第8話 招かれざる客
「ちょ! やめて下さいよ!」
ザーヴィナー商会に逃げ込むように入ってきたのは、パストアだった。
どうやら女将さんに打ち水を引っかけられたらしい。金髪から滴が滴っていたけど、後は私がよく知る頼りのない元婚約者だった。
パストアは私に気付くと、「あっ」と口を開けた。しかし、その前に女将さんの太い腕に掴まれ、再び商会から追い出される。強かに尻餅をついたパストアの前に、鼻に皺を寄せたライザーが低く唸り声を上げていた。
反射的にパストアは下がると、また女将さんにぺしりと頭をはたかれる。
「カトレアちゃんと一方的に婚約破棄して、よくもここに顔を出せたもんだね、あんた。しかも、カトレアちゃんが王宮から解雇されたのも、あんたが一枚噛んでるというじゃないか。なのに『カトレアちゃんに会いたい』なんて……。よくも言えたもんだね」
パストアが私に??
何だろう。引き継ぎは時間が許す限りしたし、作業工程表は新作の精霊石のカットができる度に事細かに書いてるから、精霊石の製造行程も問題ない。ならば何か忘れ物でもしていただろうか。
でも、嫌な予感しかしない。
「シャヒル王子はここにいて下さい。女将さんならまだしも、王宮の人間に王子が私の家にいることを知られたりしたら」
「俺の外聞を気にしてくれているんだね?」
「……そんなところです」
「ありがとう。……君の方こそ大丈夫かい?」
「はい。昔から知ってますが、乱暴なことはできない人間なので」
「わかった。ライザー、カトレアに何かあったら俺の代わりに助けるんだよ」
『バァウ!』
ライザーは少し胸を反らして、吠えた。実に頼もしい騎士の登場に、私は少し安堵する。
そのライザーとともに、私は店を出て、パストアの前に仁王立ちする。相変わらず子犬みたいな目をしていた。昨日も見たのに、随分昔のことのように思えてしまうのは、王宮に出勤していた時と比べて色々あったからだろう。
その元上司を、私はきつく睨んだ。
「パストア、何の用?」
「や、やあ、カトレア……。ひさし――――いや昨日ぶりか。君はその……あれだ、えっと……」
まさに言葉が出ないとは、このことだろう。
昨日私に向かって圧力をかけてきた上司は、普段はこんな感じの冴えない青年なのだ。
様子から察するに、何か頼み事だろう。初等学校からの付き合いだ。彼の性格と思考は手に取るようにわかる。ただわかっていたけど、その情報を私がうまく使ってこなかっただけ。そんなことをすれば、硝子のように脆いパストアのプライドが傷付けることになるからだ。
でも、もう必要ない。パストアは私の婚約者でもなければ、上司でもないのだから。
「要件だけ言って。お客様が来ていて、今忙しいの」
「あ、ああ……。その……僕を助けてほしいんだ」
言った瞬間、パストアの背中を豪快に叩いたのは、女将さんだった。女性の力に踏ん張ることすらできず、パストアは頭から地面に突っ込む。私は溜息を吐いた。暴力はよくないが、それ以上にパストアの言動には飽きれ返ってしまった。
「あんた、見上げた根性じゃないか。今さらカトレアちゃんに助けを求めるなんて。まったく……。一体、どれだけ捻くれているんだい」
女将さんはふんと鼻息を荒くする。パストアは何か抗議しようとしたが、ライザーに唸られ、たちまち子犬みたいにしょぼくれてしまった。
少々手荒い女将さんを宥めたのは、母だった。
「ギセラ、そこら辺にしておきな。一応、こんな奴でも王宮の役人なんだから。あんまりやると、衛兵にしょっ引かれちまうよ」
「おっと、そうだった。でも、アザレア……。あんたはそれでいいのかい?」
「良くないに決まってるだろ? 目に入れても痛くないほど可愛い娘のことさ。今でも腸煮えくり返って、シチューでもできそうだよ。……でも、決めるのはうちの娘だ」
母さんが間に入るも、それでも女将さんの怒りは収まる気配はない。
「パストア、帰って。あなたと話すことは何もないわ」
「違うんだ、カトレア。……き、君にとってもいい話なんだ」
「いい話?」
パストアは一枚の精霊石のカット図面を私に見せる。
覚えている。確か男性用の髭剃り具に使う精霊石の図面だ。
『風』の精霊石を使って風を送り、それを動力として外刃の中の内刃を回転させる仕組みになっている。出力が強すぎると肌を切ってしまい、逆に弱すぎると切れ味が悪くなるため、出力を調整するためかなり緻密な精度を開発部から要求されていた。
その頃、私もまだひよっこで、何度も図面を引き直し、試行錯誤してできあがったのが、この図面だ。しかし、あれだけ苦労した髭剃り具の図面も、設計者の名前はパストアになっていた。
思えば、これが最初に許した名前変更だったはず。
「僕は改心したんだ。この図面を君の名前に変更しようと思っている。局長の許可も出た」
「改心……? 局長の許可?」
「あれから考えたんだ。君に対する僕の態度は間違っていた。だから、せめて君の功績を一つでも残そうと考えたんだ」
あやしい……。絶対に何かある。
その証拠にさっきからパストアの瞳は右に寄ったり、左に寄ったりせわしない。
彼の表情が何を現すのか。多分、私ではなくてもわかるだろう。
「あの髭剃り具に何か問題があったのね」
「え? え? そ、そんなことはない。僕は君のことを思って」
君のことを思って、はパストアがよく言う口癖だ。私は何度この言葉に騙されてきたと思っているのか、彼はわかっていないのだろうか。
「本当のことを言って、パストア」
「僕は嘘なんて――――」
『う~~~~』
「ひぃっ!! さっきからなんだよ、この狼は」
「パストア、本当のことを教えて。あなたが真実を喋れば、ライザーが噛みついたりしないわ」
裏を返せば、嘘を話せば噛みつくという私からの威嚇だった。
結局、最後の一撃が決定打となって、パストアはついに白旗を上げる。
「実は、王宮に参られたさる御仁が、髭剃り具を使った際、肌を切ってね。すぐに原因を究明したんだけど、開発した魔工師曰く、精霊石の出力過剰ということがわかってね」
「そんなのおかしいわ。私は魔工師から要求された出力になるようにコンマ単位で調整したのよ。量産後も問題が出なかったはず」
「だが、事実出てしまったんだ。いいかい。これは図面を描いた君の責任でもある」
「何を言ってんのさ! カトレアちゃんをクビにしたのは、あんたたちじゃないか。もうカトレアちゃんは王宮錬金術師じゃない。関係ないだろ!」
黙って聞いていた女将さんが、話に割って入る。
「そう。だからお願いしているんだ。精霊石の設計者の名前を君ということにして、御仁には君をクビにしたと納得してもらおうと思ってるんだ」
「それって、あんた……。カトレアちゃんに、全部責任をなすりつけようってことじゃないのかい?」
「けれど、みなさんも言ったじゃないですか。もうカトレアは王宮の錬金術師じゃないって。関係者じゃないならいいじゃないですか。ちょっと名義を貸してもらうだけなんですから」
「呆れた……。ホントに良かったよ。あんたとカトレアちゃんが別れて。結婚なんてしてたらどうなってたか。いや、こんな男に出会ったことが、運の尽きだよ、全く」
女将さんはやれやれと首を振った。
しかし、パストアは地面に手をつくと、私の方に頭を下げた。
「お願いだ。君の名前を貸してくれるだけでいい。それだけで済むことなんだ。じゃないと、僕の責任問題になってしまう。わかるだろ?」
ネブリミア王国は基本的に設計権という思想の下、魔工師や錬金術師が開発した魔導技術の権利を持つことを保証している。そうした保証があったからこそ、優秀な魔工師が集い、ネブリミア王国は技術大国にのし上がっていったのだ。
だが、裏を翻せば設計に欠陥があった場合、設計者の責任になるということでもある。
実際、ある魔導具でヒット商品を生み出し、その設計したインセンティブで巨万の富を築いた魔工師が、商品に欠陥が見つかり一夜にしてすべての財産を失ったというのは、よく聞く話だ。
「な、お願いだ、カトレア。君にこういうのもなんだが……。結婚したばかりなんだ。ようやく生活が落ち着いて、その……彼女と子どもも作ろうと思ってる。でも、今僕が失脚したりしたら、義父上になんと言われるか。もしかしたら離婚なんてことも」
「もう関わらない方がいいよ、カトレアちゃん。また甘い顔をすると…………カトレアちゃん?」
パストアは聞いてもいないことを喋り続ける。
女将さんも、母も途方に暮れて、それぞれ溜息を吐いた。
この時、女将さんとパストアの間に入らないで、私が何を見ていたかというと例の髭剃り具に使われている精霊石の図面だった。
何度、見返してもこの精霊石のカット図面に間違いはない。一応簡単に頭の中で計算してみたが、要求されている出力通りに出ているはずである。事故を起こした髭剃り具を調べてみないとわからないけど、精霊石の図面上では問題は見当たらない。
ならば、カット図面ではなく、髭剃り具本体に何らかの欠陥があるということになる。
「パストア、この髭剃り具の本体の図面ってあるかしら? あと、可能なら事故を起こした髭剃り具を見たいわ」
「え? 今は持っていないけど、申請すればくれると思う。不良品は難しいかな。局長が厳重に預かってるって話だけど。けど、一体何に使うつもり?」
「そう。運が良ければ、私にお願いしなくてもあなたの首が繋がる方法があるんだけど、聞く?」
「き、聞きたい! 是非教えてくれ」
「じゃあ、早く取ってきて」
「は、早くってどれぐらい?」
「今すぐよ! 走って!!」
「は、はい!」
思わず怒鳴ってしまったけど、パストアには効果覿面だったらしい。
狼から逃げる兎みたいに走り出すと、パストアは勤め先の方へと戻っていった。
~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~
クズはクズのままのようです……。
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