第7話 両親にご挨拶!?
「まあ、おいしい」
母――アザレアは、シャヒル王子が作った例のあんかけお焦げを食べて目を丸くした。
テーブルの上には、母が朝から張り切って作った料理の数々が並んでいる。
平手麺を何層に重ねたラザーニェや、剥き海老の大蒜焼き、鰺と野菜の檸檬汁漬け。極めつけは聖夜祭にしか食べないような丸鶏のオーブン焼きが、テーブルのど真ん中に横たわっていた。
現在、私の家には私と両親しか住んでいない。母は料理好きだが、私も父も小食でいつも残してしまう。その場合、大体余ったものは近くの孤児院に寄付し、喜ばれている。
それにしても朝食にしては、かなり重い。いや、母が気合いを入れすぎたおかげ、もうすぐ半日鐘が鳴ろうとしていた。
父は黙って、密かに好物としているラザーニェをもそもそと食べている。その横で、まるで見せつけるように母はシャヒル王子と料理談義をしていた。私は温め直した
「ホント! おいしい! うちのメニューにしたいぐらいだわ」
一人ならまだしも、隣の『熊の台所』の女将さんまでいて、シャヒル王子とわかった後でも遠慮なく背中を叩いていた。恐るべし、女将さんである。
「しかし、よくこんないい物件を捕まえてきたもんだよ、この子は」
「しかも王子様って言うじゃないか。いやぁ、あるもんなんだね。玉の輿って」
「母さん、女将さんもやめて下さい。シャヒル王子が困ってるでしょ」
「何言ってるんだよ、この子は。あんたが一番シャヒル王子に迷惑をかけたんでしょ? 家まで送ってもらった上に、治療費まで出してもらって。だから、こうしてうちとして最大限にもてなしているんじゃないか」
威勢良く立ち上がった私だったが、母の言い分に反論できず、すごすごと椅子に座り直す。ぐうの音も出ないとはことのことだ。
ショックを受ける私に助け船を出してくれたのは、当のシャヒル王子だった。
「お母様、それぐらいで」
「お、お、お母様!! あら、やだ。いきなり大きな息子ができて嬉しいわ。しかも美形……。ねぇ、お父さん。これでうちの商会の後継者問題も解決ね」
母さんは顔を真っ赤にして照れながら、黙々と丸鶏のオーブン焼きを食べる父に話しかけた。
「…………」
「相変わらず無愛想なんだから。めでたい席なんだから、そんな眉間に皺を寄せてないで、ちょっとでも嬉しそうに食べられないのかい、この朴念仁」
「うるえぇ。飯は黙って食え」
茶々を入れたのは、父の幼馴染みに女将さんだ。
対照的に父は短く返し、今度は檸檬汁漬けに手を伸ばす。
いつも通りのように見えるが、恐らく父は父で緊張しているのだろう。いつもなら料理を一口、二口手を付けたところで、仕事場に戻ってしまう。あまり満腹にしすぎると、眠たくなって集中力を失うからだ。
だが、今日はずっと黙々と何かを食べている。正直に言うと、何でもかんでも口にする母さんよりも不気味な存在だった。
「ところであんた、今日は王宮に行かなくていいのかい? お洒落や甘い物より、仕事が好きなあんたが休むなんて珍しい」
母さんの何気ない質問は、私の胸を刺し貫いた。
私は父の方を見る。席を立つ様子はなく、黙々と海老の皮を剥いていた。
空気を察したのか、突如女将さんは立ち上がる。
「あたしはいない方が良さそうだね。お邪魔様。王子様、どうするんだい?」
「俺はもう少しここにいます。いいかな、カトレア?」
私は頷いた。シャヒル王子には大変な迷惑をかけたのだ。せめて何故私がお店でお酒を頼んだのか、聞いていて欲しかった。
「そうかい。なら、後であたしの店も寄っとくれよ」
「ええ……。是非」
シャヒル王子の笑顔を見て、女将さんは店から去って行った。
表扉が開いた時、外の空気が入り込んできたはずなのに、空気が重くなる。華やかな料理は、どこかセピアがかって、台無しになっていた。
「錬金術師を辞めたの……」
そして私は堰を切ったように話し始めた。
仕事場でのこと、そこでの私の立場、上司のこと、さらにはパストアと婚約破棄した経緯。今までため込んでいたもの、感情を含めて洗いざらい、私の中にある黒いものが少しでも綺麗にするため、私は話し続けた。だから聞いている人にとってはあまり気持ちいい話ではないかもしれない。
それでも、両親も、シャヒル王子も黙って聞いてくれた。
すべてを聞き終えた母さんは、口にしたミルクで喉を潤した後、こう言った。
「よかった」
「え? 何が?」
「あんたがちゃんと話してくれて。このままずっと何も話してくれないんじゃないかって思ってたんだ。あんたは何か悪いことがあって、私たちに心配かけまいと胸の中にずっと抱え込んでしまうタイプだからね」
「私が悩んでるって知ってたの?」
「カトレア、私はあんたの親だよ。子どもが戦争にでも行くような顔をして王宮に言ってるのを見て、心配しないわけがないだろ。……でも、もうあんたは立派な大人だ。私たちがどうこう言うには、でっかくなりすぎてる。だから、私もそっちの旦那もあんたが話してくれるのをずっと待ってたんだよ。ねっ! あんた」
「え? え? そうなの??」
私は父と母を交互に見つめる。母はやや苦笑交じりに笑っているが、父は相変わらず何か食べ続けていた。
「それに私はね、カトレア。あのパストアから婚約破棄されたと聞いた時、嬉しかったんだよ。何というか、あの子は違うというか。端から見ていて、カトレアを枠に収めようとしているところがあったろ。可愛い顔しているのに、『女性はこうである』みたいなところが透けて見えるというかね」
母の言わんとしていることは、すぐ理解できた。
心当たりがありすぎるぐらいあるからだ。パストアはずっと自分の女性像を私に押し付けてきた。婚約が決まってデートをする時ですら、手を繋ぐことを許さず、三歩下がって歩くことを強要することもあった。常に主導権は男が握り、私に選択権はなく、なんでも自分で決めてしまう。母の言う通り、そんな人間だった。
「王子様から、あんたがお酒を飲んで倒れたと聞いた時、私は何かカトレアの中で何かが変わっていく、いいきっかけになるような気がした。お酒を飲んだ時、いやお酒を飲もうと決めた時、あんたの気持ち的にはどうだったんだい?」
あまり覚えていない。クビになった直後で、両親――特に父になんて言おうか悩んでいて、半ば自暴自棄にもなっていた。ただ今の自分から離れたくて、いつもと違う自分になろうと考えた。
「あ……。そうだ。身体が軽くなったような気がしたんだ」
「それが本当のカトレアじゃないかねぇ。私から見れば、あんたは女性の枠にも、パストアの婚約者としての枠にも収まらない。もっともっと大きなことができるような気がする。これは親バカで言ってるわけじゃないよ。22年間、ずっとあんたを側で見てきた親の意見だと思って聞いてほしいんだ」
気付けば目頭が熱くなっていた。
大人になってから、両親はもっと私のことに対してドライに接するのかと思っていた。
それが大人になることだと、自分で親を枠にはめていた。
でも、違った。少なくとも母はずっと私のことを心配し続けていたのだ。
「歳かねぇ。話が長くなっちまったよ。カトレア、平たく言うとね。私はあんたの味方だ。あんたはお腹を痛めて産んだ子どもだ。言うまでもないことだろうがね」
「母さん……」
「ちょ! あんた、いい年して」
私は母に抱きついていた。人目を憚らず、王子がいる前で私は泣いた。
やれやれと言いながら、母は私の頭を撫でてくれる。
ずっと不安だった。
王宮を辞め、婚約者とも破局した。
もう私の味方はいない。何故か、そうやって私はずっと私を枠の中に入れていた。
思い込んでいた。でも、そうではなかったのだ。きちんと私のすぐ側に、私を見てくれている人がちゃんといたのだ。
「ご馳走様」
椅子を引き、立ち上がったのは父だった。
丁寧にスプーンとフォークを並べて、工房の方へと戻ろうとする。
私は慌てて父の後を追いかけた。商会の奥にある工房へと続く廊下で、父を呼び止める。
「父さん、怒ってる?」
「何がだ?」
「昔、父さん言ったでしょ。『覚悟があるなら、最後までやり通せ』って。私、放り出してきたから。それも全部……」
「それは魔工師になるってお前の夢もか?」
「え? それは――――」
「なら、最後までやり通せ」
そう言って、父は工房に戻っていった。
初めて父から私に向かって『魔工師』という言葉を聞いたような気がする。
反対派だった父が、私の夢を覚えていてくれたことが、私には何よりのエールに思えた。
「良い父上と母上だね」
振り返ると、シャヒル王子が立っていた。側にはライザーもいて、ふわふわの尻尾を振っている。
自分と家族の内情を見られて、急に恥ずかしくなってきたけど、それ以上のことは何も思わなかったし、シャヒル王子もそれだけ言って、それ以上のことを何も言わなかった。
「ええ……。私には勿体ないぐらい良い両親です」
シャヒル王子は笑う。この人の笑顔は、どんな時でも花になる。私と違って……。
それは立場なのか、それとも生まれ持った才能なのか。庶民の私には想像も付かなかった。
「カトレア、次は俺と我が国の話を聞いてくれないか?」
「王子と、テラスヴァニルの話を……」
「実は――――」
シャヒル王子が何かを言いかけたその時、外から女将さんの声が聞こえた。何やら騒いでいる様子だ。もう一人、若い男の声が聞こえる。
私はシャヒル王子と目を合わせると、「行ってみよう」ということになった。
ザーヴィナー商会の表玄関には母のアザレアがすでに立っていた。私と王子に気付くと、困ったように眉を下げる。直後聞こえてきた声は、私がよく知る男性の声だった。
「パストア??」
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