパストアという順番で正面の廊下から歩いてきた。最初に私たちに気付いたのは、そのパストアだ。私の方を見て、小型犬みたいな丸い目がみるみる大きくなっていく。
「カトレアなのかい?」
パストアが驚くの無理もないだろう。私自身すら驚いているのだから。
今、パストアの瞳に映っていた私は、全く別人になっていた。金でも銀でもなかった髪は、白金色に変わり、肩甲骨よりも下まで伸びていた髪は肩先付近までバッサリと切られ、その毛先は軽くカールしていた。
服装も髪に会わせて、象牙色のコートに下は着ていた黒のワンピース。少し腰回りを引き締めるためにバックルを付けて、軽くなった首には守護石の付いたネックレスが下がる。
化粧は薄めだけど、普段付けている口紅の色が違うだけで、我ながら随分と印象が変わっていた。
「カトレア・ザーヴィナー……」
パストアは呆然としていたけど、ラグリーズ局長は違った。肩を怒らせると、親の仇を見つけたみたいに私の方を睨む。
一瞬、怯みそうになった私を受け止めたのは、シャヒル王子だった。
テラスヴァニル王国の正装だろうか。ゆったりとした袖口の変わった着物に、唾の広い大きな帽子を被っている。基本的に白を基調とし、袖口やボタンなどは金色に光っていた。
「やあ、ラグリーズ局長。先日はどうもお世話になった。今度は、もっと魔導具の話を聞かせてほしいものだね」
「シャヒル殿下! せ、先日は中座して申し訳ありません。火急の用件があり、そちらをどうしても対処しなくてはならず……」
「別に気にしていないよ。君の部下が色々教えてくれたおかげで、とても勉強になった。感謝する。あなた方の国の女性はとても優秀で、美しい」
「そ、それはようございましたな」
あのラグリーズ局長が、私とそう歳の変わらない王子を前に息を呑んでいる。
思わず吹き出しそうになったのだが、また恨みを買いそうなので堪えた。
「今日はよろしくお願いします」
こちらから頭を下げると、ラグリーズ局長は苦虫を噛み潰したよう顔をし、さっさと奥の審議室へと入っていった。その後をパストアが追いかけて行く。
私は一度、深呼吸する。さすがにああまであからさまに睨まれると恐怖を覚えないわけにはいかなかった。それでも立っていられたのは、シャヒル王子とステルシアさんが私にかけてくれた魔法のおかげだろう。
もう私は王宮から出て行ったカトレア・ザーヴィナーではないのだ。
「大丈夫、カトレア?」
「はい。私たちも行きましょう」
資料を小脇に持ち直し、私たちも審議室へと入っていった。
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