第10話 父の優しさ

 翌日、シャヒル王子は夕方頃になって、ザーヴィナー商会に現れた。


 もたらされた情報はすべて良い方向のものだった。

 まず国王ラーカス・グェン・ミル・ネブリミアが立ち合い人になることが決まった。国王は王宮側の人間だけが、それでも公平に審議してくれることを約束してくれた。さらに、国王命令によって、ラグリーズ局長に対し不良品の提出命令が出されたことも、合わせて報告された。


 すべては思い通りに進んでいたけど、悪い知らせもあった。


「審議は明日行われることになった」

「え? 随分と急ですね」

「ラグリーズ局長が明後日から急に国外出張が決まったらしい。帰ってくるのは3ヶ月後だ」


 時間を与えれば与えるほど、向こうが有利になる。

 流れは私たちの方にある。けれど、時間をかければ如何様にでも向こうは立ち回れる。3ヶ月間のうちに、不良品を紛失してしまったと言って、乗り切る気かもしれない。


 それにシャヒル王子がいつまでネブリミア王国にいられるか不透明だ。

 今、シャヒル王子がいるからこそ私たちは戦えているけれど、王子いなくなれば王宮の橋渡し役がいなくなってしまう。


「明日ですべてを決めなければならないということですね」

「ああ。ラグリーズ局長の出張は正式な手続きを踏んでいて、すでに相手国とのスケジュール調整も済んでいるそうだよ。急なキャンセルは相手国の失礼に当たるから、国王でも難しいらしい。すまない、カトレア」

「いえ。決着を付けるなら、早い方がいいです」

「その通りだ。準備ができていないのは、向こうも同じだからね」

「ラグリーズを甘く見ない方がいい」


 盛り上がる私たちに冷や水を浴びせたのは、父だった。

 珍しく工房から出てきた父は、「よっこらせ」と側にあった椅子に座る。


「父さん、ラグリーズ局長を知ってるの?」

「魔工師学校の同期だ。魔工師としての腕もあったが、政治もうまい奴だった。俺と違って、周りにいつも誰かがいた。それも貴族の息子や息女だ」

「お父上。仮に明日ラグリーズ局長が何かしかけるなら、何をしてくると思いますか?」

「さあな。俺はそういう分野には頭が回らねぇ方だからよ。でも、ラグリーズは勝てない戦さはしないタイプだ。どんな手を使ってでも勝ちにくるはずだ。正攻法で戦ったら、痛い目を見るぞ。相手の裏の裏を掻く必要がある」

「相手の裏の裏……」


 父は甕に入った水を口に含んだ後、それ以上何も言わずまた工房へ戻ろうとする。


「待って、父さん」

「あん?」

「今日、1日だけ工房を貸してほしいの。お願い」


 私は頭を下げた。





 魔工師にとって自分の工房を持つことは憧れだ。

 同時に魔工師にとって、工房は魔導具を作るための手足である。

 だから、基本的に魔工師たちは独自の工房を持っている。中には人に触られたくないと考える魔工師もいる。きっと父もその一人だ。

 しかし、父はあっさり私に工房を明け渡し、眠ってしまった。

 すでに陽は落ち、私は暗がりの中作業を続けている。


 ある魔導具を作るためだ。


 魔導具を作るのにも、精霊石によるカットと同じく高い集中力が要求される。何故なら魔導具を作る道具はすべて魔導具だからだ。中には精霊石を介して出力を調整するものもあるが、ほとんどが直接使い手が魔力を送って動かすものが多い、

 魔力量を少しでも間違えれば、作ろうとする魔導具が屋根の上まで吹っ飛んでいく可能性もある。


 さらに言うと、今私が作ろうとしてる魔導具に図面はない。

 私の記憶だけが頼りだ。

 それなりに記憶力には自信があるけど、集中力が切れてくればわからない。

 不安があったが、とにかく作業を進めるしかなかった。


「カトレア、大丈夫?」


 シャヒル王子が気付けに珈琲を持ってきてくれた。

 ライザーも励ますように私の脇を舐めてくる。

 珈琲と一口飲む。すでに頭がぼうとして、舌の感覚がなくなっている。

 今飲んだ珈琲が苦いのか、甘いのかもわからない。きっと私は今ひどくやつれた顔をしているだろう。本音をいうと、シャヒル王子に見られたくないのだけど、今は手を動かすしかなかった。


「カトレア、少し休んだ方が……」

「いえ。このまま続けます」


 時間は深夜鐘(0時)をとっくに過ぎていた。人間の営みは止まり、王都をうろついているのは、野犬ぐらいだ。その最中にあって、ザーヴィナー商会の工房だけが時折騒がしい音を立てている。近所迷惑この上ないのだが、徹夜は父もよくやるのでこの辺の住民は慣れていた。


 ご近所に申し訳ないと思いながら、私は作業を続ける。

 その度に、自分の至らなさに気付く。祖父なら、父なら、もっと腕のいい魔工師ならすでにできあがっていてもおかしくないものなのに。


「……まだまだだわ」

「そんなことはないよ、カトレア。俺は信じているよ」

「君はきっと凄い魔工師になる。……魔導炊飯釜を見た時、俺にはその確信があった」

「シャヒル王子…………」

「おやすみ、カトレア」


 魔導具の部材に置いた私の手に、シャヒル王子の手が重なる。

 ダメだ。さらに眠気が……。まだ……私…………。魔導具が…………でき…………。

 限界を迎えた私は、ついに瞼を閉じてしまった。




 ◆◇◆◇◆  シャヒル  side  ◆◇◆◇◆




 ずるりと腰掛けていた椅子からカトレアが落ちそうになると、シャヒルは待ち構えていたかのようにしっかりと支えた。随分と頑張ったが、限界はとっくに超えていたのだ。

 カトレアがとある魔導具を作ると言い始めた時から、シャヒルには何となくこうなることがわかっていた。どう考えても、無茶だったからだ。


 すると工房にカトレアの父ヴィルベルトが現れる。


「やっぱり寝ちまったか?」

「ええ……。お父上の言う通りでした」

「全く……。少しは親の脛を囓っても罰は当たらないのによ。ひよっこが無茶しやがって」

「多分、カトレアはあなたの言いつけを守っただけなんだと思います。自分でやると覚悟を決めたからこそ、今度こそ最後までやり通そうとしたんだと思います」


 覚悟を決めたなら、最後までやり通せ。


 父からカトレアに贈られた言葉の一つだ。彼女はこの言葉を後生大事にして、守ってきた。けれど、結局それを破ってしまったことに、カトレアはずっと罪悪感を感じていた。だからこそ、今度こそ守りたかったのだ。父との約束を……。


 ヴィルベルトは自分の頭を撫でる。


「馬鹿野郎め……。一途すぎるんだよ、お前は」

「ええ……。あなたに似て」


 シャヒルが少し嬉しそうに言うと、ヴィルベルトは頬を染めて、また頭を撫でた。

 王子を覗き見るみたいに視線を送ると、こう言った。


「あんた、いい男だな」

「……でもないですよ。彼女の頑張りを妨げたんですから」


 シャヒル王子はカトレアを毛布にくるむと、そのまま持ち上げ、横に抱く。

 体勢が変わっても、カトレアは変わらずスヤスヤと眠っている。極度の集中と極度の疲労。それでも使命感から彼女は眠気に打ち勝ち、作業を続行してきた。強い集中力を断ち切ることは、容易なことではない。

 外部からの力を用いなければ……。


「魔法か……。いや、でも確かテラスヴァニル王国は――――」


 すると、シャヒル王子はカトレアを抱いたまま指を一本立て、「しーっ」と小さく囁いた。


「後はお任せしてもよろしいですか、お父様」

「おう。任せておけ。……ひよっこのより数倍うまく作ってやるよ」


 ヴィルベルトは馴染みの意味に腰掛け、早速作業を始める。

 工房から出て行こうという時、ヴィルベルトは机を見ながらシャヒルに言った。


「王子様よ」

「はい。なんでしょうか?」

「その……『お父様』ってのは辞めてくれ。俺も娘の父親だからよ。心臓に悪いんだわ」


 一瞬、シャヒル王子はキョトンした後、小さく笑った。


「わかりました。ヴィルベルト殿」


 工房のドアは静かに閉まった。


 ◆◇◆◇◆


 翌日――。


 つい今し方起こったことに私と母さんは唖然としていた。

 ザーヴィナー商会がある通りは、王都の中でも下町の部類に入る。行き交うのは勉強を放り出して遊びに行く子どもか、煤で汚れた作業着を着た労働者だ。たまに通る馬車も見窄らしく、引いている馬も痩せていて、良血馬と違って頭が下がった老馬ばかりである。


 二頭立ての馬車でも珍しく、かつ貴族の方たちが乗るような客車なら、珍品も珍品。

 だが、今ザーヴィナー商会の前に止まった馬車は、三頭の馬に白い塗装がなされた客車を引かせていた。三頭とも毛艶のいい良血馬で、客車の車輪は鉄が使われている。御者の持つ手綱にすら、一流の仕事の跡が窺えた。


 一体、どんなお大臣が出てくるのかと思ったけど、出てきたのはメイドだ。ただ普通のメイドではない。着ているものこそ王宮のメイドと似たロングのスカートにエプロン姿ではあったけど、口元を布で覆っていた。目元まわりの肌からして、テラスヴァニル王国の方だとすぐわかったが、シャヒル王子とは違い、髪の色は赤というよりはほとんど紫に近い。目の色は緑だった。


 ミステリアスな魅力を持つメイドさんだったが、右のこめかみに古い傷の痕があって、折角の美人顔を台無しにしていた。女の私でも背筋がぞくりとする不思議な瞳と目が合うと、女性はスカートを摘まみ、お辞儀した。


「カトレア様、いらっしゃいますね?」

「はい。そうです。あなたがシャヒル王子の使いの方ですね」


 昨日、すでにシャヒル王子とは打ち合わせをしていて、迎えが来ることは知っていた。

 まさかこんな豪華な馬車がお出迎えとは……。さすが王族。見事に予想の上斜めだ。

 ちなみにシャヒル王子は今朝方、王宮に戻られたらしい。色々とやることがあるらしく、代わりにやってきたのが、今私の目の前にいるメイドさんというわけである。


「シャヒル殿下の身の回りのお世話をさせていただいております。ステルシアと申します。本日は殿下に代わってお迎えに上がりました。よろしくお願いします」

「王子から伺っております。こちらこそよろしくお願いします」


 ステルシアさんの美貌に呆然としていた私は慌てて頭を下げる。

 私は振り返って、見送りに来てくれた母と『熊の台所』の女将さんに別れの挨拶をした。


「母さん、父さんは?」

「まだ寝てるよ。徹夜仕事が堪えたんだね。全く……。子どもの晴れ舞台なのにねぇ」


 私が自分のベッドで目を覚ました時、例の魔導具はすでに工房の脇に置かれ、完成していた。


 どうやら父が残りの作業をやってくれたらしい。起きてきたら、礼を言おうと思っていたけど、母さんの言う通り徹夜が堪えたようだ。いつもの仕事時間になっても、起きて来なかった。


「そんなことより、カトレア。大丈夫かい?」

「うん。大丈夫。おかげさまで頭もスッキリしてるわ。……じゃあ、行ってきます」

「ああ。しっかりやってきな」


 こうして私は馬車に乗り込む。

 白い客車付きの馬車が珍しいのか。たくさんの野次馬に囲まれながら、馬車は動き出す。

 気合い十分といった馬たちの足は、いくつもの尖塔が立つ王宮へと向けられていた。

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