3年生

 パフォーマンスをしていた舞台に上がる。熱気が残る舞台上で、ライトに照らされながらその時を待っていた。身体中が熱くて、熱くて仕方がなかった。

 呼ばれて、前に進み出て、上がる歓声。きっと私だって、ここに代表者として出ていなければ、喉が枯れるほど叫んでいただろう。

 期待と不安が入り交じり、それでもやはりここまで来たのだからと期待せずにはいられなくて、一言一句聞き逃さないように耳に全神経を集中させた。プログラム順に呼ばれていく校名。あちこちで上がる歓喜の声。あと二つで自分たちの学校だ――


「部長」

 声をかけられて、ハッと顔を上げる。斜め上、私より随分高い位置にあるその顔。三年間ずっと、ほぼ毎日合わせていた顔。その後ろには、消えかけた文字で音楽室と書いてあるのが見えた。

「あ、……梶原」

 笑うべきなのか、真顔になるべきなのか。どんな表情をしていいのか、わからなかった。こんな時に笑顔を見せるシミュレーションはばっちりだったはずなのに、どうしてか上手くいかない。昨日で表情筋を使い果たしてしまったみたいだ。

 昨日、たしかに聞いた、「金賞」の五文字。この目で確認した自分たちの学校名。

 そこに、「代表」の文字だけが足りなかった。

「……ごめん。もう鍵、閉めないとだよね。先生か誰かから頼まれた?」

「まあ、そんなとこだね」

 やっぱり。そう言って笑ったつもりだった。口から出たのは笑い声になり損ねたただの空気だった。

 頬が上手く上がらない。口が上手く動かせない。ぎゅっとそれらを引きしめて立ち上がって、リュックを背負った時だった。

「ねえ、部長」

 よく通る声が、私の名前《肩書き》を呼んだ。

「僕たち、よくやったと思う」

 ぴたりと、足が止まった。何も言えないでいる私に構わず、梶原は続ける。

「メンバーにすら入れなかった僕たちがここまで来れたんだ。有言実行って言えるんじゃない?」

「……そう、かな」

「そうだよ」

 三年前と違って、言いたいことはわかる。ここまで来れたんだ、十分すぎるくらいだ。そういうことだろう。私だって思ってる。廊下で一人で泣いていた頃を思えば、大躍進である。

 でもその一方で、欲張りになった私もいる。部長という役割で、次の大会への推薦をもらうことを目標として鼓舞してきた。だから、できることなら、推薦状をみんなの前で高々と掲げたかった。そして、目標を託していった先輩の笑顔が見たかった。

 今なら叶えられると信じていた。信じていたものが叶えられなかった。それなのに、涙も何も出てこなかった。

「小倉さん」

 名字を呼ばれて、思わず反応が遅れる。そんな私を見て、梶原がからかうようにけらりと笑う。

「すっかり部長が板についちゃって」

「ていうか、私もう部長じゃないし」

「さっきまでずっと返事してたのに?」

「……うるさい」

 先輩から部長を引き継いで一年。その間、部員からはほとんど「部長」と呼ばれていた。そのせいか、名字で呼ばれるとどうにも反応が遅れてしまうし、引き継ぎをしてもこうして「部長」と呼ばれて反応してしまう。染み付いた癖は恐ろしいものだ、と現実逃避じみたことを考えた。

 そうして少しの間の後、梶原が口を開く。

「そうだよ、小倉さん。小倉さんはもう部長じゃないんだよ」

 当たり前のことを言われた。それはただただ事実だった。それなのに、どうして、どこかを殴られたみたいに熱いんだろう。

 リュックの重みが、今思い出したみたいにずしりと肩に乗しかかる。ついこの間までは、全部音楽室に置きっぱなしだったものたちだ。毎日朝練に来て、放課後はみんなで練習して、完全下校ぎりぎりまで個人練習をした。一年で一番昼間の長い日を越えて、また短くなっていくのを部活終わりの空で実感した。帰り道、リュックを前に抱えて電車に揺られて、合間にイメトレをして、家に着いたらご飯を食べてお風呂に入って、寝て、また朝練に行く。

 ああでも、明日はもう、朝練には行けないのか。

「……そう、だね。私、そろそろ切り替えなきゃ」

 当たり前のことだった。ずっと、毎日、平日も土日も関係なく。部活のことで頭がいっぱいで、ずっとずっと、一直線に目標を追いかけていた。光を求めて伸びる植物みたいに。大きくなって、その光に触れたかったのだ。

「ねえ、小倉さん」

 もう一度、名前を呼ばれた。

「僕、上手くなれた?」

 振り返る。少し高い位置にある目をまっすぐに見て、頷く。

「もちろん。すごいよ、梶原は」

 あの頃から考えたら、彼の伸びる速さは凄まじいものだった。私だって、何度追い越されると焦燥感に駆られたかわからない。

 だからこそ、聞きたいと思ってしまった。

「……あの、梶原」

「うん?」

「わ、私は……どうだった? 梶原から、見て」

 自分が情けなくて腹立たしくて、悲しくて。悔しくて悔しくてどうしようもなかった、あの頃。上手くなりたいと、そう零した。

「そりゃ当然。いつも小倉さんは、僕の前にいたんだから」

「……そっか」

 ありがとう、とそう言った。生暖かいそれの止め方は忘れてしまったけれど、どうしようもなく心が満たされるのを感じていた。

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やがて緑が育つまで 雪見そら @neige_fl

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