大人になる儀式
木内一命
1
今日、僕は18歳になった。
果たして嬉しいと言っていいのかは分からない。ただ、両親が揃って祝ってくれたのは素直に受け止めている。
そして兄は停止する。そういう決まりだからだ。
彼が家にやってきたのは、まだ小学生になったばかりの時で、自分よりも身の丈の大きなそれが兄だと言われることに、奇妙な感情を抱いた。
この町では、実験の一環として「疑似兄弟」が与えられる。そうするとどんな良いことが起こるのかは、まだ分からない。ただ、急にやってきた人形に対して「家族」と呼ぶのに、抵抗がある人も少なくはない。少なくとも、僕の周りではそうである。
初めて握った手には、何も温度はなかった。彼が目を開いた瞬間、ああそうか、ガラス玉のような目とはこういうものなのだ、と思った。
「よろしくお願いいたします」
性別の判別すらつかない声で「兄」は語りかける。心があったのかは、今となっては分からないが。
僕が中学生になると、身の丈も兄相応に近づいてくる。
「今日はアイスを食べましょうか」
兄がそんなことを言うので、コンビニで二人分買って食べた。
「そういえば、味って分かるの」
「分からないけど、一緒に食べると楽しいでしょう」
この年かさにもなると、いろいろと人形について分かってきた。食事も排泄も人相応にするらしいが、エネルギー源は不明。感情らしいものは装備している。継ぎ目もない。傍目から見たら、どう考えても人間との違いなんて分からないだろう。
「残念だね」
「なるほど、これが残念ですか。了解しました」
納得したらしい。何にだろうか。しかし僕には関係のないことではある。
暑くても、兄は汗ひとつかかない。
幸せなんだろうか。
役所の担当の人が仰々しく来るわけでもなく、僕の誕生日と、兄の停止の日は訪れる。最初からそういう規則なのだ。
ハッピーバースデー。
僕に向けられた祝福のその言葉を、兄はどんな思いで聴いているのか。分からなかった。
23時。寝付けないまま、ぼんやりとテレビを眺めている。兄は隣で、無表情のまま、動く画面を見つめていた。
「チャンネル変えようかな」
あいにく、面白くもないラブコメディが放送されている。イケメンと地味な女子、凡庸な設定で脚本も単調だ。
「このままで」
兄がつぶやく。
「このまま、時間が止まればいいですね」
「やっぱり、停止されるのは嫌?」
「あなたの記憶が、素晴らしいまま止まっていてほしいと思っただけです。もっとも、自分がそう望んでいるのかもしれませんが」
「人形なのに」
そうだ。人形なのだから、大人しく停止を受け入れているのだと思った。元々、ある種の時限爆弾を装備してやってきたのだから、そうするのが当然のはずだ。
「変なの」
「変、ですか。了解しました。少し理解できた気がします」
「何が」
「死、というものが何か、少し理解できた気がするので」
「そっか」
テレビの無難すぎるキスシーン。クリスマスなんてありきたりだし、ちっとも面白くない。でも、チャンネルは変えない。
「僕もいつか死ぬよ。人間もいつか死ぬんだ」
「そうですね。ライブラリ内にそう記載されています」
「停止だって、今に始まったことじゃない。最初から決まっていたのに、どうして今になって」
「私は大人のまま生まれてきました。あなたのように素晴らしい輝きは初めからなかったんです」
「別に、輝いてなんかないよ。普通だって」
「兄としての役割を初めから与えられていた私と、どちらが素晴らしいでしょうね」
役割。僕が大人になるための、生贄にすぎない兄。刻限の定められた列車のように、レールに乗せられた人生。それを尊敬する勇気はない。ただ、僕には未来があって、兄には未来がないという、決定的な決裂がそこにはあった。
「分かんないな」
エンドロールが流れる。ニュースが終われは日付が変わる。そこで兄の未来は完全に消滅する。
「でも、幸せって、どこにあるんだろうね」
「それは貴方が見つけてくれるはずです」
「そんなもんかな」
「ええ」
「……」
「最後に」
「何」
「ありがとうございました」
「湿っぽいこと言わないでよ」
そう言った瞬間、日付が変わった。やかましいバラエティ番組の音が部屋に響く。
兄は目を見開いたまま、動くことはない。使命を終えたのだ。
僕は手を添えて、動かなくなった兄の目を、そっと閉じてやる。そのままにしておくのは不憫だと、人形相手なのに思ってしまった。
兄にも命があれば、きっと幸せになれたに違いない。
僕はただ、過ぎた時間の中に、兄の思い出を閉じ込めておくことしかできなかった。
大人になる儀式 木内一命 @ichimeikiuchi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます