王宮錬金術師の私は、隣国の王子に拾われる ~調理魔導具でもふもふおいしい時短レシピ~

延野 正行

第1章

プロローグ

新作です。

よろしくお願いします。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


「君のためなんだ……」


 そう言って、目の前の上司は眉を八の字に傾けた。

 やや癖ッ毛な金髪の下の顔は、二十二歳になっても子どもの頃のあどけなさを残したままだ。薄緑の瞳は小さく、頼りなさげで、ご飯を待つ犬のような愛嬌さがあったが、反対に上長としての威厳は欠片もなかった。


 彼の名前はパストア・インクリディア。


 私の幼馴染みであり、小さな頃から魔導具を作る技師――『魔(ま)工(こう)師(し)』を目指していた同志であり、今は錬金科の直属の上司。そしてかつての婚約者である。


 かつてということは、もう彼と私は婚約関係にないということだ。

 パストアはつい一ヶ月前、彼の上長の娘と結婚した。ふわっとカールした金髪に、小動物のような小さな顔。パストアと同じく童顔で、守って上げたくなるような細い肩幅の女性だったと記憶している。趣味を聞かれて、魔導具いじりと答える私と違い、華やかな空気を纏うお嬢様だ。


『カトレア(きみ)のためなんだ……』


 パストアはよく私に向けてこの言葉を使う。

 私を慮(おもんぱか)る言葉に、最初こそ胸が高鳴った。時と場合によっては感動すらすることもあったけど、今の私には何の意味もなさない。


 なお私が言い返そうとすると、決まって『カトレアは女性だから』と返してくる。今だって、私が考え、設計し、錬成した精霊石のカット方法が魔法出力を二割上昇させると聞いて、自分の手柄にしようとしていた。設計図の制作者の名前の欄に、自分の名前を刻もうとしているのだ。

 設計権と言って、私の国――ネブリミア王国では設計し、作図した人間が製品の権利を得ることができる。それを国が買い取る形になっていて、多少のインセンティブが給料に上乗せされる制度を四十年以上続け、国は優秀な魔工師や錬金術師を輩出してきた。



 魔工師とは魔力を動力源とした道具――『魔導具』を設計・開発できる技術者のことだ。

 ネブリミア王国は、フェリクス大陸の中でも一、二を争う技術大国であり、その国の中心的存在である魔工師は、花形職業としてもてはやされている。特に最難関といわれる王宮魔工師採用試験をくぐり抜け、王宮魔工師となれば一生安泰と言われきた。


 私も王宮魔工師を目指して勉強したが、結局その夢は叶わなかった。

 採用試験の成績は問題なかったはずだが、最終的に私が女だという理由で、同じ技術者でも魔工師からは一つ劣る錬金術師として働くこととなった。

 魔工師の世界は、今も昔も男社会である。今、パストアがねだっているのも、設計図面に女性の名前があると、上長の通りが悪くなるという理由も含まれていた。

 それでも、自分が夜なべして考えたものを、他人名義になるというのは、当然胸が痛くなるものだった。

 しかし、私の思いとは裏腹に、パストアは心底本気で私のためになると思っているらしい。

 手柄を横取りしている認識すらないだろう。ただこの技術を世に広めたい。そのためには私の名前を消す必要があると方法論を説いているのだ。


『魔導具技術によって、よりよき世界を目指したい』


 それはパストアと共有していた私たちの昔からの夢だった。その点については、結婚しても彼は何も変わっていない。純粋で、純朴で、お人好しのままである。

 だから知ろうともしない。私がその純粋さに、たった今この時も傷付けられていることを。


「いやよ!」


 私はきっぱりと断った。

 1度ぐらいなら昔のよしみで許してもいい。

 でも、これで3度目だ。さすがの私も鶏冠に来ていた。


 パストアの目が、ビーダムの実のように丸くなる。


「いやって……。何を言っているんだい、カトレア。あのね。いいかい、君は――――」

「女性だから――でしょ?」

「え? あ、うん……」


 パストアは黙ってしまった。彼は饒舌な方ではない。考えて喋るのが苦手だ。

 つい先日言っていたようなことを繰り返していることも多い。


「私が女だから、私の名前だと、上長――あなたの義理の父上に通りが悪くなるって言いたいんでしょ?」

「え? あ、うん。……わ、わかってるならどうして? あ、もしかして冗談とか? カトレア、君が冗談を言うなんて珍しいね」

「私は本気よ、パストア。……私が製図したものに、他人の名前が入るのは、もうイヤなの。自分の努力を否定されてるみたいで」

「それは……」


 パストアはばつの悪そうに顔を歪め、ビーダムの実のような目を背けてしまった。

 いつもなら肩に手を置かれるだけで、私は頷いていた。だけど、今日は違う。追い詰められた鼠が猫を噛むなら、私は虎になる覚悟だってあった。


「それだけじゃないわよ、パストア。あなたが私に婚約破棄を申し出た時、あなたが私に何を言ったか覚えてる?」


 パストアとはもう金輪際顔を合わせなくなってもいい。

 私はそういう気概を持って、言いたいことを言うと決めた。


「『僕が偉くなれば、君を助けることができる。君を女性初の魔工師にさせてあげることも可能になる』。あなたはそう言って、私を説得したわ。……でも、何も変わらなかった。あなたは私のことを体のいい操り人形とでも思っているのかしら?」

「確かに言った。それは認めるよ。でも、僕は君を操り人形なんて思ったことはない。カトレアも知ってるだろ? 女性初の王宮魔工師になるのは簡単なことじゃないんだ。それを理解してくれ」

「確かに王宮魔工師にはなりたいわ。でも、今言っていることは信用の問題よ。もうこれ以上、あなたの言うことを聞いて、私が引いた図面に、あなたの名前は入れたくないと言っているの」


 私は提出した図面を彼の前に広げて訴える。

 それでもパストアは頷かない。また私から目を反らし、見たこともない酷薄な顔で言った。


「君がそんなに名誉や地位に固執する人間だとは知らなかったよ」


 残念だ、とばかりに瞼を臥せる。

 多分きっと普通の女の人なら、平手打ちでもなんでもして、激憤するのだろう。

 でも、私はそうでなかった。すぅっと頭の中が冷えていくのを感じる。同時に感情も、パストアを見る目も冷たくなっていくのがわかった。


 名誉や地位の問題じゃない。なんなら『女性初の』なんて肩書きだっていらない。

 私が魔工師になりたい理由は、パストアが一番わかっているはずなのに。

 彼はそれすら忘れてしまったというのだろうか。

 ふっと目の前の幼馴染みが、何か別の生き物のように思えた。




「何をしているのだね?」

「ラグリーズ局長!」


 パストアは突然現れた人物の顔を見て、慌てて頭を下げた。

 ラグリーズ・ベレン・ブリーレン魔導局長。魔導具開発、素材調達、製造など、魔導具に関するあらゆることに携わる魔導局のトップだ。ちなみに『局』とは、王宮にある『工房』を意味するため、『ラグリーズ工房長』と呼ばれる場合もある。

 私は魔導局製造部錬金課の錬金術師。パストアは錬金課の課長に当たる。さらにその上には製造部長がいて、局長がいる。宮仕えの錬金術師でしかない私には雲の上の存在だ。

 そしてパストアの婚約相手というのが、ラグリーズ局長の娘――つまり、パストアの義理の父に当たる。



 私とパストアは小さな会議室で話し合っていたのだけど、外まで声が漏れていたらしい。

 ラグリーズ局長の顔は娘婿を見るまでは穏やかだったが、私を見るなり、眉間に皺を寄せた。


「また君かね、カトレア・ザーヴィナー」


 また? またってどういうこと?

 誓って言うが、私とラグリーズ局長とはあまり接点はない。いくら上長といっても、間に課長と部長を挟んでいるのだ。一介の錬金術師でしかない私のことを、局長がフルネームで知っていることに驚いたが、すぐに謎は解けた。


「婿殿から聞いている。大変優秀な錬金術師だとね」

「あ、ありがとうございます」

「しかし人格的には問題があるようだ、君は」


 私が人格的に問題がある?? 


 それを聞いた瞬間、一瞬会議室の天井を仰いだ。

 自分が清廉潔白で、品行方正な聖人だとは思っていない。

 でも、他人から「人格的に問題がある」とそしりを受けるようなことはしていない。

 パストアから何を聞いたかは察せられるが、それでも頭から人格から否定する人間の性根を疑いたくなる。


「そ、それはどういうことでしょうか?」

「随分と婿殿を困らせているらしいじゃないか? 婿殿が設計した精霊石のカットを、自分の手柄にしようとしたとか……」

「は――――っ!?」


 本当なら心に留めるべき言葉を、つい口に吐いて出ていた。

 パストアの方を見ると、やはり私と視線を合わせない。まるでラグリーズ局長に隠れるように後ろに下がり、背を丸めている。戸惑いつつも、局長の話を最後まで聞いてみると、私は完全に地位や名誉に固執した悪役錬金術師に仕立てあげられていた。


 元婚約者の態度とラグリーズ局長の話を聞いて、私は二人の間でどういう会話がなされたのか、すぐに察する。


「はっきり言おう。我が国において将来永劫、女が魔導具開発に携わることはない。ネブリミア王国はフェリクス大陸において一、二を争う技術大国だ。他国はどうか知らんが、そうやってネブリミア王国の王宮魔工師(おとこたち)は最高の技術を生み出してきた。何故かわかるか、カトレアくん」


 ひどい女性蔑視発言だ。

 なのに、ラグリーズ局長は悪びれるどころか、自分を誇るように話を続けた。


「女は手先が器用だ。それは物作りの魂が手先にあるからだ。しかし、男は違う。男の物作りの魂は頭にある。より良いものを作ろうと日々頭を働かせているのだ。君たちとは違うのだよ」

「それは違います!!」


 気が付いた時には、局長が鼻白むほど私は大きな声を荒らげていた。


「女だから手先が器用なんてそんなことはありません。手先が器用な男の人だっていますし、男の人以上に魔導具作りに情熱を持つ女の人だっています」

「それが自分だとでも?」

「女性は女性目線で考えることができる。今まで魔導具作りが男の方にあったのは、社会がそうだったからです。でも、魔導具を使うのは、何も男の方だけではありません。女の人だって使うのです。女性ならば、女性にあった魔導具を作る事ができる」

「まるで男には女性向けの魔導具が作れない――と言いたげだね」

「そんなことは言ってません。しかし――――」



 ラグリーズ局長は、一度パストアの方を振り返り、眉間に深く皺を刻んだ。


「噂通りの女のようだな、君の元婚約者は……」

「は、はあ……」


 パストアは生返事をすると、こびへつらうような笑みを浮かべ、頷いた。

 もう一度、ラグリーズ局長は私に向き直り、唇をへの字に結ぶ。


「カトレア君、君の発言はね。同僚を貶める発言で、非常に無礼な言動だ。まるで他の人間は無能で、自分しか女性向けの魔導具は作れない――そう言ってるように聞こえる」

「私は一言もそんなこと言ってません」

「そう言っているように聞こえる、と言ったんだ。全く君は私の話を聞いてるのかね」


 それは私の台詞だ。局長こそ私の話を聞いていたのだろうか。

 これ以上、議論してもダメだ。この人の前では、何でも自分優位に曲解される。多分、そうやって他人と付き合ってきたのだろう。仮にパストアとラグリーズ局長の娘との婚約が、こうしてごり押しで進んでいったのであれば、髪の毛の先ぐらいなら同情できるかもしれない。


「もういい。これ以上、議論しても無駄のようだ、君はもう明日から来なくていい」

「それって、クビってことですか?」


 聞き返したのは私ではなく、パストアだった。

 彼が私以上に慌てふためく理由は手に取るようにわかる。私が精霊石のカットについて革新的なアイディアを出しても、パストアは最後には自分の手柄にしてきた。けれど、私がいなくなれば、それができなくなるからだ。

 そうやって私を使ってのし上がり、ついに局長の目にまで止まった。

 名誉と地位に溺れていたのは、彼の方だったのだ。


「そうだ。パストア君もその方が仕事がしやすかろう」

「いや、しかし――――その、彼女は優秀な…………」

「わかりました。……それが命令というなら従います」


 魔導具を作りたくて、王宮魔工師を目指した。結局、落ち止めとして受験していた錬金術師になったけれども、それでも努力すればいつか誰かに認めてもらえる。そう思っていた。そしてそう思っていた私が馬鹿だった。

 王宮から去ることは、これまでの自分の人生を否定することでもある。

 それでも私が王宮を去る決断をすんなりと受け入れることができた理由は、パストアに対するささやかな意趣返しなどではなく、今から仕事場に戻って席に着き、緻密な精度が要求される精霊石のカット作業ができる自信がなかったからだ。


「素直でよろしい。それに免じて、今月働いた給与分ぐらいは後で届けてやる」

「ちょ! 待って下さい、ラグリーズ局長。カトレア! 今すぐ局長に謝るんだ!」

「謝る? 何を? 私は何も間違ったことは言ってないわ」


 おそらく間違っていたとしたら、幼馴染みという理由だけで脇目も振らずに、パストアを信じ続けていた過去の自分だろう。でも、もう私は過去の自分ではない。

 私の態度を見て、パストアは滑稽なほど狼狽えていたが、ラグリーズ局長は「はっ」と笑う。


「婿殿は優しいな。それに引き替え、女という奴はどうしてこう腐っているのか。なんとか取り直そうとしている友人の手を振り払うなど、鬼畜の所行だ。出て行きなさい、今すぐ」


 最後に眉根を潜め、吐き捨てる。

 私はパストアに一旦預けた新しいカットの図面を握りしめ、その場を後にした。

 王宮の廊下を、仕事場の方に向かって早歩きで歩く。途中、女給が目を丸くしているのを見た。私はその脇を通りながら、瞼の上から目を擦る。何度も何度もだ。


(なんでだろう?)


 ちっとも悲しくないのに、どうして涙が出てくるのだろう。




~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


本日は3話更新予定をしております。

2話目はしばしお待ち下さい。

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