第3話 モフモフしてます

 あれ――――。


 不意に意識が覚醒し、目を見開いた。

 見えたのは、バーガー屋の天井でもなければ、床でもない。


 狼だ。


 柔らかそう銀毛に、ピンと立った耳。口を開けると獰猛な牙が見える。

 一瞬腰が引けるぐらい恐ろしかったけれども、丸くクリッとした金色の瞳が私を心配そうに見つめている。私が目を開けると、唐突に尻尾を振って黒い鼻を擦り付けてくる。ザラザラした舌はくすぐったくて、思わず声を上げて笑ってしまった。


「ちょ! くすぐったい! あはははは! あははははは――うわっ!」


 思わず私は仰け反ると、そのまま狼と一緒にごろりとベッドから落ちてしまった。

 狼は「大丈夫」と首を傾げると、またペロペロと私を舐めた。随分人に慣れた狼だ。


「痛ッ! イタタタタタタ……」


 私は頭を抱えた。ベッドから落ちて、強かに頭を床にぶつけたからではない。

 すでに起きた時から、私の頭は何故か鈍器で殴られたみたいに痛かった。視界もはっきりしない。世界が全部マシュマロになったみたいにふにゃふにゃしている。ただ、ここは私の部屋で、寝ていたのは私のベッドだということはわかった。


 いつの間に帰ったのだろう。

 全然記憶がなくて、自分がいつ寝間着に着替えたのかも定かじゃない。もしかして夢? とありきたりなことを考えて、頬をつねってみると、結構痛かった。



 私は頭を上げて、さっきから一生懸命私に黒鼻を擦り付けてくる狼を撫でる。

 綺麗な銀毛だ。よく手入れされ、ふわふわもふもふ。金色の瞳は凜々しく、普通の狼よりもさらに体躯が大きい一方、随分と愛嬌のある顔をしている。

 実は、この銀狼に私は心当たりがあった。


「もしかして、ライザー?」

『バァウ!』


 自分の名前を呼んでくれるのがよっぽど嬉しかったのだろう。

 ライザーは私の上に馬乗りになると、さらに激しく私の頬をペロペロとなめ回した。


「わは! ちょ……。あはははははは! ライザー、だからくすぐったいってば! あははは――――イテテテテテ!!」


 一瞬忘れていた頭痛が、再び襲いかかってきて頭を抱える。

 ライザーはまた首を傾げて心配してくれたが、私はお返しとばかりに耳の横を掻いてやった。昔と同じく弱い部分らしく、大きく広げた丸い目を細めると気持ち良さそうに喉を鳴らす。

 間違いない。この銀狼はライザーだ。


「おっきくなったわね、ライザー!」


 私が知っているライザーは、まだ胸に抱けるほど小さく、そしてか弱かった。

 今から五年以上前になるだろうか。発見したのは、父だった。

 家の軒先で雨宿りしているライザーを見つけたのだ。


 雨に打たれ、びっしょり。しばらく何もお腹に入れていなかったらしく、発見当時のライザーは弱っていた。それもそのはず、ライザーはその頃にはすでに、主人から提供されたもの以外、食べないようにしつけられていたのだ。よほど厳しくしつけられたらしく、身体が相当弱っているにもかかわらず、頑として食べるどころか、口を開けようともしなかった。


 でも、家族含めて甲斐甲斐しく介抱した結果、ようやくホットミルクを口に付けてくれた。そこからみるみる元気になり、ライザーを捜していた衛兵がちょうど店を訪れて、預けたというわけだ。


 ライザーという名前も、この銀毛の狼が王宮から逃げ出して行方不明になっていたことも、そして彼が国賓として招かれている王族方のペットだということも、そこで知った。

 しつけの具合から、かなり高貴な人間が飼っていることはわかった。だから二度と会えないと覚悟して飼い主の元に返したのだけど、まさかこうして大きくなったライザーと再会できるとは夢にも思わなかった。


「でも、どうしてライザーがここに?」


 まるで私の疑問に答えるべく、ちょうどいいタイミングでノックが鳴る。

 母だろうかと察し、「どうぞ」と言うと、入ってきたのは青い目に赤髪を靡かせた青年だった。


「お目覚めになられたようですね。体調はどうですか? 頭は痛くないです?」

「あなた、バーガー屋の……」


 間違いない。帽子と前髪で顔はよく見えなかったが、赤い髪と涼やかな青い瞳には見覚えがある。そこまで思い出して、今自分が寝間着姿であることを思い出した。

 反射的にベッドのシーツを引き、慌てて身体を隠す。

 青年の方も気付いて、後ろを向いた。


「し、失礼……。もう着替えが終わっているものかと」

「母と勘違いしたのは、私の方なので。……あの、しばらく後ろを向いててもらっていいですか?」

「え? あ、ああ……」


 私はやや警戒しながら、クローゼットを開けた。

 普通の女子と違って、圧倒的に私のクローゼットには服がない。

 色も地味なものばかりだ。その代わり、業務用で使うような釘打ちや、卓上の足踏み旋盤なんかが置いてあったりする。我ながら色気の欠片もない。


 そんなことはともかく、何でもいいから、人様の前に出ても問題ないものをチョイスした。


 チラリと見ると、衣擦れの音に青年が反応するのが見える。

 今さらだけど、後ろを向くのではなくて、出ていってもらえば良かったと心底後悔した。

 緊張しているからかうまく袖を通せない。今日が出社日でなくて良かった。こんな日に精霊石のカットなんてしたら、不良品ばかり作ることになる。


「あの……。どうして、私の家にいるんですか?」

「帰ろうとしたのですが、ライザーが君の側から1歩も動かなくて」

「ライザーが……?」

「君を随分心配している様子だったから、ご両親に尋ねたら昔ライザーが世話になったと聞いてね。驚いたよ。ああ。忘れるところだった。あの時はライザーがお世話になりました」

「い、いえ……。――――って、あなたが飼い主なんですか?」

「そんなに驚かなくても……。いたらない飼い主だということは認めるけどね」


 もっと高貴な身分の方を想像していたので、少し下駄を外されたような気分になる。

 別に期待していたわけではないのだけど……。


「あの……。そろそろいいかな?」

「あ。はい。どうぞ、お待たせしました」


 青年はゆっくりと振り返る。

 黒のワンピースに、ベージュの長衣を合わせた私を見て、ホッと息を吐いた。



 やがて青年はここに至るまでの経緯を教えてくれた。

 お酒を一気に飲んで、倒れた私はまず小さな治療院に連れていかれた。そこで軽いアルコール中毒だと診断された私は、治療院のベッドでしばらく休んでいたのだが、急患が出たために出て行かなければならなくなった。

 青年が私の住所を知る由もなく、途方に暮れる中、ライザーが私の家へと導き、両親に事情を話して今に至る――という。嘘のようでホントの話らしい。


 とにかくお酒を飲んだ私を介抱してくれたのも、治療院に連れて行ってくれたのも、治療院の診察代、薬代諸々を立て替えてくれたのも、さらに家に運んでくれたのも、全部目の前の青年がやってくれたことがわかった。


 私は床に三つ指を突いて、頭を下げる。


「ごめんなさい! 私ったら、命の恩人を存外に扱って」

「いや、そこまで謝らなくても……。お酒を勧めたのも、俺だし。それに女性の部屋に入るのに、慎重さに欠けていたのもこちらの配慮のなさだ。すまない。……あ、言い忘れていたけど、君を寝間着に着替えさせたのは君の母君だよ。君が信奉する神に誓おう」

「で、でも……」

「それに恩というなら、すでにこちらにはすでに借りがある」

「ライザーのことですか?」

「それもあるけど……。そうか。やっぱり君は俺の顔を見ても、思い出せないんだな」

「俺の顔って……。もしかして私、あなたとどこかで会ってたりします?」


 はっきり言って、青年の顔は私から見ても整っている。

 燃えるような濃い赤髪に、エキゾチックな褐色の肌。すぅと通った鼻梁と程よく鋭角に曲がった顎は、芸術というよりは幾何学的な正しさを証明しているようにすら映った。

 涼しげな目元に、青の瞳と目が合うと、強く引きつけられるような力を感じる。

 なのに、私は全く覚えていないとはどういうことだろうか。


「ああ。そうだよ。ほんの5日前の王宮でね」


 そう言って、青年は前に垂らした赤髪を上げた。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


キリのいいところまで書いておりますので、

安心して読み進めていただければ幸いです。

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