第9話 保冷袋とアイスクリーム
昼過ぎ――。
パストアはすぐに戻ってきた。どうやらお昼も食べず出てきたらしく、挨拶の前に私たちに腹音を聞かせる。もはや彼には呆れ返るしかない私たちは、朝食の残りを少し分けてあげた。ラグリーズ局長の娘は料理が苦手らしく、わざわざ女給を雇って弁当を作らせていると、自慢話にもならないどうでもいい新婚生活の話を聞かせてくれた。
私は早速パストアからもらった図面を見たが、問題は見当たらなかった。
やはり設計上のミスではないのかと思ったが、いくつか不審な点があった。
図面に改訂番号が振られていたのだが、その内容が書かれていなかったことだ。もう一つ不審な点は、日付が二年前にも関わらず、使われている紙が最近変更されたみたいに真新しいことだった。
次に、精霊石からの動力を伝える軸の寸法が変わっていたことである。
実はこの図面は、精霊石のカット図面を作る際に、目に穴が開くほど見てきた。開発・設計を手がける魔工師と喧々諤々の議論をして、精霊石が入るスペースを確保しようとしたからだ。パストアも間に入って、ほぼ喧嘩のような状態になったけど、最終的に私たちの主張は認められ、安定的な出力を生み出す精霊石の開発に繋がった。
開発当初から気になっていたけど、先ほどの軸の寸法が強度に耐えられないのでは、という懸念があった。片手で使えるように軽さを求められた結果なのだろうが、だとしてもかなり細い。それとなく担当の魔工師に振ったが、その点にはついては職分侵犯だといって、門前払いだった。
仮に改訂された軸の寸法の強度が弱くて、さる御仁が怪我をしたというなら、それは完全に開発部の設計にそもそもの問題があったということになる。そして、それを仮に開発部が知っていて、隠蔽していたとしたら、大きなスキャンダルになるだろう。
「はあ……。一体、私は何をやっているのだろう」
みんなの言う通り、もう私は王宮錬金術師でも、魔工師でもない。一介の商会の娘だ。何の権力も持っていないし、多少魔導具の知識があるぐらい。
そんな私が例え王宮に出向いて、強度不足を暴いたところでもみ消されるに決まっている。国家という圧力は最悪、私や周りの人間にも迷惑がかかる恐れがある。このまま何もせずにパストアの言うことを唯々諾々と飲む方がよほど賢い選択かもしれない。
でも、やっぱり見過ごせない。
魔導具を愛する者として……。魔工師になることを夢見た人間として……。
それにこのまま放っておけば、王宮側の思うツボだ。
私は設計ミスを犯した元錬金術師として吊るし上げられることになる。
「カトレア」
「ひゃっ!」
考え事をしていた私の頬に突然、冷たい何かが押し付けられる。
私はビックリして振り返ると、そこには気さくな笑みを浮かべたシャヒル王子が立っていた。
「失礼。君があまりに隙だらけだったので、悪戯心がつい――。お詫びと言ってはなんだけど、どうかな?」
シャヒル王子が私に差し出したのは、木皿に入った白いアイスクリームだった。
私は言われるまま口を付ける。
おいしい……!
当たり前だけど、アイスクリームだ。甘く、冷たく、口の中で溶けていく。風味は独特で普通のアイスとは違うけど、十分おいしい。飾り気のない味は私を童心に帰らせてくれた。栓で詰まったような頭を程よく溶かしてくれる。
「どう?」
「おいしい。身体がちょうど甘い物を欲しがっていたみたいで」
「それは良かった」
それにしても、いつの間に作ったのだろう。定番のおやつだけど、アイスはアイスで作るのに時間がかかる。うちには氷室があれど、原始的タイプのものだ。『水』の精霊石を密閉した箱の中に入れるだけ。構造は簡単だが、さほど冷えるわけではない。ちなみに製氷はできないから、氷を作りたい時は、別の魔導具を使う。
最新式の魔導氷室は冷えて、中で氷も作ることが可能だが、かなり大型な上に値段も高く、一般向けというよりはまだ業者向けだ。
「どうやって作ったんですか?」
「そんなに難しくはない。やろうと思えば、子どもでも作れるよ。これを使ってね」
シャヒル王子が取り出したのは、保冷袋だった。
名前の通り、外気温の影響から中のものを守る構造の魔導具で、氷なら溶けずに半日ぐらいは保つと言われている。秘密は内袋と外袋の間に、ぶよぶよした素材だ。これは『水』の精霊石を粉状に砕いたものを水で溶いたもので、当時画期的な新素材として大々的に報じられていた。
そしてそれを作ったのが、何を隠そう私の祖父なのだ。
保冷袋はその後飛ぶように売れて、ネブリミア王国を超えて全世界に向けて売られている。需要に対して供給量が追いつかなかったため、祖父はこの権利を国に売ったが、サーヴィナー商会の躍進のきっかけとなったヒット作の1つである。
「さっき母君に聞いて、ビックリしたよ。うちでも使ってる保冷袋をまさか元はサーヴィナー商会の商品だったなんてね」
半ば興奮気味にシャヒル王子は作業を続けている。
まず保冷袋の中に、製氷の魔導具で作った氷を入れて、塩と混ぜる。次に一つサイズの小さな保冷袋を選び、そこに牛乳、砂糖、
「あとは、振ったり揉んだりするだけさ。やってみる?」
私はキンキンに冷えた保冷袋を受け取り、言われるまま振ったり揉んだりしてみる。
5分後、保冷袋を開けてみると、本当に先ほどのアイスクリームができあがっていた。食べてみると、先ほどと変わらないアイスクリームの甘い味が、口の中に広がり、火照った私の顔を冷やしてくれる。魔法ではない魔法ような出来事に、私は目を丸くした。
「これも俺の時短テクニックの一つさ」
「時短? そう言えば、干し茸の出汁の時もそのようなことを……」
「俺はこういう料理時間を縮める技術が好きでね。色々考えては実践してるんだよ」
「どうして、そのようなことを?」
「料理以外の時間ができるからさ」
「料理以外って……。シャヒル王子はお料理が好きなのでは?」
そもそも王子は時短なんかしなくても、たくさんの召使いがいるはずだ。
そういうものたちに任せれば、いくらでも時間を捻出できるのに一体どうして?
「ああ。好きだよ。でも、料理って生きるために毎日必要だろ。朝昼晩調理に2時間かかるとして、食事に1時間。毎日9時間も料理のことをしているんだ。それがとても無駄なことのように思えてね。だから、せめて調理の時間ぐらい短くできないかなって思ったんだ」
シャヒル王子の言っていることはわかる。私も仕事で忙しい時、ご飯を食べながらお腹が空かなければこの1時間を仕事や、身体のケアに使うことができるのに、とふと思う時がある。
食事はとても大切だ。でも、時間をかけたからといって、料理の美味しさや愛情の大きさに必ずしも繋がるわけじゃない。逆に時間をかけないことによっておいしいものが食べられるなら、それはとても素晴らしいことのように思えた。
実際、私は15分足らずで完成したアイスに、今感動しているのだから。
「ところで事情は聞いていたよ。カトレアはどうしたいと思ってるのかな? あのパストアという男を助けるつもり?」
「パストアはともかく、私は祖父から魔導具は人を幸せにするためにあるものだと、教わりました。だから、使う人のことを一番に考えることだと。それはデザインや機能性よりも、まず何より安全性だと言ってたことを、今でも覚えています」
「うん。それで……」
「この髭剃り具は、9割9分9厘欠陥を抱えています。ラグリーズ局長はその欠陥を隠蔽し、精霊石側の設計ミスにしようとしています。そうすることによって、自国の魔工師の技術に傷がつかないからです。これは祖父が言った安全以前の問題です。むしろ父のように誠実かつ地道に働く魔工師を馬鹿にした行為のようにしか私には見えません」
何でだろう。ここまでずっと鬱屈としていた気持ちが、素直に口にできた気がする。
そんな時、いつも私の前にはシャヒル王子にいる。この人の青い目が? それとも情熱的な赤い髪が? わからないけど、王子の前だと素直に話せていることは確かだ。
「私はもう1度、ラグリーズ局長と会って、このことを糾弾します。そして改めて魔導具本体に問題があることを公表してもらおうと思います」
「そうすればネブリミア王国のブランドは地に落ちるかもしれない。王宮で働く魔工師が君のことを恨むかも知れないよ」
シャヒル王子の言葉は脅しではない。
実際、それは必ず起こるだろう。
「でも、自浄作用のない組織のプライドなんて、ガラクタ同然だと思うので。直せないなら、壊してしまった方がいい」
「……なあ、カトレア。この件俺にも手伝わせてくれないかな?」
「え? でも――――」
「そもそもこの件、俺も無関係というわけじゃないんだ」
王子はそう言うと、顎を上げて指を差した。
そこにはよく目を凝らさなければならないほど、小さく切った傷跡があった。
「君と再会する2日前さ。俺は今王宮住まいなんだが、部屋に置いてあった最新式の髭剃り具が珍しくてね。触っていたら、誤って起動させてしまったね。そしたら突然中の内刃が外刃を貫いて出てきたんだ」
「じゃあ、シャヒル王子がパストアの話にあった御仁? ……ご、ごめんなさい! 私、そうとは知らずに……」
「いいさ。君のせい――と決まったわけじゃないんだろ。それにカトレアの推理は当たっているよ。異変が起こる前に、何かが欠けるような音を聞いたからね」
おそらく軸にクラックが入った音だ。
でも、王子だけの証言では弱いかもしれない。シャヒル王子は勉強熱心だが、魔導具に関してはまだまだ素人だ。それが軸に入ったクラックだと認められない可能性が高い。
「やっぱり、ラグリーズ局長が預かってる不良品を見ないと……。でも、私を嫌っている局長が、大人しく見せてくれるかどうか」
「それなら、俺が不良品を見たいと言えばいい」
「え?」
「俺は被害者だからね。当事者が見たいと言えば、引っ込める道理はないだろう。それにこれでも俺は王子だ。俺の意見を無碍にはできないはず」
確かに……。というか、もはやその方法しかないかもしれない。
「まだ問題はあります。この事件を公平に見定めてくれる人の存在です。できれば、技術がわかる人が望ましいのですが」
「では、立ち会い人はネブリミア国王にお願いしよう」
「こ、国王様っ!!」
「あははははは! 根暗で人の話を聞かない家臣と違って、ネブリミア国王はとても公明正大な御方で人の意見を聞く耳を持っておられる。それに今回の審理について、打って付けの人材だ」
実はネブリミア陛下もまた魔工師の資格を持つ、元は技術者の一人だ。
有名な話で、もう随分前に第一線を退いたが、今でも暇さえあれば鉄をいじっているというのが王宮でまことしやかに囁かれるの噂の一つである。
「手配は俺がしておこう」
「え? でも、シャヒル王子の手を患わせるなんて」
「俺以外、誰ができるの?」
「う――――――っ!」
「決まりだね。早速、明日国王にお目通りしてくるよ。期待して待ってて」
「あの……シャヒル王子。王子は何故そこまで良くしてくれるのですか?」
「さっきも言ったと思うけど。関係者ってだけじゃダメかい?」
確かに十分過ぎる理由かもしれない。王国側の横暴に対して、私たち側に立って怒ってくれているように思える。でも、もう理屈とかそんなんじゃない。母さん風に言うなら、女の勘といったところだろうか。
私には何かシャヒル王子に理由があって、動いているようにどうしても見えるのだ。
ずっと難しい顔をして黙っていると、シャヒル王子の方から私の意図を察してくれた。
「そうだねぇ。強いて言うならば、下心かな?」
「下――――」
一国の王子が……。わ、私に下心??
「じゃあ、カトレア。また明日……」
顔を真っ赤にした私と違って、シャヒル王子は会った時と同じく涼やかに退出していく。
テラスヴァニルに吹く一陣の風が、私の人生を変えようとしていた。
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