第2話 テラスヴァニルバーガー
実は生まれてこの方、お酒というものを飲んだことはなかった。
特別飲みたいとも思わなかったし、錬金術師になってからは集中力を乱すような食べ物や飲み物は極力取らないようにしていた。
しかし、私の決断は悪手だったようだ。
途端周りから失笑が漏れる。商人風の男が盛大に氷の入った紅茶を口から吹きこぼしていた。察するに、バーガー屋でお酒を頼むなんてナンセンスなことなのだろう。
だけど、店員だけは一切笑わず、こう質問を返した。
「一つお伺いしてもよろしいですか、お客様?」
「……え? はい」
「どうしてお酒をご注文されたのですか?」
「それは、その……。飲んだことがなくて。そういう気分だったとしか」
私は肩を狭めて、縮こまる。もういいから、早く食べて店から出て行きたかった。
「畏まりました。少々お待ち下さい」
店員は丁寧に頭を下げて、カウンター向こうに引き上げていく。
どうやらカウンターの奥は炊事場になっているらしい。料理ができるまでの間、鬱屈した気分で待たなければならないのかと思うと、目眩がする。
「お待たせしました」
「え? もう――」
驚く間もなく、トレーが置かれる。上には、葉皿に乗ったハンバーガーが乗っていて、さらに小さな笊には、長いポテトが白い湯気を吐いていた。
絵の通り、いやそれ以上に私には美味しそうに見えて、思わず唾を飲み込んでしまう。
「チーズバーガーとテラスヴァニルポテトです。どうぞお召し上がり下さい」
店員のマイルドな声が、料理を紹介する。そんな彼に見守られながら、私はトレーの上の料理を見つめた。まじまじ覗き込んだものの、肝心のものがなくて、またオロオロしてしまう。
「あの……。ナイフとフォークは?」
そう。ナイフとフォークがないのだ。このままでは食べられない。
すると、他の客たちが笑う。「どこのお姫様だよ」と冷ややかな声を上げる客もいた。
でも、やはり側に着いた店員は私を馬鹿にしたりしない。穏やかに優しく、教えてくれた。
「ご要望とあれば用意いたしますが、こちらは手で持って、かぶりつく料理になっています。パン、赤茄子、萵苣(レタス)、ハンバーグ、チーズを一緒くたに味わって下さい」
「手でですか?」
「はい」
店員は私に勇気を与えるように破顔する。
ちょっと驚いたが、ようは家で作るハサミパンだと思えばいい。
家で作るよりも遥かに具材が多くて、ビックリするけど……。
巻いている葉皿の上からバーガーを持ち、口に近づけていく。
今日の私はいつもより箍(たが)が外れている。
こうなったら、思いっきり口を開けて、バーガーを味わってやろうと果敢に挑んでみた。
はむっ!
瞬間、様々な味が私の口の中に広がっていく。
窯から上がったパンの香ばしさ。
萵苣のみずみずしさ。
栓が抜いたみたいに溢れてくる挽肉の旨み。
そして赤茄子と、トロトロに溶けたチーズの酸味。
香ばしさが、みずみずしさが、旨みが、酸味が渾然一体となって口の中で響き合う。
「おいしい」
思わず口に出ていた。もう一口、何の躊躇いもなくバーガーを食む。
食感もいい。パンのモチッとした食感に、萵苣の切れのあるシャキシャキ感が合ってる。
ハンバーグはジューシーで噛めば噛むほど口の中に旨みが広がっていった。そこにチーズと赤茄子の酸味が重なり、肉の重い旨みをちょうどいい具合に消してくれていた。
「ふぅ……」
気が付けば、こんなに大きなバーガーを半分も食べていた。
私は食が細く、特に料理に興味があるというわけではない。出されたものを好き嫌い言わずに食べてきた。商会と言っても、父と母だけの小さなお店だ。食べ物を選り好みできるほど、裕福というわけでもなかった。
でも、1つのものをずっと食べていると、どんなに美味しくても飽きてくる。
すると、ふと別のものが目に入った。
笊に入った長いポテトだ。多分、1度馬鈴薯を潰して細長く成形しているのだろう。料理に興味は無いけど、料理の手伝いはよくしていたから、なんとなくわかる。
成形した馬鈴薯を油で揚げて、塩をかけただけの料理。シンプルだけどおいしそうだ。
うん。良い食感!
外はサクサク、中はホクホク。口の中に仄かに残る馬鈴薯の甘みもいい。
そこに塩がピリッと利いていて、甘さと塩っぱさがちょうどいい塩梅になっていた。
ふと笊の横には赤いソースが置かれていることに気付く。鼻を近づけてみると、つんと酸味の利いた匂いがした。赤茄子ソースだ。
ポテトにつけて食べろということだろうか。
試しに先に少しだけつけて口にしてみた。
「これもおいしい!」
赤茄子の酸味に程よい甘さが入ったソースは、ポテトとよく合っていた。
先ほどのバーガーと同じく、やや脂っこくなった口の中を赤茄子の酸味ですっきりさせてくれる。赤茄子の甘みは、馬鈴薯との甘みともちょうどあっていて、単調になりがちなポテトに、うまく変化を与えてくれていた。
「気に入っていただけましたか?」
「ええ……。とてもおいしいわ」
店員には悪いけど、少し侮っていたかもしれない。
もっと下品な味だと油断していた。
でも、全然イメージと違う。食べ方はちょっと粗野でビックリしたけど食べ方を見越して、具材の一体感を楽しむ料理というなら納得できる。付け合わせのポテトもおいしく、食べていて楽しく感じた。
「それは良かったです。では、先ほどのお酒ですが」
「すみません。この店ってお酒を出していないんですよね」
「お気づきになられたのですか?」
「メニューにもないですし、雰囲気的にも……」
「ええ……。でも、お客様はお酒を飲んだことがないんですよね? なら当店がお酒を出す店と知らなかったのも無理はありません。お酒を扱っていないとも書いていませんし。ですから、お客様には特別にご用意させていただきました」
店員は私のテーブルに酒瓶を載せる。
綺麗な透明の硝子に、同じ無色のお酒が揺れていた。
「今からちょっとだけ魔法をお見せしましょう」
「魔法?」
首を傾げると、店員は口端に笑みを作りながら、酒瓶の栓を抜いた。
氷が入った水の中に、酒瓶を注いでいく。
すると、酒が水と混じった瞬間、白く濁り始めた。
「「「おおっ!」」」
一連の流れを見ていた店の客たちがどよめく。
私も思わず小さく拍手を送ってしまった。
「これはテラスヴァニルで数少ない地酒の一つで『
「『
確かに水で割ったことによって、生乳のような色をしている。
「まずは匂いを嗅いでみて下さい」
言われた通り、杯に鼻を近づけてみる。
つんと何か鋭い臭気が私の鼻腔を衝いた。予想とは違う香りに私は驚く。
「いい匂い……。まるで花のような――――」
「アムニスという花の香りを付けています。気分は悪くないですか?」
「はい。大丈夫です」
「では、ゆっくり――――」
という前に、私は杯を傾けていた。
身体を弛緩させるようなたおやかな花の香りが、私を油断させたのだろう。まるで花弁に降り立った蜜蜂みたいに私は「ゴクッ」「ゴクッ」「ゴクッ」と喉を動かして、初めてのお酒を呷る。
思えば、ここまで私は喉を潤したことは一度もなかった。
あのラグリーズ局長と舌戦を繰り広げ、もうその頃から私の喉はカラカラだったのである。
『獅子の乳』は存外おいしかった。
口の中で花の香りが広がり、頭を陶酔させるような甘みが舌を刺激する。
とても飲みやすく、濃い牛の乳を飲んでいるように舌ざわりもまろやかだった。
カッと身体の中が火照ってきて、身体がふわふわして感覚はなかったが、怖いと言うよりは楽しい気分になる。
空を飛んでいるような気分の後、私は落下するように店の床に倒れていた。
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