第6話 簡単あんかけおこげ

いつもより長めになっているので注意です。 


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 炊事場に行くと、母の姿はどこにもなかった。

 時間は仕事始めの鐘(午前8時半)を少し回ったぐらいだ。市場に出かけているのだろうか。父はおそらく仕事場だろう。鉄表面に罫書きする音が、すでに工房の方から響いている。父を呼んでも無駄だ。仕事を始めると、ドラゴンが来たって動かなくなる。


 父はともかく母も王子と実の娘を置いて、どこに出かけたのだろうか。お見合いじゃあるまいし。

 1人途方に暮れる横で、シャヒル王子は魔導炊飯釜の用意を着々と行っていた。


「あの……。本当に使うんですか?」


 笊に米を入れて洗うシャヒル王子を見ながら、私は尋ねる。

 自分で料理が得意というだけあって、手つきが慣れていた。如何にも料理人らしい手さばきで、米を洗い、水を切る。他国の王子様が米を研ぐ姿を見つめていた私だが、やはり躊躇いはある。失敗作を他人に見られたくないのもそうだが、王子に何かあった時、私では責任が取れない。爆発するなんてことはないけど、それでも万が一のことは起こりうる。


 やっぱりお断りしようと思ったその時、商会の表扉が開いた。母が帰ってきたのかと思って半泣きになりながら出迎えると、立っていたのは隣の定食屋の女将さんだ。


 ザーヴィナー商会の隣に立つ定食屋の女将さんで、うちとは家族ぐるみで付き合いがあるほど、仲が良い。特に母と女将さんはツーカーの仲で、暇さえあれば店の前で立ち話をしている間柄だ。


 その女将さんは相当慌てている様子だった。


「あら、カトレアちゃん。今日は仕事が休みかい?」

「それが……」

「誰だい、その色男は? もしかしてカトレアちゃんの彼氏かい?」


 私が答えに窮していると、女将さんは隣のシャヒル王子に気付いた。

 すると、しめしめと女将さんは笑う。きっと話のネタをもらったと、内心喜んでいるのだろう。


「ち、違います。そんなんじゃありません。そ、それよりどうしたんですか? そんなに慌てて」

「お母さんはいる? ご飯を分けてほしくって」


 聞けば、釜の米をうっかり焦がしてしまったという。

 王宮の星詠み予想では、今日は『火』の精霊の力が強くなると出ていた。こういう日は、火の勢いが強くなり、女将さんのようなベテランでも度々火加減を間違えて、お米を焦がしてしまうことがある。


「すみません。まだ市場に出かけてるみたいで」

「あちゃー。こりゃ弱ったね」

「もう1度、初めから炊くことはできないんですか?」

「それが慌ててたもんで、水をぶっかけちゃってね」


 釜の火を消したのか。なるほど。湿った炭を掃除して、それから火を焚くところからやり直すとなるとかなり時間がかかる。火を付けるのはそんなに時間はかからなくても、米炊きに最良の温度にまで上げるのは、どんなベテランでも難しいのだ。


「こりゃ今日はお客さんに米なしで食べてもらうしかないかね?」


 女将さんは諦めるが、定食屋『熊の台所』は昔から独身男性や朝の早い職業の務め人のお腹を膨らましてきた。「安くて、味は人それぞれ」をモットーにして親しまれてきたのだ。

 一時のこととはいえ、お米がなくなるとお客さんもがっかりするかもしれない。


「カトレア、この魔導炊飯釜なら何分で炊ける?」

「えっと……。早炊きなら15分で」

「……女将殿、15分だけ待ってくれませんか?」

「なんとかできるかもしれません。女将殿は店に帰ってお客さんに事情を話してください」

「わかったよ。まだ名前も聞いてないけど、カトレアちゃんが家に上がらせている男だ。頼んだよ。カトレアちゃんもね」


 そう言って、私が呼び止める前に女将さんは店に戻っていった。

 この人が隣国の王子様と聞いたら、どんな反応をしただろうか。

 私たちは炊事場に戻ると、しばらく放置していたお米を魔導炊飯釜の中に入れた。


「ほ、本当に魔導炊飯釜を使うんですか?」

「絶好の機会じゃないか、カトレア? 君の魔導具が定食屋のピンチを救うんだ。さっ! お米と水を入れたら、後はどうするの?」

「待って下さい。私がやりますから」


 もうここまで来て、できませんとは言えなくなった。

 女将さんにはお世話になってるし、困っているからには助けてあげたい。


 私は魔導炊飯釜の底部に設置された精霊石に向かって、手を掲げる。

 慎重に魔力を注ぎ込む。この魔力を注ぐ時間がそのまま魔導炊飯釜の動作時間に直結している。魔力が少なければ水っぽくなるし、注ぎすぎると米に熱を入れすぎて焦げてしまう。


 精霊石のカット技術のおかげで、魔力の制御には自信があった。

 それでも、まともに炊き上げたことは1度もない。

 魔導炊飯釜の精霊石が赤く光る。これぐらいでいいと思うけど、確証はどこにもなかった。


 王子様の登場で、例の頭痛はすっかり治まってしまっていたけど、身体のけだるさはそのままだ。魔力を制御する感覚も麻痺していて、うまくできているか私にもわからない。今はベストを尽くすしか私には選択肢がなかった。


「これで後は自動的に炊きあがるはずです」

「これだけかい? 確かに便利だ。ところで、どうしてこれを作ろうと思ったんだい?」

「うち、父がお米好きで。毎日2回、お米を炊いてるんです。知っていると思いますが、お米を炊くのって大変でしょ。母が少しでも楽になったらいいなあって」

「米料理で1番時間がかかるのは、飯炊きだからね。でも、火加減を見なくて済むというのは実にいい。安心して他の調理ができる」


 そうなのだ。飯炊きは神経を使う。火といいながら、焚き火も水物だ。突然、温度が上がったりするから、常に監視が必要になる。また子どもがいる家庭では、近づかせないように配慮しなければならない。結局他のことをやってる暇はなく、釜の前で付きっきりになることが多い。


「何か作るよ、カトレア。朝食まだだよね?」

「え? そんな……。王子に作ってもらうなんて滅相もない」


 私はぶんぶんと手を振った。今さら気付いたが、さっきから呼び捨てで呼ばれている。しかも、きつい命令口調ではなくて、親しみを込めてだ。この上、朝食なんて。同棲している恋人じゃあるまいし。シャヒル王子が一体何を考えているか、さっぱりわからなかった。


 ここは一つ、はっきり真偽を確かめる必要がある。


「あのシャヒル王子――――」

「おお! 良さそう豚肉があるじゃないか。それに干し茸に卵か。野菜も一揃いあるね」

「あわわわわ……。うちの氷室を勝手に見ないで下さい!」

「ああ。ごめんごめん。人の家に行くと、どうしても家の中の食材が気になってね」


 この人、どれだけ料理バカなの?

 私に断って、シャヒル王子は調理を始めた。

 砂糖を加えたぬるま湯に、干し茸を付けて出汁を取り、豚肉を細切りに、人参や玉葱も食べやすい大きさにカットしていく。


「私も手伝います」

「ありがとう。でも、大丈夫。ライザーの相手をして待っててくれるかな」


 いつの間にか私の横にちょこんと座っていたライザーを指差す。もこもこの銀毛を振るわせながら、ライザーは「遊んで」と丸い硝子玉みたい瞳で私に訴えてくる。ライザーが耳の横を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めた。

 そうしている間に、魔導炊飯釜から勢いよく湯気が出てくる。お米の匂いが炊事場に立ちこめた。


「いい匂いだ。炊き加減バッチリじゃないか?」


 シャヒル王子が期待を寄せる中で、私は指を組み、祈りを捧げる。

 しばらくして精霊石の輝きがなくなり、魔導炊飯釜からは小さく湯気がたなびくだけとなった。

 やや緊張した面持ちでシャヒル王子は釜の蓋を開ける。


「おお。粒が立ってる」


 シャヒル王子が興奮気味に歓声を上げる。

 真っ白なお米ができあがっていた。

 早速、シャヒル王子は味見をする。一口手で摘まみ、香りと弾力を確かめると、口の中に入れた。ゆっくり、そしてじっくり咀嚼する。次第に顔は輝いていき、私に向かって親指を立てた。


「おいしいよ、カトレア。すごい! 釜で炊いたのと変わらないぐらいおいしい」

「ほ、ホントですか?」


 私も食べてみたが、確かにおいしい。

 シャヒル王子の洗い方も良かったのだろうが、時間の調節がうまくいったのだろう。

 そこにタイミング良く、『熊の台所』の女将さんが戻ってきた。

 早速、釜の中を覗き込む。


「良い炊き加減じゃないかい。これ、カトレアちゃんが作った魔導具で調理したの? やるじゃないか! さすがはあの朴念仁の娘だよ」


 女将さんは私の背中をバシバシ叩く。地味に痛かった。

 ちなみに朴念仁とは父のことだ。父と女将さんは昔からの幼馴染みで、「朴念仁」と「寸胴ババア」と言い争う仲である。昔から犬猿の仲だけど、互いの仕事について認め合っている。それがなんで一緒にならなかったのかは、不思議だけど。


「そのお米もらっていいかい? 勿論あとで返すよ。なんだったら、今日のお昼奢ってあげる」

「もちろん! 後で感想を聞かせてくれれば、それでいいです」

「よしわかった。任せておきな」


 店からお櫃を持ってくると、女将さんは必要な分だけとって持って帰った。

 途端炊事場は静かになる。本当に嵐みたいな人だ。


 私は再び釜の中を覗き込む。釜の壁際に付いたご飯をしゃもじで掬った。やはりカチカチだ。焦げて、飴色になっている部分がある。底部は特にひどく、真っ黒になっていた。


「やっぱり、まだ改良の余地があるわね」


 私は肩を落とす。でも、今回はまだうまくいった方だ。

 お米を全てダメにした時も、1度や2度ではない。それもほんの少しの魔力の力加減で変わる。そんな消費者に曲芸的な技術を押し付けるような魔導具を、販売することなんてできない。

 やはりこれは失敗作なのだ。


「失敗もまた発見なり」


 そう言って、焦げた米を摘まんで食べたのは、シャヒル王子だった。

 王族に連なる方が、焦げた米を食べる様子を見て、私は唖然とする。

 そんな私の顔を見て、シャヒル王子は満面の笑みを見せた。


「うちの爺様の言葉さ。こうやって米を焦がさないと、焦げた米の味はわからない」

「焦げた米の味……」

「それに女将さんの嬉しそうな顔を見ただろう。君の魔導具が定食屋の危機を救ったんだよ」

「私の魔導具……。女将さんのお店を……」


 胸に手を置くと、心臓が鳴っていた。

 そう言えば初めてだ。自分が作ったもので感謝されたのは。

 私は間違っていたのかもしれない。

 王宮魔工師に固執するあまり、肝心なことを忘れていた気がする。


 それは魔導具を作ることが好きだということだ。


 不意に心の中が温かくなる。

 たちまちそれは燃え上がり、全身を包んだ。


「シャヒル王子、ありがとうございます」

「ん?」

「私、思い出しました。魔導具を作る喜びを。王子のおかげです」

「そうか。それは良かった」

「私、もっともっと魔導具を作ります。今は魔工師でもなんでもないけど、いつか――」


 王宮を出て、初めて何をすべきわかった気がした。

 今まだ何を作るか輪郭すら浮かばないけど、また女将さんのように喜んでくれる人の笑顔が見たいと思えるようになった。


「そうか。じゃあ、未来の魔工師を祝して、おいしいご飯でも振る舞おうかな」


 シャヒル王子は釜の中に残っていた焦げた米を櫃に入れる。

 しゃもじをうまく使いながら、一箇所に集め固めていった。

 まとめて捨てるのかとも思ったが、その予想は外れた。


「焦げてしまったなら、さらに焦がせばいい」


 シャヒル王子はお焦げが付いたご飯を、いつの間にか用意していた油の中に投入する。シャンとキレの良い音ともに、お焦げが油の中で踊った。


 まだ水分が多いからか。とても音が激しい。全体的に薄く飴色になると、皿に上げる。油を捨て、そのまま先ほど切っておいた具材と塩を入れて炒め始めた。全体的に野菜がしんなりとし、肉の色が変わるのを確認した後、干し茸の戻し汁に、魚醤、砂糖を加え一煮立ち。水に溶かした澱粉粉を入れてとろみを付け、溶き卵をゆっくりと回しかけて、弱火で煮立てる。卵がふわっとしてきたら、火から下ろして盛りつけた。


「お待たせ……。簡単あんかけおこげの出来上がりだ」


 おいしそう……。

 自分の目が料理を前にして輝いていくのがわかる。

 人参、茸、玉葱など色とりどりの野菜に、飴色のお焦げと、トロトロの卵。

 ほど良くとろみのついたあんかけは、晴天時の小川みたいにキラキラと光っている。茸の仄かな風味と、お焦げの香ばしい匂いがマッチして、私の鼻をくすぐった。


 見た目も味も申し分ない。普段食の細い私が、ここまで他人の料理を見て胸躍ったのはいつ以来だろうか。もはや頭が痺れて、自宅に王子様がいることなど、忘れてしまいそうになる。


 勝手に食指が伸びていく。シャヒル王子から差し出されるまま、スプーンを握った。皿の中のお焦げをほぐし、具材と絡める。強烈な香りが鼻腔を刺激し、昨日の昼から何も口にしていないお腹を焦らす。スプーンに掬うと、カリカリのお焦げの破片と茸、人参、玉葱、卵があんかけの絹を帯びて、バランス良く載っていた。


「いただきます」

「どうぞ召し上がれ」


 口を開けて、あんかけおこげをお迎えする。



 ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!



「おいひぃいぃぃぃいいいいぃぃいいいいいぃ!!」


 あんかけに絡んだ、お焦げの食感が溜まらない。

 口の中でザクザクと音を立てて、頭の裏まで響いていく。そこに野菜の旨みが溶けて染み出したあんかけがまた最高。茸の戻し汁が利いているのだろう。ふわっと風味がお焦げの香ばしさとともに口いっぱいに広がっていった。


 人参は歯応え良く、玉葱はしんなりとしてあんと一緒に食べやすい。ぬるま湯で戻した茸はぷりぷりで、豚肉と一緒にあんをたっぷりかけて食べると、高級なお肉を食べてるみたいな気分になる。さらにあんと卵のとろみの相性は抜群で、卵のコクともピッタリだ。


 私は夢中になってスプーンを動かし続ける。まるで皿の中の金鉱を掘り当てるかのようにザックザックとお焦げを皿からなくなっていく。起き立てで冷えていた身体がポカポカしてくると、額に薄らと汗が浮かんできた。ついに私は王子が作ったあんかけおこげを完食する。


「ご馳走様でした」

「はい。お粗末様でした。ふふふ」

「な、なんですか?」

「いや、いい食べっぷりだったなって」

「あの……。調理を見てて気になったんですけど、干し茸をぬるま湯で戻す時に、砂糖を加えていましたよね。あれは?」

「よく見てるね。砂糖を入れると茸の水分の吸い過ぎを抑えることできるんだ。時間かけて戻すのと同じぐらい食感と風味がよくなるんだよ。所謂、時短テクニックだね」

「時短……ですか」


 そんな時だった。不意に奥の工房の扉が開く。外では仕事鐘が鳴っていた。この時間に父は朝食を取るのだ。いけない。全然頭になかった。

 朝食の準備ができてない。というか、母さんは何をしてるのよ。

 父の足音が炊事場まで近づいてくる。朝食がないどころか、見知らぬ男を連れ込んでいるのだ。いや、待って。シャヒル王子と両親はすでに面識があるのだろう。それにしたって、こんな二人でいるところを見られたら、きっと誤解を……。


「たっっっっっだいま!!」


 元気な声とともに、炊事場の奥にある裏口のドアが開く。


「アザレア、飯は――――」


 無精髭を生やし、麻布のエプロンを着けた父が入ってきた。

 二人の間に、私とシャヒル王子は挟まれる形になる。


『あっっっっっっ!』


 声を上げて、全員が固まる。

 その状況を祝福するかのように、窓の外で仕事鐘が街中に鳴り響いていた。

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