第1話 お酒はありますか?

 私物を持って、私は王宮の外門前に立っていた。


 まだ陽が高い。そう言えば、こんな昼間に王宮を出たのは初めてだとふと気付いた。いつもなら昼食を食べた後、ちょうど午後からのカットが始まる時間だ。

 胸に手を置くと、心臓が脈打っているのがわかった。


 今さらだが、あのラグリーズ局長によくもあんな口を利けたものだ。あんなに声を荒らげたのも、いつだったかわからない。おかげで少し喉が痛かった。

 不思議と後悔ははない。でも、清々しいというわけでもなかった。


「これからどうしよう……」


 青い空を仰いでも、誰も答えてくれない。

 四年前、私が王宮魔工師試験に落ちた時、一緒に落ち込んでくれた祖父は、その二年後に亡くなった。今、ザーヴィナー商会を取り仕切るのは父ヴィルベルトだ。

 魔工師として非常に優秀だった祖父の後を受け継いだ父もまた、優秀な魔工師で今も現役だ。職人気質な父は、絵に描いたような頑固親父で口数は少なく、声をかけなければ黙々と仕事をし続ける仕事人間である。


 そんな父は祖父と違って、私が魔工師になることを反対していた。理由を言わなかったけど、私が魔工師試験に落ちて、錬金術師として宮仕えする時も、喜ぶことも励ますこともなく、ただ一言こう言った。


『覚悟があるなら、最後までやり通せ』


 三十年魔工師をしている父らしい言葉だった。

 今、その言葉が私に重くのしかかっている。

 父から見れば、自分は仕事を放り出してきた半端者だろう。

 何を言われるかわからない。口数が少ないだけに余計だった。

 子どもの頃から褒められた記憶はあまりない。逆に激しく叱責された覚えもない。

 でも、父は魔工師を目指す私にとって、身近な目標だった。

 そんな尊敬すべき人間に失望されたらと思うだけで、キュッと胃が縮まる。


「家に帰りたくないなあ」


 家路に向かっていた足がついに止まる。


 気付いた時には、王都の大通りの真ん中に立っていた。

 昼間の大通りは賑やかで、威勢のいい売り文句に買い文句が重なりあっている。

 少し先の広場では何か催しでもやっているのだろう。太鼓の音ともに観客の手拍子が聞こえる。


 チンチンという警笛が鳴るのを聞いて、ハッと顔を上げた。

 王都を行き交う魔列車が角を曲がって通りに侵入しようとしている。

 動力が付いた先頭列車は二両の客車を引っ張って、人が歩くほどの速度で私の方へと向かってきた。一両の広さは馬車とあまり変わりないが、今日もたくさんの人を乗せている。


 魔列車は魔導具技術で大陸一、二を争うネブリミア王国が、世界に先駆けて作った馬車に変わる移動手段だ。


 先頭の動力部に『火』と『風』の精霊石を積み、それらを混合させることによって得られる動力で動いている。王宮は有事の際に利用しようと開発を進めた。隣国まで魔列車用のレールを敷こうと考えていたみたいだけど、結局計画は頓(とん)挫(ざ)した。馬十頭分ぐらいの力はあっても、載せている精霊石があまりに重く、それでいながら持続時間があまり持たないからだ。

 一日走れる距離は、馬より少し走れる程度。精霊石は非常に高価で、メンテナンス費用も馬鹿にならない。つまりコストが高い。加えて魔列車を動かす魔法士の育成も必要で、人件費がかかる。

 以上の理由から、魔列車による有事運用は断念したと聞いた。


 その経験を踏まえ、四人乗り限定の魔導車を作る計画が持ち上がっているみたいだけど、未だに実用化に至っていない。

 結局魔列車は今ではネブリミア王国王都で二両、ネブリミア王国と近しい近隣国に一両ずつしか走っていないらしい。


「動力と魔法を直結するから効率が悪いのよね」


 魔列車が横切っていくのを見ながら、私はついぼやいた。

 でも、魔列車の運動効率が悪いことは確かだ。魔法の力はとても稀少だ。それを生み出すのも、操るのも人間しかできない。だからコストがかかる。ならば、動力源は別のものに置き換えて、魔法はあくまで始動機として使えば、大幅に精霊石を小さくできる。


「あっ!」


 気付いた時には、乗ろうとしていた魔列車が大通りを南下していく後ろ姿を見送っていた。

 次の魔列車が来るのは、一時間後だ。いよいよ家路に向かう気分が遠のいていく。

 いっそ宿屋でもとろうか。うん。悪くないかもしれない。


 幸いお金だけはある。王宮錬金術師の給金は少なかったけど、私の場合朝から晩まで働きづめだったから、特にお金を使うことなくて溜まっていく一方だった。同じ年頃の女性と違って、服やアクセサリーにさほど興味がなかったし、髪も子どもの頃から切ってもらっている美容師さんに整えてもらっていて、とても安い。


 両親の結婚記念日をお祝いする他には、趣味にしている自作魔導具の材料費ぐらいしか使ってこなかった。基本的に一日中、仕事場にいたから化粧する必要性も感じず、同じ理由で髪も作業になると後ろに纏めてしまうから、変えても意味がないと思っていた。そもそも他のことを考えながら作業すると、緻密な作業に狂いが生じると思って怖くてできなかったのだ。


 錬金術師の仕事は、精霊石のカットだ。


 フェリクス大陸にある特定の地域から出土する『精霊石』は、魔導具を動かす際の燃料として使われる魔力を蓄蔵することができる。魔導具は魔力がなくては動かないが、人が一日魔導具に魔力を注ぐことはできない。その魔力を代用するのが、精霊石だ。


 精霊石は出土した状態ではほとんど使い物にならない。出力が安定せず、一度精霊石の魔力を開放すると、最悪爆発することもある。安定的に魔力を抽出するため、また魔導具にあった出力を生み出すために、錬金術師のカッティング技術は欠かせない。

 カットにおける精度は、毛髪の太さの十分の一以下を求められる。

 そのためには経験と勘、日頃の体調管理は必須だ。適度な運動と食事。特に寝不足は大敵である。ちょっとでも睡眠時間が削られると、その日の仕事の効率が変わってくる。

 だから、私は中夜鐘(午後九時)には寝て、朝鐘(午前五時)前には起きて散歩し、仕事始めの鐘(午前八時半)の前には仕事場に来て作業をしていた。


 人にこのことを話すと、老人みたいだと笑われるのだが、良い精霊石を作るためなのだから仕方がないことだった。


「もうそんな生活しなくていいんだ……」

 

 自分の中でずっと張り詰めていたものが、ふと緩んだような気がした。

 別にその生活が苦痛だったと思った事は一度もない。でも、自分にかけられた枷のようなものが外れた気がした。いよいよ家に帰る必要性を感じなくなってしまう。

 もう私は王宮錬金術師のカトレアではないのだから。


 ぐぅ……。


 気が緩んだからだろうか。お腹が鳴った。こんなこと初めてだ。

 慌ててお腹を押さえて、辺りを見渡すけど、誰かが気付いた様子はない。ホッと息を吐くと、パンの間に肉や野菜が挟まれた料理が視界に映る。


「バーガー屋さん……?」


 私が見たのはバーガー屋の看板の絵だった。

 バーガーとは、看板の絵のとおり野菜や肉をパンで挟んで食べる料理のことだ。

 南の国テラスヴァニル王国発祥の料理で、今ではフェリクス大陸全土で食べられる一般的なファストフードで知られている。といっても、そう認知されるようになったのも、ここ二年ぐらいのことだ。


 よく考えてみると食べたことがない。若い男女のカップルが行くという偏見があって、私には縁遠い場所だと勝手に思っていた。


「行ってみようかな……」


 引きつけられるように私はふらりと店に入る。

 もう王宮錬金術師のカトレアでもなければ、魔工師を目指していた自分でもない。

 そんな認識が空腹と一緒に素直に働いた結果、足が動いたといったところだろうか。やや自暴自棄になっている気はしたけど、一生のうちに今日くらい、自分勝手に生きていていい日があっても良いはずだと、自分に言い聞かせる。



 店内に入ると、自分の思い込みが間違っていたことに気付かされる。

 確かにカップルもいるようだけど、他にも家族連れや、商人風の男、近所に住んでそうなお爺ちゃんまで席についてバーガーを頬張っていた。


 今まで見たことなかった世界を覗き見たみたいで、心臓がドキドキしている。

 冒険に赴く子どもみたいに入口近くにあった席に着いた。バーガー屋は初めてだけど、レストランには家族と何度か訪れたことがある。


 しかし、待てど暮らせど店員は注文を取りに来ない。溜まらず私は近くで床拭きをしていた店員に話しかけた。店員は揃って麻布のエプロンを着ていて、室内でも帽子を被っているからわかりやすい。


「あの……。すみません」


 声をかけると、涼やかな青い瞳と目が合った。こちらに近づいてきたのだが、思ったよりも上背があり、妙な威圧感を感じる。帽子を目深に被り、さらに前髪を下ろしていて顔の半分がよく見えなかったが、特徴的な赤毛と、自然と焼けた肌を見て、隣国テラスヴァニル王国出身の人間だとすぐわかった。


 あちらの方は、赤髪に陽に焼けたような褐色の肌をした人が多い。

 つい最近も、王宮にテラスヴァニル王国の王子がやって来て、ネブリミア王国の技術について説明しながら、工房を案内したところだった。


「注文をお願いしたいのですが」

「失礼、お客様。当店はカウンターで注文してもらう方式を採っておりまして。支払いも前払いとなっております」

「え……?」


 よく見ると後から来た客がカウンターで注文し、料理を受け取っていた。

 そんなこともわからず、しばし席にボウッと座っていた自分を想像すると、顔が熱くなる。初めてだから仕方ないとはいえ、自分の常識のなさを恥じ入るばかりだった。

 このまま店から出て消えてなくなりたいとさえ思ったのだけど、その前に店員に声をかけられた。


「お客様、当店のご利用は初めてですか?」

「え? ええ……。実は――――」

「失礼しました。お詫びと言ってはなんですが、このままご注文取らせていただきます」


 店員はさりげなく私にメニュー表を差し出した。

 白地の布を広げると、まるで1枚の絵画のように様々なバーガーが描かれている。普通メニュー表というと、料理名と金額が入っているだけのことが多い。絵付きというのは初めてで、しかも上手い。思わず手を伸ばしたくなるほど描かれた料理はおいしそうだった。


 広げられたメニュー表を見ながら目移りする。一口にバーガーと言っても、様々な種類があるらしい。オーソドックスなハンバーグや、揚げ鶏、マッシュした馬鈴薯を使ったクロケット、厚めのハムを炭で焼いたものなど、様々な具材が野菜と一緒にパンと挟まっている。

 さらにハンバーガーを二つに重ねたり、ハンバーグと揚げ鶏を合わせた贅沢な組み合わせまで、メニュー表に描かれていた。



 私が注目したのは、チーズが挟んだものだ。

 絵の中のハンバーガーは、パンとハンバーガーの間に薄い1枚のチーズが挟まっていた。パンもハンバーガーも出来立てなのだろう。そのためチーズが柔らかく、ハンバーガーの縁に沿うように垂れている。


「じゃあ、このチーズバーガーで……」

「ありがとうございます。よろしければ、セットにテラスヴァニルポテトはいかがでしょうか?」

「え? え? ポテト?」


 突然、言われたものだから、思いっきり動揺してしまった、

 もう1度メニュー表を覗くと、店員は「こちらです」と手で示して、丁寧に教えてくれる。

 小さな笊に、見たこともないほど長いポテトが載っていた。

 絵でありながら、これまた美味しそうだ。


「じゃ、じゃあ……」

「お飲み物はいかがいたしましょう?」

「それじゃあ――――」


 いつもの私なら真っ先に珈琲を選ぶ。特に好きというわけでもないし、何かこだわりがあるわけでもない。朝食でも、昼食でも、いつの間にか珈琲を頼んでいることが多い。

 強いて理由を挙げるなら、周りが飲んでいたからだろうかだ。

 けれど、今日の自分は違う。そう言い聞かせて、少しだけ頭を捻ってみる。

 飲んだことがないもの、と考えた時、ふと頭に浮かんだ飲み物を口に出していた。


「お酒はありますか?」



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


もう1話更新予定です。

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